十一.私の宝を


 新築の戦火神殿は以前と造りが違うらしい。城に隣接しているので誰でも出入りできる場所ではないが、娯楽をつかさどる神の神殿らしく、催しや婚礼や葬儀などに使える大小様々な催事ホールが備えられている。

 ラファエルの指示で今回セスに貸し出されたのは、最大一千人が入れるという大ホールだった。


 セス自身はエルデ・ラオに来て日が浅いので、竜騎士団ドラゴンナイツの面子を除けば個人的な知り合いなど百人にも満たない。しかし立場上は国王の近衛騎士であるため、見栄えの良い式にしたほうが王の威光に寄与するだろう、とネプスジードが提案したのだ。

 思わぬ大事おおごとになって狼狽えるセスを尻目にラファエル国王は嬉々として同意し、物申す間もなくネプスジードが手回しをして、気づけば戦火式神前婚の予約が済んでいた。

 ちなみに、そのあとセスはネプスジードとこんな会話を交わしている。


「近衛騎士だからって言うなら、ネプさんも自分の結婚式で大ホールを使うんですよね?」

「いいや? 俺は小ホールで慎ましく挙式するつもりだ。元魔将軍だからな」

「なんでですか。いや、ちょっと待って、挙式の予定があるんですか!?」

「例えばの話だが?」

「その割に具体的でしたよね? お祝いを用意する都合もあるので詳しく聞きたいんですけど!」


 例えばの中身が予想できたとしても、当人からの肯定がなければ吹聴はできない。セスはしつこく食い下がったが、結局煙に巻かれてしまった。つくづく食えない上司である。

 それとなく元魔王にも探りを入れたが、今は自分の式が最優先だろうと言われてしまえばぐうの音も出なかった。しかし、セスに対してああいう話をするところ、ネプスジードも彼女と順調に進展しているのかもしれない。


 そんな食えない上司は今回、セスの分も国王の警護を勤めてくれる。仕事に関し自分にも他人にも厳しい彼の堅実さは、騎士として見倣うべきところも多い。彼が本当に結婚するのであれば、全力で祝いたかった。

 お相手と思われるアロカシスをセスは苦手としているが、彼女とアルテーシアはとても仲良しなのだし。


 他人のことを考えるのは緊張緩和の手段だが、いよいよ時間も迫ってきたので意識を切り替える。

 思いがけず大々的な式になったとしても、その意義は変わらない。セスがすべきなのは花嫁であるアルテーシアを迎え、戦火神の前で結婚の誓約をし、その誓いを公に表明することだ。深呼吸をし、自分を奮いたたせるように立ちあがる。


「よし!」


 この日のためにあつらえた婚礼衣装は、白。デザインはシンプルなタキシードだが、天空都市で織られた絹布で作られており、やわらかで上品な光沢を放つ最上質の物だ。

 それのみでも目をひく銀の長髪には、ラメを散らしたすみれ色のリボンを飾っている。そら色のスカーフには菫青玉ヴァイオレットサファイアの留め具を。全体的に大人っぽく、上品に装えているはずだ。


 長兄はどんな格好をして見せても感動するので参考にならず、式典慣れしている次兄に意見してもらった。

 熊のようにどっしりした印象の、ケスティスよりずっと流行に詳しいオアスは、黒の正装に深紅のベストとリボンタイを合わせて控え目ながらもお洒落な印象だ。象牙色の礼服に深青色の差し色を選んだケスティスとは対照的で、互いに示し合わせたのかどうか気になるところだが、聞きそびれてしまった。

 次兄はセスの全身をくまなく観察したあと、眩しいものを見たと言わんばかりに目を細めて、「大丈夫。さすが僕の弟だね、ばっちり完璧に仕上がっているよ」と請け負ってくれたのだった。

