第311話

~ハルが異世界召喚されてから16日目~


<フルートベール王国右軍の右翼・帝国左軍の左翼>


 思わず耳を覆いたくなるような、硬質なモノ同士の擦れ合う音がする。刀身の曲がった2つの剣をそれぞれ両手に持つ、ベラドンナはユリの握る長剣にその歪な剣を引っかけるようにして這わせ、引き寄せた。


 前へ引っ張られたユリは、体勢を崩す。戦闘において上下に、或いは前方から来たものに対して後へ向かって力が加わることはあるが、前へ引き寄せられる経験がユリにはなかった。前のめりとなったユリの喉元にベラドンナの持つもう1つの曲がった剣が、ユリの首のカーブにぴったりと合うようにあてがわれようとしていた。


 ユリは咄嗟に長剣をアイテムボックスに仕舞い、空になった掌をベラドンナの胸に向けて第三階級風属性魔法を後ろへ飛びながら唱えた。


「トルネイド!」


 ベラドンナは後退したユリの首を惜しみながら、剣を振り抜く。振り抜いた体勢をそのまま利用することで半身となったベラドンナは竜巻を綺麗に躱した。着ている黒いドレスの一部が裂かれる。


「いい反射神経ね♪」


「もう同じ手は通用しないわ」


 真っ直ぐベラドンナを見据えながらユリは言う。それを受けてベラドンナは、


「綺麗な瞳……貴方はきっと愛されているのね」


 脈絡もないことを言われてユリは返答に困る。


「……」


「あぁ…悲しいわぁ……」


 ベラドンナの雰囲気が変わった。そして曲がった剣を持つ、右手をゆっくりと持ち上げる。


「?」


 ──何か、くる?


 ユリは身構えると、足が動かないことに気が付いた。


「っ!?」


 ユリは足元を確認する。地面から黒い湯気のようなモノが出現し、両足に絡み付いていた。


 ユリは持っている長剣で黒い湯気を斬り裂こうとするが、湯気は伸縮し、上手く斬れない。


 ──何!?これ……なんだか悲しい……


 そうこうしている内にベラドンナがユリの眼前へと迫り、振り上げていた剣を振り下ろす。


 ユリは足と違って自由に動かせる両手に力を込め、振り下ろされる剣に向かって、握り締めた長剣をぶつける。


 ベラドンナの一撃をユリは長剣ごしに感じた。


 ──重い……


 ベラドンナの片手で放たれた一撃をユリは両手で受け止めるので精一杯だった。そして、ベラドンナのもう片方の手に握られている剣がユリの腹をかっさばくように振り払われる。


 ユリはお腹を引っ込めるように腰を曲げてなんとか躱した。しかし、その行動によりベラドンナのもう片方の剣を受け止める力が弱まる。ユリは地面に突っ伏すようにして上半身が折れ曲がった。押しきられる前にユリは魔力を長剣に纏わせ、ベラドンナの剣を弾き、身動きの取れなかった足元の黒い湯気をそれで斬り裂いた。


 ──よし!魔力を込めれば斬れる!


 ユリはベラドンナから距離をとる。黒い湯気を切り裂いた時、ユリは目の前で亡くなった母のことが頭に過る。


 ──なぜ…?今、母のことを?


「そう怯えないで?すぐに楽にしてあげるから♪」


 相変わらずベラドンナの持つ妖艶さは変わらない。


「……」

 

 再びベラドンナはユリに問い掛けるようにして呟いた。


「貴方、今誰かを愛してる?」


 ユリはまたも唐突な質問に困惑するが、脳裏に過ったのはハルの顔だった。


「フフ……貴方は愛を感じているのね」


 ユリは自分の咄嗟の表情によって相手にそう判断させてしまったことを後悔する。


「だから何?」


 その後悔を隠すようにユリは言った。


「貴方がとても輝いているものだからつい……でもね貴方はまだ愛と云うものを知らない」


 ユリは少しムッとした。


「ではなんだと言うの?」


「愛が持つもう1つの側面……それは悲しみと絶望。貴方のその強さ、きっと様々な経験をしたのでしょうけど、その時は愛を意識せずに享受していたものだわ」


「余計なお世話ね、それを私に教えたかったの?」


「違うわ、だから貴方は私に勝てない」


 ベラドンナは掌をユリに向ける。


 ユリの両側から法術陣が浮かび上がり、その中心から先ほどの黒い湯気が出現した。ユリの両腕を引っ張るようにして手首に巻き付く。力ずくで振りほどこうにもびくともしなかった。


