第268話 災厄を振り払え-provocation

「アイガ、待って」


 覚悟を決めたその瞬間、クレアが俺を制止した。


「え?」


 不思議に思いながら、俺はその言葉に従う。

 

 クレアは一瞬だけ笑みを見せた。きっと『ありがとう』という意味だと思う。

 そのまま視線をジェイドに移した。その表情はもう真顔に戻っていた。


「ジェイド……貴方は逃げたいの?」


 ジェイドに向けられたクレアの言葉。

 それは今まで聞いたことがないほどに冷たく、昏く、重いものだ。

 俺に向けられたわけではないのに背筋が凍ると錯覚するほどだった。


「当然だ。こんな鬱陶しい面倒事に巻き込まれて俺は辟易している」


 ジェイドはクレアの冷たい言葉を全く気にしていない様子だった。

 加えて本当にイライラしているようで舌打ちを何度か繰り返している。


「それで私に逃げしてほしいのね。わかったわ。私がその壁を壊して。そして貴方を逃がしてわ」


 いつものクレアじゃない。

 そう感じた。


 それは言葉に込められた冷たさだけじゃない。

 今の台詞にはどこか、馬鹿にしたような、哀れに思っているような、挑発のような意味合いを感じてしまったのだ。


 だからこそ、いつものクレアじゃないと如実に感じてしまった。


「あ?」


 ジェイドもそれに気付いたのか怒りの表情でクレアを睨みつける。

 その眼には微かに殺気を孕んでいた。


「だって、貴方一人じゃあ壁を壊せないんでしょ? だから私が壊してって言っているのよ。それで貴方だけ逃げればいいじゃない。大丈夫。ちゃんと逃がしてから」


 ジェイドはわなわなと震えている。拳は握りしめられ、歯は折れそうなほど噛み締めていた。


「貴様! 俺を愚弄するのか! 才能があると言えど、異邦人の分際で俺を侮蔑するなど許さんぞ!」


 ジェイドの怒りが沸騰したようだ。

 右手から魔法の雷がバチバチと唸りを上げている。


 俺はその魔法に反応してクレアの前に立とうとした。守ろうとしたんだ。

 だが、クレアはそれを手で止める。

 そして一言、『大丈夫』と呟いた。


 俺は混乱しながらも従う。が、すぐに動けるようポケットに手を入れ獣化液を握りしめた。


「愚弄? 侮蔑? どうして? 全部貴方が言ったことじゃない。『自分では壁が壊せない』から私に壊して欲しいと願った。『自分は関わらない』から私に戦ってほしいと願った。そうじゃないの?」


 ジェイドの怒りの炎がさらに燃える。その余波がヒリヒリと空間を焦がす。

 言い返さないのは感情をギリギリ抑えているだけなのだろうか。

 しかし、そのストッパーは容易く壊れそうだった。


「貴様……」


 絞り出た言葉は怒りと殺意に塗れていた。


「大丈夫だよ、私が助けて。私は貴方より強いからね。ねぇ、ナンバーツーさん」


 決定的な言葉だった。

 ブチっと何かが切れた音がした。

 ジェイドの貌は白くなり、怒りが消える。

 

 代わりに純然たる憎悪と殺意が浮かんでいた。

 ジェイドに対して怒っていた俺ですらたじろぐほどの仄暗い憎悪と殺意。

 

「わかった。貴様の挑発に乗ってやる」


 ジェイドは黙ったまま、俺の横をすり抜け、前に出た。

 視線は真っ直ぐ敵に向いている。

 俺は文字通り眼中になかったのだろう。


 横から見たジェイドは今までとは全く違う気配だった。


 ただ挑発されただけでここまでキレるものなのか。

 それは最早『鬼気迫る』という言葉には収まらないほどの表情だった。

 鬼そのものだ。

 

「ふぅ……ごめんね、アイガ」


 不意にクレアが謝る。


「いや……俺は別にいいけど……その、いつものクレアらしくなかったな」

 

 俺は混乱しながら率直な意見を述べた。


 クレアは悲しそうな表情になる。


「うん。そうだね。最低だと思う。でもこの状況を打破するにはどうしてもジェイドの力が必要だった。そのために……」

「わざとジェイドさんの逆鱗に触れたんですね」


 サリーがクレアの言葉を引き取った。

 彼女は今、必死でロベルトさんの傷を治すための演算を行っている。


「うん。本当はあんなこと言いたくなかったんだけどね。助けてあげるとか。ナンバーツーとか。思ってもないし……」


 クレアの悲壮な顔を見て心が軋んだ。


「ただ…‥ジェイドに対して怒りもあったわ。だからつい言葉が酷くなっちゃった」


 クレアは泣きそうな顔で魔法をロベルトさんに注ぐ。

 既に血は止まりロベルトさんの顔色はマシになっていた。


「怒り?」


 俺の問いにクレアは頷く。


「ジェイドの言い方に腹が立ったの。彼がそういう気質ってのはわかっていたし、こういう状況でもきっと我関せずの姿勢を崩さないってのもわかっていた。それでも腹が立ったの」


 クレアは深呼吸をした。

 自分の感情を落ち着かせるためだろうか、瞼も閉じていた。目尻は微かに濡れている。


「だから攻撃的な言葉になっちゃった。あとで謝るけどきっと許してくれないだろうな」


 無理矢理作ったその笑顔がとても痛々しかった。


「大丈夫さ。俺も謝るよ、一緒に」

「ありがとう、アイガ」


 俺はクレアの肩に手を置く。


「どっちにしろ、まずはここを突破しないとな。謝るのはそれからだ」

「うん、そうだね」


 クレアが漸く本当の笑顔を作ってくれた。

 良かった。


 それに、ジェイドに対して怒っていたのは俺も同じだ。

 そして、ジェイドに対しての暴言を見ていた俺も同罪だ。

 赦しを乞うのは俺も一緒なんだ。


 だが先程言った通り、どの道この状況の打破が先決。

 生きて脱出できなければ赦罪も贖罪もできない。


 俺のなかで再び覚悟の火が灯る。


「とりあえず、私は動けない。サリーも。二人でロベルトさんを治すから」

「わかっている」

「アイガは冷静に状況を判断して。最悪動くなら私が魔法で煙幕を焚くわ」


 クレアの提言は即ち目眩めくらまし。

 有難い。それならジェイドに気兼ねすることなく存分に暴れられる。


「あぁ、その時は頼む」

「それと……」


 突然、サリーが話し始めた。


「私が演算、クレア様が魔力の供給という今の状況、詳しくは『協力型魔法処理』という技法なのです。が、これは魔力の供給側に多大な疲労を齎します。ですので治療終了後、即座にクレア様が参戦できるとは限りませんのでその辺りも考慮していてくださいね」

「サリー、私なら大丈夫だよ」


 サリーはニッコリと笑ってまた集中するためか黙する。


 そうか、さっきサリーが大丈夫かと聞いたのはこのためだったのか。

 つまり、クレアは今膨大に魔力を消費している。


 まぁ、どうせ俺が出陣るつもりだったのだ。

 クレアには治療後のんびり休息してもらおう。


 敵は全て、俺の氣で粉砕してやる。

 俺の中の覚悟の火がさらに煌々と燃え盛った。

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アイガとクレアー藍き獣、紅蓮の切札ー 京京 @kyoyama-kyotaro

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