 言葉の端々にあたたかな愛情を感じてうっかり泣きそうになったが、本番はこれからである。長兄と次兄夫婦も今は席に着いて、この式を見守ってくれているだろう。


 控えの間からステージの袖に通じる扉を開くと、宮廷楽士がかなでおごそかで優しげな旋律と共に、進行役の神官長であるデュークの声が聞こえてきた。幕裏からそっと覗けば、黒と臙脂えんじ色を基調に金の刺繍ししゅうを施した職服が見える。

 呪いが解け生身に戻った彼は、長かった髪をばっさり切っていた。長めの前髪とうなじを隠す金の髪に元々の甘い容貌が手伝って、若い女性だけでなく年配者や子供たちにも人気があるらしい。

 思えば自分についてほとんど明かさなかった旅の初期から、デュークはそういうところがあった。無口で不器用だが、言葉や仕草に人のよさがにじむというか。


 出席者への挨拶文を読み終え手元の式次第から顔を上げたデュークの青い両目が、セスを見、端正な口元が笑みの形を作る。低い声に名を呼ばれ促され、セスは息を詰めたまま頷いた。光沢ある緋色の絨毯を踏みしめ、ゆっくり歩いて舞台袖から姿をあらわす。

 劇場らしく扇状に広がる観衆席の最前列に、はかなげな美貌を持つ女性――アルテーシアの母親が座っているのが目に留まり、セスの胸内に緊張感と使命感が湧き起こる。二席隣にはディヴァスの姿もあった。反対側に数席離れて座っているのは親族代表として来ている次兄夫婦で、長兄は来賓らいひん席にいる。


 ディヴァスと席一つ分を空けて座っているのは、妹のリュナだ。十八歳の成年を迎えてますます美しくなった妹は、黒髪を結いあげて小花を飾り、薄紅色のドレスを身に纏い、緊張した面持ちでこちらを見あげている。

 いつもそばに控えているナーダムも今日ばかりは一緒にはおらず、その状況が不思議に思えた。隣のディヴァスとは視線を交わす様子もないが、心を読める彼なら妹の気持ちにもとっくに気がついているんじゃないか――と逸れそうになる思考を慌てて引き戻す。

 案の定、元魔王には見透かしたような微笑みを向けられて、胸の内がいっそう騒ぎたった。これほど離れていても聞こえてしまうのだろうか。


 騎士団の関係で、セスには見知らぬ参列者も多い。会場をゆっくり眺めている余裕はなく、デュークの低い声が式を進行してゆく。


「お待たせ致しました、続きまして、花嫁の入場です。どうぞ皆様、静粛に見守っていただけますよう」


 さざなみのように控えめな拍手が沸き起こり、余韻を残して消えてゆく。音楽が曲調を変え、照明が明度を落とす。

 セスから見て真正面、ホール入口を覆う垂れ幕に光の亀裂が入り、大きく開いた。あふれる白い光を纏うように、純白の婚礼衣装に身を包んだ花嫁がたたずんでいる。


 隣に立つ大柄で精悍せいかんな男性の腕に手を預け、二匹の狼を伴って、アルテーシアが緋色の絨毯を踏みしめゆっくり歩き始めた。

 やわらかく波うつ月色の髪には白い薔薇が飾られ、薄絹のヴェールでふんわりと覆われている。ほっそりした体を包むドレスはやわらかなフリルがふんだんにあしらわれており、やはり白薔薇がアクセントとして飾られていた。

 一歩一歩を進むたび、ドレスに織り込まれた銀糸がきらめきをこぼしてたゆたう。


 花嫁をエスコートする男性――父親のたくましい腕に添えられた彼女の手は、真白な手袋に隠されているせいかいっそう細くはかなく見える。けれどヴェールと前髪の間から覗くブルーグレイの目は、彼女を引き立てるため降り注ぐ白い光を飲み込んできらめいていた。