「くっ!」


 ベラドンナは怪しげな表情を浮かべながらユリに迫った。


 ユリは今度は自由に動かせる両足に魔力を込めて、固定された両腕に体重を乗せ、バク宙しながらベラドンナの顎を蹴りあげる。


 ベラドンナは少しだけ驚いた表情をするがスピードを落とさずに躱した。そしてユリの首目掛けて剣を振り下ろす。しかし、ユリは蹴りあげた魔力を込めた両足をそのまま頭上に持っていき、開脚しながら両側の黒い湯気を同時に蹴る。


 黒い湯気は法術陣もろとも消え失せた。

 

 解放された両手を合わせてユリは唱える。


「エアブラスト!!」


 緑色の一筋の閃光が放たれる。


 ベラドンナはユリの第四階級風属性魔法を諸に受けて後ろへ飛ばされた。


 それを見たベラドンナの軍に所属する兵達は狼狽えた。


「お嬢!!」

「ベラドンナ様!!」

「マジか!!?」


 特に長年ベラドンナに仕えているシュタイナーは角張ったその体型に真ん丸とした目を見開いて驚き呟いた。


「これは……まずい……」


 それを聞いていた帝国兵は言った。


「まずいですね……まさかここまでの戦士が向こうにいたとは……」


「違う……お嬢が…ベラドンナ様が……また……」


 ユリは呼吸を整え、戦況を省みる。自身の唱えた暴風にゆる巨大な土煙も薄まりつつあった。


「他の所も押し止まってる……これなら……っ!!?」


 ユリは嫌な空気を感じる。土煙の中を凝視した。ゆらゆらと揺らめく黒い影が見える。それは光の屈折によってそう見えたのではなく、ベラドンナの着ている黒いドレスがそうさせていることに気が付いた。


「嘘……」


「はぁ……愛の喜びに満ちた攻撃……思い出すなぁ……愛の悲しみを」


◆ ◆ ◆ ◆


「アハハハハ」


「ちょっと!危ないですよお嬢!!」


 訓練場から楽しそうな女の子の声とまだ若いがその角張った体つきと顔によって実年齢よりもだいぶ高く見積もられそうな男、シュタイナーの声がする。そして、それを囃し立てるように野太い男達の声も加わった。


「いいぞー」

「もっとやれー!」


 幼いベラドンナは片手剣を両手で扱い、シュタイナーの着込んでいる鎧にぶつける。片手剣は本物だ、いくら子供が扱っていようと当たりどころが悪ければ怪我をする恐れがある。


 しかし、周囲の男達は止めようとしていない。それはシュタイナーが相手をしているからだ。


 ベラドンナの攻撃がシュタイナーの胸部目掛けて飛んでくる。シュタイナーはキラリと目を光らせ向かってくる片手剣を指で挟むようにして防いだ。


 ベラドンナは片手剣を掴むシュタイナーの指を外そうと押し引きするが、びくともしない。すると、持っている片手剣が上へ引っ張られ、ベラドンナの身体は宙へ浮いた。


 自分の体重を支えきれずにベラドンナは途中で片手剣から手を放し、地面へと落下していく。それを抱きかかえるようにしてキャッチしたのがベラドンナの母スカーレットだった。


