最終話.ふたりの夜は更けゆく


 首長竜のぬいぐるみと一緒に控室へ戻ったセスは、待ちびていた女官たちのお小言を聞きつつ顔を洗い髪を整え直してもらって、アルテーシアと一緒に披露宴会場へ向かった。二人を祝うため駆けつけてくれた人たちは、国も身分も様々だ。不安はあったが、兄たちや国王夫妻の助けもあって二人は無事に披露宴と食事会を終えることができた。

 ちなみに、花嫁が投げたブーケはリュナが受け取ったらしい。内心でアロカシスが目の色を変えて奪いにくるのではと思っていたセスは、自分の思考を少し反省した。あるいは焦る必要もないほどに、彼女たちの話が進んでいるのかもしれないが。


 披露宴にウィルダウたちは姿を見せず、戦火神は白毛玉に戻ってデュークと一緒に食事を楽しんでいたようだ。元魔将軍たちも遠慮したのかあるいは持ち場へ戻ったのか、姿を見なかった。ナーダムに会えたら、おそらくグラディスと思われる少女について聞きたかったのだが、ゆっくり話ができるのはいろいろ落ち着いてからになりそうだ。

 祝される側から、もてなす側へ。まだまだ社交の場に不慣れなため、緊張もしたし上手くできたかはわからない。

 それでも食事会を終えて親族と友人たちを見送るとき、皆が幸せいっぱいの笑顔で帰っていったので、きっと楽しんでもらえたのだろう。全部が終わった頃にはとっぷりと夜が更けていた。


 セス自身も疲れたが、豪奢ごうしゃで重いドレスを一日中着ていたアルテーシアはそれ以上だろう。今夜はこのまま戦火神殿へ泊まり、明日は新婚旅行の準備をする予定になっている。

 疲れ切っているであろう彼女に無理をさせたくはないので、今夜はゆっくり休もうと双方で合意していた。焦らなくても、二人で過ごす日々は始まったばかりなのだから。


「お疲れ様、ウィルダウ。今日は、来てくれてありがとう」


 首長竜のぬいぐるみに話かけてみたが、反応はない。戦火神や元魔将軍たちと遭遇する前に冥海神殿へ帰ってしまったのかもしれない。このぬいぐるみは端末みたいなものだと言っていたので、声は届いているのだろうが――そう思った途端に、今まであれやこれや話しかけていたことを思い出し、何だか面映くなってセスはそそくさとベッドの上へ移動した。

 そういえば、彼が伴っていた女性は誰だろう。人間なのか、眷属けんぞくなのか、それとももしかして。ぬいぐるみが月虹神殿に届いたということ、仲睦まじそうな様子を思うに、彼女は変装した月虹神だったのかもしれない。

 四年前、ウィルダウは黒幕に徹し邪神を演じて果てようとしていたわけだけれど、少なくとも彼が救いたかった相手にはその真意が届いていた、と思えば、胸に温かいものが満ちてゆくのを感じる。


「そうだね、クォームが言った通りだったよ。本当に、効果抜群の御守りだった」


 ベッドへ雑に顔を埋め、あの時のやり取りを思い出して口にする。がくれた御守りは、確かにセスの願いを叶えてくれた。それだけでなく、おそらくはウィルダウ自身の願いも叶えてくれただろうと思う。

 界渡かいわたり――セスには理解の及ばない権能ちからだが、彼は異世界へ渡ることができるらしい――をする彼が今どこにいるのか、どうやって連絡を取ったらいいのか全くわからない。だから結婚式の招待状を送ることもできなかった。それでも、いつかまた会えると信じたい。

 願いは届いたと、ありがとうと、伝えたかった。

 最初の出会いから最後の決戦まで、彼にはたくさん助けられ多くを教えられた。子供っぽい面もあって一緒に旅していた時はまったく思わなかったが、今になって心底実感する。


「本当に、神様みたいなひとだったな……」


 ため息と一緒にこぼれた言葉は、静かな夜の空気に溶けてゆく。窓のほうからカタリと音がして、次の瞬間には夜風が吹き込んできた。驚いて、セスはベッドの上に跳ね起きる。


「いやー、照れるなー。神様だってさ!」

竜世界ここの竜族はそういう存在なの」


 忘れもしない軽妙で明るい声と、以前より少年らしさを増した幼い声。見開いた視界に、銀と緋色の二人組が映り込む。なぜか開け放たれた窓、やわらかくたゆたう夜闇を背にして、銀竜のクォームと創世竜のフィオが立っていた。

