二.神々の家


 冥海神めいかいしんの本神殿ではあの災厄の日以降、灯りが絶えたことがない。長らく留守にしていた主が神殿へ帰還されたのだと考えた人々は、昼には香をき夜には篝火かがりびを灯して、日夜問わず海底の神殿へ向け祈りを捧げている。

 彼らの祈りが届いたのだろうか。ここ二、三年は海産物の育ちも良く、大きな嵐が襲ったこともないという。


「そういうところ、ソラクロは似ていると思うわ」

「神なんて皆、似たようなものだと思うが。君だって」

クロは行くのでしょう? あの子たちの結婚式」

「え? ――まさか」


 白く弾力ある真綿を敷きつめた海底神殿で、白狐の女神と銀髪の青年が会話している。

 四年前に比べると、白龍はだいぶ大人びたようだった。絹のように細い真白な髪の間で、空色の目が鋭く笑う。


「エルデ・ラオの国主は再建の際に白龍わたしの神殿も建ててくれたから、神殿経由で送ってあげるわ。神として降りるのが恥ずかしいなら、をしていけば? そういうの得意でしょう」


 セスのように長くはないが、滑らかで癖のない銀の髪。双眸そうぼうは以前のような翡翠ひすいではなく、深く光を飲み込むすみれ色だ。白狐の女神とは違い、爪先から頭の天辺まで完全に人間の姿をとった青年――冥海神ウィルダウは、揶揄からかうような彼女の言葉に視線を傾ける。


「別に、恥ずかしいから行かないというわけでは、ないが」

「そういう仕草や言い方もあの子セステュにそっくりだわ。見ための年齢も同じくらいね」

「面白がらないでくれ」


 長椅子に深く座して本を読んでいたウィルダウは、人間でいうなら二十歳を過ぎたほどの年代に見える。外見の成長はすなわち魔力量の回復であり、冥海神と星宣せいせん神の権能が戻りつつあることも意味していた。

 当人とてこれほど早く回復するとは思っていなかったのだろう。消滅を免れたことで身の内に留めてしまった『銀河の権能』をどう扱うかも含め、これから人族や世界とどう関わっていくのか、彼なりに思い悩んでもいるのだ。


「避けつづけてもいつか道は重なるわ。それが、絆を結ぶということでしょう?」


 未来視の女神の宣告に、玄龍は何も言えずに苦笑する。命も魂も使い尽くして果てるつもりだった彼を現世につなぎ止めたのは、セスのと白龍の権能だった。個より全を重視する調和の神が心を寄せてしまった、ただ二人。それを思えば、白龍の言は正しいのだろう。

 彼女が予言した『五年後』まで、あと一年。彼が今回どんな選択をしようと、再会は定められていると思えば。


「……君は、私から歩み寄れと言うのか?」


 ウィルダウとて、セスが四年前の選択をまだ不安がっていることは良くわかっている。そもそもセスは、相手の意志を無視して我を通せるような気質ではない。

 彼自身、少年のそういう柔らかさを気に入ったからこそ、世界の未来を賭けた局面でさえ意向に任せてきたのだ。

 銀竜の導きで儀式の一端を担いでおきながら、セスはウィルダウが消え損ねたことをいまだに知らない。そう望み、信じてはいるだろうが、帰還した冥海神がウィルダウ自身である、という確信までは持てていないのだ。だから白龍は、式で姿を見せて安心させてやれと言いたいのだろう。

 軽く睨み見れば、白狐の女神は着物の袖で口元を覆い、くすくすと笑って言った。


「そんなに、難しく考えないで。クロは会いたいのでしょう? ならば躊躇ためらう理由など探さないで。予言も運命も、願望のぞみどおりに動くための理由づけでいいわ。貴方は賢いひとだから、手段ならいくらでも思いつくはずよ」


 身も蓋もない言い方だったが、正論だった。反駁はんばくの言葉をしばし思考し、それからウィルダウは気が抜けた気分になって相好そうごうを崩す。


「そうだな。遭遇すると煩そうな戦火神や魔将軍たちの目をいかに誤魔化して、式に参列するか。面白そうだ」

「あきれた。クロってば、ぜんぜん反省してない」


 本気で呆れた声が返ってくるも、女神の表情は満足げに微笑んでいた。




  ☆ ★ ☆




 エルデ・ラオ国の再建された主城は、白亜の外壁に緋色の屋根が美しく映える建物だ。王城に隣接して設けられた神殿区画には、戦火神と月虹神の中央神殿が建てられている。

 戦火神殿の神官長を務めるは、まだ見目若い――しかし実年齢は五百歳を超える――美丈夫との噂だ。

 冠婚葬祭を取り仕切るのは神殿の役割だが、中央神殿で催事が行われるのは関係者が王族か貴族か国家の要人の場合のみ。なのでこの度の結婚式は、現国王ラファエルの戴冠式と結婚式以来の神事だった。


 正直言うと、デュークが神官長を引き受けたのは、フィーサスなら国家の守護神なんてすぐに飽きるだろうと思ったからなのだ。しかし彼女は今のところ、ラファエルと新築の神殿を気に入っているらしく、美女と白毛玉の姿を行き来しながら楽しげに守護者の役目を果たしている。

 五百年以上も根無草だった傭兵が、今や中央神殿の神官長だという。自分自身でも信じられないのに、周囲はあたかも当然のごとく現状を受け入れしかも大歓迎しているのだから、意味がわからない。


「……おまえもそう思わないか、フィーサス」

「うん、何だって? いいじゃねぇか、俺とおまえでセスとルシアの門出を祝ってやれるんだぜ?」

「俺みたいな似非えせ神官が…………ハァ」

「まごうことなき俺の守護騎士パラディン様なのに、エセのわけないだろが」


 デュークとしては、苦楽を共にし世界を救った歳下の友の晴れ姿は、友人の立場で祝福したかった。式で結婚生活の成功が左右されるわけではないにしても、おそらくは一生に一度の大切な節目を采配するなど、荷が勝ちすぎるというものだ。しかし、フィーサスが嬉々として二つ返事で受けてしまった以上、退路もない。

 不慣れな式進行を堅実に果たすため今はとにかく覚えるしかない。覚えることがたくさんあり、選ぶべきものもあれこれあり、事前準備もすべき事も山積みだというのに。


「なぁデューク、式の髪飾りと首飾りに、これ良くね?」

「待て。それは弔事用の飾りだ、間違っても付けていくんじゃない」

「マジ? あーそっか、黒と紫は冥海神ヤローの色か! じゃ、これだな」

「それは男物の飾り……って言ってる側から箱をひっくり返すな!」


 炎のごとく鮮やかな真紅の髪に黒オパールと紫水晶アメジストの飾りは美しく映えたが、ここにある装身具は儀式用にこしらえられてものでそれぞれに意味を持つ。女神が場違いな物を身に付けて登場するとか、凶兆以外の何だというのか。

 友の人生における一大イベントを祝福を与える側がぶち壊すハプニングなど、あっていいはずがない。しかもそれが自身の仕える神とあっては、もはや何をもって償えば良いのか、である。

 青ざめたデュークは指南書マニュアルを放り出し、女神の暴挙を食い止めるために立ち上がったのだった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る