 シュタイナーは直ぐにキリッとしたいつもの表情に戻り、敬礼をしてから言った。


「おかえりなさいませ!」


 金髪の長い髪に真白い綺麗な肌、真っ赤に染まった唇と鋭くつり上がった眉毛はこの女性、スカーレット・ベラトリクスを美しく知的な女性として多くの人に認知させていた。


「お母さーん!!」


 ベラドンナは母の着ている硬い鎧の上から抱きついた。ヒヤリと頬に冷たさを感じるが、母の優しい匂いを感じられる。


「いつもすまないね、シュタイナー」


 柔らかで高い声が男ばかりの場を彩った。


「いえ!いつもベラドンナお嬢様の逞しい姿が見れて我々も元気を頂いております!」


 胸を張りながら言うシュタイナー。


「そうですよ、お嬢のことは俺達に任せてください」

「それよりもお嬢は凄いんですよ!もう片手剣を扱えるようになってるんです!」


 ベラドンナを抱えながらスカーレットは男達の方を見た。その表情はどこか遠い景色を見ているようだったとこの時のベラドンナは記憶している。


 スカーレットはいつもの優しい表情に戻して言った。


「当たり前だろ!誰の娘だと思ってる?ねぇベラドンナ」


「うん!」


 スカーレットはベラドンナを地面におろした。それを見計らってか、一人の男が近づきスカーレットに耳打ちをしている。


 ベラドンナはそれを見上げながら眺めていた。何を話しているのかわからない。きっと難しい話なのだろうと彼女は子供ながらにそう思った。


───────────────────


 訓練場をあとにしたスカーレットとベラドンナは海の見える道を歩いていた。高波が街を襲わないよう石垣が道の海側に積まれている。その上をベラドンナが歩いている。スカーレットはそれの補助をするようにして高所にいるベラドンナの手をとりながら歩いていた。


「学校はどう?」


「楽しいよ?…でも魔物を殺すのが苦手かな……」


 ベラドンナは目を反らして、視線を海に向けた。テラが海に飲み込まれそうになっていく。鮮やかなオレンジ色が辺りを染め上げていた。その光景に気をとられているとスカーレットと繋いでいた手が離れるのを感じる。


 母の姿を確認しようと海から道に視線をずらす。スカーレットはそこにいなかった。


「アレ?」


 ベラドンナは疑問に思うと、自分を覆うようにして母が抱き付いてくる感触がする。


 スカーレットはベラドンナの手を離すと一瞬にして石垣へと移動しベラドンナを抱き締めていた。


「良いのよ……貴方の思うままに生きなさい」


 鎧を脱いだスカーレットの暖かい体温をベラドンナは身体全体で感じとったと同時に、この時母親が少しだけ震えていたことをベラドンナは感じていた。


「お母さん?寒いの?」


「……」


───────────────────


 次の日、学校の教室で一人残されるベラドンナ。この日、魔物討伐の授業でベラドンナはまたも魔物を殺さなかった。その罰として特別授業をすると担任に言い渡されていたのだ。


 机に座り頬杖をついているベラドンナ。


 教室の扉がガラリと横開きする。顔を出したのは担任の教師だ。教師の男が嫌らしく笑う。その表情をベラドンナは快く思っていない。


「これから特別授業を始める」


 この教師の男は以前、母スカーレットの夫、つまりはベラドンナの父が戦争で亡くなってからというもの、しつこく母に付きまとっていた男だ。その時はベラドンナを贔屓していた節があったが、あまりのしつこさによりこっぴどくフラれてからベラドンナに対する態度が一変したのだ。


「はぁい……」


 ベラドンナはいつもの嫌がらせかと我慢していたが、この日はなんだか教師の様子がおかしい。


「さぁ外に出よう」


「?」


 魔物を無理矢理殺すことになるのかとベラドンナは予想しつつ担任の後ろをついて行った。


 ベラドンナ達が学校をあとにしてからすぐ、シュタイナーがベラドンナを迎えに学校まで来ていた。


 教室には誰もいない。


 他の教師達もまばらで、シュタイナーがベラドンナの居場所について訊いても分からずじまいだった。


 ──マズイ……我々の作戦がバレたのか?


 シュタイナーは周囲を捜索したが、夕刻を過ぎてもベラドンナは見つからなかった。半ば諦めて、街へ戻るとスカーレットの隊に所属しているシュタイナーの同期が血相をかえてやって来た。


「シュタイナー!!……何をしていた!?」


「お嬢を探して……」


「それも問題だが大変だ!!」


「…何があった?」


「スカーレット様が処刑される!!」


───────────────────


 ──暗い……もう日が沈んでどれくらい経つだろう……


 ベラドンナは教師に連れられ、今は窓のない部屋にいる。てっきり森へ行って魔物狩りでもさせられるのかと思ったが、よく母と出掛ける街の広場にある古い役場に案内された。ここで待機するように言われたが教師はなかなか戻ってこない。


