ヒミツ・その4(終)

 某月のよく晴れた日曜日。

 市民会館の大会議室ほぼ中央。長机が一つと、パイプ椅子が二つ。そこが久米高等学校漫画研究部が主催するサークル「おぎのん」のブースだった。


「おぎのん」の目標は、刷ってきたオリジナル同人誌と画集それぞれ三十部ずつを完売すること。原作・上沼冴花、作画・田原真彦の渾身の作品と、荻野目部長のイラスト集だ。ちなみに荻野目部長はコスプレで好きなアニメキャラになりきり、客引きをおこなう。


「はいはーい! おぎのん特製のオリジナル同人、買ってってくらさーい!」


 明るく宣伝する荻野目部長の後ろでは、マスクとサングラスをかけた怪しい女がコソコソと。上沼冴花だ。

 もしかしたら学校の人間が来ているかも、と言って顔を隠しているのだった。しかし挙動不審な動きが目立ってしまい、かえって怪しいと田原は後ろをチラ見しながら思っていた。


「だ、だいじょうぶかしら? 知ってる人なんて、だれも来ないよね?」

「うん、大丈夫だと思うけど……。代わりに知らない人からものすごく注目されてるよ」

 おぎのんブースを訝しげに見やる他サークルの視線があるのは事実だった。しかし、冴花は万が一ということを考え、あくまでも自分なりに怪しくないように身を隠す。


 そんなに警戒しなくても……と田原は思っていた。しかしその思いは直後、いとも簡単に崩れさることになる。


「よぉ〜、田原く〜ん」

 びくん、と田原の身体が跳ね上がる。聞き覚えのある声。

 ゆっくりと顔を上げれば、だるんだるんのパーカーを着込んだ、金髪の男。そして後ろには、ニヤニヤしながら同じような格好の茶髪と赤髪。冴花も思わず身をすくめる。あの時、体育館裏で田原に絡んでいた不良三人組だった。


「ガッコにイベント参加告知のポスターがあってよ。来てやったぜ、ハハ」

「う……うう」

 田原は下を向いたまま、ただ唸っている。他のサークルや客たちも、さっき冴花を見ていたような目とは違い、明らかにこの場にそぐわないタイプの人間が来ていることに対する、恐怖と言ってもいい目線をおぎのんブースに送っていた。


「お? これかぁ? 田原くん特製のドージンシってのはぁ」

 金髪は置いてある同人誌の一部を拾い上げると、乱暴にページをめくりながら大げさなトーンで声を張る。

「うわあ〜、これマジかぁ。ぜんっぜん、おもろくなぁ〜い! ハハハ!」

 彼は適当にバラバラめくっただけであり、読んでいないのは確実だった。田原はただ、身を縮込ませて震えている。


 冴花はマスクの向こうで憤っていた。

 なぜ、なぜ彼らは田原をここまでしていじめるのか。

 たぶん、理由なんてないんだろう。自分たちの気がスカっとすれば、相手は誰だっていいのだ。


「あの〜……ちょっちね、販売のお邪魔になるからぁ、ご退席願いますかね?」

 荻野目部長がつとめて丁寧に、不良たちに提案する。

「はぁ? んだテメ、変な格好しやがってキメーんだよ、ブス」


 ピキ。


 何かが割れる音。

 荻野目部長が満面の笑みのまま固まっている。

 たぶん、彼女の理性を守る膜か何かが損壊しかけているのだろう。武術の心得がある、という田原の話を冴花は思い出していた。

 冴花はこのままではヤバいと思い、運営スタッフに報告しようと走り出しかけた、その時。


「つーかさぁ、田原くん。お前のマンガまじクソだから。やめちまえよ、このキモオタク」

 金髪はそう言いながら、持っていた冴花たちの同人誌を床に叩きつけ、足でグリグリと踏みにじった。さらに、ペッと唾まで吐きつけてしまう。


 ピキキ!


