第312話 悲しんでるあなたを愛する
◆ ◆ ◆ ◆
──スカーレット様が処刑!?……早すぎる!!
帝国には戦争法を脅かす隊が数多くいた。その報告をスカーレットを始め何人もの隊長達が結託し、追放する手立ての筈だった。
──なのにどうして!?
シュタイナーは街の人々が集まる広場へと直行した。
──スカーレット様が危険な状況に陥る前にお嬢を俺の庇護の元フルートベール王国へ向かう作戦だったのに……
「くそ!」
そのベラドンナの行方もわからないシュタイナーはとにかく主人の元へと走る。広場へと着くと大勢の人達がいた。群がる人々の中を掻き分けながら広場の中心へ走る。
「どいてくれ!」
広場の中心へ向かうにつれ、シュタイナーは違和感を覚える。
──静かすぎる。
ようやく、中心の様子が窺えるようになったシュタイナーは絶句した。
磔にされているスカーレットは轟々と燃え、その前に真っ黒な、まるで火刑による火が燃えうつっているかのようにユラユラと揺らめく子供の姿があった。
──魔物か…?いや、あれは人間?
熱に耐えるようにして炎に包まれるスカーレットと目が合うシュタイナー。スカーレットは叫んだ。
「…っ…娘を…頼む!」
「ぇ…」
シュタイナーは自分が魔物だと勘違いしたモノにもう一度目を向けた。
「あれが……?お嬢……」
シュタイナーはベラドンナの元へと走り寄った。しかし、そこから一歩踏み出した途端、悲しみが襲い掛かる。
「な……んだ、これは……」
足元を見ると黒い法術陣の中にいた。よく見ると周りを囲んでいる民衆達や、スカーレットの隣にいる執行官もその法術陣に触れている。
「これはお嬢の悲しみ……」
無条件に涙が溢れてくる。そして脳内に情景が浮かび上がる。スカーレットとベラドンナの日常がどんなに愛で満たされていたのか理解できた。父親が死んだときも二人で乗り越えていくのが見える。そして同時に、父親が死んだ悲しみと母親が今、焼け死ぬ悲しみとが押し寄せてくる。
シュタイナーは打ちのめされながら悲嘆に暮れ闇に飲み込まれたベラドンナを抱き締めた。
スカーレットの燃え行く様を見つめる。涙を垂れ流し、表情を歪めるシュタイナーは、意を決してベラドンナを抱えあげ、この場を去った。
去り行く2人を見てスカーレットは祈った。
──ごめんね……ベラ……そして、ありがとう……貴方がいなければ私は……
2人は群衆に紛れて見えなくなった。ベラドンナから発せられた黒い影を名残惜しみながらスカーレットは逝く。
◆ ◆ ◆ ◆
ユリの唱えた第四階級魔法をベラドンナはスキル「冥界への扉」を使って軽減させていた。母親を焼き殺して以来、身に付いたこの黒い影には様々な効果がある。相手を縛りつける効果、魔法・物理攻撃軽減の効果、SPを削る効果。しかしこれを発動するとベラドンナは決まって吐き気をもよおす。何故ならこの影はベラドンナの悲しみそのものだからだ。発動させればさせるほど当時の思い出が鮮明に想起される。今までミラ・アルヴァレスにうつつを抜かすルカ・メトゥスと戦闘をした時も、このスキルを使って彼女を追い詰めることができた。しかし寸でのところでベラドンナはこのスキルを解除した。何らかの自己防衛が働いたと後にベラドンナは説明しているが、実際のところは不明だ。
一面緑色だった草原がベラドンナを中心に黒く染まり始める。
「この黒い法術陣から外へ出ろ!」
シュタイナーは法術陣に触れた仲間達に向けて叫んだ。触れた者達は涙を流しながら、それでも気力で法術陣の外へ出る。これを見ていたフルートベールの兵達もそれにならった。
王国左軍の将の1人エリンは、その法術陣の中で戦闘中のユリを案じる。
──あれに触れるだけで意識が遠退くってのに……
ユリは懸命に戦っていた。SP値がどんどん下がっていく。地面が黒くなるだけでベラドンナの黒いドレスが見えづらい。
ベラドンナの曲がった剣をなんとか受け止めるユリ。
「くっ……」
──さっきから母の顔がちらつく……
ユリの脳内に母ミーナの冷淡な表情が過る。
その時、ユリは後ろから気配を感じとった。
