第262話 決して変わらぬ想い

 ハルは闘技場に着いた瞬間、あの少女がいるのだと悟った。


 ハルと共に帰国したユリとメルも闘技場からくる異様な圧力を感知している。


 ハルは2人に言った。


「気付いてると思うけど、この嫌な空気を出してるのは白髪をツインテールにしている少女だ。僕が殺されかけた正真正銘の怪物だ」


 ハルは見たくないモノを見るように目を細める。ユリとメルはいつものハルと違いとても怯えていることに驚いていた。


「だからソイツと遭遇したら直ぐに逃げて」


 ハルの言葉を受けてユリは質問した。


「ハルくんはどうするの?」


「僕は……わからない。とりあえず中の人達を助けようと思う」


 助けると言ったはいいものの、両手両足がピリピリと痛みだした。どうせならこのまま逃げてしまいたいとさえハルは思った。


 しかし、ハルは逃げ出さなかった。いや、逃げ出せなかった。


 チェルザーレの時もそうだったが、なるべく強敵と当たらないように戻る能力を駆使しながら困難を乗り越えてきたつもりだ。しかしもうそんな小細工は通用しない。最後の属性魔法も唱えてしまった為、緊急脱出するための魔法もなければ、第六階級魔法も唱えることもできそうにない。

 

 今まで問題を先送りにしてきたツケがとうとうやってきた。あれからレベルも上がり、そこそこ戦えるのではないかとも思ってはいるが、手足を斬られた映像がこびりついて離れない。

 

 ハルは半ば観念したように闘技場へ入った。


 入って直ぐに、ハルは少女の姿を確認する。ユリとメルは帝国の者だと思われる少年達の元へと向かった。


 そしてハルは今、白髪少女と対峙している。


「貴様がハル・ミナミノか?確かに少しは楽しめそうじゃな」


 少女の声が聞こえた瞬間、頭が真っ白になった。何故自分のことを知っているのか、ではなくあの時の出来事を思い出したからだ。恐怖から逃げ惑い、仲間達を犠牲にし、両手両足を斬られ、2年間自分を責め続けたことを。


 ハルはそれらの思い出をかき消す為に叫んだ。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 そしてデュラハンの長剣を取り出し、構える。


 この時、傍にいたオデッサはハルが半狂乱となり、無理矢理な構えをしているのを見て逃げるよう告げた。


「駄目だ!早く逃げろ!!」


 ハルは恐怖により震えだしていた。その影響で視界がぐらつく、しかし少女は待ってくれはしない。


 少女ルカは瞬時にハルの背後へと移動し、鎌を振りかぶる。狙うはハルの首だ。


 オデッサは少女の早さに喫驚し、口を開く


 ──私達との戦闘は只の遊びだったとでもいうのか!?


「後ろっ──!!」


 オデッサは少女の標的である少年に向かって叫んだ。


 ハルは少女ルカの姿が突然消えたことで、あまりの恐怖により、その場に倒れるように座り込んだが、幸いにもその動作によって間一髪、少女の攻撃を躱すことができた。


 たったこれしきの行動で息切れをするハル。


「はぁ……はぁ……」


 ──これは……たまたまだ……あぁ…無理だ!全く見えなかった……僕では勝てない……次にもう一度同じように攻撃を躱せと言われても無理だ


 こうしてハルの頭の中で弾き出された答えは『逃げる』だ。

 

 ハルは座った状態から両手をついて、四足歩行の生き物が、もがきながら前進するように数歩前へ出ると、ぎこちなく二足歩行へと移行して走り出した。


 それを見たルカは笑い出してハルを追う。


「カカカ!待て小僧!!」


 ハルは背後から物凄い圧力を感じ取る。


 ──無理だ!こんなヤツに勝てるわけがない!!


 ハルは闘技場内を走り回った。あの時と一緒だ。そしてまた惨めな生活に戻るのだ。いや、いっそ死んでしまったほうが潔いのではないか?


