七.ぬいぐるみと一緒に


 帰路の間中ずっと、目を離した隙に首長竜が動くのではないかと気にしていたセスは、周囲の注目を浴びていたことに帰城してから気がついた。道中で振り向かれたり注視されたことを今さら思い返して赤面する。

 とうに成人を過ぎ結婚を控えた男子が大きなぬいぐるみに夢中になっている姿は、傍目はために奇妙な姿として映ったことだろう。そう思いつつも、頭をバッグに押し込んだら首が折れてしまう気がしたので、隠すように抱き込み、早足で裏の通用門から城内へと戻った。


 主城と神殿区画エリアの周りには、神職者や近衛このえ騎士らが住む居住区画エリアが作られている。セスはまだ家を持たないが、いずれはその区画にアルテーシアと二人で住む自宅を建てたいと願っている。

 ラファエルに相談したら即「建ててあげるよ」と言われたが、それは辞退した。生活基盤くらい自力で築かねば、実家やアルテーシアの両親に顔向けできない。それにアルテーシアと二人で、間取りや外観、装飾の話をするのはとても幸福なひとときだったので。


 兄二人と母親が違い、歳も離れていて病気がちだった幼少時のセスは、ぬいぐるみと過ごす時間が多かった。兄たちが買ってくれた狼のぬいぐるみや、母がくれたうさぎのぬいぐるみ、大きな飛竜型の抱き枕、など。

 そんな記憶があのとき無意識に働いて、願いがあんな形を取ったのだろうか。今でも、理由はわからない。

 愛する彼女と結婚していずれ子供ができたなら、自分はやはりぬいぐるみを買い与えるだろう。その中に首長竜のぬいぐるみも――と思い描いていたことを否定できない。ひそかな心の願いを月虹神に見抜かれていたのだとしたら、恥ずかしすぎる。

 今さらながら浮かれていた自分への羞恥がとまらず足を早めるセスの前方に、人影が見えた。足を止めよく見れば、婚約者と王妃が螺旋階段の下で談笑している。


「あっ、セス! おかえりなさい。贈り物、何だったんですか?」

「セスさん、わざわざ祖父の所まで出向いてくださりありがとうございました。白龍様からの祝福は無事受け取れました?」

「せぇしゅ!」


 気になることはみな同じ。セスが何か言うより前に、アルテーシアとルフィリア、そして母の腕に抱かれていた幼子――第一王子ミカエルが、バッグから顔を覗かせている首長竜のぬいぐるみを見つめた。真っ先に反応したのはミカエルだ。


「ふぁあぁ、とらぁど!」


 父に似て飛竜が大好きな王子様は、黒い首長竜を黒飛竜だと思ったようだ。きゃっきゃと歓声をあげて手を伸ばしてくるミカエルの喜びように、セスは焦って青ざめる。


「ミカエル様っ、これはトライドじゃないです。大事なものなので、あげられないんですよ……ごめんなさい」

「うぅ? ぶあぁ、とらーどっ! とらーどぉ!」

「あらあら、飛竜と遊びたいの? じゃ、ママと一緒にマリユスとトライドに会ってきましょうねぇ。ルシア、セスさん、あとは大丈夫ですから」


 ぬいぐるみを欲しがって暴れる息子をしっかり抱きとめあやしながら、ルフィリアはあわあわするセスに目配せをして足早に去っていった。王子を泣かせてしまった罪悪感で放心しているセスの腕に、ほっそりしたぬくもりが絡みつく。


「ミカさまも、本物を見たらご機嫌なおりますよ。ふふっ、頭とかかじられたら大変ですものね」

「……あとから、ラフさんに怒られるかな」

「怒られませんって。安全を確認していない玩具おもちゃやぬいぐるみを王子に与えるほうが、大問題ですよ? セスさんの対応で良かったんです」

「それもそうか。ありがとう、ルシア」


 今でも、咄嗟とっさの判断を失敗したように思える時がある。悩みがちな気質は自覚しているので、きっといつになってもそうなのだろう。

 アルテーシアはどんな時でも冷静で聡明そうめいで、セスの思考をまっすぐ引きあげてくれる。愛しい恋人というだけではなく、人生のパートナーとしても仕事のアドバイザーとしても、彼女はセスにとって掛け替えのない人だ。

 そんな彼女はこのぬいぐるみが何か、もう悟っているだろう。


「セスさん、夕食までは時間がありますしお部屋へ行きましょう。わたし、そのぬいぐるみをじっくり調べてみたいです!」


 好奇心にきらめくブルーグレイの双眸そうぼうが、上目づかいにセスを見あげる。


「うん、いいけど……分解しちゃ駄目だよ」

「もちろん、そんなことしません! 素材には興味がありますけど……。中に詰まっている綿は、毛玉姿のフィーサス様と同じ素材でしょうか」


 無邪気な笑顔でわりと怖いことを言いだす恋人へ、セスは曖昧あいまいに笑い返すしかできなかった。彼女の発言を受けて、ぬいぐるみの黒々とした布地も一瞬震えたように見えた――のは、天井からさがっているシャンデリアの光が反射しただけかもしれない。





 部屋へ戻ればどこからともなく護衛狼のシッポがやってきて、アルテーシアの足元に寝そべった。夕餉ゆうげの時刻がくるまで、それぞれの一日を報告し合いながら部屋で一緒に過ごすことにする。

 ウェディングドレスの調整はアロカシスやリュナも同席していて楽しかったらしく、それぞれの恋バナで大いに盛りあがったそうだ。兄としては成人を迎えたばかりのリュナが誰に恋しているのか気になったのだが、詳細は教えてもらえなかった。代わりに、ドレスの良さを延々と語られた。


 彼女がまとうウェディングドレスのデザインをセスも知っているものの、実際に着付けたところは見ていない。元より顔立ちが愛らしく、透きとおるような白桃肌とやわらかく淡い金髪の彼女には、真白なドレスがよく似合うだろう。

 当日を楽しみに思う反面、自分が隣に立つという現実をおそれ多く感じる気持ちもまだどこかにある。

 だとしても、セスが愛するひとはただひとり、アルテーシアだけだ。一筋縄ではいかない運命に纏わりつかれた彼女を、まもり、助け、寄り添いたいという想いは、あの月下の屋上で誓ったときから変わっていない。これからだって、ずっと変わらない。

 

 シャルとレーチェルの家に行ったときのように、彼女は長い髪をリボンでまとめブラウスの袖を折り返して、真剣な目で首長竜のぬいぐるみを調べている。

 目を見開いたりすがめたり、首を傾げて覗き込んだりと、所作は愛らしいのに、扱いには遠慮がなくってハラハラさせられた。縫い目ステッチに爪を立てようとした時にはさすがに、セスも止めたけれど。


 ルシアはこんな可愛いのに狼みたいな子だよな。

 などと思いながら、可憐な婚約者の怪しげな動きを見守っていたが、ぬいぐるみが動いたり喋ったりする様子はなかった。やはりさっきのも、気のせいだったのだろう。




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