第21話 悪魔は時に気まぐれ


「ほらよ、コイツに着替えな。ご主人サマ」



 牢を出てすぐに更衣室らしき部屋へと押し込まれたジゼは、騎士団の団服をサリから投げ渡された。


 服装を変えることで団員に紛れて移動しやすくしようというのだろう。ジゼは指示通りに服を着替え、カラスを模した仮面で顔を隠して、牢から持ってきた魔水鏡ホロウメロウをしっかりと定位置に装着した。


 あらかた準備が終わった頃、待ちくたびれたとばかりに嘆息したサリと目が合う。



「準備出来たぁ? おせーよ、さっさと行こーぜ、あるじ。人魚は第六倉庫だぞ」


「……なあ、お前、何でいきなり俺に協力してくれる気になったんだよ」



 疑問に思っていたことを投げかければ、「だからァ、利害が一致しただけだって」とサリは肩をすくめた。



「あんた、あの貴族に人魚を奪われたくないんだろ? 俺もあの野郎にゃ腹立ってんだよ。うちの姫さん傷付けやがったからな」


「姫さんって……あの女か?」



 ジゼの問いかけに、サリは「そうそう」と素直に答える。



「俺とエマさんは同郷でさ。あの人が騎士に志願したのと同じ年に、俺もノリで志願したんだけど」


「ノリって……」


「ノリはノリだ、国守ることなんざ興味ないし。でも、エマを守るためなら自分の命も惜しくないと思った。ぶっちゃけ俺には正義とか秩序とかどうでもいいけど、あの人がそれを守るなら、俺も従って守る〜ってわけ」



 平然と言い放ち、サリは「あんたにゃ分かんねーかな? 中身はジジイだもんな」と余計な一言を付け加える。ジゼはムッと口元をへの字に曲げた。



「だ、誰がジジイだ! 年取るスピードが遅いだけで、まだ俺は十代だぞ! ……多分」


「あーハイハイ、そう怒んなよ爺さま」


「てんめぇぇ……!」


「まあ、それはそれとして、あんたの現在地はココね。古い地図で申し訳ねーけど」



 はぐらかしながら地図を広げたサリは、図面の左端付近をトントンと指さす。ジゼは眉をひそめ、「ここは……」と小さく呟いた。



「エスメラルダ湖の跡地だ。今は干上がって水なんざ一滴もないが、大昔はデカい湖だったんだってさ。知ってる?」


「……ああ。俺が子どもの頃、人魚を探そうとした湖だ」



 ──そして、トーガと出会った場所でもある。


 その言葉は飲み込み、ジゼは視線を落とした。

 どうやら、ここは王都ではなく大陸の東部。元々ジゼとウェインが暮らしていた場所のすぐ近くだ。枯れた湖の跡地には、騎士団の駐屯地として兵舎バラックが建てられたらしい。


 妙な巡り合わせもあるもんだなと嘆息しつつ、ジゼは「もういい、この周辺のことはよく知ってる」と地図から目を逸らして歩き始めた。



「それより、これからどうするんだ? 本当にエメリナを取り戻せるんだろうな? そもそもお前を信用して良いのか? 衛兵に見つからず外に出るための算段は?」


「あーあー、せっかちなジジイはこれだからヤダね。そう焦りなさんな、信用ねえなァ」



 矢継ぎ早に問うジゼをあしらったサリは、追加のビスケットを口に運びながら粗雑に何かを投げ渡した。ジゼはそれを受け取り、首をかしげる。



「これは……?」


「転移石の欠片だってさ。あんたがトレイシー邸で砕いた石の残りカス」


「はあ!? 転移石!? このクズ石が!?」



 ジゼの知る転移石とは大きく異なる風貌に少なからず驚愕するが、確かにその石からは微力な魔力を感じる。「あんたの犯行後に貴族様がコレクションとして押収したらしくてな、別の衛兵に見せびらかしてるのが見えたから隙見てくすねておいた」とサリは悪びれなく続けた。


 ジゼはことさら頭を抱えつつ、騎士団という肩書きがありながら大胆な行動を取る彼の未来を憂う。



「お前、生き急ぎ過ぎだろ……貴族から物盗むなんて大罪だぞ。ただの石ころひとつでも、バレたら首が飛ぶ」


「魔力のない俺らにとっちゃただの石ころひとつでも、あんたにゃ価値のあるもんなんだろ? それ使ってここから逃げれんだからさ。俺に感謝しろよ」



 肩をすくめて笑うサリ。ジゼは口籠もりつつ、「いや、逃げられるっつっても……」と視線を泳がせた。



「これ、一度砕いてるせいでかなり質が落ちてんだよ……。このサイズと状態じゃ、今いる兵舎の外にギリギリ飛べるかどうかだ。ほとんど使い物にならない」


「あん? 外に出れんならそれでいいだろぉ? 文句言うなら返してくれます?」


「う……いや、まあ……一応、もらっておくけど……」



 サリからの圧に臆しつつ、ジゼは大人しく転移石の欠片をポケットへしまう。


 ややあって、二人は地下へ続く階段に差し掛かった。見張りらしき衛兵にいぶかしげな視線を向けられてひやりとするジゼだったが、サリは「どーもー、お疲れ〜」などと軽い調子で手を振りながら堂々とその場を突破する。仮面で顔を隠しているため、ジゼの正体にも気づかれる気配はなかった。


