第365話
~ハルが異世界召喚されてから9日目~
どこまでも広がる闇の中、ディータはフカフカのソファに座っている。前屈みとなり指を組んで、目の前の映像をみつめていた。
映像には、薙ぎ倒された木々が写っている。
ディータは秤知れない暴風を検知すると、その現場付近の映像を確認していた。
──おかしい……
ディータは異変を感じとり、直ぐ様ハルとミラの行方を確認した。座標にはきちんとハルとミラがいるのだが、その姿を映像で捉えることができない。
そして気が付く。
──Miraが死にかけている!?
ディータの思考が全身を駆け巡った。
──こんなことが出来るのは、ペシュメルガだけ……まさか、この世界のルールを捻曲げる武器を造り出していたのか?
冷静な分析をしつつ、自分がとるべき行動をディータはとった。
いつの間にか、薙ぎ倒された木々の映像から、教会でなかなか寝付けないでいるルナの映像に切り替わっている。
その後ディータはルナに憑依した。
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夜風に当たり、自分の任務を全うするオデッサ。ルナを狙う勢力がいつ襲い掛かってくるかわからない。
クロス遺跡でハルと別れてから、ユリをハルの言う通りに鍛えた。彼女はみるみるうちに成長し、オデッサは嫉妬を覚えた。それは、彼女があっという間に強さを得たことに対してと、ハルがユリのことを知り尽くしている点でだ。
──私のことも、もっと知ってほしい……ってなんだこの感情は!!?
オデッサは自分よりも年下の男の子に今までにない感情を抱いたことに驚いていると、ルナの寝ている部屋が神々しく光り出した。そのせいか窓ガラスがガタガタと音をたてて揺れている。
「なんだ!?」
オデッサは慌てて、ルナの部屋に足を運ぶ。
──敵の気配はなかったはずだ……
勢い良くルナの部屋に入ると、ベッドの脇でルナが立っている。
オデッサは安堵の吐息を漏らすが、目の前にいるルナに違和感を抱く。
──この圧力は……それにどうしてこんなにも……
オデッサはルナの全身を眺めて思う。
──神々しいんだ……
「エクステリア殿…いや、貴方は……」
ルナに憑依したディータはオデッサの言葉を遮る。
「フルートベールの剣聖オデッサ。私はこの世界の神、ディータです。今すぐに……」
普段のルナがディータを名乗るのならば、オデッサは一笑に付していたところだが、目の前の人の形をした何かには、畏敬の念を抱かざるを得ない。混乱しているオデッサはディータを名乗るルナの最後の言葉を聞き逃していた。
ディータを名乗るルナは窓の外を眺めた。
その一挙手一投足に目を奪われるオデッサは、ルナの視線の先をつられて見やると、闇夜が閃光により瞬き、激しい轟音を伴って窓に激突してきた。
オデッサは咄嗟に目を瞑る。
オデッサは眩んだ目をゆっくりと開けると、窓の外から稲妻がこの部屋に侵入しようとバチバチと音を立てていた。
「これは……見えない障壁があるのか?」
オデッサはそう呟くと、ディータは手をかかげながら答えた。
「やはり、来ていましたか……」
かかげている手を握り潰すような動作をディータがすると、見えない障壁が稲妻を包み込むようにして消滅させる。ディータは窓の外、眼下を見下ろした。
オデッサもつられて外の景色を眺めた。
この部屋の窓を見上げるように、2人の人影が見える。猫のような耳をヒョコヒョコと動かす、しっぽの付いた獣人と黒髪のどこにでもいそうな少年の姿を確認した。
「奴等は……」
「ランスロットとミストフェリーズです」
「え?」
急に出てきた英雄達の名前に戸惑うオデッサに、ディータは構わず続けた。
「このままここにいてください」
ディータは窓から飛び降りると、戦闘を待っている2人に近付いていく。オデッサは自分も戦力として戦おうと、窓枠に足をかけるが何故だかこれ以上先へと進めない。後ろを振り返って先程自分が入った扉を開けようとするが、取っ手に触れることができなかった。