黒い影が人の形となってユリを後ろから襲ってきたのだ。
「なっ!?」
全身に魔力を纏おうとするが遅かった。
ユリは全身を黒い湯気に覆われ、視界が真っ暗となり身動きがとれなくなった。すると、首に圧力が加わる。
「がっ……」
首がしまっていくにつれ、真っ暗だった視界が晴れていった。
締まる首に悶えながら、前を見据えるユリ。ベラドンナがユリの首を片手で締めながら持ち上げている。
ユリは長剣を落とし、大地から離れた足をバタつかせた。
ベラドンナが質問する。
「貴方、ご両親は御健在?」
「ぐっ……」
「答えて?」
少しだけ、首を締める力が弱まった。ユリは答える。
「し、死んだわ……」
「そう……じゃあもう一つ訊くわ?貴方がいなければご両親は生きていたと思わない?」
その質問によりユリは苦しい表情をする。今まで、どこかそう感じていた節があったからだ。考えないようにしていた。しかし戦闘の最中、この黒い影に触れると母のことをどうしても思い出してしまう。
ユリは抵抗するのをやめてしまった。
それを受けてベラドンナは首から手を離した。
ドサッと地面に落ちるユリに告げる。
「私のお母さんは私のせいで死んでしまったの……私が殺した……」
ユリはズキズキと痛む首を無意識に抑え、うずくまり、両目を見開いて黒く染まった大地を見つめていた。まるでそこに過去が映っているかのように。
「貴方も貴方のせいで……お父様?それともお母様が死んでしまったの?それとも両方?」
「…やめて……」
「貴方とはお友達になれそうね……どう?これが愛の悲しみ。愛がもたらすもう一つの側面」
ユリは心のどこかで自分がいなければ母は捕まらなかったのではないか、死ぬことがなかったのではないかと自問自答する。
「私が……殺した…?お母さんを……?」
ベラドンナは満足げに独り言を言うユリを見下ろす。
母との楽しかった思い出が崩れ始めるユリ。何故かこの黒い大地の中では嫌な考えしか浮かんでこない。
ユリの目に涙が溜まり始める。
「……」
込み上がる想いにより視界がぼやけ始めたのをきっかけに、ユリは思い出した。母の最後の言葉を。母との約束を。この命を奪う呪われた涙についての母の言葉を。
『ユリ…貴方なら必ずできるわ……』
消え行く母の命。それでも優しくて力強い言葉。
「お母さんは…私を信じてくれた……」
ユリは落としたエアブレイドを手に取り、ふらつきながら立ち上がる。
ベラドンナはただその姿を見ていた。
「愛の悲しみよりも……愛の喜びの方が何倍も強いわ……」
「黙れ……」
「私とお母さんの思い出を勝手に決めつけないで!」
「もういいわ……死になさい」
ベラドンナは両手に持った剣を振り下ろす。しかし、ユリの長剣に弾かれた。
「お母さんが信じてくれた私を!私は信じる!!」
後ろにのけ反り、体勢の崩れたベラドンナに目掛けてユリは周囲を確認してから魔法を唱えた。
「エアリアル!!」
黒い法術陣により周囲に味方はいない。第五階級風属性魔法は闇を裂く。
幻想的な緑色の光が広範囲に渦を巻く。その光景を帝国兵とフルートベール王国兵が遠目で見ていた。
しかし、ベラドンナは目の前の光景がまるで視界に入っていない。頭を抱え悶え出した。
「痛い……頭が……割れる……」
母スカーレットとの幸せだった思い出。暖かくて優しかった母のぬくもり。それを自らの手で燃やしてしまった記憶。
「あぁ……あああああああ!!!!」
闇がベラドンナを飲み込む。
暴風によって闇が払われる最中、更に深い闇が大地から吹き出す。第五階級風属性魔法をもそれは飲み込もうとしていた。
「えっ!!?」
ユリは自身の誇る最強の魔法が抑え込まれていることに驚いた直後、脳内にベラドンナの幼少期の映像が流れ込む。
母と娘の仲睦まじい光景。暖かくて心地いい、見ているだけで幸せを感じとれる。しかし、その映像の中心から炎が滲み出たかと思えば、その母が火刑に処される映像へと切り替わる。火を放ったのは娘だった。
ユリは再び涙が溢れだしそうになった。
ここで泣いてしまえばベラドンナの命を奪うことが出きるかもしれない。だが、
──そんなことはしたくない!
