ヒミツ・その3

 翌日。


「なんで私、オッケーしちゃったんだろう……」

 部室棟への近道である体育館裏を通りながら、冴花は肺の中が空っぽになりそうなくらいの大きなため息を吐いていた。

 ヨーグルトに所々グレーの絵の具を混ぜたような空が広がっている。冴花は昨日、漫研部室を辞する際に荻野目部長から「明日から創作に入るから、頼むよん」と言われており、今は重い足取りで上履きを引きずっていた。

 ぬるい風が頬を撫でる度、ついため息が口からもれる。


「しょうがない。頭を下げて断るしか……」


 何度目かのため息でそう心に決め、体育館裏の角を曲がろうとした。その時、


「おうおう、久しぶりだなぁ〜。荻野目センパイに守られてるからって、チョーシのってんじゃねーぞ? あぁ!?」

 やけにドスのきいた声が冴花の耳朶じだをうった。冴花は角を曲がりかけた足に急ブレーキをかけ、つい壁にはりついてしまった。

(な、なに? 不良!?)

 おそるおそる顔を出して状況を確認する。そこには――。


(っ!! 田原くん!?)


 金髪やら茶髪やら赤色やら、いろんな色に髪を染めた三人組の男子生徒。それらに囲まれ、壁際に追いつめられているメガネをかけた男子。

 それは紛れもない、昨日冴花を漫研に無理やり連れていった田原真彦だった。田原は「あ……うう」などと唸って下を向いてばかりいる。


「まさかおんなじ高校だったとはな。俺らあんま学校来ねえから、知らなかったわ。はは、お前、まだ描いてんの? あれ。マンガ」

「ん……う、ん」

「へぇ〜〜〜、まだ描いてるんだ。まぁ、あれだろ? 荻野目センパイにきゃんきゃん甘えながら描いてるんだろ? どうせ」


 三人組の不良っぽい男子生徒は、じりじりと田原に寄っていきながら悪態をついている。

(これは……注意すべきよね)

 正直、不良生徒三人に対して女の子一人で注意するのは、勇気がいる。しかし、目の前でクラスメイトが絡まれているのだ。助けないと。


「ちょ、ちょっと! あなたたち! 何をしているの?」


 冴花は角から顔を出して声を張り上げた。三人が一斉に彼女の方を見る。田原もびっくりしたように目を見開いていた。

「な、何だよおめえは」

「あ、こいつ見たことあんぞ。たしかアレだ。入試一位で入ってきたっていう奴」

 茶髪が冴花を指差して言う。冴花はここでひるんでは負けだと、自分に言い聞かす。

「何やら穏やかじゃない様子だけれど? 私、今からその人に用事があるから、ご退席願えるかしら」

 数秒の睨み合い。冴花はこのまま逆上されて変な事をされるんじゃないかと、肝を冷やしていた。だが、

「……ちっ、いくぞ」

 金髪が他の二人にあごで指図し、不良たちは気だるそうにこの場を去っていった。



 部室に移動した二人は、カオスな床の上に埋もれるように置かれたパイプ椅子に腰掛けて対面していた。荻野目部長はまだ来ていない。


「……彼らは僕が漫画を描いていることをネタに、いじめてきたんだ」

 田原がゆっくりと話し始めた。冴花は田原の顔をじっと見つめてそれを聞いている。

「最初は周りではやし立てられるくらいだったんだけど、いじめ方がだんだんエスカレートしていって、ついに暴力を振るわれるようになって……」

 田原の両手がぎゅっと握られ、言葉が一旦途切れる。すきま風が一瞬高く鳴った後、彼は額に脂汗を浮かべながら辛そうに続けた。


「きつかった。本当に、漫画を辞めようかと思ったくらいに。ギリギリまで追いつめられていたんだ。でも、もう後ちょっとで精神的にダメになるって時……あの人が助けてくれた」

「あの人?」

「荻野目さんだよ」


 意外な人物の名前が出て、冴花はちょっと吹きそうになった。あの……失礼だけど何も考えていそうにない、あの人が?


「荻野目さん、すごいんだよ。僕が殴られ蹴られされてる時に、たまたま通りがかって。なんでも武術の心得があるらしいんだけど、あの三人組を瞬く間に合気道みたいなので瞬殺、だからね」

 あの風体からはとても信じられない。ただのハイテンション娘ではないようだ。

「だから僕はこの学校に入って、荻野目さん一人だった漫研に入部したんだ。あの人の作った漫研で漫画を描いていくことが、僕に出来る最大の恩返しだからね」

 田原がニッと笑みを見せる。さっきまで暗く沈んでいた顔が、恩人の話をしたせいか普段のものへと戻っていた。


(田原くんも、いじめられてたんだ……)


