第305話

~ハルが異世界召喚されてから16日目~


<フルートベール王国右軍・帝国左軍>


 ノスフェルは持っている本を開く。この行為には意味があった。この本は魔道具の一つで魔力を増幅させる効果がある。その他にもページによって様々な効果をもたらしてくれるらしいが、ノスフェル自身も全てを把握しているわけではなかった。


 相対する少年はノスフェルがページを開いた瞬間に、先程唱えた第三階級水属性魔法アクアレーザーを再び唱えた。少年の周囲に青い魔法陣が無数に浮かび上がり、その中心から水が矢の様に射出される。


 ──良い判断だ。


 相手の一挙手一投足に意味がある。それは戦闘をする際において有力な情報だ。ノスフェルはあどけなさの残る少年の攻撃に評価を下す。


 ──距離をとって様子を見ているのだろう……ならば……


 ノスフェルは本を開いたまま、同じくアクアレーザーを唱えた。同様にして、魔法陣がノスフェルの周囲に現れ、殺傷能力の高い一筋の水が射出される。


 お互いが唱えた魔法がぶつかり合い、激しい衝撃が辺りを包む。


 両者の魔法が衝突し、打ち消し合ったところで、飛沫が霧のように立ち込め、豪雨が降り注いだ。ノスフェルは敵対する少年の魔力と自分が魔道具を使って上昇させた魔力が同程度と分析する。


 ──遠距離系の魔法が水属性しかないのか?今ので私が唱えられる属性は2つ以上だとむこうもわかったところだろう……そう安易に近距離では仕掛けてこない筈……


 ノスフェルが霧によって遮られた視界の中、次の手を考えていると、背後から寒気を感じ取った。


「なにっ!?」


 首筋を守るようにノスフェルは身体を捻りながら前方へ飛ぶ、寸でのところでノスフェルは少年の攻撃を躱した。


 一定の距離をとったノスフェルは少年を見やる。ノスフェルは足から少しばかり血を流していた。


 ──危なかった……傷は問題ない……しかし、あの攻撃……ギリギリまで殺気を感じなかった…もしや……


「貴様、暗殺者か?」


 ノスフェルは会話を試みた。先程の第三階級魔法同士がぶつかり合って生じた豪雨はもう降りやんでいた。


────────────────


 メルはノスフェルの問いかけに瞳孔を一瞬開いたが、口は閉じたままだ。そしてメルは魔力を纏い始めると。


「その反応……やはりまだ子供なのだな……」


 ノスフェルはそう言うと、瞬時にメルとの間合いを詰め、アイテムボックスから本を持っていないもう片方の手で長剣を取り出し、一気に振り下ろした。


 メルは突如として目の前に現れたノスフェルに驚き、振り下ろされる長剣を何とか持っているナイフで防いだ。


 ギィィィィィィン


 甲高い音が鳴り響く。メルはノスフェルの攻撃を防いだが衝撃で膝をついてしまった。それを見たノスフェルは身体を捻りメルの顔面に蹴りを入れる。


 ドゴォォォ


 今度は鈍い音が響いた。メルは右頬に向かってきた蹴りを、右腕を盾にしながら防いだが、蹴りの勢いに負けて飛ばされる。


「ぐっ!!」


 右目を瞑りながら受け身をとるメル。


 再び両者の間に距離ができると、ノスフェルは口を開く。


「目は口ほどにものを言う」


 メルは蹴りを受けた右腕を抑えていたが、ノスフェルの言葉を聞いてハッとした表情を浮かべた。


 ノスフェルはその反応を見て続ける。


「今度は暗殺者であることを見抜かれた驚きとは違うな……子供が発言したくてウズウズしているような……そんな反応…か?」


 暗殺者が相手ならば先程と同じように力業で持ち込めば勝てると判断したようだ。ノスフェルは次なる作戦に移る。会話を続け、情報の少ないハルのことについて聞き出そうと考える。こちら側から投げ掛ければ向こうが答えずとも色々なことを教えてくれる。


 メルは口を開いた。


「本で読んだことがある……目は口ほどにものを言う」


「ほぉ、書物を嗜むのか。では実感したことだろう。知識を蓄えることと実践で活用するのには雲泥の差があると」


「…そうだね」


 ノスフェルは勘づく。


 ──口を開いたきっかけは本か……


「お前もその歳でその強さ、私の想像も及ばない経験をしたのだろう?ましてや暗殺者だ。それが何故このような戦場にいる?」


「……」


 メルは黙った。


「ハル・ミナミノにそそのかされたか?」


 またもメルの瞳孔が開いた。


「違う!神様は僕を救ってくれた!!」


 ノスフェルはニヤリと心中で笑う。そして考えた。


 ──ハル・ミナミノのことを神様と呼んでいるのか……宗教的な支配は子供や答えのない問題に対しての教育を受けていない大人達をあっという間に取り込んでしまうからな……


 ノスフェルは更なる揺さぶりをかける。


「救ってくれたと本には書いてあったか?」


 メルはその問いかけにより、無意識的に自分の読んできた本を反芻させるが、その隙にノスフェルが攻撃を仕掛けてくる。


 いつの間にか眼前に現れたノスフェルは長剣を振り下ろす。メルはなんとかナイフでその攻撃を受け流した。


「くっ!!」


 ノスフェルはそのまま2連撃目、振り下ろした長剣を一気に斬り上げた。メルは再びナイフで受け流そうとするが、ノスフェルの攻撃についていけず、ナイフで受け止める選択に切り替えた。


 しかし、受け止めようとしたナイフはノスフェルの長剣により弾かれる。


 のけ反った姿勢になるメルはそのまま、バク転をしてノスフェルの追撃を回避した。着地を決めたメルはナイフを構えるが、それにかまわずノスフェルは間合いを詰めに前進してきた。