 緊張感で胃が痛むジゼだが、サリに迷いや焦りはない。牢の見張りはすでに彼が気絶させてしまっているのだから、サリが脱獄に加担したという事実が露呈するのも時間の問題だろうに。



「……今更だけど、お前、あんなに派手に暴れて大丈夫だったのか? ただでさえ首が飛びそうなんだし、もう少し慎重に動いた方が……」


「だいじょーぶだいじょーぶ、全部あんたに責任押し付けりゃいいだけなんだから」


「──は!?」


「最初に言ったろォ? 罪が増えても・・・・・・いいなら、俺の条件飲めって」



 にんまり、サリの口元が悪魔さながらの笑みを描く。ジゼは彼の思惑を察し、ひくりと頬を引きつらせた。


『──出獄後、あんたが俺の指示にぜーんぶ従ってくれて、尚且つ消えない罪がひとつ増えても良いってんなら──』


 確かに、そんなことを言われた気がする。



「どーせ、この時代の人間は魔法のことなんざ何も知らねえんだ。俺が暴れたのはあんたに魔法で操られたからだ〜って嘘八百並べたところで誰も疑わない。極論、あんたの魔法のせいにしちまえば何でもやりたい放題ってわけ」


「お、お前……!」


「お安いもんだろぉ? 下手すれば国ひとつ動かせるほどの価値を秘めた人魚姫を、罪ひとつ被ってくれるだけであんたにこっそり譲ってやるって言ってんだからさァ。好条件極まりないね」



 横着にのたまい、サリは〝第六倉庫〟の扉を蹴り開ける。ジゼはハッと顔を上げ、倉庫の奥に設置された巨大な水槽へ視線を移した。


 たちまち視界に飛び込んだのは、傷付いた囚われの人魚。ジゼは声を張り上げる。



「──エメリナ!!」



 床を蹴り、ジゼは水槽の隅でうずくまっている人魚の元へと駆け出した。その声に反応した彼女はすかさず顔を上げたが、迫ってくる得体の知れないマスク姿の男を視界に捉えると狼狽えながら縮こまる。


 その時ようやくジゼは自分が扮装していたことを思い出し、慌てて仮面を脱ぎ捨てた。



「ち、違う、俺だ! 怯えなくて良い!」


「……!」



 素顔を晒した瞬間、ジゼ、とエメリナの口が確かに動く。彼女は泣き出しそうな表情で泳ぎだし、分厚いガラスの壁に手をついた。ジゼも透明なガラス越しに己の手を重ね、安堵した表情で頬を緩める。



