case.1-9 殺意に代わるもの


 呼吸をするのを忘れていた。

 表向きには、僕は少年と抱き合っているだけだ。

「あぁ、もちろん、動いてもいいよ。別に、殺しはしないから」


 嘘つけ。凍るほどの高濃度の殺意から逃れるため、距離をとる。

 少年は、先ほどと変わらないように笑う。人差し指を口元に、静かに、と伝える。


 静かに、も何も。

 僕がいくら騒いだところで、僕はこの少年に何もすることができない。

 事件の重要参考人であり、目撃者であり、被害者でもあるこの子に。

 僕の全権限を行使しても、逮捕なんてできるはずもない。


 彼から溢れ出る、このとめどない殺意を、第三者にどう説明すればいいのだろう。


「『優しい悪魔』事件を解決した捜査員を一度見てみたくてね。殺意の流れをちょっとだけ、操作させてもらった。ようやく会えた。待ち遠しかったよ」


 少年を観察する。

 どこからどう見ても先日震えていたあの少年だ。


 あの少年が、黒幕?


「今の時代、調べようと思えば、なんだって調べられるよね。あなたの名前も、あなたの大切な人の名前も。あなたが何を考えて、生きているのかも」


「君は、この事件を、どこから操っていたんだ?」


「どこからって、だよ。葉久保公園に残した、『次はオマエだ』のメッセージは、僕の部下が誰かの頭を操って、自分の意思で書くように仕向けた。まぁ、部下の能力だと、操った後その誰かさんは死んでしまうから、使いどころが難しい能力だけどね」


 ……何を言っているんだ? 能力? 操った?

 それは、本当に、超能力でも使って操ったとでも言うのか。

 馬鹿馬鹿しい。


鹿鹿と思うよね。何も知らない人間から見れば、この世界は実に平和だ」


「………………」


 心を読んでいるかのように、思考を先取りして話を続ける。

 しかし、その程度のことは、僕にもできる。


 僕は無視して、聞きたいことを聞くことにした。


「どうして『次はオマエだ』、このメッセージを残した? 人々を恐怖させるためか?」


「全然違うよ。僕はみんなを助けるために、このメッセージを残したんだ」


 少年は、道路に小石で白く傷をつけた。

『次はオマエだ』


「このメッセージを殺人現場に残したら、みんなはどう思うかな」


「次は自分が殺されるかもしれないと、恐怖するだろう」


 少年は「はぁ~」と深いため息をつく。

「『シンカイ』なんだから、もう少し想像力を働かせなよ。その次さ。から、でしょ? 究極のところ、殺意ってのは、優しくされないことで起こるんだから。葉久保公園の事件もそう、渋谷醍醐交差点の事件もそう、大河小路のマンションの件もそう、みんな人間関係の悩みから殺意が生まれている。すると、みんながみんな、誰かに殺されるかもしれないから、ようになる。そうなれば、誰も殺されない、優しい世界になるって思わない?」


 殺意を振りまくことによって、新たな殺意を抑制しようとしていた?


「こういう事件が続いて、警察が犯人たちを逮捕して、犯行動機を明かせば、世間は思い当たるよ。”あぁ、いつ誰かに殺されるかわからないから、誰かに辛く当たるのやめよう”、”今のうち謝っておこう”、”水に流そう”、”忘れよう”って。誰だって、人を殺したいって思わないよ。そんな面倒なこと。そういう未来がいつか来るよ」