 夢うつつの狭間に幻でも見ているのかと、セスは思わず瞬きを繰り返す。銀竜は四年前とほぼ変わらず、しかし髪は長く戻っていた。フィオは少年のような格好で髪をショートにしていたが、やはり最後に会った時とほとんど変わらない外見である。


「クォーム、フィオ、いつの間……に?」

「いやさー、式の時は屋根の上から眺めてたんだよ。結婚おめでとさん! まぁでも、こっちもいろいろ立て込んでたし、片付いてから改めてって思ったんだけどさ」

「そうしてうっかり百年過ぎちゃったらどうするの、って言って、僕が連れて来たんだ!」


 笑いながら目を泳がせるクォームと、得意げに胸を張るフィオ。ふたりの様子が四年前と重なって見えて、またも涙腺が緩みそうになる。

 もうあとは寝るだけなので構わないが、せっかくの再会で号泣ばかりなのもどうかと思ったので、喉に込み上げて来た熱いものをセスは頑張って飲み下した。


「来てたなら、披露宴にも出てくれて良かったのに」

「だってオレ様、正装とか持ってねーもん」

「それもそっか。うん、思ったより大規模になっちゃって……でも、今度改めて友人たちだけの食事会とかもするから」


 住所を、と口にし掛けて口籠くちごもる。セスは異界へ手紙を送る方法など知らないし、他の連絡手段も思いつかない。クォームは小声で「あー」と呟きつつ視線をさまよわせていたが、フィオに肘でつつかれて観念したように口を開いた。


「じゃ、ルウォーツと通信できるようにしとくから。本当ホント本当ホントに友人だけで集まる時にでも、顔出すぜ」

「そのときは僕も一緒にくるからねー。楽しみ!」

「嬉しいよ、ありがとう。ところで――、」


 積もる話は幾らでもある。夜はまだ始まったばかりで、ふたりに眠りは必要なかったはずだ。が、時間はあるの、と続けようとしたセスをさえぎるように、部屋の扉がノックされた。


「セス、誰かいるんですか?」

「え、ルシア?」


 新妻は先に入浴を済ませ、早々と就寝したはずなのに、何事だろう。不安がむくりと頭をもたげ、思わずクォームとフィオを見れば、ふたりは妙に楽しげに笑っていた。


「じゃ、オレ様たちは引きあげるぜ」

「待ってよ、ルシアにも会っていったらいいだろ」

「そんな野暮なことできるわけないよねーっ」


 揶揄からかうような二人の声音に扉の開く音が重なる。来た時と同じく窓から飛び出したふたりを見送る隙もなく、夜衣のアルテーシアが入って来た。展開についていけずに固まるセスと開け放たれた窓を見て、さとい彼女はすぐ察したのだろう。


「わたしもお会いしたかったです」

「うん、そうだよね。でも、また来るって言ってたよ」

「それならいいですけど」

「ルシアはどうしたの? 眠れなかった?」


 場所を空けて隣へ招けば、彼女は嬉しそうに微笑んで頷いた。素直に隣へ腰を下ろし、甘えるようにセスへもたれ掛かってくる。


「……やっぱり、一緒がいいなって」

「……ルシアさえ疲れてなければ、……俺としては嬉しいけど」


 夫婦になった、という実感が遅れて迫って来て、心臓が煩く騒ぎだす。愛するひとの華奢きゃしゃな身体と豊かな髪にそっと腕を回せば、応えるように両腕で抱きつかれた。


「やっぱり、一緒に寝ようか」

「はい」


 アルテーシアの体温を全身で感じつつ、窓を閉め損ねたな、と頭の片隅で思う。それでもいま彼女を手放すのは惜しい気がして、構わず二人でベッドへと潜り込んだ。涼気が混じる夜風も、今の時期ならそれほど寒くはない。

 どこかから聞こえる鈴を振るようなざわめきは、蛙の歌声だろうか。夜に鳴く鳥の声、遠くに響く獣の遠吠えも。命が芽吹き活動的になる季節はこれからだ。明日から二人で巡る世界もますます美しく輝くことだろう。


「おやすみ」


 どちらからともなく言葉を交わし、口づける。明かりを落とした部屋、ひとつの影となって、二人の夜は静かに更けていった。





[竜世界クロニクル - 4 years later - 黒竜騎士の結婚式〈完〉]

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