第225話 あなたは私

 僕に生きる資格があるのか?こんな時にあの透明人間を近くに感じる。僕に触れて、また僕に過去の記憶を甦らせようとしてくる。左肩が痛い。


 血を流しすぎた。ゾーイーに蹴り飛ばされ、その衝撃で僕は鉄格子と二段ベッドを破壊した。壁に叩きつけられ仰向けに倒れた。土埃なのかこの牢屋に潜んでいた埃なのか、いずれにしろ埃が大量に舞っている。


 その時、僕の顔を覆うようにしてあるモノが落ちてきた。


 それは本だった。二段ベッドに置いていた本がページをパラパラとはためかせながら落ちてきたのだ。


 僕は目を開けて、その本がちょうど開かれている部分を読んだ。


「"あなたの声 あなたの目 あなたの手 あなたの唇 私達の沈黙 私達の言葉 去ってゆく光 また帰ってくる光 私達二人のためにただ一つの微笑 欲求にかられ私は夜が昼を作り出すのを見た"」


 声に出して読むと僕の身体に、胸の奥に、熱くて心地の良い何かが込み上げてくるのを感じた。


「"私達は外見を変えたりしない みんなに愛されるひとよ 一人に愛されるひとよ 沈黙の内にあなたは幸福になる約束をした だんだん遠くと憎悪が言う だんだん近くと愛が言う"」


 僕は立ち上がり、本を片手で開きながらゾーイーの元へ歩いた。気付いたら僕は涙を流していた。



 土埃の舞う中、聞きなれないメルの声がする。ゾーイーはメルが何を喋っているのかわからなかった。


「まだ立つのかよ!?」


 姿を現したメルは『苦悩の首都』という本を片手に、涙を流している。


「ちっ!これだからエッグは気味悪ぃぜ!!」


 ゾーイーは槍をメルの胸目掛けて突くが躱された。メルは本の朗読をやめない。


「"愛撫によって私達は幼年から脱け出す ますます人間の姿が見えてくる"」


 今度は槍を横に薙ぎ払うがメルはしゃがんでそれを躱す。


「"恋人達の対話のように心には一つの口だけ すべてはなりゆき 何気なく言われた言葉 何気なく表れた感情 人はめぐらす 眼差しを 言葉を 私があなたを愛することも"」


 ゾーイーはすかさずしゃがみこんだメルの顔面に蹴りを入れるがメルは姿を消した。


「なっ!?」


 背後から本を読む声が聞こえる。


「"すべては動く 生きるには前に進むだけ 愛するものにむかって進むだけ あなたに向かって 光に向かって果てしなく あなたの微笑みが私の中に入り込む あなたの腕の光線がもやを押し開く"」

 

 メルは本を閉じた。そして涙を拭った。


「お前……いまどうやって移動した?」


「僕は、この誰が書いたのかもわからない言葉で光を見た。希望を見た。だから僕もこの人のように……誰かに、僕と同じような人に……希望を見せたい」


「何を言ってやがる?」


「僕に居場所はないかもしれないけど、わがままだとしても、自分勝手だとしても、今までに多くの人の希望を摘み取ってしまったのならば、それよりも多くの人に希望を見せたい!」


 メルの眼には透明人間が目の前にいるのが見えていた。その透明人間がメルの肩に手を置いた。


「もう僕は君から目を逸らしたりはしない。君がいるから希望の光がより一層輝いて見えるんだ」


ピコン

限界を突破しました。

システムを変更するため時間がかかります。


 メルの頭に世界の声が聞こえた。


──────────


 ゾーイーは攻撃を避けながら独り言を呟くメルを気味悪がった。というのも独り言を言っている最中、メルの動きが速くなったということと、ゾーイー曰く、ヤバい雰囲気がメルから出ていたからだ。


 ゾーイーは距離をとり、先程と同じように天井へ跳躍し、高速で動いて撹乱する。メルは微動だにしていない。


「行くぞメル!!さっきまでのような手加減はできねぇからな!!」


 ゾーイーはそう言うと自身の持つ最高の速度でメルの脳天目掛けて突進した。


 ──もらった!!


 しかしゾーイーは攻撃の瞬間にメルが地面に拳を突き刺しているのを目撃した。そしてメルはゾーイーの攻撃を躱す。ゾーイーは直ぐにその場から離れようと跳躍を試みたが、先程のメルの行動により足場が崩れ地面を踏み締めることができない。


 ──くそ!だから地面に攻撃を!!


 そう思った束の間、メルはゾーイーの胸にそっと手を起き、唱えた。


「ショックウェーブ」


 …………。


 あたりを静寂が包む。


 が、


「がはっ……」


 ゾーイーは血を吐いて倒れた。


「何…しやがった……」


 ゾーイーは体内から込み上げてくる血液に溺れながら言った。


「人間の体内は約65%の水分がある。それにさざ波をたてた」


「グハ……」


「お前達は存在しちゃダメなんだ……だから僕はお前らを潰す……」

 

「ぐぼぉ……一つだけ……お前に言っとくぜ……俺らのおかげで救われた奴もいんだよ……」


「何が言いたい?」


「だから……あんまり自分を責めんじゃねぇ…ぞ……」


 ゾーイーは倒れた。


「ゾーイー……」


 ゾーイーの言う通り、暗殺する為には依頼主が必要だ。殺すことによってその依頼主に光を与えることができた。


 必要悪。


 こんな言葉で自分を慰める気にメルはなれなかった。しかし、ゾーイーの言葉はメルの体内にある65%の水分に浸透していったのは確かだった。


「神様……いるんでしょ?」


 ハルは姿を現す。


「ああ、いるよ」


「僕はこれから海の老人のアジトへ行く」


 メルの発言にハルは驚いた。ソフィアの話では海の老人に属するエッグと呼ばれる者達はその場所を知らないと聞かされていたからだ。


「場所を知ってるの?」


「僕に薬は効かないからね。自分の足で外へ出て、帰ってた。だから場所を知っている」


「そこへ行ってどうするの?」


「わからない……でもこれ以上奴らの犠牲者を出したくない。上手く出来るかわからないけど。神様もついていきたいんでしょ?その為に僕を甦らせた」


「結果的に海の老人を滅ぼすことになって良いの?」


「そうしないと多くの人が死ぬんでしょ?」


「まぁ、そうだね」


 メルとハルはこの監獄から脱獄した。


 外は真っ暗で雨が降っていた。


「どうしたメル?」


 メルは立ち止まって、両手を広げ、その銀のハープのように降る雨を全身で受け止めていた。

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