六.月虹神からの贈り物
宣言通り、びっくりするほどの速さで本日分の書類を片付けた国王によって、セスには休みが申し渡された。ネプスジードが言うように、ラファエルはセスに対し過保護が過ぎるのではないだろうか。
と思ったものの当人に言えるはずもない。
アルテーシアは本日一日掛かりでドレス合わせと調整をするというので、セスも段取りの確認に行こうか……などと考えていると、月虹神殿のほうから呼び出しが来た。何やら届け物があるらしい。
王城敷地に隣接した神殿区画には、真新しい月虹神殿がある。ルフィリアと彼女の祖父エリファスのため国王が建設させた神殿だが、神官長を務められる人物がいないので、当面はエリファス氏の采配により施療院として活用されることになっている。
各地に散っていた月の民や、民族関係なく月虹神を信仰する者たちが集いつつもあり、組織立って運営できる見込みも出てきたところだ。そんな月虹神殿に、セステュ・クリスタル宛の贈答品が届いているのだという。
「セスさん、お待ちしてましたー! どうぞ入ってくださいな」
控えの間は診療待ちの人々で混雑するからだろう、神殿関係者が出入りする通用口に招かれた。出迎えたのは、やわらかな金髪を
シークライ・シルヴァーレ――愛称をシークという彼はエリファスの弟子で、月虹神殿に住み込みながら施療院の手伝いとエリファスの助手をしているという。長命のエルフたちの中では格別に歳若く、まだ子供と言ってもいいほどだが、働き者で性格も明るく人懐こく、信徒ではないセスにも親切に接してくれる。
「ありがとう、シーク。君が、その……贈答品? 受け取ってくれたのかな」
「僕じゃなくって先生ですね。宅配じゃなく、礼拝の間に直接届いたらしいですよ」
「どういうこと?」
真新しい廊下は綺麗に掃かれて磨かれて、塵一つ落ちていない。施療院として使われているためか、すれ違う関係者も神職者より医療従事者のほうが多い印象だ。軽い挨拶を交わしつつ奥へ進むと、シークは聖所へ続く扉の前で足を止め振り返った。
「先生が言うには、朝起きて白龍さまに祈るため聖所へ入ったら、祭壇の前に置かれていたんだそうです。誰かが入り込んで置いていく、なんてことはできませんから、白龍さまからのプレゼントかもですね」
「まさか。俺は信徒じゃないし、月虹神様と会ったこともないんだよ?」
「でも、セスさんが、月読うさぎを助けたんでしょう? きっとそのお礼ですよ!」
得意げに言い切るシークに何と答えたものか迷い、セスは視線をさまよわせる。
月読うさぎを助けたのは自分ではなくウィルダウであり、月虹神殿を建てたのはラファエルだ。心当たりがまったくない。
「おぉ、セスどの来なさったか」
外の声が聞こえたのか、聖所からエリファス氏が現れた。雪のように白い頭髪と髭は加齢のせいではなく、月の民である証なのだという。彼は技術力の高い医師でもあり、ラファエルが身内からの毒に倒れたとき、その場に居合わせて命を救ったと聞いている。
本人から聞いたのではないが、瀕死に陥ったティークを治療してくれたのもエリファスだったらしい。当時はまだエルフの村にいたシークがその一件を覚えていて、セスにこっそり教えてくれたのだった。
「エリファスさん、連絡くださってありがとうございます。シークから少し聞きましたが、どういうこと……でしょうか」
「ふむ、まぁ、入りなされ。儂もシークも開けてはおらぬでな、中身は知らんのよのぅ」
「はい」
信徒でもないのに聖所に踏み入れてもいいのだろうか、と迷ったが、シーク少年に背中を押されて中へ通された。
思ったよりも広い部屋には応接用の椅子とテーブルが置いてあり、奥に祭壇と白狐の像がある。その祭壇の手前側に大きな箱が、ご丁寧に白いリボンを巻かれて置いてあった。
「これ、ですか」
「そうじゃよ。
「……はい」
恐る恐る近づき、腕を回してそっと抱えてみた。大きさの割に軽く、静かに揺すってみても音はしない。
「セスさん、持って帰るの大変そうですね。ロバを貸しましょうか?」
「え、ううん、大丈夫だよ! 重くはないし、城まではそんなに距離もないから」
「ここで開けてもええがのぅ?」
「あっ……はい」
何が入っているかはわからないが、確かに中身だけなら運びやすいかもしれない。エリファスの言葉に甘えることにして、応接テーブルの上でいそいそとリボンを
これは、本当に、そういう可能性があるかもしれない……?
期待か緊張か、胸が高鳴って指先が震える。ぴったりと嵌め込まれた蓋をゆっくり持ちあげ中を覗き込んだ瞬間、心臓が飛びあがるほどに驚いて、セスは固まってしまった。
白い箱の真ん中に鎮座するのは、黒いぬいぐるみ。
首が長く胴体は丸っこく、ヒレのような手足がついた竜――首長竜だ。
ほつれも汚れもない綺麗なぬいぐるみだが、その色と姿形には見覚えがありすぎて
「わぁ可愛いですね! でも、なんでぬいぐるみ? 白龍さまってば未来視の神様だから、おふたりにお子様産まれるのを見通して、プレゼントをくださったのかな」
「えっ、いや、そんなはずっ……、あの、ありがとうございました!」
「シークや、ご夫婦のプライベートに口を挟むものではない。セスどの、そちらが入る大きさの手提げを貸しましょうかの?」
「ありがとうございます! 助かります!」
覗き込んで興奮するシークをエリファスがたしなめるが、夫婦になるのはこれからの話だし、変な誤解をされている気がしてならない。しかし、それを訂正する余裕は今のセスにはなかった。大きめの
心臓が身体から飛びだすのではないかと思えるほどに、ドキドキが止まらなかった。バッグの縁から頭を覗かせている首長竜を、歩きながら何度も確認してしまう。
ほんのり毛羽だっている柔らかい手触りも、人手によらないステッチも、ぬいぐるみと思えない黒々した色も、目の代わりらしい紫色のボタンも、
このぬいぐるみはあの神域で、消えゆくウィルダウにセスが投げつけたものだ。
あの時点ではもう炎に隔てられていたのだから、月読うさぎが拾って月虹神に届けたということもないだろう。
なぜ月虹神殿なのかはわからないが、何の意味が込められているのかもわからないが、贈り主は彼以外に考えられなかった。
ウィルダウに手向けた言葉の数々は、確かに、彼本人に届いていたのだ。
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