第364話
~ハルが異世界召喚されてから9日目~
ハルは横たわるシーモアの胸に手を当てて唱えた。
「レイズデッド」
掌から眩い光が発せられると、シーモアは目をゆっくりと開けた。
その様子を見たゾーイーは呟く。
「俺もこんな感じだったのか?」
シーモアが不思議そうに辺りを見回し、口を開いた。
「俺は一体……」
チェルザーレが説明する。
「色々と予定が変わってな。ユリという妖精族の娘の限界を突破させる為に、お前を戦わせた」
チェルザーレは顎をユリの方へとしゃくってから続ける。ユリはというと少し居心地が悪そうな面持ちだった。
「死んだお前を、コイツが甦らせた」
今度はハルに向かってチェルザーレは顎をしゃくる。
「すまなかったな。例え甦るとわかっていてもお前らを捨てるような戦略をとった。もう2度とそんなことはしないと約束しよう」
シーモアは起き上がり、了承した。
ハルは思った。
──今の説明で、納得したのか?
バスティーユ監獄でチェルザーレ達と合流してからハルは、屋敷に運ばれたシーモアの元へと向かう道中、チェルザーレに事の顛末を報告し、現在に至る。
チェルザーレはシーモアの心配を早々に済ませ、ハルに向き直った。
「再三聞くが、本当にヴァンペルトを倒したのだな?」
「はい。倒した瞬間、レベルが上がりましたので……」
「レガリアはどうした?」
「彼女なら、逃げていきました。いや、十分な情報を得たから去った…と言った方が良いかもしれない……」
「どんな情報を抜き取られた?」
「僕の記憶……」
「お前のスキルか?それとも古代人であることを知られたか?」
「いや、彼等は古代人ではなく、天界がどうとか言っていたような……」
チェルザーレはため息をつき、ハルに説明する。
「古代人も天界人も意味するところは同じだ……」
チェルザーレが言い淀んだ気がした。ハルは質問する。
「どうして使い分けるんですか?」
「古代人とは、この世界の教養として広く知られている言葉だ……しかし、レガリアが言うようにこの世界に何らかの物質を転送させることができるならば……神のような力を秘めていることになるだろう……?」
「あぁ、それで天界に住む人ってアジール達は呼んでるのか」
ハルは納得した。しかしどこかで引っ掛かりを覚える。それは、チェルザーレが言葉を選びながら述べているのを不審に思ったのか、それとも別の要因か。この時のハルには検討もつかなかった。
そんな時、マキャベリーが重々しい空気を漂わせながら部屋に入ってきた。
「どうした?」
チェルザーレが尋ねると、マキャベリーが答える。
「チェルザーレ枢機卿倪下、ハルさん。貴方達2人の力を貸していただけませんか?」
ハルとチェルザーレは訝しみ、マキャベリーの言葉を待った。
「現在帝国がアジールに襲われています」
「え!?」
ハルが驚きを隠せない一方、チェルザーレは帝国の状況説明をマキャベリーに促す。
「はい。帝都の南側で暴風が吹き荒れ、木々を薙ぎ倒し、通信施設を担う塔が崩壊しました」
チェルザーレが遮る。
「それがアジールからの攻撃と判断したのは何故だ?」
「暴風が発生した場所は帝都の近くですが、帝都からは何の報告もありません。これは何らかの阻害魔法がかかっている可能性が高いと思われます。また、先程こちらから帝都に通信したところ、何かが爆発したような痕跡が帝都南門付近で確認されております。それと同時にミラ・アルヴァレス、ルカ・メトゥスが行方不明に」
ミラの名前を聞いてハルが反応を示す。
「すぐに助けなきゃ!!ユリとメルはここに居て!もしかしたら僕らを帝都に誘い込む罠かもしれないから」
ハルは屋敷から出ると、帝都のある方角を睨み付ける。外はまだ暗い。
──ミラちゃんが危険だ……
ハルは全速力で駆け出そうとしたその時、背後からチェルザーレに声をかけられる。
「走っていくつもりか?」
ハルは一刻も早く状況を知りたいと思っているのに、出鼻を挫かれた気がした。
「そうですよ!!だから早く行かないと!!」
「ならば乗っていけ。私も行く」
「ん?」