 また何かが割れる音。しかし、それは荻野目部長のものではなく――。


「ちょっと、あんたら」

「は?」

 次の瞬間、冴花はサングラスとマスクを投げ捨てて長机を踏み越えたかと思うと、一気に金髪の胸ぐらを掴み上げながら、鬼のような剣幕で迫っていた。

 他の不良たちはもちろん、金髪も何が起きたか分からないといった様子でポカンと口を開けている。

 理性を守る膜が損壊してしまったのは、冴花の方だった。


「田原君が一生懸命描いてくれたのに、それを一瞬で、よくもそんな行為ができるわねっ! 人の血流れてんの!? 弱い者いたぶることしかできない、この意気地なし!!」


 しん、と静まる即売会会場。

 冴花は周りの空気には全く気付いておらず、金髪を払うようにして軽く突き飛ばすと、息を目一杯吸い込み、叫んだ。


「人を笑って踏みにじる奴はぁ〜……最低、最低、最底辺よっ!!」


 刹那の静寂。金髪もいまだポカン、としている。

 そして会場にいたオタクたちは、冴花の言った「セリフ」に対して一気にボルテージを上げ、


「うおおおおおおおおおおお!」


 一気に歓声をまき散らした。不良たちはさっぱり意味の分からないテンションに困惑していたが、やがて気圧されたように走って逃げていってしまった。







 ずし……ずし……。

 地面を引っ掻くように歩く冴花の姿に、いつもの取り巻きたちも一歩ほど離れて付いていく。


「あの……上沼、さん?」

「んあぁ!?」

 寝起きかというぐらい低い声に、ひいっ、と上がる小さな悲鳴。冴花に声をかけた女の子は、さらに一歩ほど下がってしまう。


 昨日、「おぎのん」はあの一件の後、冴花の不良を追い払う活躍により大盛況を見せ、用意していた部誌はあっという間に完売。

 これだけの実績を見せれば、漫研部は存続可能だと荻野目部長は大満足だったが……。


(……どうしよう。もし、あいつらが学校に私のことをバラしていたら)


 それだけは絶対に避けたい。頭の中をそんなことで一杯にしながら、冴花は教室の扉を開ける。

 すると、中にいたオタクグループ男子の一人が冴花に近づき、少しだけ興奮気味に話しかけてきた。


「上沼さん! キミって、プリフラワーだったんだね!」

「ふ、ふえぇ!?」

 思わずのけ反ってしまった。

 それもそのはず、今しがた彼の言った、冴花が「プリフラワー」だという発言の意味を考えれば。それはつまり――。


「昨日、即売会にいたよね? 実は僕も行ってたんだよ。そんで、あの絡んでた不良たちを追い払ったよね? いやあ、あれはかっこよかったなぁ。だって上沼さん、あの『セリフ』をあそこで言っちゃうんだもん。すごく良かったよ、うん」

 クラス内がざわつき始めた。みんなプリフラワーは詳しくなくても、その男子が嬉々として口にする話題なんて、アニメくらいしかない。

 上沼さんに向かって、その、プリなんとかっていう話を振っている。ということは、つまり……と、次々に話が伝染していく。


 あの「セリフ」――冴花が不良に対して叫んだ、「人を笑って踏みにじる奴はぁ〜……最低、最低、最底辺よっ!!」という口上。

 そう、それはプリフラワーが敵に対して言い放つ、ファンにはおなじみの決めゼリフだった。無意識のうちに、大好きな言葉が口から放たれてしまっていたのだ。


 プツン、と頭の中が真っ白になる。

 終わった。何もかもが。

 必死に守って来たイメージが、脆くも崩れ去っていく音が聞こえる。友達にオタクだというレッテルを貼られてしまうことが、それでその子たちが離れていってしまうことが、怖い――。


「上沼さん……オタクだったんだ」


 ほら来た。

 くるぞ、くるぞ。

 オタクだとののしられ、かつてのようにまたイジメられる弱い自分が。


 そして、取り巻きのうちの一人が、口を開いた。

 冴花はギュッと目を閉じる。


 だが――。


「でも、勉強もできて美人で、しかもサブカルチャーにも詳しいって。ほぼ完璧ってかんじ?」

「本当よね! なんか意外な一面が見られて、ますます上沼ファンになっちゃった、的な?」


「……へ?」


 周りから飛んで来たのは意外な評価だった。

 そして瞬く間に教室中から、「上沼さん、美人でオタク! ギャップ萌え!」「いいなぁ、秀才オタ。付き合って〜」「じ、実は俺、プリフラワー観てるんだよね」などなど。いつの間にか冴花はいつも以上の取り巻きに囲まれていた。


「みんな……」

 冴花は気付いた。みんな、元々自分のことを慕っていてくれたから。だから、受け入れてくれたんだ。

 オタクだからとか、関係ない。理解してくれる仲間が、周りにはこんなにいたんだ。


「ありがとう……」

 冴花は頬を流れる涙を指で拭きながら、笑顔でそう呟いた。




  ☆  ☆  ☆




 放課後。漫研部の古い扉を開ける。


 中には自分の趣味を初めて受け入れてくれた、仲間たち。

「あ、さえっち〜。待ってたよ〜。今週のジャンポ、読む?」

「上沼さん。この前借りたラノベ、すっごく面白かったよ」

 相変わらずカオスな床を慎重に進みながら、冴花は二人に向かって微笑む。

「さ、次の即売会もがんばるわよ!」


 冴花は今日も原稿に筆を走らせる。

 漫画研究部の「正規部員」として。

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わたしのヒミツをとらないで! よこどり40マン @yokodori40man

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