オデッサは大人しく、ディータの命令に従い、窓から英雄対神の対決を観戦することに専念した。
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「やぁ、久しぶりだねモーント。いや、ディータ」
ディータに向かってランスロットが口を開く。
「久しぶりの再開を懐かしむ余裕はないんだ。知っているだろ?この世界の危機なんだ」
ディータの言葉に、ランスロットとミストフェリーズは顔を見合わせてからディータに向き直る。
「え?そうなの?」
「そうにゃ?」
ディータが憑依したルナは呆れるような表情を見せた。
「相変わらずだね。君達は……」
「でも、もし本当に世界の危機ならペシュメルガ様が動くから」
「そうそう!だからにゃー達はお前の行く手を阻むだけにゃ!」
ディータは2人を見据える。
──確かにその通りだ。これもペシュメルガの思惑なのかも……いや、Miraが死にかけているこの反応すらもペシュメルガによる偽装なのかもしれない……
ディータが考え込んでいると、ミストフェリーズの姿が消える。
ディータは首を横に傾け、背後から後頭部を鋭い爪で串刺しにしようとしてきたミストフェリーズの攻撃を躱す。
ディータは思考を続ける。
──Miraが死にかけている反応が偽装ならば、僕を殺すことを目的にしていると予測できる。
ミストフェリーズは躱された手の手首を曲げて、今度は爪をディータの顔目掛けて突き立てた。
ディータはしゃがみ込むが、すかさずランスロットが魔剣アロンダイトを下段に振り払う。
ディータは大地に手をつきながら唱えた。
「浄土」
ディータとランスロットの間に、小さな芽が大地から出現したかと思えば、その芽は一瞬にして巨大な樹へと成長し、ランスロットの振り払った魔剣アロンダイトに巻き付く。
それでも尚、樹ごと切り裂こうとするランスロットだが、樹の幹を半分ほど切り裂いた辺りで、伸びゆく枝がアロンダイトを振り払う腕に巻き付こうとしたのを機に、ランスロットはそこから離れた。
再び標的であるディータに斬りかかろうとするランスロットだが、辺りは密林の如く木々が生い茂り、ディータを見失う。
キョロキョロと辺りを見渡すランスロットにミストフェリーズは肩をすくめて言った。
「やっぱりエレインがいなきゃ、難しいにゃ」
「少しでも足止め出来ただけよしとしようか?」
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森の中を駆け抜けるルチア。
ルチアはエレインの命令通り、特待生の1人を追いかける。
夜の森はまるで今の自分の思考のように複雑だった。闇や樹の枝、密生する草がルチアを阻む。
枯れ葉が敷き詰められた大地を蹴り、低木を飛び越え、短剣で枝を切り裂き、逃げた特待生を追いながら、ルチアは今までにないほど動揺していた。
──ハンナが死んでしまった……
ペシュメルガの命令によって、見守り続けた人間。
──ただそれだけなのに、どうしてこんなにも悲しいのだろうか……
胸が締め付けられる。今はアジールのことを知った者を殺さなければならないのに、集中できない。ハンナを殺したエレインに憎悪を抱いてしまう。決して敵う相手ではないのに。
逃げ行く特待生の後ろ姿を捉えた。
ルチアは標的を目視できたことにより、余計な考えを振り払う。
徐々に距離が近づき、特待生の姿が大きく見えてきた。
──追い付いた……
しかし、頭の中でハンナの喜ぶ顔と仕事で落ち込む顔がちらつく。
特待生は、接近するルチアに動揺すると、木の根に足を引っかけて転んだ。両手を大地につき、もがくように恐怖の対象であるルチアを見上げてきた。
ルチアは特待生に魔法をかけようと片手を翳すが、怯える特待生の表情と、ルチアの脳内を駆け巡る泣き出しそうなハンナの顔が重なる。
