ヒミツ・その2

 連れてこられたのは本校舎の隣にある部室棟。


「ここが漫研の部室だよ。荻野目おぎのめさーん、荻野目部長ー、いますー?」

 田原は、部長の名を呼びながら「漫画研究部」と張り紙がされた扉を開ける。ところどころ赤茶けてメッキが剥げているドアは、蝶つがいからキィーっという苦しそうな音を出しながらゆっくりと開かれていく。


「んー? 真彦くん、帰ったのー?」

 蝶つがいの音に混じって、中から間延びした女の子の声が聞こえてきた。冴花は田原の身体越しに、そーっと室内の様子を見やる。

「うわっ、カオス……」

 思わずそう漏らすしかなかったのは、部屋の中の惨状を目の当たりにしてしまったからだ。


 まず、床が見えなかった。本来なら茶色のフローリングが見えなければならないのに、代わりに漫画とラノベと有名なクリエーターの画集とケント紙とゴミと、その他もろもろが散乱し、まさに足の踏み場もないという状況だった。それらが収まるべき本棚を見れば、無理やり押し込まれた感じの漫画がぐにゃりと曲がっていたりして、床と同じカオスな世界が広がっていた。


「およ? そちらの御仁はお客さんかな」

「はい。ウチのクラスの上沼冴花さんです」

 田原は起用に床の落下物を避けながら、荻野目が座っている机の前まで進む。荻野目と呼ばれた女子は、セミロングの猫っ毛を茶色に染め上げており、くりっとした大きな目にちょこんと乗ったような小さな鼻と桜色の唇が目を引く、朗らかそうな人だった。タイの色が青なので、二年生だと分かる。


「あ……初めまして。上沼、です」

 ぺこりと頭を下げて挨拶する。冴花も足の置き場を慎重に選んで、何度かつまずきながらもやっとのことで田原の横に並んだ。

 何気なく見やった机の上には、画用紙にアニメキャラのイラストがカラーペンで描かれており、端の方に「おぎのめ」という字が崩されてサイン風に踊っていた。


(というか私、こんなとこまでついてきちゃってなにしてんのよ。早く適当に話を終えてショップに行かなきゃ! タペストリーのお姿を目に焼き付けてからねっ)

「……上沼さん」

「はい? なに、田原くん? タペストリー? うん、見せて? なるべく早く」

「ごめん! それ、嘘!」


 言うなり田原は頭を直角に下げて、そのまま固まる。

 はぃ? という冴花の気の抜けた返事を残し、部室内は静寂に包まれる。壁のどこかから吹いてくるすきま風の音だけが、空間を支配する。

 沈黙を破ったのは荻野目部長だった。

「なんだかよく分かんないけど、どゆこと? 真彦くん」

「は、はい。実は……」


 田原は「幻の第一巻」のタペストリーを見せると冴花に言った事を話した。その後、冴花が非常に秀才であり、なおかつプリフラワー好きなオタクであると(冴花はオタクの部分を必死に否定したが)荻野目部長に説明して、

「ですから、上沼さんは最適だと思うんですよ」

 という言葉で締めくくった。冴花はちょっと話が見えないという感じで頭上に疑問符を浮かべている。荻野目部長は目を閉じて「うん、うん」と頷いていた。

 と、思ったら突然カッと目を見開き、冴花に向かって指を指しながらこう叫んだ。


「よっしゃ! 採用ぉぉぉぉ!」

「え? な、なに? なにがですか?」


 困惑する冴花に申し訳なさそうにして、田原がおずおずという感じで頭を下げて下目遣いになりながら口を開く。

「……えーっと。今、我々漫研は窮地に立たされておりまして。今度、市民会館で同人誌即売会が開かれるんですが、なかなか創作が前に進まなくて」

 ここまで言ったところで田原は視線を上げ、メガネの位置をなおして今度は上目遣いで冴花を見やる。

「そこで、オタクで頭のいい上沼さんなら、このピンチを救ってくれるんじゃないかなー、なんて」

 だんだん話が見えてきた冴花は低い声で田原の言葉を継ぐ。

「つまり……私にネタ出しを手伝わせるために、ありもしないエサで釣ってラチった、ってこと?」

 田原を見下ろす冴花の鼻から上は、心なしか影っていた。


「ご、ごめんなさい、ごめんなさい! でも、本当に、ピンチなんだ。おねがい、上沼さん! このとおり!」

「私からも頼むよ、さえっち。ほんとーにぴんちなんです」

 いつの間にか馴れ馴れしくあだ名で呼んでいる荻野目部長。冴花はため息を一つ吐いて言葉を紡いだ。

「でもね、田原くん。私は絵が全く描けないのよ。他の成績は全部『5』なのに、美術に関しては『4』以上の数字を取ったことがないわ。だから残念だけど、ご期待には添えられないと思うの」

 本当の理由は「クラスにオタクがバレちゃう」ことを危惧しているから、なのだが。漫研で活動していることが知れたら一大事だ。それだけはどうしても避けたかった。


 その時、


「おねがい、さえっち! 次の活動で結果を出さないと、私たち廃部になっちゃうんだ!」

 荻野目部長が机にゴンという音を残し、頭を下げながらまくしたてていた。

「え、ちょ、あ、頭を上げてください!」

 だが、驚く冴花にはお構いなしに、部長は額を机でごりごり鳴らしながら続ける。

「念願だったんだ、漫研を立ち上げるの。やっと生徒会に一年間の活動仮承認もらって、来月までに人数をそろえるか、イベントで結果を出すかしないと……つぶれちゃう」


 それまで荻野目部長の声はテンションが高くて明るいトーンだったのが、だんだんと低くなってきて最後は呟くように小さく、若干震えているようにも聞こえた。

 冴花は横の田原を見る。彼も顔の色を暗く落として、伏し目がちに宙を見つめていた。


 すきま風の音が部室の天井から降ってくる。遠くでは相変わらず音のずれたブラスバンドの演奏が聴こえていた。

 目の前には悲しそうにうつむく同級生の男子と、机に額をのせて微動だにしない先輩の女子。どうか力になってくれと、無言の懇願が冴花の身体にまとわりつく。

 冴花はそんな二つの圧力に、少しずつ押しつぶされてしまいそうな気がした。ここで何か言わないと、収まらない。


「…………わかり、ました」

 冴花は観念したように、そう答えてしまっていた。

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