case.1-8 殺意の奔流にのまれ

 「秘藤ひとう 匡故くにゆえさん、ですね」


 公園で弁当を食べていると、突然名指しで話しかけられて、思わず声のした方を見た。

 線の細い男だ。黒いパーカーを着て、細いジーンズをはいている。大学生か? 男にしては髪が長い。髪で耳が隠れている。


「先週まではいつも駅前のバーガーショップで昼食を食べていましたよね。確か……、墓釘ぼくぎ 震矢ふるやさんと一緒に。楽しそうに、楽しそうに話をしていましたよね。でも、どうしたんですか? ある時を最後に、あなたはまた一人でここで昼食をとることになりました」


 味がしない。

 こいつの話を聞きながら弁当を食べても、砂を噛んでいるようだ。俺は弁当を置いた。


「あの後、墓釘さんは、元気ですか?」


「オマエは、誰だ?」


 もしかして、こいつが?


 こいつが俺がいない間に、車にメッセージを書いた犯人か?

 しまった。今はバットを持っていない。殺す道具を持っていない。


「興信所で名前と住所は調べました。今の時代、調べようと思えば、なんだって調べられます。あなたの名前も、あなたの友達の名前も。あなたが何を考えて、生きているのかも」


「何が言いたい?」


 こいつは。

 こいつは。


「あなたが、探している人を教えてあげようと思って。まだ、わかりませんか?」



 こいつが、あいつか。



「いや、そういうことか。ありがとう。たしかに、探していたんだ」


 俺は立ち上がる。周囲には人がいない。今日の公園はいつもより静かだった。

 それはとても好都合だ。


 俺はビニール袋を持って男に向かって駆けだした。


「……見境ないな。はい、確保!!」




    ◆


 逃越の合図で、周囲に潜んでいた捜査官が秘藤に突撃をする。

 屈強な捜査官が三人ほどたたみかけ、容疑者は戦意を喪失する。


 そんな程度で喪失するんなら、そもそも殺意なんて持つなよな。


 逃越は『シンカイ』の捜査権発動で、直接逮捕前の容疑者に立ち合いを許可されている。立ち合いを許可されているだけで、逮捕権や、捜査指揮などの権利はない。


 逮捕前後で被疑者の証言は変わるし、感情の機微を直接観察しておいた方がいい。取調室の中では通常の言動はできない。緊張や捜査員の圧迫などで、本心は大体の場合隠れる。ガラス越しに目を合わせても、それは別人の被疑者だから。


 こうして目と目を、顔と顔を合わせて話すと、殺意がむき出しになった本性があらわになる。


「秘藤、あなたが墓釘を殺しましたね」


「違う! 俺じゃない!!」

 秘藤は捜査員に押さえつけられて、肺が潰され、せき込みながら反論する。


 逃越は秘藤のパーソナルスペースに侵入し、なるべく近くでそれを伝える。

「監視カメラに写っていたんですよ」


「違う! 監視カメラなんて、あそこには無かった!!」


「そう、何者かによって壊されていました。壊す直前も顔を隠していたから、今となっては犯人は分かりません。しかし、もう一つ、あそこには監視の目があったんですよ」


 ”墓釘のスポーツカーに設置されていた、ですよ。”


 秘藤の体から力が抜けた。

「ドライブ、レコーダー?」


「最近は新車に設置する人も多いですよ。被害者があの駐車場に乗り付けてきたときに、先に駐車場で待ち構えていたあなたの姿がはっきり映っています。車をぼこぼこにするのなら、この機械もきちんと、壊しておくべきでしたね。まぁ、車を持っていなければ、知らなくても無理はありませんが」


 秘藤は被害者の墓釘に金をせびられていた。自家用車など買えなくても無理はないか。

 墓釘はスポーツカーのあれこれについて周囲に自慢していたらしい。ドライブレコーダーのことも自慢していたと、友人からの証言で得ていたが、殺意に染まっていた秘藤はその話を話半分にしか聞いてなかったということだろう。


「秘藤、『次はオマエだ』というメッセージは、あなたを守る魔法の言葉なんかじゃあ、ありません。あなたが悪いことをすれば必ず、僕や、僕の仲間が必ずあなたを捕まえます。特に、あなたのように、『自分の為に人を殺す』人間は、簡単に捕まえられます。メッセージがあろうとなかろうと、関係なくね」


『次はオマエだ』事件の犯人は皆、己の障害を壊すために人を殺した。動機が単純で、容疑者の特定が容易で、証拠固めが簡単で、多くが一週間以内に逮捕される。

『シンカイ』の面々の能力を使うまでもない。


 秘藤が墓釘を殺したいと思った動機は、調べれば自ずと分かるはずだ。

 だが、秘藤が今この僕を殺したいと思った強い衝動、根源たる動機はどうやら、あの子の証言を聞かなければ、きっとわからなかっただろう。


 秘藤は、無理やり立たせられ手錠を掛けられた。捜査員たちに連れられ、連行される。

その目には生気が宿っていない。


「オマエは、誰だ?」


問われたなら、応えるまでだ。

「僕の名前は逃越 隘路。僕が君たち犯罪者の袋小路だ」


 僕は基本一人で行動しているが、捜査はチームで行う。

 君を逮捕するのは僕じゃない。警始庁捜査一課だ。


 僕に恐怖していろ。必ず君の犯行は、動機は白日の元に晒される。

 なぜだと思う?

 それは、警始庁捜査一課がいるからじゃない。この僕がいるからさ。


 秘藤は苦虫を嚙み潰したような顔をして、パトカーに乗り込んでいった。

 パトカーは七支署に向けて走り出した。




 残った方のパトカーから、少年が駆け下りてくる。

 一応、容疑者の面通しをさせるために連れてきてもらったのだが、顔は見ていないとのことだった。

 しかし、容疑者を逮捕したところを実際に見せたことで、彼の恐怖をぬぐうことができたのではないかと思う。


 怖かっただろう。でも、もう大丈夫。少年は、僕に駆け寄る。

 僕はしゃがんで少年を胸に抱き、安心させようと背中を撫でた。






「君は、幼い少年になら、こうして無防備に首を晒すの? 逃越 隘路くん」


「え?」



 首元からひやりと、

 耳元からぞくりと、


 殺意がなだれ込んでくるのを感じた。


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