第306話
◆ ◆ ◆ ◆
~ハルが異世界召喚された日の15年前~
<帝国>
長閑な田園風景、帝都のように石畳が敷かれているわけではないが、整備の行き届いた砂利道、そこを彩るように植えられた木の枝にはつがいの鳥が身を寄せ会いながらつつきあっている。ここはウェーバーの街、有力貴族のウェーバー家の四男に生まれた、ノスフェル・ウェーバー10歳は自分の将来に悩んでいた。
「む~~……」
小さな身体には大きすぎるローブを着こなし、これまた大きすぎる本を小さな両手が支えている。椅子に座ってはいるが足が床にギリギリつく程度、そんな10歳のノスフェルは本が大好きだ。勇者ランスロットやその前に活躍していた英雄ミストフェリーズの物語よりも、彼は当時活躍していた戦士や魔法詠唱者、魔法研究に魔道具の開発者の伝記等を好んで読んでいた。
四男という立場から家を継ぐ可能性は低く、自分の生まれや立場を理解した時からノスフェルは将来を真剣に考えるようになっていた。その為、将来の想像がしやすいような身近な偉人達の出自や台頭するきっかけを知ることのできる本に没頭している。
今、彼が読んでいる本は魔法詠唱者にして魔法研究の第一人者である帝国四騎士の1人サリエリ・アントニオーニの書いた本だ。
「いつか僕もこの人みたいに……」
身体能力だけでなく魔法の才能もあるノスフェルは当時、神童と呼ばれ周囲の大人達を驚かせていた。そんなノスフェルは戦争の絶えない現在、安全で安泰な魔法研究の職に就く決心をした。
しかし、研究だけでは食っていけない。多くの魔法研究者は帝国の魔法学校で教鞭を執りながら、自身の研究にいそしんでいる。
「よし!僕も誰かに魔法を教える練習をしてみよう!!」
ノスフェルは本をとじ、椅子から飛び降りて立ち上がった。ローブ丈があまりに余っているせいで床の埃が付着していることに気付くことはない。
思い立つと、いてもたってもいられなくなるノスフェルは、父に生徒を見つけてもらうように頼んだ。
ノスフェルの父カールは子供のままごと程度にしか考えていなかったが、ノスフェルの為に使用人の娘、ノスフェルと同い年であるシーリカを生徒として紹介した。
────────────────
「あの……えっと……」
当時のシーリカは俯きがちで、恥ずかしがりやだ。母親の足に絡み付きながら顔を覗かせたり隠したりしている。
それを見かねて母親が口を開きながら、シーリカを前へ押しやる。
「さぁ!今日から貴方はノスフェル様の生徒になるのよ!これはとっても名誉なことなの!!頑張ってお勉強して頂戴ね」
シーリカの母親は非常に快活な言葉を残してノスフェルの部屋をあとにした。
扉のバタンと閉まる音を皮切りに2人は押し黙る。暫しの沈黙の後にノスフェルは声を出した。
「……えっと、僕はノスフェル・ウェーバー。ここの家主の息子だ」
「…シーリカです……」
内股気味で、もじもじしながら自己紹介するシーリカに構わずノスフェルは魔法の指導を始めた。
魔力を感じる訓練から、魔法の概念、魔法の歴史を教える。ノスフェルはこの時全属性の第一階級魔法を習得していた。
その知識をシーリカはみるみる内に吸収していった。
ノスフェルがシーリカに魔法を教えてから1ヶ月。シーリカは第一階級火属性魔法を詠唱することに成功する。
シーリカは自分の唱えた魔法に驚いていたが、出現した火を見て無邪気にはしゃいでいるノスフェルの顔を見てとても嬉しい気持ちになった。じぃ~っとノスフェルの顔を見ていたシーリカに違和感を覚えたノスフェルは首を横に振ってシーリカの顔を見た。シーリカは咄嗟に目をそらして火を見続けた。頬を赤く染めあげたのはきっと、目の前の火だけが原因ではないだろう。
シーリカが生徒になってから3ヶ月が経った。
ノスフェルの父カールは家族全員で食卓についた際にノスフェルに尋ねた。
「指導は順調か?」
ノスフェルは答える。
「はい!シーリカは凄いんです!直ぐに魔法を覚えてしまって、このままだと僕よりも凄い魔法詠唱者になりますよ!」
父カールはシーリカという名前に馴染みがないため少し考えた。そして直ぐに使用人の娘の名前であるという答えに辿り着く。
「そうか……ならば今度試験をやろうか?」
「え!?」
「魔法学校の実技試験に近いことをやってみようじゃないか?そこでお前の生徒がある程度の実力に達していたのなら褒美をやろう」
「良いんですか父上!?」
「もちろんだ」
─────────────────
聳え立つ木々の前にノスフェルとシーリカは並んで立っていた。昼間であるにもかかわらず、森の奥は密生する木々によってできた闇が広がっている。
鳥達の鳴き声だけでなく、魔物が発する低い声も聞こえてきた。
ノスフェルの後ろにしがみつきながらシーリカは言った。
「ほ、本当に行くのですかぁ……?」
「当然だろ?今度の試験に絶対合格するには実践が一番だ!」
「えぇ……」
ノスフェルに引っ張られながらシーリカは森へ踏み込む。