「貴様がこの戦場に参戦することは救いに繋がるのか!?」


 ノスフェルの長剣がメルの首筋に向かって振り下ろされる。


 メルはナイフでもう一度受け流そうとするが、長剣がナイフに触れる寸でのところでピタリと止まる。それとほぼ同時に長剣はアイテムボックスにしまわれた。


「!?」


 困惑するメルは判断が遅れる。ノスフェルが一気に魔力を纏い始めた。


「トルネイド」


 手から竜巻が放出される。メルは至近距離からその魔法を腹にくらった。


 メルの小さな身体は竜巻に巻き込まれ、彼方へと人体を破壊されながら飛ばされる。


 ノスフェルは竜巻の激しい音とその行方を少しだけ見てから、本をとじた。そして、自軍へと戻ろうと背を向けると先程唱えた第三階級風属性魔法の轟音が突然鳴りやんだ。


 訝しむノスフェルはもう一度トルネイドの様子を見ようと振り返ると、至る所に裂傷を刻んだメルが立っていた。特に魔法を受けた腹の損傷がひどい。


 ノスフェルは驚いた表情で言った。


「一体、どうやって……?」


 メルはその問い掛けには答えず、質問した。


「…この戦争に、救いはあるの?」


 先程のノスフェルの問い掛けに対する質問なのだろう。血を吐きながら尋ねるメルにたじろぎながらもノスフェルは答えた。


「…戦争に救いなどない」


 ノスフェルはボロボロのメルを見て、もう一度本を開いた。


 ──よし、これでいつでも始末できる……


「じゃあ、貴方はどうして参戦している……?」


「守りたいものがあるからだ」


「王国の人も……そう思ってる筈、だからそれを一方的に奪うのは……」


 メルの言い分を遮るようにしてノスフェルが言った。


「話し合いで解決できるのならば戦争などしていない。もうその機会はとうの昔に過ぎたのだ」


 メルは痛みに耐えながら黙って聞いていた。


「歴史が、民が、或いは不運な出来事が戦争に駆り立てる。一国の成り立ちは勝利の歴史にある。国は勝った者達が支配をしているのだ。だから傲慢な考えが横行し、戦争へと導かれる。貴様の言い分はよくわかる。ならば戦争が起こるもっと前から行動に移すべきだった。しかし、貴様は悟るだろう。民や支配者達の考えは変わらぬと……少々喋りすぎた、終わりにしよう」


 ノスフェルは長剣を取り出し、今にも倒れそうなメルに向かって全力で振り下ろした。


 メルはそれをナイフをぶつけて受け止める。今までこの攻撃を受けきることができなかったメルだが、しっかりと踏ん張ってノスフェルの攻撃を受け止めた。


 ノスフェルは驚嘆したが、すぐに次の攻撃に切り替えようとしたその時、ノスフェルの長剣が木っ端微塵に破裂した。


 弾ける長剣の破片から身を守るようにしてノスフェルは片目を瞑りながら後退するがその時、メルが何かを呟いているのが聞こえてきた。


「僕は……甘かった……」


「貴様…何を……?」


 メルはナイフごしに第四階級水属性魔法ショックウェーブを唱えて、ノスフェルの長剣を破壊したのだ。ちなみに、第三階級風属性魔法トルネイドを腹にくらったときもこの魔法で打ち消している。


 メルは俯きながら呟いた。


「この戦場に参戦してる人達は皆、自分が悪に染まること、自分の正義を貫くことを覚悟している……僕は甘かった。そんな覚悟をした人が相手なら全力で立ち向かわなきゃダメだ……」


 メルは魔力を纏った。


 メルの魔力量に慄くノスフェル。距離をとろうと後退するが、メルの魔法がノスフェルを襲った。


「スプラッシュスウォーム」


 メルの小さな身体を覆うように魔方陣が出現し、そこから竜を模した水の塊がノスフェルに向かって出現する。


「なっ!!?」


 水竜は大きな口を開けてノスフェルを飲み込み、上空へと舞い上がった。 


 ノスフェルは全身に計り知れない衝撃を受け、意識が遠退く。水流に流されている感覚を辛うじて感じながらなんとか意識を保っていた。ぼやける視界に写るのは水中の景色。


 ──第五…階級魔法……


 ノスフェルは水竜に飲み込まれ、自分が仰向けなのかうつ伏せなのかわからないでいる。しかし、水中の向こう側に光が見えた。暖かい日の光。


 ノスフェルは手を伸ばす。


 ──あぁ……シーリカ……


 日溜まりのような笑顔を向けるシーリカをノスフェルは日の光の中に見た。そしてそのシーリカの笑顔が悲嘆にくれる泣き顔に変わった。


 ──私は……シーリカを守らねば……シーリカを不幸にしたあの男を……殺すまで……


「死ぬわけにはいかない!!」


 ノスフェルの伸ばした手は何かを掴んだかのように握り締められる。そして声を聞いた。


ピコン

限界を突破しました。


─────────────────


 メルは膝をついて息を整えた。


 帝国左軍にいる兵士達は飛び立つ水竜を見て攻撃の手が止まる。何人かは指をさして、他の兵士にその存在を知らしめた。


 しかし、空を舞うその水竜は内側から破裂した。空から大量の雨が降りしきる。


 水竜の中からノスフェルが現れ、戦場に降りたった。


 着ている服が破け、足を引きずりながらノスフェルは息を切らしているメルに向かって歩みを進めた。そしてメルに告げる。


「私は……死ぬわけにはいかない。この手でサリエリ・アントニオーニを殺す迄は!!」

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