 冴花は共感するような眼差しで田原の顔を見ていた。いじめの被害者――それは、過去の冴花自身もそうであったのだ。


 思い出すのも忌々しい、過去の記憶。

 小学生の時、アニメキャラのイラストを描いていたらキモいと言われ、突き飛ばされて腕にできた傷は今でもしっかりと残っている。

 その時からオタクである自分が嫌だった。

 でも、オタクは染み付くもの。そう簡単に離れられない。だったら何かを一生懸命がんばってみて、オタクというイレギュラーを隠したい。それで選んだのが、勉強という道だった。


 冴花はがんばった。机にかじりついて寝る間も惜しんで勉強し、いつからか人から尊敬されるくらいの成績になっていた。

 田原は荻野目部長に助けられたが、冴花は勉強に助けられた。


 形は違えど今をがんばっているのは、同じだ――。


「……田原くん!」

「うわぁ!?」

 気付けば冴花は身を乗り出し、田原の両手を力強く掴んでいた。胸が熱くなると我を忘れる性格も忘れ、掴んだ手をぶんぶんと振る。熱くなった冴花の手のひらが、田原の身体中を熱くさせる。どぎまぎする田原の気持ちを知ってか知らずか、冴花はこう誓ったのだった。


「今度の即売会……絶対に、成功させよう!」



 やがて荻野目部長も合流し、さっそくネタづくりに取りかかった原作担当の冴花と作画担当の田原。カオスな床の上に置かれた折りたたみ式テーブルを挟んで、二人が頭を捻る。

 一応、ラノベ作家も将来の視野に入れている冴花にとって、お話作りはスムーズに進んでいった……。


 と、思いきや。


「上沼さん……これ、なんかありきたりすぎて少し地味じゃないかな?」

「なんで? ヒロイン押し掛けものは、いつの時代も需要ある立派なコンテンツなのよ」

「でも、ただ王道をなぞっただけのようなストーリーに見えて、なんか気になるんだよね」


 田原は普段おとなしいように見えるが、どうやら創作に関してはちょっとこだわりがあるようだ。しかし、冴花も引いてばかりはいられない。


「王道は一番好かれやすい要素なの。これだけは外せないわ」

「でも飽きられやすいモノでもあるよね?」

「そうかしら。続編ものならともかく、今回は一発勝負でしょ? 勝てる戦いをしないと」

「他のサークルと差別化は?」

「ライバルなんて関係ない」

「周りが見えてないと――」

「地盤を固めることが――」


 やいのやいの、二人の激論は次第にヒートアップしていく。

 唾を飛ばし合い、身を乗り出して持論を展開する両者。漫研存続に賭ける思いは二人とも同じだった。そして、それは漫研を率いるこの人にとっても――。


「はいはいはい、すとーっぷ!」


 大きく手を叩きながら、荻野目部長が二人の間に割って入った。冴花と田原は一瞬固まった後、同時に部長のほうを見やる。

「ケンカしたら、ダメダメ。仲良くやりましょー」

 猫っ毛をふわふわさせながら、荻野目部長がニコニコ顔で注意する。しかし、

「で、でも、荻野目先輩。ピンチに陥っているこの状況だったら、王道で無難に行くのがいいですよねっ?」

「荻野目さん、部の存続のためにはやっぱり奇抜なアイデアが必要だと思いませんかっ!」

 二人の興奮は収まらない。あーだこーだと、また言い争いが始まってしまった。

「でもさぁ」と部長が言葉を継ぐ。

「王道だろうが邪道だろうが……二人はコンビなんだから、行き違っていたらいいものはいつまで経っても創り出せないよ。ほら、漫研を潰したくないんでしょ?」

 部長の言葉に、二人は何かに気付いたようにお互いを見つめる。

「ね? そうでしょ! ほら、仲良くするする〜」

 頭の猫っ毛同様、柔らかい笑みを二人に向ける。冴花と田原はそのままお互いを見やった後、どちらからでもなくクスクスと笑い出した。

「なんか……荻野目さんの調子だと、どんなことも平和に解決しちゃうね。ごめん、上沼さん」

「ううん、こっちこそ。無駄に意固地になってたわ。田原君って、創作に対する情熱がすごいのね。尊敬しちゃうわ」

 冴花にそんなことを言われた田原は、頬を朱色に染めながら女々しくもモジモジしだす。さらに荻野目部長が「あ、この子ホレたよ! ホレ屋さんめっ☆」などと囃すので、いよいよ顔中が火事になったようだった。


 結局、もともと助っ人だった冴花の意見を尊重し、王道なヒロイン押し掛けモノで勝負することになった次期の即売会。

 荻野目部長のために漫研を潰すわけにはいかない田原の想いと、それに共感して手を貸した冴花。

 二人の努力が身を結ぶか泡となるかの決戦の日は――あっという間にやって来た。

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