 しかし、死ぬ勇気もない。


 だから逃げているんだ。


 ハルは口をあけながら、眉を歪ませて必死に逃げ出した。


 ──あぁ……あの時と一緒だ。僕はこのまま一生、強者に怯え、逃げ惑う人生を送るんだ……


 ハルが逃走しているのをフルートベールの兵士や国の要人達、帝国の刺客達が見ている。彼等はハルとルカが物凄い勢いで走っていることしかわからないでいた。しかしオデッサにはわかった。突如として現れた少年が恐怖に怯えて逃げ惑う姿が。


 ハルは城塞都市トランで仲間達を犠牲にして走っている自分を思い出す。


 ──僕は変わっていない……ここで逃げていたら多くの人達が犠牲になるんだ……僕は変わっていない……変われない……トランではそろそろ足を斬られたんだっけ?それとも背中?


 ハルは後ろを振り向く。


 ルカは笑顔で追ってくる。まるで狩りを楽しんでいるように。


 この時ハルはルカに気を取られ、寝ている観客につまずき、転んだ。なんとか手をついて、うつ伏せの状態から直ぐに仰向けに姿勢を変える。しかし立ち上がれば、その隙に攻撃されると思ったハルは、ルカを見上げる姿勢のまま動けないでいた。


「なんじゃ?期待してたんじゃが、戦わんのか?」


 ルカはガッカリした様子だった。


「はぁ……まぁいい、それなら死んでもらおうかのぉ」


 ルカは漆黒に光る鎌を振り上げた。


 その時、剣聖オデッサが後ろからルカの背中を斬りつけようと長剣を振り下ろす。しかしルカは振り上げた鎌を背中に回して、ハルを見据えたまま背後から来るオデッサの攻撃を防いだ。円を描くように鎌を回転させ、オデッサの剣をいなすと、後ろを振り向き、黒い刃でオデッサの腹部をかっ斬った。


 オデッサは腹部から血を吹き出し膝をつくが、まだ剣を杖のようにして用いて、立ち上がろうとする。


 ハルは思った。


 ──どうして……どうして立てる!?どうして立ち向かえる!?どうしてまだ戦おうと思える!?剣聖もフェルディナンもトランにいた剣士も!!どうしてみんなそんなに強いんだ!?


 ルカは鎌を振り上げたが、オデッサの様子を見て止めた。


 そしてハルに向き直る。


「ヒッ!!!」


 怯えきった情けない声がハルの口からついて出る。


 ルカはハルにとどめを刺そうと鎌を振り下ろす。しかし直ぐ側の観客席からとある人物が覆い被さるようにしてハルを庇った。


 ルカの鎌はその人物の背中を斬り裂く。そしてその人物はしわがれた声で言った。


「この子に手を出すんじゃねぇ!!」


 聞き慣れたその声の主を見てハルは呟く。


「…シスター…グレイシス……」


◆ ◆ ◆ ◆


 真っ黒に焦げた教会の残骸を見て佇む私。


 周囲の建物は手付かずで街の様相は保たれていた。


 それもその筈、街の者達は皆この教会へ避難しているのだから、ここを狙えば街の者達を一網打尽にできる。街はほぼ無傷だ。


 私は教会の残骸を掻き分けて探した。


 手を煤で真っ黒にしながら、私は探した。


 そして見付けた。


 残骸と同様、真っ黒になった子供達の骨を。


 私は小さな、もう誰かもわからない頭蓋骨を持って、抱き締めた。


 子供達の叫び声が聞こえた気がした。


 私は涙を流した。血の涙を。


 そして、神はいないと悟った。


 人は何故教会へ逃げるのか、それは神が守ってくれるからだ。私もそう信じていた。


 だけど、神はそんな彼等を救ってはくれなかった。


 神などいない。神などいない。


 だけど、神がいなければ、私は神を憎めない。


 だから私はシスターでいることを辞めなかった。


 私が神に仕えているのは神を否定するためだ。


 それ以来私は禁じられていた酒を毎日飲むようになった。


 矮小な私のささやかな反抗だ。もしくは、感覚を麻痺させることで自分を保っていただけかもしれない。


 何故あの時、教会が火におおわれた時…私は中に入って子供達を助けなかったのか……


 それは、怖かったからだ。


 もしかしたら私はその時から神を信じていなかったのかもしれない。もし神を信じていたら、神が私を守ってくれると信じることができたら、私は勇気をだしてあの火の海に飛び込んでいたのではないか……