何か乗り物があるのかとハルは訝しんだが、チェルザーレの身体に異変が生じる。両腕はオレンジ色の鱗に被われ、5本の指が逞しい3本の指へと変化する。指には獲物を捕らえて逃がさない鋭い爪が伸び始めた。両足も同様にして変化し、尾てい骨からは大樹のような尻尾、背中からは大きな翼が生えた。爬虫類のような鋭い眼光がハルを捉え、岩すらも噛み砕きそうな大口からハルを呼び掛ける声が聞こえた。
「乗れ」
低く唸るような声が聞こえる。どことなく人間の姿をしていた時のチェルザーレの声色の名残がある気がした。
ハルは人から竜へと変態したチェルザーレに一言言ってから、ゴツゴツしたその背中に跨がる。
「か、かっこいい……」
「飛ばすぞ」
チェルザーレは翼をはためかせ、上空へと舞った。
その時、屋敷の外にいた記者達がチェルザーレの屋敷から飛び立つ巨大な竜を見て叫び声を上げたのがハルの耳に一瞬だけ聞こえた。
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~ハルが異世界召喚されてから9日目~
──間違いなくあれはハンナだ。
ルチアの報告により、ハンナの現在の姿を父ヨハンは知っている。
数年前、前人未到の地を踏破せんと綿密な計画を立て、ダンジョン『竜の巣』に挑んだが、この世界の裏の部分に触れてしまった。
大所帯でダンジョンに潜入し、当時の冒険者ギルドに所属する冒険者の中で最もレベルの高かったヨハンは、慢心していたのだ。
冒険者仲間達が次々と倒れるなか、ヨハンは黒髪の少年ランスロットと出会う。
ランスロットはダンジョンに巣くう魔物のように、ここから先は通さないと言った具合でヨハン達の前に立ち塞がっていた。
誰も踏み入れたことのない筈の地にいるこの少年は、瞬く間にヨハン達冒険者を蹴散らした。
当時、ヨハンは自分の死を悟り、一種の走馬灯のように家族の顔が浮かんだという。ヨハンは後悔した。もっと家族と共に時を過ごすべきだったと。そして、ランスロットに選択を迫られた。死ぬか自分達の配下につくか。
ヨハンに選択の余地はない。
生きてさえいれば、再び家族と会える機会が訪れるかもしれない。
しかし、ランスロットの所属する組織アジールの創設者であるペシュメルガと会った際、その考えは潰えた。
見ただけで、その者が上位の存在であることが理解できた。仮にランスロットに、ペシュメルガが神ディータであると告げられればそう信じていただろう。しかし、ペシュメルガはその神と敵対関係にあった。
ペシュメルガからこの世界のあらましを聞いた時、ヨハンは理解することができなかったが、ここから自分の家へ帰ることができないということだけは理解できた。
ランスロットやペシュメルガの存在に加えて、この世界のできた経緯を知ってしまったヨハンは、異分子としてディータに消されかねない。
それでもペシュメルガは、ヨハンに十分な恩情を与える。娘のハンナと妻の状況の報告やルチアという護衛をつけてくれたのだ。
そんなペシュメルガに忠義を尽くすべく、懸命に自己を鍛え、役に立とうと努めたヨハンだが、エレインというランスロットのパーティーメンバーにして、ペシュメルガと共に大魔導時代を生きてきたこの女性には注意が必要だった。
ヨハンを見つめるその目には、下等生物に対する侮蔑が含まれている。このアジールという楽園にヨハンが足を踏み入れることに対して明らかな嫌悪感をこのエレインから感じられた。
そして現在、そのエレインの目から赤黒い涙が流れる。
ヨハンは一瞬だけ寒気を感じた。すぐにその意識を他方へと移すが、ミラやルカ、特待生達と特に変わったことは起きていない。しかし、自分の仲間であるルチアの様子に異変を感じる。
あの精悍な顔つきのルチアが口を少しだけあけて間の抜けた表情をしている。彼女の視線の先には、腕に抱かれたハンナがいる。ハンナは目を閉じてぐったりとしていた。何が起きたのかを悟り、慌てるルチアはエレインを見やるとエレインが口を開いた。
「あら?ごめんなさいね。広範囲にこの涙の効力を広げると弱い者しか殺せないのよね。まさか、帝国の子供達まで殺せないなんて思わなかったわ」