せめてこの闇を払ってからだ。しかし、ユリはそんな思いとは裏腹に自分の魔法がどんどん闇に飲まれていくのを感じていた。
「…このままじゃ……」
ユリは更に魔力を込める。第五階級魔法の風が、向かい風の如く吹き荒れる。
息もできないほどの強風。ユリの綺麗な銀髪と服も激しく波打つ。
この時、ユリは思い出した。今までユリの母ミーナの顔が何度も頭に過っていたせいだ。
ユリが草原を走り回っている時、風を全身で感じている時、母は言っていた。
『妖精族はね、風を上手く使うの。貴方が走る時、空を飛ぼうとする時、風を全身に感じるでしょう?追い風の時は良いけれど、向かい風に煽られる時だってある。最も大切で難しいことはこの向かい風をどう乗りこなすかなの。今はなんのことだかよくわからないかもしれないけど、ユリ、貴方なら必ずできるわ』
目の前の強大な闇によって荒れ狂う風の中、ユリは思う。
──今ならわかる。この逆風、必ず乗りこなしてみせる!!
ユリは背中の羽根を伸ばした。顎を引いて風の気流を黙視すると、羽根の角度を調整して飛び上がる。
一瞬、突風に煽られるも中空で体勢を整える。風の行方がはっきりとわかった。
──見える。
緑色に光り輝く巨大な竜巻を闇が飲み込んでいく。
もう一度残り少ない魔力で同じ第五階級魔法をより強力に唱えられると実感するユリは詠唱した。
「エアリアル!!」
しかし、先ほどの旋風は巻き起こらない。代わりに侵食を極める闇の野原に光を帯びたリンドウの花が咲き乱れた。
声が聴こえる。
ピコン
風属性第七階級魔法
『花吹雪』を習得しました
大量の竜胆の花、その花弁が一枚一枚剥がれ、中空を埋め尽くすように舞った。
まるで花びらが柱を形成し、空に向かって伸びているよう見えた。
花びら達は刃となってベラドンナの生み出した闇を切り裂いていく。みるみる内に細切れにされた闇の中からベラドンナは現れた。
その顔はどこか晴れやかで慈愛に満ちた表情を浮かべていた。
──あぁ、これで死ねる。お母さんの元へようやく行ける。
闇が完全に消え去ろうとした時、ベラドンナの脳内に今まで見たこともない映像が流れ込んできた。
燃えたぎる炎の中、若いシュタイナーに抱えられて群衆の中へと去っていく幼いベラドンナの姿が見える。
「これはお母さんの記憶……」
ベラドンナの生み出した闇には、火刑に処される母スカーレットの強い思念が刻まれていた。
──ごめんね……ベラ……
母の優しい声が聴こえてくる。
──ありがとう……貴方がいなければ私はとっくに死んでいたわ……
ベラドンナは母の声に身を委ねていた。
──あの人が死んだ時、貴方がいなければ生きる気力なんて私になかった……こんな形でお別れになってしまうのは心苦しいけど、大丈夫。貴方なら必ず幸せになれる。だって……私とあの人の娘なんだから……
この言葉を最後にベラドンナの闇は完全に払われた。
ベラドンナの頬を涙が伝う。
「私が……お母さんを支えていた…?私が…お母さんの役に立っていた……?」
しかし、感傷に浸っている時間はなかった。闇を払った花の柱はそのままベラドンナとその後ろにいる帝国兵達を切り裂こうと向かっている。
「お嬢!!」
「ベラドンナ様!!」
「危ない!!」
ベラドンナの配下達は声をあげる。
後ろを振り返るベラドンナ。シュタイナーの丸々とした目を見つめた。
