終.薔薇に誓って


 妻の監視のもとで三日ほど安静に過ごし、ディスクは実に一ヶ月ぶりに輝帝国王城へ登城した。宮廷は以前より慌ただしさを増して皇太子も多忙を極めていたが、護国騎士団ガーディアンナイツの詰所に出向けばすぐに取り継いでもらえた。

 皇太子ハスレイシスは相当心を痛めていたのだろう。ディスクが執務室に出向くより早く、彼のほうから詰所へ飛び込んできた。ソファで待っていたディスクに目を留めるなり怒れる獣の形相で近づいて、胸倉を掴みあげる。


「馬鹿者! ああもう、心配をかけやがって! 無事で良かった!」

「ちょ、ハス、苦し……」

「煩い! 私がこの一ヶ月、どんな思いでいたか!」

「あ、はは、悪かった……」


 立てばディスクのほうが背は高い。ハスレイシスは手を離し、今度は両腕でディスクを抱き締めた。歳上の親友が全身を震わせているのを感じたが、あえて気づかぬ振りをする。

 皇太子が気持ちを落ち着けるまで待ってから、ディスクは改めてザクロスフィーラの正体と討伐の顛末てんまつを報告するとともに、意識を失っていた間デュークがあれこれ動いてくれたことを聞かされたのだった。




 死霊魔術に限らず、魔導の効果というものは発動させた術者自身と連動する。

 ザクロスフィーラが封じられたと同時に氷海ひょうかいの門影は消え、幻魔の森を覆っていた瘴気も晴れたという。ちょうど居合わせた竜騎士ケスティス・クリスタルが確認し、その足で森へ向かい、怪我を負ったディスクを連れ帰ってきたとのことだった。

 ディスクと一緒にいた傭兵は言葉通り後日、護国騎士団ガーディアンナイツを訪ね、詳しい情報を報告していったらしい。デュークと名乗った彼は傭兵ギルド所属の魔剣士だとか、ギルド経由なら連絡も取れるだろうという話だった。

 彼は、原初の炎魔法や戦火神とのつながりについては何も伝えなかったようだ。知られたくない何かがあるのだろうと思い、ディスクも補足的な情報を話すことは控えた。向こうもディスクの所属国を知っているのだし、縁があればまた会えるだろう。


「それとな、ディスク。じきに正式な公布をするが、最終調整が済んだら私は帝皇の座を継承するよ。おまえも正式に五聖騎士ファイブパラディンの一人となって、私を助けてくれないか?」

「もちろん……て、ちょい待て、あれは臨時の任命じゃなかったのかよ!」

「おまえは今回の件で誰も追随ついずいできない実績を残したし、軍事面においては特に、私自身が信頼する人物を置きたい。……飛竜騎士団ドラゴンナイツも、レーダルよりケスティスのほうが信頼できるのでね。今なら『死霊の門』事件を解決した功績を理由に、人事を動かしやすいのさ」


 柄じゃない、と断ることもできただろう。ディスクは何かに縛られるのが好きではないし、愛する妻と産まれたばかりの娘を最優先したい気持ちが強い。だが、親友が本気で輝帝国の改革に取り組もうとしていることも理解できた。


「……わかった。でも、返答は少し待ってもらえるか? ロザリナに相談せず了承したら、今度こそ俺様、あいつに口きいてもらえなくなるからさ」

「ふふ、そうか。それもそうだな。では、この件についてはまた後日」


 物わかりのいい親友はごねることもなく頷いて、立ちあがる。護国騎士団ガーディアンナイツがまとめてくれた報告書を検分し、犠牲者家族への弔問など今後の方針を決めてゆくのだという。

 ディスクもその日は長居せず、愛する妻と子が待つ家へ早めの帰宅をしたのだった。




 帰宅し、皇太子からの話を伝えれば、ロザリナは微笑んで「いいと思うわ」と答えた。午後の日差しとぬるい風が開け放った窓から入ってくる。幼い娘は機嫌が良いのか、片目が潰れた父の顔を見ても泣かずにいてくれた。

 まだ良くわからないのよ、と妻は笑う。物心つく前から見慣れてしまえば、大きくなっても怖がったりはしないだろうと……彼女は言うが、正直ディスクには自信がない。

 出生から二週を過ぎてようやく与えた「カルミア」という名は、ロザリナと同じように花の名を由来としている。石楠花カルミアの花のように強く明るく育ってほしい、という願いを込めて、ディスクが付けた。


「結婚したら、心を入れ替えて家庭第一になろうと、思ってたのになぁ」

「国家あっての家庭、家庭あっての国家よ。その両者は、切り離せるものじゃないわ」

「でも、いつもおまえに心配と負担をかけてる」

「今さらね。あなたと一緒になった時から、覚悟はできてるわよ。あなたも、この子も、ちゃんと支えて守ってみせるから」


 初夏のぬるい日差しを浴びて、ロザリナは薔薇が咲き誇るように微笑む。ディスクは一瞬息を飲み、それから、手を伸ばして妻に触れた。ゆっくり顔を近づけ、口づける。記憶も時間の感覚も失せて眠り続けていた間、それでも確かに、このぬくもりとやわらかさを感じていたように思う。

 しばし二人で愛情を交わしていると、母の手が止まったことに機嫌を損ねた娘がぐずりだした。どちらからともなく離れ、微笑み合う。


「ごめんな、カルミア。でも、ロザリナはおまえのママである以前に俺様の奥さんなんだぜ」

「大人げないわよ。……もう、困ったパパよねぇ」


 慈愛の視線が娘だけに向くのをいささか寂しく思いつつ、ディスクはソファに深く座して、答えた。


「俺は、ハスの話を受けてやりたいと思う。おまえには今以上の苦労をかけるかもしれねぇが……賛成してくれるか? ロザリナ」

「あなたの好きにしたらいいわ。ただし、私を騙そうとはしないこと」

「それは、もう……二度としません」

「うふふ、よろしくてよ」


 あでやかな笑みをこぼすロザリナに自分はきっと、一生頭が上がらない。そういう幸せを選んだのはディスク自身で、彼女もこんな自分を受け入れ受け止めてくれた。

 だから、全身全霊をかけ守り抜くのだ。至上の薔薇、最愛の女神ひとに全てを捧げ――。


 穏やかな午後の幸福に身を浸しながら、ディスクは改めて、心の内に誓いを立てたのだった。



 


[竜世界クロニクル・番外編『死霊の門』〈完〉]

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