十三.星の未来を思い見て


 結婚の儀は典礼にのっとったものだが、披露宴はそこまで格式張ってはいない。アルテーシアが控室でお色直しをしている間に、セスは準正装へ着替えて黒飛竜トライドを迎えに行く。

 閉じられた垂幕の向こう側で、参列者は披露宴会場へと移動しているようだ。雰囲気の変化を感じてそわそわしていたトライドが、セスの姿を見て嬉しそうに甘え声をあげる。首長竜のぬいぐるみにも変化はなく、セスは胸を撫で下ろした。


「トライド、竜舎へ戻ろうか」

「ファッ、フォーン」

「今日は飛べないんだよ、ごめんな。その代わり、新婚旅行では頼りにしてるよ」

「フォア、フォウン」


 ぬいぐるみを抱きあげ、黒飛竜をなだめつつ、舞台裏の通路から神殿裏手の竜舎へ向かう。素直について来ていたトライドだったが、不意に上着の裾を引っ張られて、セスは思わずつんのめりかけた。転んでいたら衣装が破れたかもしれない、危ないところだった。


「なっ、トライド駄目だろ! 服を咥え――」


 いつもの甘えか悪戯いたずらかと思ったがそうではなく、黒飛竜はセスの前へ割り込むと、翼を持ち上げて威嚇いかくの姿勢を取る。元々あまり他人に懐かない竜ではあるが、ここまでの警戒を見たのははじめてだ。相棒が視線を向ける先を見て、セスはすぐその理由を悟った。

 普段ならともかく、今日は結婚式典のために神殿の催事域は貸切りになっている。自分以外は誰も訪れるはずのない裏庭に、たたずむ人影が二つ。銀の髪、黒い衣装の青年と、フードを目深に被り、長杖を支えに立つ人物がいた。

 銀髪の青年には覚えがある。と呼ばれ、四年前の冒険でセスが個人的に深く関わった人物――いや、竜族。イルマという名の彼と交流を深める機会はほとんどなかったが、セスは彼に大きな恩義がある。

 あの後、療養のため森の民エルフの里へ戻ったティークに付き添って、彼も姿を消した。ということは、傍らにいる人物は――。


「ファッ、フォアッ」

「大丈夫だよトライド、二人とも敵じゃないから」


 見知らぬ魔導士たち相手に警戒を強める黒飛竜の首を叩いてなだめていると、視界の端に黒いものが動いた。つられて振り向けば、式場で見た和装正装姿のウィルダウが少し離れたところに立っている。

 イルマとおそらくティークが自分に害をなすため来たとは思わないが、それでも玄神が側にいてくれるのは心強い。セスは深く息を吐き、トライドの前に出て二人へ向き合った。


「久しぶりだね、セス。それに、ウィルダウも。いろいろ噂は聞いていたけど、うん。良かった」

「イルマちゃんも元気そうで何よりだよ」


 四年前とまったく変わらぬイルマの容貌につい、あまり考えずに言ってしまったのだが、途端に傍らで立つローブの人物が吹き出した。一瞬だけ紫水晶アメジストの目を見開いたイルマは、ねたように口を引き結んでから顔を覆う。


「ちゃん、って……」

「解る。イルマって、背が低いしぼやっとしてて小型動物みたいだよね」


 思ったよりも明瞭で、予想していたより快活な声が、項垂うなだれる彼に追い討ちをかける。聴き覚えのあり過ぎる声に言葉を失い立ち尽くすセスの前で、彼は杖を持たないほうの手をフードに掛けた。長い髪束がこぼれ落ち、昼前の陽光を弾いて輝く。

 最後に会った時よりだいぶ伸びた金髪、きつい印象を与える真紅の目。四年の内にすっかり大人びたかつての親友が、口元に笑みをいてセスを見ていた。


「ティーク、……思い出したのか?」

「まぁね。もうそろそろ、って。セス、結婚おめでとう」


 予想だにしなかった率直な祝福の言葉に、返答しようとするも声にはならなかった。喉の奥から熱い塊が込み上げて、視界が半透明の膜に覆われてゆく。

 イルマが慌てふためいてハンカチを取り出し、こちらへ駆け寄って握らせてくれた。それを目元に押し付け嗚咽おえつこらえていたら、生温いものに顔をべろりと舐められた。


「うわっ……トライドやめて、大丈夫だから」

「フォォン、ファウ……」

「あはは、セス、花婿なのにひどい顔だね」

「うるさいよティーク、おまえのせいだろっ!」


 杖をつき、足を引きって、魔導士の友人が側へとやってくる。おそらく目も鼻も真っ赤になっているだろうし、トライドの唾液で額や前髪が若干べたべたしていた。彼の言う通り花婿なのに酷い顔なのは間違いないが、今さら取り繕う理由もない。互いに、もっと酷い泣き顔をもう見せ合っているのだから。