 ──お母さん心配してるだろうな……


 ガチャりと扉が開き、ベラドンナはそこへ視線を送った。そこには知らない男が松明を持って扉の前に立っていた。


「…誰?」


 ベラドンナが尋ねてもなにも反応がない。男は松明をベラドンナに手渡すと、部屋から出るように促した。


 促されるがままにベラドンナは頼りない松明の灯りを持って外へと出る。役場の前の広場にはたくさんの人がいた。ベラドンナが通れるようにと街の人達は道をつくる。ベラドンナはそこを恐る恐る通った。みんな彼女と同じく松明を持ち、ベラドンナの行く、道の先を見ていた。


 広場に着くとベラドンナは愕然とする。


 鳥の巣のように枯れ枝が盛られ、その上に磔にされている。よく見慣れた人物がいた。


 ベラドンナは呟く。


「お母さん……?」


 スカーレットも目を丸くしながら呟く。


「ベラドンナ……シュタイナーは……」


 思考が追い付かないベラドンナに更なる追い討ちをかけるようにして、磔にされているスカーレットの横で男が大声で集まった大衆に告げる。


「ここにいる女!スカーレット・ベラトリクスは帝国に対し虚偽の報告をした!それにより皇帝陛下、並びに国民に対して損害を大きく与えた為!火刑に処す!!」


 ベラドンナの後ろにいる人達はそれぞれスカーレットに対して罵声を浴びせていた。


 ベラドンナは瞬きも忘れ放心状態だ。


「尚!この女には娘がいる!本来、娘もろとも火刑に処すべきなのだが、寛大な皇帝陛下の御心により、最初の火をその娘ベラドンナ・ベラトリクスの手でくべることを条件に無罪放免とする!」


 それを聞いて磔状態のスカーレットは言った。


「娘は関係ない!!」


「関係大有りさ。何せ大罪人の娘なのだからな」


 スカーレットは唇を噛み締め元々赤く魅惑的な唇を更に赤く染めた。


「お前は優秀過ぎたんだ。だから上から目をつけられる。次からは根回しもやらんとな?次はもうないが……フフ、さぁ大罪人の娘ベラドンナよ!その手にしている火を母親にくべるのだ!!」


 ベラドンナの松明を持つ手が震える。


「母親を殺せ!」


「ぁ……ぁ……」


 何かをしなくてはならない。ベラドンナの思考がそう判断した。しかし、声にもならない声しかついてでてこない。


 後ろにいる民衆達も声をあげ始めた。


「殺せ!」

「殺せ!」


 そんな時、磔にされた母スカーレットは言った。


「ベラドンナ!その松明を私に投げなさい!」


「殺せ」

「殺せ」


 母の叫び声、後ろから聞こえる悪意の塊達、松明のパチパチとした乾いた音が聞こえる。ベラドンナは耳を塞ぎ、両ひざを折ってうずくまった。


 ──いや!もう何も見たくない!聞きたくない!


「殺せ」

「殺せ」


「ベラドンナ!早く!」


 ──どうしてこんなこと……に?


 周囲の罵声はベラドンナの内なる声を飾りつける。そのとき、スカーレットの横でこの場を仕切っていた男が、ふぅと溜め息をついてから言った。


「やはり、娘もろとも殺さねばならぬか」


 それを聞いたスカーレットは更に大きな声を出した。


「お願い!ベラドンナ!!」


 すると、ベラドンナの様子が変化する。


「…たぃ……痛い……頭が……」


 ベラドンナはうずくまった体勢ですら堪えきれず立ち上がり、悶え苦しんだ。


「ぁ……あぁ……やだ……何もかも……」


 ベラドンナを中心にして黒い影が円をなして現れる。よく見るとそれは法術陣のようだった。その法術陣から黒い湯気が立ち込め、それは黒い手を無数に形成すると、ベラドンナの身体を覆うようにして飲み込む。飲み込まれる瞬間にスカーレットと目が合った。


「ベラドンナ!!」


 スカーレットは叫んだ。


 ベラドンナの聴覚に母の声は届かない。代わりに新たな声が鳴り響く。


ピコン

新しいスキル「冥界への扉」を習得しました。


 ベラドンナの手から松明がこぼれ落ち、スカーレットの足元から火が一気に燃え広がった。

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