その言動に、ヨハンはようやくハンナの死を悟ると同時に激しい怒りを覚える。
「があぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ヨハンはそのまま怒りに身を任せて、エレインに向かって走り寄り、硬く握り締める大剣を振り下ろした。
振り下ろす最中、ヨハンはエレインと目があった。
エレインの赤黒い涙の映像を最後にヨハンは息絶える。
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エレインが呟いた。
「やっぱり個別じゃないと死なないわね♪」
ヨハンが糸の切れた人形のように全身から力が抜け落ち、その場に音を立てて倒れた。
未知なるものに対しての恐怖。
──どうやって殺した?
ミラは呆気にとられる。ダンジョンに潜る際、相対したことのない魔物と出会っても恐怖を感じたことはなかった。しかし自分の力では到底及ぶことのない相手を前に初めて恐怖する。そして、そんな相手が自分以外の者を殺そうとする恐怖がミラを突き動かした。
ミラはこの場にいる全ての者に告げる。
「逃げろ!!ここから離れるんだ!!」
ミラの言葉によって特待生達はバラバラに森の中へと逃げた。
エレインはそれぞれが逃げ去る方向を見渡す。次の犠牲者が決まったのか、エレインはヒヨリが逃げた方角を見ようと、首を動かす。
しかし、ミラがエレインの視界に立ちはだかり、遮った。そして刺突を繰り出し攻撃する。
エレインはそれを容易に躱すと、ミラを見つめながら言った。
「やっぱり貴方は死なないのね」
既に何かしらの魔法やスキルをかけたのか、ミラが死なないことを残念がるエレインに、ミラは次々に攻撃を繰り出すが、躱される。
「ちっ!!」
既に全力の突きを幾度となく繰り出すミラ。しかし、エレインとの絶望的な戦力差が埋まるはずもない。だが、エレインに対抗できる者はこの世界で自分しかいない。
この時、ミラは不謹慎にもこの世界で自分にしかできない役割を担えた喜びを感じる。すると、全力の突きをしていたことで身体が軋む音、それ以外に鐘の音が聞こえ始めた。
ゴーン ゴーン
「え?」
ミラはその音により攻撃の手が一瞬緩んだ。エレインはそのことを不審に思うが、逃げていく特待生達を殺せる機会と捉え、ミラの背後で逃げ行くヒヨリに焦点を合わせようとした。その時、
「インフェルノ!!」
アレックスが魔法を唱える。エレインの足元から青い炎が沸き起こる中、エレインは瞬時に魔力を込めて魔法を唱えた。
「白夜」
青い炎は一瞬にして凍りつく。そして術者のアレックスを氷の彫刻へと変化させた。
その様子を見た姉のルカは飛び上がり、エレインに鎌を振り下ろすが、エレインはヒラリと躱し、ルカの首を片手で鷲掴みにすると、『白夜』を唱えてルカを一瞬で凍らせた。
その光景を目の当たりにしたミラは思う。
──まただ、また私の世界が壊れていく……
暖かいベッドの中でうずくまり、そのまま消えてしまいたい気分だ。しかし、紫色のドレスを着た女は自分の背後に視線を向け、ヒヨリに狙いを定めようとしていたので、ミラは剣をエレインの右眼に突くが、またしても避けられた。しかし、特待生のヒヨリの走る足音は途切れないため、存命だと理解できる。
ルカを失った悲しみに襲われるミラだが、それに浸っている時間はない。氷漬けとなったルカはもしかしたらまだ助かるかもしれない。そんな一縷の望みに賭けて、ミラは自分のできることを全うする。
「絶対にあの子達は死なせない!!」
ピコン、限界を突破しました。
ミラの頭に声が鳴り響く。
「あら?そんなこと言われると意地でも殺してあげたくなっちゃうわ♪」
ミラは乱れるように刺突を繰り出した。今までよりも速い攻撃にエレインの反応が少しだけ遅れる。空気を突き破るような速度と威力がエレインの衣服に風穴を空け出した。
攻撃の最中、ミラは過去に死んでいった者達の顔が浮かんでくる。
──守りたい……今度こそ壊されてたまるか!!