 偽善だ。欺瞞だ。屁理屈だ。

 言葉にしてしまえばたやすく論破できる。

 しかし、そんな未来が生まれる可能性も存在するかもしれない。

 殺意のない、そんな世界が。


「逃越君、君の能力が必要なくなる、そんな世界になったかもしれない」


 僕の能力。

 大事な人を失って、得た不思議な能力チカラ

 それも、知っているのなら、隠す必要もないだろう。


「たしかに僕は殺意を感じ取ることができる。殺意がなくなり、恐怖に満ちた世界。それを平和と呼んでしまえば、それまでだ」


 殺意を察知する能力『追殺気ラストノート』。

 僕が望むのは、そんな能力の必要がない、世界――――。



「でも、違うよね」

 少年は否定した。いや、これは肯定か。

 僕の頭の中に浮かぶ一つの答えを。


「君が望むものは平和な世界じゃない。それだけじゃあ、全然足りないよね」


 少年は笑う。

 思考の先取り。

 僕の能力を持ってして、なお、足りないこと。

 僕が本当に望んでいること。

 それは……。


「お前は……、何を知っている……?」

「もちろん、君のお姉さんのことだよ。逃越 緋色さん?」


 途端、殺意がうごめく。

 僕の中に眠っていた殺意が。

 どす黒い感情が。

 溢れる憎しみが。

 紛れもない悲しみが。

 押し寄せる寂しさが。

 鋭利な刃となって、神経を尖らせる。

 視界を曇らせる。


 僕を、動かす。


「お前が、姉さんを!!!」

 少年の首に手をかける。

 力を、込める。


「僕じゃ、ないよ。僕はラスボスであっても、真犯人じゃない」


 先ほどとは反対に、僕が少年の首元に殺意を纏わせた。

「でも、本当に知らないんだね。君の大事なお姉さんを殺した犯人を」


 殺意に首をかけられているのに、少年はにこやかに続ける。

「僕が、力を貸してあげようか。僕は君を助けてあげられるよ?」


 僕は、少年の首から、手を離した。


 白状しよう。

 僕は、真相が知りたい。


「犯人は逮捕され、その後自殺した。動機はわからないままだ。真相は闇の中……」


「うん。君は知りたいはずだ。君の姉が殺された、その殺人事件の動機を、どうしてもね」


 逃越 緋色ひいろ

 僕の三つ年上の姉。

 七年前、殺された。

 犯人とされたのは、どこの誰かもわからない、浮浪者だった。

 殺した動機も証言しないまま、留置所で自殺。


 その時高校生だった僕は。

 何も、できなかった。


「もう一度言おうか。君が望むその答えの糸口を掴みたいなら、僕が力を貸してあげるよ。僕ならどんなことも叶えてあげられる。強い望みほど、強い力が得られる」


「断る」


「え?」


 驚くほど素直に僕は否定の言葉を口にしていた。

 喉から手が出るほど欲しいその誘いを僕は蹴った。蹴っ飛ばした。


「どうして?」


「心を読めるんだろ。読んでみればいい」

 思考を先取りしてみろ。僕だってわからないこの感情を。

 得体のしれない何かに手を染めるくらいなら、今の僕の力で真相にたどり着いてやる。

 今の僕は、何もできない、あの頃の僕とは違う。





 僕は『シンカイ』の、逃越 隘路だ。







「……うんうん。そうだね。それがいい。そういうのもアリだよね」


 少年は何かを読み取ったのか、何度もうなずいた。


「あ、僕の身辺を探っても、この少年の情報しか出ないよ。僕はこの少年をほら、こんな風に操っているだけだからね。名前は確か、何時島いつしま いつくくんって言ったかな。変な名前だよね。君と同じくらい」


「操った人はその後死ぬとか言っていたな。彼も死んでしまうとしたら、君は殺人犯になるよ」


「超能力で人を殺して殺人犯になるなら、証明して見せてほしいな。……なーんて、冗談だよ。僕の能力は操っても死なない。その分、いろいろと制限はあるんだけどね。操っている間、この子の記憶はない。『次はオマエだ』のメッセージを残させたみたいに、自分の意思で行なったようにふるまうことはできないんだ」


 能力には制約がつきものなんだ。これは、後々のヒントだよ? と少年は笑う。

「でも、こうして直接君と話すことができた。楽しかったよ。君ほどの強い欲望を持っていて、なおかつ僕の誘いを断る人なんて、そうは居ない。だから、楽しみにしておくよ」


「平和な世界を、か?」


「いいや。このくそすばらしき世界を。君はどう塗り替えるのか、をさ」


 パチン。

 ドサッ。


 少年が指を鳴らすと、同時に少年が地面に倒れた。

 近寄って息を確かめる。すうすうと寝息が聞こえた。

 死んではいないようだ。



 寝たふりをしている?

 一応、署に帰ったら、『イツシマ イツク』と言う名の少年のことを調べておこう。

 この少年との会話、邂逅こそが、姉さんの事件解決への糸口だ。


 寝ている少年を再びパトカーに連れていき、後のことは任せて、僕はこれからのことを考えた。


 道路に残る白いか細い文字を見やる。

『次はオマエだ』。


 殺意による監視社会。

 殺人事件は減るだろうか。世界は平和になるだろうか。


「いや、どうしたって、僕ら警察が犯人を捕まえるのは変わらないな」


 犯人を捕まえないことには、始まらない。

 殺意は誰の中にもある。もちろん、この僕自身の中にも。

 しかし、その殺意に身をゆだねてはいけない。


 殺意は原動力であり、起爆剤……、か。


 心の中に眠る殺意に代わる何かで、現状を打破していくしかない。


 このくそすばらしき、僕の世界を、殺意以外の何かで塗り替えるんだ。







【case.1 次はオマエだ】      完


【Next case......?】





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