「大丈夫!そんなに奥まで行かないし、僕もいる。それにほら、シーリカも十分強いから!」
「うぅ……」
シーリカはノスフェルの背中にしがみつきながらじめじめとした森の中へと入った。直ぐに後ろを振り返る。自分達が入った森の入り口が徐々に小さくなり、闇にのまれた。
ちょうどその時、ウェーバーの屋敷にノスフェルの父カールを求めて、ウェーバーの街の住人達が押し掛けていた。
「間違ありません!オークが出現しました!!」
「畑を荒らされて……」
「疑うのなら現場に来てください!!」
カールは問う。
「オークはその後どこへ行ったかわかるか?」
「おそらく森へと帰ったと思われます」
「はい。森へ戻る足跡がありました」
住人達の様子から嘘ではないとノスフェルの父カールは思う。しかし、
──知能がそこまで低くないオークが森を抜けて人間達の街までやって来ることなどあるのだろうか……
「わかった。今すぐ森を封鎖しろ、これより民達は森に入ることを禁ずる」
カールは討伐隊を率いて、オーク出現の現場へと向かった。
────────────────
ボォォっと火の玉が四足歩行をする獣型の魔物にヒットする。
「よし!シーリカも、もう慣れてきたね!」
「はぃ…でもやっぱりちょっと怖いです……」
この時のノスフェルは、いや大人になったノスフェルも気付いていないが、シーリカが何故怖いと思ったのか、そんなことは知るよしもなかった。
レベルも順調に上がり、ファイアーボールの操作も上達したシーリカを見て、ノスフェルは言った。
「そろそろ帰ろっか?」
すると森の奥から
グオォォォォォ
と、汚ならしい声が聞こえる。ノスフェルとシーリカは声のする方を見た。
緑が生い茂る木々と自分達の胸辺りまで伸びた草が怪しげにうごめく。
声の主とおぼしき魔物が姿を現した。
二足歩行にして人間の大人達よりも少し背が高く、横幅が広い。たるんだ脂肪に淀んだ色の肌は耐久力の高さを思わせた。目は黒ずみ、鼻は見事なブタ鼻だ。手には棍棒を持っている。
シーリカはノスフェルの後ろへ隠れた。ノスフェルもまた、シーリカを庇うようにして右腕を横に伸ばす。
「オーク……」
ノスフェルがそう呟くと、
グギャオォォォォォ!!!
オークは声を発する。面と向かってこの声を聞くと不快感がより一層際立った。
オークは重い身体を動かしてノスフェル達に攻撃を仕掛ける。
ノスフェルは言った。
「遅い!ファイアーボール!!」
掌から放たれた火球はオークの分厚い脂肪に当たると、身体全体に燃え広がった。脂肪からにじり出る油のお陰か、ノスフェルの想定よりも長く、そして大きな炎で燃え続ける。オークが倒れ、絶命していてもしばらく燃えていた。
「おかしい……オークはこんな森の入り口付近にいない筈……それにコイツらは群れで……」
「ノスフェル様!!」
シーリカが珍しく大きな声をあげた。
ノスフェルはその声で思考の世界から戻って、周囲の様子を窺うと、先程のオークの仲間達がノスフェルとシーリカを囲んでいた。
「どうして……?」
ノスフェルが呟くと背中を掴んでいるシーリカの力が強まるのを感じた。
1体でも中々にグロテスクなオークがこうも沢山現れると神童と呼ばれたノスフェルにも恐怖感が募る。しかし……
──シーリカを不安にさせてはダメだ!僕がしっかりしなきゃ!!でもこの数……MPがもつだろうか……
そんな思いとは裏腹にノスフェルは口にする。
「大丈夫!森を抜けるのはあそこ!あそこを真っ直ぐ走れば森を抜けられる!」
指をさして、逃げ道を示す。シーリカはその指の先にオークがいるのでまたもノスフェルのローブを強く握った。
「僕がまた同じ様にアイツを倒すから、シーリカはアイツの屍を通って誰か大人達を呼んできて?」
「……ノスフェル様は?」
「僕なら大丈夫!なんてったって僕は君の先生だからね♪」
「でもMPが……」
シーリカはノスフェルのMP事情を知っていた。
「大丈夫!さっきのでもうそろそろレベルが上がりそうなんだ。だからシーリカは助けを呼ぶことに専念してほしい」
「…でも……」
「良いから行くんだ!!」
ノスフェルの大きな声にビクッと身体を反応させるが、シーリカは決心したように口を固く引き結び顎を引いた。
「行くよ?シーリカ?」
「はい!」
ノスフェルはオークに向けて唱えた。
「ファイアーボール!」
森を抜ける道を塞いでいたオークに火球が当たるとシーリカは駆け出した。燃え盛るオークの横を走り去るシーリカの小さな背中が更に小さくなるのを見届けてからノスフェルは深呼吸をした。
「僕はここで死ぬわけにはいかない……」
──シーリカは素晴らしい才能を持ってる。でも彼女はそれに気付いていない。僕が上手くシーリカを導かなければ、大人達に利用されてしまうかもしれない。僕がシーリカを守るんだ!!
ノスフェルは1人、オークの群れに立ち向かう。
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