第267話 災厄を振り払え-conflict
目の前に突如現れたそれに俺は完全に止まってしまう。思考も身体も。
「ロベルトさん!」
遅れて意識が理解をし始めた。
俺は無意識に走り出し、壁に激突したロベルトさんに駆け寄る。
「がふ……」
ロベルトさんは血を吐き項垂れている。手に持っていた槍は真っ二つに折れ、両の手に握られていた。
鎧の胸部が陥没し、そこから黒い血が滲む。
裂傷と熱傷が惨い。一目でわかるほどの酷い怪我だった。
俺は振り返る。
そこには右足を高らかにあげたリードがいた。
その右足からは弾丸が射出された銃の如く、硝煙が揺蕩っている。
間違いない。
ロベルトさんはこの一撃でやられたんだ。
だが……
王都護衛部隊の戦士一人を一撃で?
畏怖が俺の背中を這う。
次元が違う。
俺が戦ったアンドレイとは比較にならない。
ただ……
「アイ……ガ……」
「ロベルトさん!」
思考を巡らせているとき、僅かにロベルトさんの声が聞こえた。俺は再び視線をロベルトさんに戻す。
「ロベルトさん!」
今一度、ロベルトさんの名前を呼んだ。が、もう反応はしてくれない。
代わりに口から夥しい血が噴き出す。
鼓動は弱まり、息も小さくなっていた。
死が、如実に迫っている。
「どいて! アイガ!」
クレアがロベルトさんの胸に手を翳した。
そして、あの回復魔法をロベルトさんに施してくれた。
俺の骨折を治した『愛しき炎』だ。
これなら……助かるか?
「駄目かも」
希望を感じた俺を打ち砕く一言だった。
クレアの貌に悲壮が広がる。
「ダメもとで発動したけど……やっぱり私の回復魔法は骨折程度にしか効かない。ジュリアなら……いけたと思うけど……」
天才であるクレアをもってしてもロベルトさんの怪我を回復できない。
それほどの重傷ということか。
何もできない俺は拳を握り、絶望に打ち震えるだけだった。
ガツン、ガツン。
そんな折、不意に何か音が聞こえた。
音の方角を望むと、ジェイドが魔法で壁を壊している。
俺は意味が解らず呆けてしまった。
「ジェイド……何をしているんだ?」
俺の問いにジェイドは至極面倒くさそうにこちらを見る。
「何を? 馬鹿か、お前は。壁を壊しているに決まっているだろう」
当り前のように言い放ったジェイドの言葉が俺の頭を駆け巡った。
その意味を理解するのに時間が掛かる。
「ちぃ、硬いな。おい、クレア・ヒナタ、お前の契約魔法でこの壁をぶち破ってくれ。お前ならここの壁くらい壊せるだろ?」
あまりに無礼。あまりに失礼。
それでもそれが当然かのような物言いだ。
懇願ではない。指示でもない。
それは明らかに命令だった。
よもやこんな場面で何故そんな態度が取れるのか理解できない。
俺は言葉が紡げず、固まる。
「お前……何言ってんだ!? クレアは今、必死にロベルトさんを治癒しているんだぞ。それなのに壁を壊せ、だ? じゃあ、ロベルトさんの治癒はどうする? 馬鹿も休み休み言え!」
やっと出た言葉は怒りで震えていた。ジェイドを殴らなかっただけ褒めてほしいくらいだ。
だが、拳は強く、強く握っている。
しかし、ジェイドは哀れみの表情で嘲笑のように鼻で笑った。
俺の中で怒りが迸る。
「馬鹿は貴様だ。今、最優先すべきはこの壁を破壊して逃げることだろ。優先順位を間違えるな。クレア・ヒナタ、そういうことだ。さっさと壁を壊してくれ」
ジェイドは俺と議論する気もないのか、既に視線はクレアを見ていた。
途轍もなく冷たい瞳で。
「お前はそのロベルトさんを見捨てるのか!? 今ならまだ回復魔法で助かるかもしれないだぞ」
俺の中で怒りが渦巻く。
「知るか。俺には関係ない。それに王都護衛部隊に入った以上、その人も覚悟しているだろう。死ぬことも」
気が付いた時、俺はジェイドの胸倉を掴んでいた。
「てめぇ! もう一遍言ってみろ!」
「離せ、下郎」
ジェイドは俺の手を掃う。
