case.1-5 胎動する殺意

 殺意を自覚したのはいつだっただろうか。

 学生時代は、毎日考えていただろうか。


 それとも、10年ぶりに再会したあの瞬間だろうか。

 あの威圧的な眼光、上から目線の物言い。人を人として見ていない所作。一つ一つが吐き気がする。言語化する舌の先から腐っていくようだ。


 壊死。

 壊死だ。

 あいつのせいで俺の感情は壊死してしまった。


 一度死んだら二度と生き返りはしない。しかし、壊死は部位だ。心にとどまり続ける。何も感じない無機質な部位が、だんだん浸食していき、死に蝕まれる。


 その速度が遅いか早いか。人が死ぬまでの過程はそれだけの違いだろう。

 あいつに再会してから、俺の死への速度は早まった。

 殺意と自殺とを交互に考えては比較し、そのどちらもに心を蝕まれる。どちらが勝ったのかは言うまでもない。


 目の前でこと切れる奴の吐き気のする顔が見えないことをいいことに、再度殴りつけた。




    ◆




 人を殴る奴は人殺しよりもたちが悪い。

 人殺しでは、被害者は一度しか殺されない。

 だが、暴行は何度も、何度も傷つけられる。被害は繰り返される。


 殴る人間は、人殺しはいけないことだ、やってはいけないことだと自覚している。

 自覚しているからこそ、殺しはしない。殺さない程度に殴打で手加減しているというのだ。


 殴打だって十分悪い。

 謝れば済むと思っている。時間が解決してくれるものだと思っている。傷が治癒すれば、命があれば、許しが受け入れられれば、許されると思っている。何も無かったことにできると思い込んでいる。そこから再び友情が生まれると思っている。

 そして、むしゃくしゃしたらまた殴れば気が済むと思っている。


 そんな訳あるか。

 殴られた方は、殺されるよりも辛い苦痛に苛まれる。


 傷が癒えても恐怖は消えない。

 時間が経っても悪夢は覚めない。

 謝罪があっても口だけだ。人を殴るやつは、一度その一線を越えれば最後、殴るという行為が悪いと思えなくなる。『俺に暴行をさせるお前が悪い、俺も本当は殴りたくない。俺は被害者だ』と言う人もいるらしい。


 もう、どうしようもない連中だ。

 殴られた人の気持ちをまるで考えていない。どんなにむしゃくしゃしたとしても人を殴ってはいけない、ということは、そんなに難しいことなのだろうか。理解できない。


 その繰り返される悲劇を断つ方法は二つしかない。

 原因を殺すか、自分を殺すか。

 俺は原因を殺すことにした。


 10年ぶりに再会しても、性根は相変わらず腐りきっていた。俺をストレス解消の生きたサンドバッグとしか考えていないようだった。

 サンドバッグは壊れたら買い替えなくてはならない。生きてさえいれば、傷は治る。また殴れるようになる。好きな場所に呼ぶこともできるし、ただ砂袋を殴るより気持ちがいい。そんなような顔をする。殴る時はいつも。


 購入したばかりの高級車を自慢し、女に話すためのうんちく話の練習に付き合わされた。話の反応が芳しくなかったら、手が飛んでくる。足が飛んでくる。もうお前の話に付き合わされるのはうんざりだった。


 エンジンルームを見せてほしいというと、「ようやく良さがわかってきたか」と俺に背を向けて、ボンネットを開けた。走って来たばかりなので、ほどよく熱を帯びるエンジンに奴の額を押し付ける。後頭部を手のひらで掴み、思い切り、全体重を込めるように押し付ける。押し付けるというより、殴打する。

 呻き、皮膚の焼けた匂いがする。学生時代にタバコを押し付けられた腕の傷が熱く感じた。少し暴れたが、顔を焼き、視界の自由を奪っているのでこちらに明確な反撃はできない。素早く頭にビニール袋をかぶせて、きつく首元を締める。その後横から蹴り飛ばして転ばせた。


 視界はふさがれ、呼吸もままならないようだ。ビニール袋が口の形にくびれていた。ビニール袋を外そうとするも、きつく縛っているためほどけない。破かれないうちに手を踏みつぶした。かかとで、タバコの火をもみ消すように、執拗に捻り潰す。骨の砕ける感触がした。抵抗する意思を無くさせるために、用意しておいたバットで鼻頭を狙って数回殴る。ビニール袋の中で赤い液体がはじけた。手足が伸びきって、痙攣したのか少しの間震えていた。


 少しもスカっとしない。人を殴ったところでストレス解消にはならない。そんな奴はイカれているんだ。人を殴る奴は人殺しよりも悪い。悪人だ。


 この俺よりも、ずっと悪い。


 車上荒らしに見せかけるために、いや、、車を殴ってぼこぼこにする。はは、ざまあみろ。

 財布の中身を排水溝に捨てようかと思ったが、見つかったら怨恨だということがばれるかもしれない。遠くで処分した方がいいだろう。と、ポケットにしまった。


 さて。

 ぼこぼこになった車の側面に、あのメッセージを書こう。

 ワイドショーで見たとき、これだと思った。俺の中に眠っていた殺意がドクン、ドクンと脈打って、目を覚ましたのを感じた。

 この俺と同じように、自分を犠牲にして殺意を隠している彼らがその害悪を殺し、このメッセージを書いて名も知らぬ誰かに伝えている。「次はオマエだ」と俺の背中を押してくれている気がした。


 彼らの期待に応えなければ。

 悲願の達成を伝えなければ。






 と、その時、人の気配がした。

 人が近づく音がする。

 ここはこの時間、人が通ることはまずない、袋小路だ。この駐車場は、奴の親父が契約している駐車場で、この車専用で貸し切っていた。監視カメラはケーブルを切断して無効化している。人の目も、監視の目も付け入ることのない完璧な計画だった。


 ここで人に見られるとメッセージどころではない。大丈夫、逃げ道は確保している。カメラに映らない、表通りへのルートは確認済みだ。

 ここは一旦表通りに逃げて、再度戻ってくることにしよう。幸い、路地からは見えない位置に奴を転がしている。駐車場の前の路地を通り過ぎるだけでは死体に気づくことはないだろう。

 俺はバットを奴の車の中に残し、表通りに退避した。




 メッセージは必ず残す。大丈夫、まだ時間はある。


 俺は喉が渇いたので、コンビニにで時間を潰すことにした。幸い、奴の財布から抜いた金がそこそこある。この金も、元はと言えば俺から取った金だ。

 まったく、本当に奴は人殺しよりもたちが悪い。


 喉を潤し、コンビニのカメラに姿を映してしまったことに気づいた。

 大丈夫、血はついていないし。逆にこの映像がアリバイになったりしないかな。しないか。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る