3 コスプレとしての虚構エッセイスト

今回は“書くコスプレ”というキャッチフレーズと縁の深いこの作品をご紹介。例によって作品を読んでいることを前提に書きます。

 

【久々の再会】SFPエッセイ004

https://kakuyomu.jp/works/1177354054892340431/episodes/1177354054892385723

 

先に断っておくと、現時点でぼくにコスプレの趣味はありません。この作品もコメント欄に「本当の話かと思った!」という反応が寄せられて(まだSFPエッセイのクレジットが入る前だったため)、二つの意味でちょっとまずいぞと思いました。

 

一つは、場合によっては「騙された」と感じる人が出てしまうことです。つまり創作だということがわからないままに読んで、最後のクレジットなどに気づかなければ(たとえば途中で読むのを中断したら)、文字通りぼくがコスプレイヤーで、しかも女装コスプレイヤーだと信じてしまうことになるわけです。あるいはそう思って読み進めて最後のクレジットを見て騙されたと感じるかもしれません。「なーんだ」と笑ってくれる人もいるでしょうが、「信じて損した」と怒る人だっているでしょう。それはよくないな、と思ったわけです。

 

もう一つは、それこそぼくを「実は女装コスプレをするんだ」と信じ込んだままこの先過ごす人が出てくる可能性を感じたことです。そう思われたから困ることも別にないのですが、それこそ今後書くいろいろな作品に出てくる(であろう)破天荒な設定を全部信じられたらちょっと面倒なことになりそうな予感を覚えました。

 

そういうわけでクレジットを早めに書くようにしたわけですが、一方でコスプレというのはなかなか象徴的だなとも思いました。

 

それというのも、たとえば【逃げ道】では道場主を演じ、【久々の再会】では女装コスプレイヤーを演じ、次の【なし崩しで再開】では飲食店主を、その先の【お金】では「世の中、お金が全てである。」という主張を持つ人を、といった具合に、作品ごとにさまざまなキャラクターを演じるわけで、これはまさしく「書くコスプレ」だなと感じたわけです。

 

前回、「語り手」の存在こそがエッセイらしさを生むという話を書きましたが、その「語り手」をどう設定するかによってその作品のトーンや話の方向性が決まるという意味では誰を演じるかということが重要な要素だということだということがわかります。

 

Sudden Fiction Projectでは即興的に書くので、事前に詳細な設定を決めるわけではありません。けれどもこの作品のように冒頭に「コスプレイヤーとしてはかなり長くやっている方だと思う」と書くと、まずコスプレイヤーであること、長年やっていることが決まります。そこからだんだん深掘りするわけです。

 

どんなコスプレをしているんだろう? 長年ってどれくらいだろう?

 

そこで男性の語り手が女装コスプレをしている設定を思いつきます。どうしてそうなったのかを考えて姉が二人いることにします(ちなみにこのあたりで最早ぼくの個人的なプロフィールからは全然離れているのですが、読者にはそんなことはわかりませんよね)。

 

そうして書きすすめるうちに書き手の容姿や、いじめられていた子ども時代の記憶などがどんどんくっついてきて書き手の像が具体的になっていきます。それから男の声なので「しゃべらない」という設定、長年やっているために起きる「久々の再会」という展開などが加わってきます。

 

話のオチの部分はここまで積み上げてきたものが一気に組み合わさったパターンで、読み物としては大変面白いのですが、作品としては最後の最後で「小説」になってしまったな、と感じています。ぎりぎりエッセイと読めなくもないけれどほぼショートショートだなと感じるわけです。

 

エッセイらしさとは何で、小説らしさとは何か、まだまだ模索が続きます。

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