ミラの渾身の突きはエレインの頬を掠める。掠り傷から血を足らすエレインは言った。
「ルチア?逃げた女の子を殺しなさい。後は私が殺るから」
ハンナが死に、放心状態となっていたルチアは、少しだけ遅れながら返事をして闇へと消えた。
ミラは知っていた。エレインの背後には、逃げ出した筈の特待生の2人が戻ってきていることを。闇に乗じて隙があれば自分の援護をしようと、いまかいまかとそのタイミングを窺っている。
──おそらく、この女もそれを知っているだろう。だからこそ、本当にこの場から離れたヒヨリを殺せと命令している……
自分の攻撃がエレインを捉え始めたことを鑑みて、ここでの戦闘を続行することをミラは選択した。
大地を強く蹴りだし、膝、股関節と腰、肩甲骨と腕の順に体重を移動させ、最大限加速した刺突を繰り出し続ける。
今までにない速度と威力、自分がこの場において必要不可欠な存在である喜びがミラに生じる。
エレインはミラの凄まじい刺突を避けた際にバランスを崩した。よろけたエレインの胸にミラは刺突を繰り出す。
──とった!!
しかし、何度も激しい踏み込みを繰り返す中で、軋み続けた大地が地割れを引き起こした。ミラは踏ん張りが効かなくなり、エレインに向けて放った刺突は躱される。
エレインは笑みを浮かべ始めた。
「っ!?」
ミラは不審に思うと、エレインの背後からアベルとオーウェンが各々の剣を引っ提げて突撃してきていた。
ミラは悟る。
「引け!!罠だ!!」
確かにミラの攻撃は格段に速く鋭くなってはいたが、エレインとの差が埋まるわけもなかった。
気付いた時にはもう遅かった。
──そうだ……いつもそうだった……
エレインに斬りかかろうとする2人の戦士。
返り討ちにするべく振り返ろうとするエレイン。
ミラは走馬灯のように、自分以外の動きを遅く感じ始める。
──気がつけば、全てを失っていた。
ユーゲントの生徒達との思い出。ナッシュの笑顔がふと思い浮かぶ。
──あれ?その前に……
ミラは誰かを失う恐怖に怯えながら走っていた過去を思い出す。失わないように懸命に追いかけていた。
──だれを?
川沿いをたくさんの大人達と走っている。ミラも大人達もみんな、川に流されている誰かを救おうと全速力で走っていた。
ミラは思い出した。
全てを失ってなどいなかったことに。
自分の膝の上でぐったりと、それでもしっかり呼吸をしている少年のことを思い出す。
その瞬間、ミラは駆け出す。
瞬時にエレインの振り返る先へと回り込んだ。
アベルとオーウェンはミラが突然自分達の前に現れて驚くが、エレインは微笑みを絶やさなかった。
ミラは思う。
──まさか、初めからこれを?
エレインの握っている鉄扇がミラの胸を貫く。
エレインは言った。
「素晴らしかったわ♪貴方の力がどのようなものか試してみたくなったのよね……それにしても、やっぱりこの武器なら貴方を殺せそうね」
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