わたしのヒミツをとらないで!

よこどり40マン

ヒミツ・その1

 都心部から少し離れたベッドタウン。

 この街の中心部に建つ、私立久米くめ高等学校。始業前、校門付近には登校してきた生徒たちの明るい声が飛び交う。

 そんな中、何かを囲むようにしてぞろぞろと移動する、ひときわ目立つ人の群れ。


「上沼さん! おはよう!」

「ええ、おはよう。今日もみんな元気ね」


 その中心には鼻筋の通った顔立ちを携え、艶やかな黒髪を秋風になびかせながら、十人ほどの生徒たちに囲まれている一人の女子。

 上沼冴花かみぬまさえか。一年生。

 容姿端麗、文武両道の意味を人の形で表したような人物だ。紺色のブレザーに赤いタイ、チェック柄の入ったスカートは他の女子生徒のそれと同じだが、彼女が召すと不思議な事にその美貌がより一層際立つアイテムとなる。


 さわやかな秋空の下、すっかりこの学校の風物詩として定着した登校時の冴花の取り巻きたち。そんな彼ら彼女らを引き連れて(というより勝手についてきているだけだが)、冴花は階段を上って二階にある教室へと入る。

 冴花が取り巻きたちと一緒に入るやいなや、教室の隅っこにいた何人かの男子生徒が一斉に彼女の方を見やった。


 黄色い声が飛ぶ冴花サイドとは正反対の、猫背を寄せ合いながらこそこそと話している集団。いわゆるオタクっぽい男子たちが、自分たちとは違うカテゴリーに生きる人間たちを横目で一瞥する。そしてさほど興味は示さずに、また自分たちの世界に戻っていった。

 冴花もオタクっぽい集団をちらりと見やる。


(あの人たち、いつも隅っこの方にいるわね……)


 彼らはいつも教室の隅に固まり、他の生徒とは一定の距離を置いていた。ある意味、孤立している状態だ。冴花は彼らを見るたび、その「孤立」に対して胸のどこかにちくりと何かが刺さるような気がしてならない。何度か声をかけようかと迷ったこともある。

(孤立する気持ちは分かる。でも……)

 しかし冴花は、それをしなかった。彼らがいるカテゴリーは、クラス組織から見ればイレギュラーとも言える存在。

 オタク――その肩書きだけで虐げられることも少なくない。だから、声をかければ自分も孤立してしまうのではないかと、臆病な心が邪魔をするのだった。


 やがて取り巻きの女の子たちに流行りのファッションについての話題を振られたため、すぐに彼らから視線を戻した。

 入学して半年。いつも近くにいる人や遠くにいる人。これが完全に彼女の日常として確立していたのだった。



 その日の放課後。

「……ふぅ。今日もまた、平和に一日が終わりそうね」

 先生の仕事の手伝いで学校に残っていた冴花は、一人廊下を歩きながら髪をかきあげて息を吐く。

 彼女の取り巻きたちは家の用事や遊びやらの理由で、すでに下校していた。野球部の威勢のいいかけ声や、ブラス部の少し音のずれた演奏が遠くに聞こえる。誰もいない廊下を歩く冴花は、ある一つのことだけを考えていた。


(一刻も早く学校を出ないと。そうよ、今日はなんて言ったって「アレ」の発売日! 予約していた「アレ」を早く手中に収めて、ふかふかのベッドの上でご開帳して、その先は一気に……ふふふ)


 自然に緩む冴花の口元。げた箱が近づくのに比例して、冴花の歩むスピードは徐々に加速していく。


(早く……ハヤク、ふふふふふ)


 入学以来、絶対に秘密にしていた個人的な趣味。胸が熱くなると我を忘れる性格に慎重になりながら、冴花は半年間、いや、その趣味に目覚めた子供の時から必死に生き抜いてきた。これからも、そうやって生きていくのだろう。


 だってこの趣味は、多くの人にとっては受け入れられないものだから。

 人に知られてしまえば、今までとは違う目で見られてしまうだろうから――。

 少なくとも冴花は、そう思っている。


 いつのまにか歩きが競歩のように、そして駆け足に変わっていた。背中まで伸びる黒髪が大きく揺れる。あの角を曲がれば、一年生のげた箱はもう目の前――。


「うわぁ!?」

「きゃっ!」


 しかし角を曲がった瞬間、誰かが冴花の身体にぶつかり、そのまま勢いあまって床に尻もちをついてしまった。


「痛ったたた……」

「あ、だ、だいじょうぶ? ……上沼さん」


 痛む臀部でんぶをさすりながらしかめた顔を上げると、そこには申し訳なさそうな顔をして立つ男子生徒の姿。ブレザー姿でも目立つなで肩、特徴のない髪型、フレームの細いメガネといった風体に、冴花は見覚えがあった。


「た……田原くん?」

 冴花は立ち上がると、改めてその男子の顔を覗き見る。それは同じクラスの男子、田原真彦たはらまさひこだった。いつも隅っこで仲間と話している、オタクっぽいグループの生徒だ。その田原は眉をハの字にして、何か言葉を継ごうとしているのか絶えず口をもごもごと動かし、視線を全く違う方向に向けながら身体をもじもじさせている。