「よかった、無事だったんだな。怪我はないか? 酷いことされなかったか?」


「……」


「ああ、俺の怪我は別に大したことない。どうせすぐ治る。伊達だてに四百年も生きてない」


「……」


「おい、泣くなよ。ちゃんと迎えにきたから」



 狭い水槽の中にいる人魚。声も涙も泡になるばかりで、それらは水面に浮かぶと儚く消えていく。


 けれど、ジゼにはエメリナの伝えたい言葉がわかった。

 次に求められているであろう言葉も。



「……俺と一緒に行こう、エメリナ」



 魔水鏡ホロウメロウを取り出し、見慣れた鏡面を彼女に向ける。


 ──とうの昔に絶滅したと言われる、人魚の生き残り。名はエメリナ。


 初めて二人が出会った日、自身が告げた言葉を思い出しながら、ジゼは優しく目尻を緩めた。



「あの日からお前は、俺の〝商品〟だろ?」



 慈しむような笑みを浮かべた瞬間、鏡は煌めき、エメリナの姿が映り込む。まばゆい光が放たれた直後、泣き出しそうな顔で笑う人魚は、ようやく彼の鏡の中に戻ってきた。


 浮かんで消える泡沫の中。弾けるあぶくのひとつひとつに、鏡面を隔てて見つめ合う二人の姿が映っている。


 散り際を見失った枯葉と、傷のついた宝石。

 決して美しくはない二人。


 直接触れ合うことができない代わりに鏡を強く抱きしめながら、「お帰り」と呟くジゼを見つめて──サリは、ぽつりと呟いた。



「……あーあ。まるでおとぎ話のワンシーンだな」



 どうせ悲恋の物語なのに。


 そう続けかけた言葉を何となく飲み込み、サリはガシガシと後頭部を掻く。



「くだらね……」



 辟易したようにこぼしたサリは二人に近付き、「はいはい、よかったなご主人。姫と再会できて」と粗雑に言葉を投げかけた。

 しかし彼が脱獄に手を貸してくれた一連の事情を知らないエメリナは、サリを見るなりたちまち青ざめ、バシャアッ! と大きな水飛沫をたてて鏡の奥に隠れてしまう。


 ぽた、ぽた。派手に水をかぶったサリの髪からは、大粒の水滴がしたたり落ちた。



「……随分と嫌われたもんだね、俺も」


「お、おいエメリナ! 大丈夫だって、こいつは──」


「いーんだよ。あんだけ痛めつけたんだ、警戒しない方がどうかしてる」



 濡れた髪を掻き上げながら告げるサリ。「人魚を奪還したんなら、さっさと行きな。じきに衛兵があんたらを追ってくるぞ」と踵を返した。


 ジゼが言葉を詰まらせる中、サリは続ける。



「だりーけど、逃げ切るまでの時間稼ぎはしてやる。派手に暴れりゃ、人魚が盗まれたってのがあのボンクラ貴族様にも伝わって夜の営みどころじゃなくなるしなァ」


「派手に暴れるって……お前、大丈夫なのか? そんなことしたら、立場的に危ないんじゃねえのかよ」


「るっせーな、他人の心配する前に自分が逃げ切ること優先しろよ。俺の罪被るのあんただぞ? 次会う時は容赦なくその首貰うんでよろしく」


「うっ……。お前、ほんと良い性格してるよな……」



 ハア、と溜め息を吐き出し、ジゼは胸ポケットに忍ばせていた転移石の欠片を取り出した。手のひらにわずかな魔力を込めて転移の準備をしながら、彼は「なあ」と最後に呼びかける。



「ありがとな、俺をここまで連れてきてくれて。お前がいて助かった」


「……おー」


「死ぬなよ、サリ。まだ若いんだから」



 それだけを伝え、ジゼは転移石の欠片を地面に叩き付けた。

 ぱきん。割れた破片は魔法の光を淡く散らし、彼と鏡を包み込む。やがてその光は強く閃き、二人をどこか別の場所へと運んでしまった。


 訪れる静寂。雪のように舞う魔法の光。

 残されたサリは肩を竦める。



「ったく、年寄りくせー台詞だけ置いていきやがって。やっぱあいつ、中身ジジイだな」



 皮肉めいた嘲笑を漏らしたと同時に、倉庫内には慌ただしい足音が響いた。直後、衛兵が続々と駆け込んでくる。



「あっ……! さ、サリ様! 大変です、牢の見張りが襲撃され、捕らえていた男が逃げ出しました!」



 青ざめた顔で報告する先頭の男。どうやら気絶させて放置してきた見張りが見つかったようだった。

 サリは気だるげに首を鳴らし、「ああ、知ってる知ってる」と淡白に応える。



「ご、ご存知でしたか! やはりあの男は人魚を盗みにここへ!? くそっ……今すぐ追いかけましょう! おそらく魔法の力で脱獄を──」



 ここまでは、概ね当初の計画通り。

 あとはジゼの名を使い、自分の罪を着せて隠蔽する手筈だ。


 が──悪魔とは、時に気まぐれなのである。



「いや、違うね」


「……え?」


「俺が逃がした」



 ──ドゴッ!


 衛兵の言葉を遮った刹那、サリは取り繕う様子など一切なく真実を吐露して腰元の剣を振り抜いた。

 剣の柄でこめかみを殴打された兵は白目を剥き、その場に倒れる。想定していなかった事態に他の衛兵たちも反応が遅れたのか、神速で振りかざされたサリの攻撃を防ぐことは出来なかった。


 バキッ、ドゴッ、ドスッ!


 鈍い音が数回響き、急所を殴打された周囲の人間はものの数秒で意識を刈り取られる。次々と倒れて積み上がった兵の背を足蹴にしつつ、サリは口角を上げ、くるりと器用に剣を回した。


 じりり、瞳の奥に焦げ付く狂気。たじろぐ一同に彼は嗤う。



「俺ってさぁ、正義がどうとか秩序がどうとか、マジでど〜〜でもいいわけ。でも、健気に生きてる爺さんに罪着せて自分だけ助かろうとするほど、地に落ちた悪人にでもねーのよ」


「さ、サリ様……! いったい何を……!」


「あいつにゃ、今からとびっきりデカい罪を背負ってもらわねーと困るんでねえ。あんな軽い罪だけ飲み込ませんのは、条件にくを提供した側としては申し訳ない」



 困惑する兵の問いにも応えず、サリは楽しげに笑って剣を構える。衛兵たちは息をのみ、ついに彼を敵だと判断したのか、各々が険しい目付きで武器を取った。


 盛り上がってきたじゃん──サリは人知れず舌なめずりをする。



「くくっ……悪いな、お前ら。俺は俺のやり方で俺の守りたいもんを守ってるだけだ。正義の顔も悪の顔も持ってない。けど、正義の顔も、悪の顔も持ってる」


「総員、かかれ! 奴は謀反人だ!!」


「──まあ、しゃあねーよな。正義にも悪にも片脚突っ込んでんだから、どっちも背負って楽しむっきゃねえんだわ」



 トンッ。


 いびつに口角を吊り上げて、サリは軽やかに床を蹴る。

 ジゼの罪ごと豪快にその喉で嚥下した彼は、襲い来る衛兵たちに剣を向け、正義と悪の両方を背負う刃を振り下ろした。




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