ベラドンナはにこりと笑う。それは幼少期の頃の無邪気な笑顔だった。
「お嬢……?」
シュタイナーはその笑顔を見て言葉にならない想いが込み上げてくるのを感じる。
「これは…今までこの闇と向き合わなかった私への罰かもしれない……でもお母さんなら許してくれるはず……私の幸せは家族を守ること。お母さんの残したモノは私だけではない!!」
ピコン
「冥界への扉」が更新され、新しいスキル「冥界の覇者」を習得しました。
ベラドンナは最後の力を振り絞り、舞い散る花を受け止めようとしていた。
それを見たシュタイナーは歯噛みし、叫びながらベラドンナの元へ走った。
「うおおおおおおおお!!!」
迎え撃とうしていたベラドンナを追い越し、単身で花の刃の塊に立ち塞がる。
一振りで花びらを数枚斬るが、あまり意味をなさない。それを補うに余る大量の花びらがシュタイナーを襲った。
「やめて!シュタイナー!!」
ベラドンナは叫ぶ。
花びらによって鎧が裂け、裂傷を増やしながらも剣を振り続ける、シュタイナーは叫んだ。
「ベラトリクス隊に告ぐ!!この命は誰によって救われた!!」
強大な魔法を目の当たりにし戦意を失いかける帝国兵達は長剣を握り直す。
「他でもないスカーレット・ベラトリクス様だ!!それが今まさにその娘、ベラドンナ様も命を賭して我々を守ろうとしている!!ここでこの方を死なせればスカーレット様に合わせる顔がない!!今度は我々が救う番だ!!」
シュタイナーの檄により、ベラドンナの隊の者達は突き進んだ。
「「「「うおおおおおおおお!!!」」」」
「お嬢を守れ!!」
「絶対に守る!!」
「ベラドンナ様は下がってください!!」
刃こぼれしても、刀身そのものが折れてもベラドンナの隊の者達は花びらを押し止める。
「みんな……」
花びらの数が減ってはいるもののその勢いはまだまだ止まらない。ベラドンナは先ほど新しく習得したスキルを使った。
両手を前へ出し、スキルを発動させる。黒い無数の法術陣が花びらの大群を囲うように出現し、前進する花びら達の動きを止めた。
「お嬢!!」
「よし!!」
「流石!!」
「っ…ダメ……」
ベラドンナはそう呟くと、法術陣が切り裂かれる。花びら達の威力を弱めることには成功したが、それでも進撃を続ける。ボロボロになる隊の者達。
「もう少しなのに……」
「ダメだ!」
「お嬢は下がって!」
限界をとうに超えているシュタイナー。それでも剣を振り続ける。
「うおおおおお!!!!守るんだ!!今度は……必ず!!」
すると、魔法を唱える子供の声が聞こえた。
「タイダルウェイブ!!」
大きな津波が花びらの大群とぶつかり、互いを打ち消しあった。
魔法を唱えた羽根の生えたエルフの少女は新たにやって来た鱗姿の少年に告げる。
「メル!一体どういうこと!?」
鱗姿の少年は指をある方向に指し示してから言った。
「もう終わり」
指の方向は両国の中央軍を指し示していた。
両国の兵士達はその方向を見た。
帝国中央軍のいたところは煙を上げ、煙の元ではフルートベールの旗が掲げられていた。耳をすますと勝鬨の声が上がっている。
シュタイナーは呟いた。
「負けたのか……我々は……」
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