五.お人好したち


 幻魔の森は、嘆きの雪原に食い込むような形で広がる杉の森だ。広大な平野を雪原たらしめている異常気候は当然、森にも及んでいる。この地に季節という概念がいねんはなく、森の地面は厚い根雪に覆われていた。

 ディスク自身は寒さに強いわけではない。裏地のある革製コートを着込み、裏起毛のブーツをいていても、骨のずいにまで染み込む冷気は防げない。指が凍ると任務に差しさわるので、手袋をはめた手をコートのポケットに突っ込んでいるが、この森で野宿はできないと薄々理解してきた。


 元より闇雲に探し回るつもりもないが、寒さと一緒にじわじわ身体をむしばむのは、焦燥だ。

 ここにきてディスクは、妻に渡された物が『転移リープの指輪』だった意味を理解した。ザクロスフィーラを討伐することしか考えていなかった自分と違い、彼女はこの地域の気候的な危険も念頭に置いていたのだろう。


「……ディスク、受け取れ」


 引っ叩かれた頬に残る熱を思い出し余韻に浸っていたところに、声が掛けられた。

 振り向き見た視界にひゅんと飛んできたのは白毛玉――フィーサスだ。思わず手を出して、受け止める。


「なんだ?」

「ふぃい」

「この寒さ、人間にはきついだろう」


 話が見えない、と言い返そうとして、気がつく。白い毛玉は綿毛をやわらかく丸めたような手触りでモコモコしており、生き物らしく温かい。つまりこれで暖を取れと、そう思い至ってディスクは苦笑した。


「おまえは寒さを感じないんだな」

「……身体の感覚など、とっくの昔に失った」

「そうかい。なら、遠慮なく借りるぜ」

「ぷっキュぃ」


 フィーサスがディスクの肩に留まると、刺し通すような冷気が若干やわらいだ。妖精のたぐいか魔物なのか、まったく予測がつかないこの生き物は何なのだろう、とディスクはしばし思いをせる。

 デュークが数歩先を歩んで言葉少なに林道を進み、やがて杉がまばらに生えた場所へたどり着いた。


「……開けた場所を探す、と言っていたな。ここなんか、良さそうに思うが」

「そうだな、このくらいの広さがあればいけるだろ」

「何をするつもりだ?」


 デュークは無口な男なのだろう。無駄な話――自分のことや白毛玉の生態など――は一切せず、すべきことだけを聞いてくる。ディスクは逡巡しゅんじゅんし、口元に愛想笑いを浮かべた。彼は死霊魔術に関しどこまで知識を持っているのだろう。


「デューク、おまえは何をするつもりで、この幻魔の森に来てたんだ?」


 一人きり(白毛玉は計算カウントしない)で幻魔の森をさまよっていた、ザクロスフィーラの手下ではない不死者。話してみれば妙にお人好しときた。帝国の宮廷魔導士、今は五聖騎士ファイブパラディンであるディスク自身より、よほど奇妙な動きをしていると自覚しているだろうか。

 案の定、デュークは問いを向けられて明らかに動揺した。


「俺……っ、私は、……仕事で、だ」

「仕事ってのは、雇う者と報酬があって成り立つもんだろ。おまえにとっての対価は何で、どこから支払われるんだよ」

「それは……だな……。おまえには、関わりのない、……というか」


 くぐもった声がボソボソと呟いているが、間違いない。あきれ半分、感心半分、といった心境でディスクはため息を漏らす。この男、どうやら全くの善意でザクロスフィーラをどうにかするつもりだったようだ。


「あのなぁ、報酬カネも貰わず命を賭けるなんて、馬鹿がつくお人好しかよ」

「ぴきゅー」

「ばっ……馬鹿とは失礼だな。私は、不死者だ。フィーサスも、同意するな。相手と同じ不死者なら……危険はより少なく済むし、そもそも死ぬ危険はないだろう」

「ぴぎぃ」


 ディスクにフィーサス言語はわからないが、どうやら謎ペットも同意するほどのお人好しだというのは理解できた。

 彼に出会えたことは幸運だったかもしれない。ディスクが行おうとしている作戦は非常にリスクの大きい手段だ。しかし、不死者である彼の力を借りることができれば、成功率はぐんと跳ね上がる。

 デュークが信頼のおける相手かという点に関しては、わりと疑い深い性格である自分から見ても間違いないと思えた。


「質問に答えてやるぜ。俺様がこれから展開しようとしている魔法陣は、ザクロスフィーラがこの森に仕掛けた魔導の廉価版だ。奴が集めている死霊化した魂を横からかすめ取る。俺様の技量じゃ奴に及びもしないが、挑発になるだろ」

「挑発して……、本人を引っ張り出そうという魂胆か? だが、倒せる算段があるのか」

「当然」


 あまり突っ込んで聞かれたくなかったので、端的に答えて場を濁す。デュークは少し考えたようだったが、しばらくしてぽそりと言った。


「宮廷魔導士。何と、言うべきか……私はこれでも『戦火神』と縁があり、原初の炎魔法を扱えるから、死霊と化した魂へ浄化による救済を……与えてやれる」


 言われたことの意味がすぐには理解できず、ディスクは数秒固まったまま彼の言葉を脳内で反芻はんすうする。

 彼はさっきも同じ事を言っていた。しかしそもそも不死者自体が、神様的に不自然な存在ではないのか。譲って生前に神官だったとしても、扱う魔法は神官魔法ではないのか。

 神官が不死者を討伐し浄化するのが一般的な構図だ。彼はいったい何者なのだろう。原初の魔法を扱えるのは確か――竜人と呼ばれる、先天的に魔法の才能がある者だったと記憶しているが。


不死者アンデッドが戦火神の神官になれるものなのかよ」


 率直に尋ねれば、デュークは困ったように中空へ顔を向ける。人間が言葉を探して視線をさまよわせる所作に似ていた。少なくとも、誤魔化そうとしている様子には見えない。

 妙な沈黙が張り詰める中、フィーサスがディスクの肩から離れてデュークのほうへ飛んで行く。白毛玉の尻尾に黒マントで覆われた肩をてしてしと叩かれる姿は、当人の不気味さと相まって滑稽こっけいだった。


 ――本当に、お人好しにも程がある。

 そう思えば可笑しくなって、自然と口元が緩む。


「ふはっ、解った。それならおまえを信用して浄化を頼むぜ。ただそうすると、確実に挑発以上の刺激をあちらさんに与えてしまうだろうよ。その覚悟も、あるんだろうな?」

「……もちろん、だ」


 今度の返答は力強く、迷いもなかった。最初の目論みだった、派手に暴れて黒幕を引っ張り出す以上の結果を期待できるかもしれない、とディスクの気分もたかぶる。


「オーケー、なら俺様も全力で行くか。頼んだぜデューク!」

「……ああ」

「ぴぎゅー!」


 返ってきたのはデュークの淡白な相槌あいづちと、気合十分と言わんばかりなフィーサスの鳴き声だった。ディスクはついに吹き出して、それから魔法陣構築の準備に取り掛かった。




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