 息をするのも忘れて見惚みとれていたセスは、視界の端で黒い何かが動いたことで、はっと我を取り戻す。

 壇上でただ待つのではいけないのだ。緋に彩られた道をたどり、花嫁を迎えなくては。


 思った以上に緊張しているらしい。確かめるように一歩踏みだし、決意を固めて進む。花嫁に寄りそう彼女の父が、挑むような目でこちらを見ていた。鳩尾みぞおちに力を入れ、姿勢を正して見返す。先立って伝えた決意を確かなものとするためには、前へ進むしかない。

 来賓席で目頭を押さえる長兄、心配そうにこちらを見るアルテーシアの母親と、微笑む次兄夫婦を通り過ぎる。特別席では国王夫婦が満面の笑みを向けていた。

 薄藤色の上品なドレスを纏ったレーチェルと、深緑色の礼装を着こなしたシャルの姿の姿も見つける。距離があってシャルの無精髭がどうなったかまでは見えないが、二人とも笑顔を向けてくれているのはわかった。


 元魔将軍のくせに黒礼装でしっかり参列しにんまり笑っているセルフィードと、借りてきた猫のようにじっと畏まるラディオル。流れる水を模した青白混じり合うサテンのドレスを着こなしたアロカシスは、今日は人間の姿をとっているようだ。

 一度は敵対しあった彼らに結婚を祝ってもらえる日が訪れるなど、過去の自分に言っても信じないだろう。青基調の礼装でナーダムまでもが来てくれている。彼の腕には黒髪に黒ドレスの幼い少女が抱えられていて――、


 危うく、驚いて声が出るところだった。今は余計なことを考えてはいけない、平常心を取り戻そうと視線を反対側の席へと向ける。

 仕事上の関係者が多く知り合いの少ないその一画には、極東国きょくとうごくからの来訪者もいるようだ。鮮やかな花柄の和正装を着た黒髪の愛らしい女性と、銀髪を結いあげ黒の和正装で身を固めた細身の男性。伏し目がちだったその男性が面をあげ、こちらを見て微笑む。

 あっと思ったのは一瞬で、彼はすぐに群衆の陰に紛れてしまったが、間違いない。想像以上に正式な参列だったことを嬉しく思いつつ、セスは一つ息を吸うと前方へ目を向けた。


 すぐ前まで来た花嫁へ一歩二歩、歩み寄って手を延べる。アルテーシアは父に微笑みかけてから、腕にかけていた手を離し、セスの指先に細い手のひらを重ねた。祝福の拍手がわき起こり、セスは彼女を連れだすように腕を引いて自分の隣へと導く。

 狼の片方、シッポが進みでてアルテーシアの隣につき、もう片方、シッポの兄弟らしい狼が父親の傍へと戻った。儀式めいた狼たちの別れに胸を高鳴らせつつ、セスがウィルレーン氏の顔を見た時。さざめく拍手にまぎれさせるような低い声で、彼が囁いた。


「セス、この子は私の宝だ。娘を頼んだぞ。どうか幸せに、これからもずっと」

「――はい! 任せてください」


 たかぶる感情に任せて叫びだしたいのを、なんとか抑える。猛反対から始まったこの結婚を、今は彼が心から祝福してくれていると知って胸が熱くなった。

 若き日のウィルレーン氏が嘱望しょくぼうされた将来も安定した職も打ち捨て野にくだったのは、死に定められた幼子を助けようとしたからだ。血縁でもない娘のために命を賭けた勇敢な伝承者バルドは、今ここでセスを一人の男として認め、大切なその宝を託してくれたのだ。

 愛するアルテーシアを幸せにするために、自分も彼以上の勇気を示そう、と心に誓う。彼女の父に認められ頼られたという実感を感動と共に噛みしめてから、セスは顔をあげアルテーシアを引き寄せた。


「いこう」

「はい」


 花嫁を伴い、花嫁を気遣いながら、神官長デュークが待つ壇上へと戻る。

 シッポはステージ下で待機し、トライドは舞台袖だ。家族や友人、同僚たちに見守られ、戦火神の前で二人はこれから誓いを交わすのだ。

 



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