4 years later - 黒竜騎士の結婚式
一.黒鱗の町で
春の始まりにはいつも、強い風が吹く。身を切るような冷たさに少しずつ
畑はやわらかく
セステュ・クリスタルが黒飛竜に乗ってここ、ルマーレ共和国を訪れるのは、決まってこの季節だ。港近くの家々には飾り縄が張られ、色とりどりの鈴が吊り下げられている。海開き祭の名残りだとかで、月が替わるまで厄除けのために飾っておくらしい。
議会堂がある首都と違い、家々の屋根は黒い石板――耐候性の高い
「まだ、寒いですね。トライドは大丈夫? わたしのマフラー貸してあげる?」
「フォア、ファンッ」
心配そうなアルテーシアと、得意気に胸を張る黒飛竜のトライド。飛竜は風の魔法を操れるので暑さ寒さには強いのだが、そんなふうに心配する優しい彼女が愛おしくて、つい頬が緩んでしまう。黒い鱗に
セスは自分の首から若草色のマフラーをほどき、彼女の髪ごとふんわりと巻いてやった。
「ルシアのほうが風邪ひいちゃうよ?」
「あっ……それを言ったらセスのほうが! わたしは、髪が長くてあったかいので大丈夫なんです」
「フォッ、ファッ」
「俺は平気だよ。トライドだって寒くないだろ」
自分も、と甘える黒飛竜の首を撫でてなだめてから、セスは彼女の手を取った。手袋越しの
「
「ファ……」
「はい、行きましょう! すぐ戻るから、いい子で待っていてね、トライド」
向けた背中に寂し気な声が掛かるも、海の様子を見張るための潮望台に大きな飛竜が入ったら、床が破損してしまうので連れてはいけない。絆を結んでもう四年になるがトライドの甘えたがりは
そう――あの出来事から四年の歳月が流れている。
今は新生エルデ・ラオの国王となったラファエルと蒼飛竜に乗って大陸の空を駆けたのは、十七歳の初夏だった。
竜騎士を目指すにはもう遅いと長兄に言われ、父からは再三帰国を促す手紙を寄越され、エルデ・ラオの竜騎士団員から絡まれ揉まれ鍛えられ、自信を失いかけた時に出逢った、黒い飛竜。
三ヶ月を掛けて一人で乗れるようになり、半年を掛けてアルテーシアを同伴できるようになった。ラファエルに一人前と認められ、遠征――私用も含めた遠方への飛行――が許可されるまでは、一年以上かかった。
最初の年は一週間ほど掛けた休みながらの道程だったが、今はだいぶ長距離飛行にも慣れ、日程も半分ほどで済むようになった。
ここへ来るのも今年で三度目。この度は、重大な報告を携えている。
丸太を組んだだけの簡素な階段を、滑らないよう慎重に登る。最初の年にはまだほんのり雪が残っていて、登り始めた途端に足を滑らせたセスが派手な悲鳴とともに階段下まで滑り落ち、トライドが興奮して駆けつけるというハプニングがあった。
丸太が雪をかぶっているなら、土が敷かれた部分をしっかり踏みしめるべし。痛い思いをして最初の年に学んだことである。
潮望台から見下ろせば、遥か下に
真上からは正確な形状をとらえられないので、黒くて大きな生き物が――今も記憶に焼きつく巨大な首長竜が――身体を丸め、海底で眠っているように錯覚するのだった。
最初の訪れは、十九歳の春。はじめてここに立ち冥界神殿を見下ろして、セスは少し泣いた。隣に立っていたのがアルテーシアだったから、気が緩んだのかもしれない。
高台を吹き抜ける風はまだ冷たく、泣いたせいでますます寒くなって震えながら、眼下の神殿へ竜騎士叙任の報告を手向けた。飛竜は泳げないので帰る時に上空を旋回してみたけれど、届いたかはわからない。
二度目、昨年の今頃に訪れたのは、婚約を報告するためだった。セスとアルテーシアとの間には何の問題もなかったが、それぞれの父親から同意を貰うのが大変だったのだ。
それぞれの兄やラファエル、ハスレイシス両国王も巻き込みつつ説得し、晴れて婚約できたのが二十歳の春先。それから二人でここへ来て、
そして三度目、二十一歳になった二人が携えてきたのは、結婚の報告だ。
潮望台から見渡す春の海は、白い波が立ち上がっては崩れ、群れる生き物のように鳴動している。強い風に吹きあげられ、寄り添って立つセスとアルテーシアの髪が絡み合う。昨年ほどの照れはもうない。しかし親や上官たちとも違う相手への報告は、独特の緊張感を伴うものなのだ。
彼は神様なのだけれど、セスの中では
「ウィルダウ、改めまして、……えぇと、あの。何て言おう」
「セス、しっかりしてください!」
「大丈夫だよ! え、と、この度、俺とルシアは晴れて結婚の誓いを立てることになりました。日取りは、来月の十日。場所は、エルデ・ラオの戦火神殿です。王城の敷地に隣接して新設されました。べ、別に、来て欲しいとかじゃないけど……一応いろいろお世話になったので!」
「ウィルダウ様、セスはこう言ってますけど貴方に会いたがっているんです。ご都合がよろしければ、是非いらしてくださいね」
「待ってルシア、そんなじゃないって」
締まらない報告になってしまったが、だいたい毎年こういう感じだ。隣で頬を染め嬉しそうに微笑む愛しい人は、相変わらず聡明で考え深くも歯に
「だってきっと、聞いておられると思いますよ。あれから冥海神殿の灯りが絶えたことはないって、漁師の皆さんも言ってらしたじゃないですか」
「うん、そうなんだけど。でも……向こうが俺に会いたいと思ってるかはわからないよ」
最後の選択は今も後悔していない。しかし、彼がセスにどんな感情を抱いたのかを知るすべもなく。時が経てば経つほどに不安になる一方なのだ。
だって、押しつけたのはぬいぐるみだし。
それでも毎年ここを訪ねるのは、もう一度会ってできるならば話をしたいと願っているからに違いなかった。
気弱になるセスに、上目遣いのアルテーシアが微笑みかける。
「それはそれ、考えても仕方ないです。報告終わりましたし、トライドも待ってますし、戻りましょう」
「うん、そうだね」
思うままに生きればいい、そう言ってくれたのは銀竜のクォームだった。すぐに結果を欲しがらず待てと言われたのだ。神という存在が『人に憶えられることで存在を定義され、祈りを向けられることで魔力を蓄える』のであれば、この来訪も無駄ではないはず。
来月の式に向けてすべきことはまだ沢山ある。途方もなく忙しくて目の回る日々だけれど、喜びの日々でもある。それが、今なすべきことなのだろう。
寂しさの名残りを
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