そして右手で何かの魔法を発動した。
構うものか。
例え、獣王武人を発動してでもこいつを一発ぶん殴らないと気が済まなかった。
その時。
「止めなさい! 二人とも!」
サリーが俺たちの間に割って入る。
「アイガさん。らしくないですよ。いつもの貴方はもっと冷静です」
サリーの言葉が心に深く、深く突き刺さった。
怒りの炎が見る見る消えていく。
「済まない」
埋火のような怒りと共に恥ずかしいという感情が湧いてきた。
だから謝れたんだと思う。
「ジェイドも。失礼な物言いと挑発的な言葉は控えてください。我々が争うなどそれこそ本末転倒です」
サリーはジェイドにも注意した。
「ふん」
だが、サリーの言葉はどうやらジェイドには届かなかったようだ。
ジェイドは悪態をついたまま壁を見つめる。
空気は少しだけ変化した。
「サリー! 貴方が演算をして」
クレアが突然サリーに助けを求める。
「それしかないですね。一応確認しますが、大丈夫ですか?」
サリーはクレアの傍らにしゃがんだ。
「え? 私だよ。大丈夫に決まってるじゃん」
クレアはニッコリと笑う。何故か俺まで安心感に包まれた。そんな笑顔だった。
「では、精一杯尽力致します」
サリーがロベルトさんの胸にそっと手を差し出す。
「おいおい、お前までそっち側なのかよ。考えるまでもないだろ!? 逃げるなら今しかない。それに元々逃げろと言ったのはその人だぞ。だったらその人を助けるより逃げるべきだろ。こんなこと、不毛だ!」
その言葉を受けてゆっくりとクレアがジェイドを見た。
睨んだのではない。ただただ、見ただけだ。
無機質で、無慈悲で、無関心な瞳だった。
「なんだよ」
ジェイドはその視線を真っ向から
「ちぃ、時間切れだ」
不意にジェイドが呟いた。
ジェイドの視線の先。
間合いのやや外にファーゴとレイラが佇んでいる。
俺たちが仲間割れをしている間にどうやらこの二人に追いつかれてしまったようだ。
「お前の所為だぞ。下郎」
ジェイドの蔑んだ言葉が響く。
「餓鬼ども、逃がせねぇぞ」
ファーゴの手にはあの黒い爆弾が握られていた。
最悪だ。
クレアとサリーはロベルトさんの治癒で動けない。
俺はジェイドがいるから獣王武人が使えない。ただ、これは絶対条件ではないが。
その上でこの二人と相対していることは間違いなく最悪の状況だった。
「さっさと逃げていればよかったんだ。これは俺の責任じゃない。俺は手を出さん。お前らで勝手にやれ。戦わなければ死ぬだけだ。但し、戦うとなるとその人は死ぬな」
ジェイドへの怒りがまた再燃しそうになった。
最高戦力であるクレアがロベルトさんの回復に努めていることを馬鹿にした言葉にユラユラと憎しみまで湧き上がる。
ただ、事実でもあった。
まほろばを相手にするならクレアは攻撃に回すべきだ。が、そうなるとロベルトさんを治癒する術がない。
ここにきてサリーが単独で回復魔法を行使しないということは恐らく彼女一人ではロベルトさんを治癒できないということだろう。
自分たちが助かるためにはクレアに出てもらうのが得策。が、それはロベルトさんを見捨てることになる。
それを分かったうえでこいつは『自分は戦わない』と宣言したのだ。
業腹ものだ。
ここまで同年代に怒りを抱いたのは初めてだった。
本当に一発ぶん殴りたい。
しかし、今はこいつの相手をしている場合じゃない。
どちらにせよ、この状況を突破しなければ。
現状、動けるのは俺だけ。
やるしかない。
ここから逃げる。
そしてロベルトさんも救う。
それにはクレアを動かせないのは絶対条件。
まぁ、そもそもクレアを進んで戦いに参加してもらうという選択肢など俺にはない。
と、するなら俺の正体がジェイドに露見することは致し方ないな。
出陣するなら俺だ。
いくか……
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