 私はもっと自分が嫌いになった……


 今度は同じような後悔はしたくない。


 もし、子供達が死に瀕することがあれば、次こそはどんな恐怖にでも飛び込んでみせる。


 私は神にではなく、自分に誓った。


◆ ◆ ◆ ◆


 ハルは自分を抱き締めるように庇うシスターグレイシスに驚く。そして彼女の背中に自分の手が触れた時、生暖かい感触がした。


 ハルはシスターグレイシスの痛みを噛み締める吐息を耳元で感じながら、生暖かいモノに触れた自分の手が真っ赤に染まっていた。ルカの攻撃により負傷したシスターグレイシスの背中から血がマグマのように溢れ出ていた。


 直ぐに聖属性魔法を唱えればよかったものの、ハルは気が動転してそれどころではなかった。


 そんなハルにシスターグレイシスが囁く。


「は、初めて貴方を見た時、私と同じだと思った……貴方も何かに怯えながら…それでも懸命に生きようとしていた……辛いよね」


 ハルは涙を流す。


「私は……そんな辛い現実から目を反らして、いつも空想に逃げ込んでいたわ……だけどそこでは決まって現実に帰りたいと何度も願っていた。でも恐くって帰れなかった。恐怖から遠ざかっても恐怖はなくならない……それよりもどんどんと強く、近くにそれを感じるの。だからもう逃げるのはやめるわ」


 シスターグレイシスは背中の激痛に耐えてルカの前に立つ。


「この子は私が守る!!」


 それを聞いてルカは呟いた。


「別れの挨拶は終わったか?」


 ルカがそう告げ終わったその時、観客席からまたもこの戦闘に乱入する人物がいた。


 それは孤児院の子供、グラースだった。


 シスターグレイシスはルカに向かって突進してくるグラースを見て、止めようと一歩前へ踏み出すが、これ以上動けなかった。もう立っているだけで精一杯だ。


「ダメ!!」


 そう叫ぶことしかできない。


「ハルとシスターをいじめるな!!」


 グラースは叫びながら、ルカに飛び付いた。しかしルカはびくともしない。


「なんじゃあ?」


 ルカは興味なさげにグラースを見やる。


 どうして……ハルはさっきから恐怖に立ち向かう者達に問いかけていた。


 ──どうして皆、恐怖を前にそんな行動がとれ…る……


 自分の不甲斐なさに顔を歪めるハルだが、ルカに飛び付くグラースを見て、とあることを思い出した。この世界に来たばかりの自分のことを。相手の強さを推し測る技術もなかった時のことを。


 魔法学校の屋上での出来事。


 ハルはルナを守るために、スタンに立ち向かった。炎の熱に耐え、死を恐れずに。


『あなたの…為なら何回だって……死にに…行きます………あなたの為なら何回だって…立ち上がってみせます…』


 ──どうして僕は変わってしまったんだ?あの時の僕は弱かったけど強かった……


 ハルが過去を思い出しているその間にも、ルカは黒い鎌を高く掲げ、刃の先端を自分に飛び付いて離れないグラースの背中に向ける。シスターグレイシスは痛みを伴いながらも叫んだ。


「やめて!!」


 そして一歩前へ進む。オデッサは子供の命を守る為にようやく立ち上がったがルカの攻撃を阻止するだけの力はなかった。


 ハルは願う。眼を瞑り心の中で念じた。


 ──変われ……変われ変われ変われ!変わるんだ!!


 決して変わることのない想いの為に。


 ルカはグラースに向かって鎌を振り下ろした。


 しかし、鎌は空を斬る。


 ルカは自分の動きを封じようと抱きついていた子供の姿が突然いなくなり、困惑した。


「…どこに?」


 すると、尋常ならざる気配を感じる。その気配のする方を見やると、ハルが抱きかかえたグラースを地面に下ろし、ルカの目を見据えていた。


 ハルは涙をこらえながら、それでも決然とした態度で言った。


「みんな……弱いくせに、勇気ばかりだしやがって……僕もだしてみたくなったじゃないか……勇気ってやつを……」


ピコン

限界を突破しました。

システムを変更するため時間がかかります。


 ルカはそんなハルを見て不敵に笑う。

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