ほんの一瞬、攻撃を躊躇うルチアと自分の死を悟った特待生ヒヨリの上空を大きな影が通りすぎた。
何事かと、2人は上空に視線を送ると、空からオレンジ色の髪を生やした男が降ってきた。その男はルチアとヒヨリの間に着地する。
ルチアは自分の主、ペシュメルガがやって来たかと思ったが、その考えを直ぐに改めた。
「…お前は……」
ペシュメルガと同じ竜族にしてその末裔、チェルザーレが口を開く。
「奥にいるのはランスロットか?」
「……」
ルチアは何も答えずに構えると、チェルザーレは続けて言った。
「まぁいい。アジールが相手ならお前のような下僕でも殺すだけだ」
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ミラは胸にかつてない激痛を感じる。自分の体温やHPが流れ出ていく感覚がある。それは喉元から吐き気となって押し寄せ、口から大量の血を吐く。
自分の体内にこれほどの量の血が駆け巡り、生命活動を維持してきたのかとミラは驚いた。
目の前には、笑みを浮かべる紫色のドレスを着た女が立っている。まるで自分を観察しているようだった。
ミラは膝をつき、身体が冷たくなっていくのを感じる。
背後には戸惑う特待生の2人がいた。
ミラは彼等に告げる。
「逃げ…なさい……」
またしても、血を吐いた。体温が一気に低下する。しかし不思議と嫌な気はしない。何故なら自分も他者と同様の人間であることを実感できたからだ。それに、後ろにいる特待生2人の命を守ることができた。今まで他者の死が自分のせいだと思ってきたミラにとってそれはかつてない喜びであった。
始めはドレスウェルでの孤児院の仲間達が死んだ。次にナッシュやおばさんに、村の住人、次にユーゲントの仲間達。
──初めて役に立てた……
ミラは多幸感に包まれる。
ゴーン ゴーンと鐘の音が聞こえる。
「最早、恐れることはない」
ミラは立ち上がり、定まらぬ焦点の先にいるエレインを見た。
「ここは通さない……」
ミラの決死の覚悟とは対称的に、エレインは冷静に告げる。
「もう無駄な抵抗はやめて、死を受け入れなさい」
込み上がる血が再びミラの口の中を満たす。その時、ミラの脳内に川の中でもがき苦しむ記憶が甦ってきた。
『ミラは僕が守るよ』
ナッシュの声が聞こえる。ナッシュがこの台詞を言った時、ミラは微かに違和感を覚えたのを思い出す。
──あぁ、思い出した。ドレスウェルの孤児院が焼かれる前に、私が川で溺れたせいで……
ミラは背後をチラリと見た。そこにはまだ戸惑う特待生2人の姿がある。
──すまない……
ミラは自分が殺された後、この2人が殺されてしまうことを心苦しく思った。
視線を背後にいる特待生の2人からエレインに戻す。エレインはミラの首を切り落とそうと、鉄扇を振り払おうとしていた。
ミラは力を抜き、訪れる死を待った。
しかし、訪れたのは1人の少年であった。その少年はエレインの振り払う鉄扇の軌道を阻むようにして天空から降り注ぐ。
金属同士が激しくぶつかり合う音が聞こえると同時に、ミラは勿論、背後にいる特待生2人も目を覆うような凄まじい衝撃が辺りを襲った。
ミラは霞む意識の中、自分が生き長らえたことを悟ると特待生達の無事を確認してから、空から現れた少年を見やる。
少年は見覚えのある大剣でエレインと鍔迫り合いをしながら、言った。
「大丈夫!?」
この言葉でミラは川で溺れた時の記憶が流れ込む。幼い身体で自分を必死に川から押し上げようとする男の子のことを。ミラを安心させようと告げられた言葉を。
『大丈夫!ミラちゃんは──』
空から飛来した少年がその言葉の続きを言い放つ。
「ミラちゃんは僕が守るから」
ミラはいつしか枯れた筈の涙を流した。
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