「ご、ごめん」

 田原は早口で短く言うと、何かを探すように廊下をキョロキョロと素早く見渡す。

 冴花と田原がそれを見つけたのは、ほぼ同時だった。


 ちょうど冴花のうわばきの横に落ちているそれ――有名な美少女アニメのキャラがポーズをとっている姿のフィギュアを確認した瞬間。冴花は無意識のうちに、口走ってしまった。


「あっ! ……プ、プリフラワーMAX!」


 一瞬の静寂。直後、二人の反応は全く正反対のものとなる。

 田原は冴花の言葉を耳にした刹那、それまでのおどおどした態度がまるで嘘のように、両の瞳を輝かせながらプリMAXのフィギュアをがっしりと掴むと、子供のように無邪気な笑顔でまくしたてた。

「上沼さん、プリフラワー知ってるの!? まほっ子戦士・プリフラワー! え、なに、アニメ? あ、原作から? いやあ、いいよねープリフラワー。アニメ化してから一気にキタよね。原作エピソードを忠実になぞってるアニメスタッフGJ! って感じだよ。上沼さんは推しプリはいるの? 僕はやっぱりこの子、センターのプリフラワーかなぁ」

 突然饒舌になった田原と比べて、冴花の反応は対照的だった。


「……あ、その。えと……はは、は」


 口角を引きつらせて、曖昧な笑いで返す。額には脂汗が白く光り、細い肩はわなわなと震えている。


 誰もが認める優等生、上沼冴花が隠し通している趣味。

 一般人から見れば内向的で怪しげで、理解に困難を要するイレギュラーホビー。


(オ、オ…………オタクがっ!)


 ばれてしまった。クラスメイトに。

 今しがた彼女が口走った「プリフラワー」という単語も、以前から予約していて待ちこがれていた「アレ」――大好きなマンガ、まほっ子戦士・プリフラワー最新刊(オリジナルストラップ付き初回限定版)が頭の中でいっぱいに膨らんでいた結果、ポロリと口から転がってしまったのだ。


(落ち着け、私。よく考えるのよ。まだ私はプリフラワーという名前を口にしただけ。そう、姪っ子が好きで名前だけ知ってるとかなんとか適当に逃げれば万事OKじゃないの。よし、これよ。さすが私! さ、一刻も早くこの場を立ち去って行きつけのアニメショップに……)


「でも上沼さん、瞬時にこれがMAXのフィギュアだって、よく分かったね。プリフラワーMAXはテレビアニメ化前に発売されたOVAにしか出てない、超マニアックキャラなのに……」

「――っ!?」

 しまった。冴花は思わず口を押さえてよろめいた。もちろん、このフィギュアは冴花も購入している。ゆえにそれがプリフラワーMAXだとは、仮に遠目だったとしても分かっただろう。


 ただ、「MAX」という余計な一言を付け加えてしまったことは、同時に冴花がただのにわかではないという事実をはっきりと証明しているわけで……。

(どうしようどうしようどうしよう……)

 頭の中を同じ言葉だけがぐるぐると回転する。今にも目の前の視界が歪んで、身体が奈落の底へと落ちていきそうな感覚に陥った。


 そんな冴花をよそに、田原は何やら思案顔で数秒ほど宙を見つめていた。じっと何かを考える田原は、やがて冴花に向けて視線を直し、少しはにかんだ笑いを見せながら言った。

「だったらさ、ウチに……漫研の部室で一緒に語ろうよ」

「え?」

 冴花は逸らしていた視線を思わず田原に向けた。漫研? そんなものがこの学校に存在していたのか。いや、それよりも。


「ち、違うの! これは、私の……そう、いとこが好きで、たまたま観たことがあるってだけで……」

「隠さなくてもいいよ。うん、そうだよね。深夜の萌えアニメを高校生が観ている。確かにそれは多少の羞恥心が働くかもしれない。でも、はそんなの全然気にしないし、笑おうともしないよ。さあ、一緒に語らおう!」

「あ、いや、でもぉ、その……ねぇ?」

「プリフラワー『幻の第一巻』の初回限定版についてきた等身大タペストリー、見たくない?」


「見たいっ!!」


 まただ。慌てて口元を押さえる冴花だが、もう遅い。


「幻の第一巻」――それは、プリフラワーのタペストリーが付いた単行本一巻発売直後に出版社が粉飾決算を起こし、自社の新刊を全て回収するという措置を取った際のものだ。その後出版社を変えて改めて新装版が世に出たのだが、それにはこのおまけが付いておらず、公式に「なかったこと」になってしまったというファン垂涎の超レアなプリグッズなのだ。見たくないはずはない。


 見たい。ついでに語りたい。でも――。

 もしみんなにこのことがバレたら。冴花の頭の中でもやもやしたものが巡る。そんな彼女を見ていた田原は、


「……行こう、上沼さん」

「え? あれ、ちょ、ちょっと!?」


 何かを言おうとする冴花にもお構いなしに、田原は彼女の手首を持ってぐいぐい引っ張っていく。

 始めはおどおどしていた彼だったが、冴花が同じプリフラメイツだと分かるやいなや、いつの間にか主導権を握っていた。

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