 四年の間、彼はどうしていたのだろう。あのとき眼下で目にした胸の痛む光景は、夢でも幻でもない現実だ。互いの過去は変えられず、ティークは今も負った怪我の後遺症に苦しんでいるのだろう。それでも、彼から憎しみのこもらない声で親しく語りかけられたことが嬉しくて、油断するとまた号泣しそうになる。


「しょうがないセスだな、いつまで経っても泣き虫かよ。そんなキミにぬいぐるみはお似合いだね」

「なっ……これは」

「ふふ、冗談だって。僕はそいつにも用があって来たんだよ」


 細められた真紅の目が挑むように、離れた場所でこちらを見守っていたウィルダウへ向く。玄神とは面識がなかったはずの彼が首長竜の正体を知っていたことに驚いたが、あれからここまでイルマと行動を共にしてきたのなら、不思議でもないのだろう。

 水を向けられたウィルダウも動揺する様子はなく、むしろこちらへ近づいて話に加わってくれた。


「私の意見は変わらないが。イルマに星宣せいせん神の役割は重過ぎるだろう」

「あんたがよく言うよ。……まぁ、今日は顔を見に来ただけだし、セスの祝儀に水を差すつもりもないから。首を洗って待っててね」

「ちょっと待てよティーク、いったい何をするつもりなんだよ」


 二人の間に散る火花を見た気がして、セスの胸に不安の雲が湧き起こる。が、ティークはウィルダウから視線を外してセスに笑みを向け、ウィルダウも何やら穏やかな微笑みを向けて来た。心配するなと言わんばかりだ。


「僕はイルマと一緒に星宣神への信仰を復活させようとしているだけだよ。昔のように過激な手段を取るつもりはないから、ご心配なく」

「私を見ればわかる通り、神々の力は人の信仰心によって強化される。長期的に見れば、必要なことだと私も思うが」


 すっかり涙が止まったセスからハンカチを引き取って、イルマが相変わらずのほわっとした笑顔で言い加える。


「ウィルダウに全部負わせっぱなしなのもどうかと思うし、銀河の権能は母が受け継いで守って来た力だから、いずれは継承したいという想いもあるよ」

「そっか、そうなんだ。上手くいくといいね」

「うん、ありがとう」


 ウィルダウが、この優しい竜の青年に権能ちからを持たせることを危惧きぐした理由もわからなくはない。けれど彼は一時期、人間として暮らしてもいたのだ。魔王ルウォーツの魂を継承するディヴァスが過去とは違う道を選んだように、彼も昔の星神と同じ道を歩むことはないだろう。

 人と出会い、関わることで、想いは変化し運命は書きわる。ウィルダウ自身もそれを我が事として実感したはずだ。そんな思いを込めて彼を見れば、和装正装の玄神はすみれ色の双眸そうぼうを細めて苦笑した。


「昔話に花を咲かせたい気持ちもわかるが、花婿が花嫁を待たせるのはよろしくないな」

「そうだよ、セスは鈍臭どんくさいんだから、さっさと行きなよ」

「私はそういう意味で言ったのではない」

「ふぅん? あからさまに肩持つね?」


 いささかか心臓に悪い会話だが、イルマがにこにこと見守っているのなら心配ないのだろう、と思うことにする。名残惜しい気持ちはあるものの、まだこの後に披露宴が控えているのだ。のなら、これからも会って話す機会は得られるだろう。


「俺はもう行かなきゃ。三人とも、来てくれて本当に嬉しかったよ!」


 三人それぞれからの返答を聞き届けてから、セスはトライドを休ませるため急いで竜舎と向かう。服は汚れていないが、控室で顔を洗い髪を整え直して披露宴へ臨まねばならない。

 時間は押していたし一手間も増えたけれど、それも苦にならないほどに心は幸せで満たされていた。


 


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