六.浄火の葬送


 魔導とは魔法系統の一つで、人間により考案され発展したと言われる。死霊魔術、呪術、詠唱魔術、付与魔術の四分野があり、極めるつもりならどの分野も費用と教養が必要だ。

 魔導士を養成する訓練校のようなものもあるが、学校で学べるのは詠唱魔術と付与魔術のみ。死霊魔術と呪術は修得するための門戸が狭く、熟練した使い手は魔導士協会内でも数える程しかいない。

 ディスク・ギリディシアが得意とするのは死霊魔術で、付与魔術も扱える。


「……擬似ぎじとわかってはいても、気味が悪いな」

「仕方ねえだろ、死霊魔術なんて系統自体がやばい系なんだから、今さらだぜ」


 付与魔術には魔薬まやくを造る技術も含まれる。魔薬とは、特定の材料を調合し魔力を込めて生成する特殊な液体や薬剤だ。これにより、いわゆる『にえの生血』代わりに使える擬似血液を生成できるのだ。

 それをカートリッジに詰め、描画用の杖に取り付ける。杖の造りは万年筆と似ており、広い場所に血文字の魔法陣を描くときに使用する。


「そうまでして、……お手軽に使いたいものか?」

「どうだろうね? 研究者の考えなんて俺様には知ったこっちゃねえが、代用利かねぇ系統でもあるからなぁ。ただ、幾ら技術が進んでも結局には及ばないわけで」

「なるほど、だから廉価版というわけなんだな」

「そそ」


 なぜ死霊魔術に手を出した、とはよく聞かれる。実のところ、語って聞かせるほど深い理由もなく、誰もが使えるものではないという特別感に惹かれただけだ。今になって思い返せば若気の至りというやつだが、特殊な技術はやはり重宝されるので、仕事面でも私的な用事プライベートでも役立ってくれた。

 最後の一画まで描き終え、図案の紙と雪上に広がる魔法陣を丁寧に見比べる。図案も文字も間違いがないのを確認する。


「これでよし。デューク、今から発動するのは『手当たり次第に死霊を集める』魔術だ。本来なら中心点に核となるものか仮初の身体を置いて、集めた魂を取り込むんだが、その役目はおまえに任せていいんだな?」

「ああ。……任せろ」


 デュークは頷き、雪上の模様を踏まない慎重な足取りで魔法陣の内側へ移動した。肩のフィーサスがふわりと浮かび上がり、ふよふよと飛んできてディスクの肩に留まる。


「ふぃーきゅい?」

「ん? 何だって?」

「……向こうに、察知されたかもしれん。気をつけろ」

「チッ、勘のいい奴だな。デューク行くぜ、――霧の森に縛られし哀れな死霊よ、俺様の声を聞け、集い寄れ!」


 いささか雑な詠唱ではあるが、発動に支障はない。魔法陣と血文字が一瞬赤く輝き、薄暗い色に燃え上がった。静謐せいひつな森をざわめかせるのは命なき声、亡者のうめきだ。ほのおの中心に立つデュークへと引き寄せられるように、薄く透けた人型の影が集まってくる。

 黒マントの間から枯れ木のような腕が伸び、雪上に突き立てていた片刃の大剣を引き抜いて掲げた。低くくぐもった、しかし確かな意志を乗せた声が、不気味に響く死霊たちの声と重なる。


「〈破壊の炎龍よ、我が剣にVarsick-FirElle-Latreu〉……」


 ディスクにはまったく馴染みのない詠唱が響き、掲げた剣があざやかな炎をまとう。魔法陣を燃やす暗い焔とは違う、光り輝く真紅。あれが原初の炎というものなのか。


「〈穢れし闇を焼き尽くせBerge-Razra-Fleyroun〉!」


 声高に叫ばれた詠唱に呼応し、刃を取り巻く炎が爆ぜた。火の舌が生き物のように伸び、集まっていた亡霊たちに食らいつく。炎に呑まれた死霊たちは火の粉のような燐光を残して次々と消えてゆき、残されたきらめきもゆるゆると空へ昇っていく。

 実際に見るまで半信半疑だったことは否めない。しかし、まごうことなき浄化の炎魔法を目にして疑念も払拭ふっしょくされた。これなら『極めて低い』可能性を『勝率三割』くらいまで引き上げられそうだ。


「ピキュイ!」

「うわっ、と!」


 不意に森全体が鳴動し、雪に覆われた地面から幾つもの黒い影が飛び出した。目だけがギラギラと赤く燃えていて実体というには覚束おぼつかない、中途半端な存在。もはや死霊とも呼べない邪気の固まりは、ザクロスフィーラが放ったものだろう。

 闇よ、と呼びかけ、右手に漆黒の剣を幻出げんしゅつさせる。襲いくる闇獣を斬り払えば、呆気なく瘴気しょうきかえってゆく。


 動きが素早く野犬か狼を思わせるが、本当に怖いのは、獣を動かしているのが『死の力』だということだ。牙や爪がわずかにかすっただけでも根こそぎ生命力を奪われてしまう。

 この手のものには普通の武器が効かない。魔力を通した武器か特定の魔法でないとすぐ復元してしまうのだ。加えて森の寒さと暗さがある。

 今はデュークの炎魔法に明るく照らされて見分けやすいが、薄暗く瘴気が満ちる中で闇獣の群れに襲われた部隊の恐怖を思えば、ディスクの胸は痛んだ。


「ふきゅ、ぴー!」

「何かわかんねぇけど、おまえも気をつけろよフィーサス!」

「きゅぴぴーん!」


 心なしか白毛玉は全身を膨らませている。気のせいだろうか、極寒で強張っていた全身の筋肉に熱が通っていくように思えた。元々剣の扱いも苦手ではないが、いつも以上に身体が軽い。動いて身体が温まってきただけではなさそうだ。

 今はじっくり考える状況でもないので、ひたすら身体を動かし闇獣を斬り払う。デュークも浄化のかたわら加勢しており、時折り炎が伸びては闇の塊をめ尽くす。そうして、しばらく共闘を重ねた後だった。

 不意に、襲撃が止まる。デュークの周りに集っていた死霊たちはいつの間にかいなくなっており、燐光りんこうを纏った火の粉が凍りついた薄闇を彩っていた。信じられないことに彼は、森をさまよっていた死霊たちの浄化を本当に完遂したようだ。


 不気味な沈黙が辺りを支配する。ディスク自身の荒い呼吸だけが、眼前の冷え切った空気を白く染めていく。警戒を強め、手にした闇の剣を強く握りしめたその時。唐突に甲高い鳴声を上げてフィーサスが吹っ飛んだ。

 思わず名を呼んだはずが、喉をき止められる。見えない何かが首に絡みつき、全身を締め上げてゆく。くそッ、とうめいた声も音にならず散った。

 身体の芯がしびれるように冷えてゆくのがわかる。呼吸すらままならず、ディスクは雪凍る地面にくずおれた。デュークが何事か叫んでいるが、うまく聞き取れない。


 これはおぼえのある感覚だ。何者かが無理やり身体の内側に押し入ろうとしている、つまり意志を持つ存在がディスクに憑依ひょういしようとしているのだ。

 苦しい息の下、笑みの形に口の端をあげる。儀式も下準備もなく生者に取りくなんてことができるのは、ザクロスフィーラ以外にないだろう。


 ――むしろ、手間が省けた。


 手探りで、腰ベルトから儀式用の短刀を引き抜く。全身を侵食する冷気と刺すような痛みに耐えながら、内側に『闇』が満ちてゆくのを静かに受け入れる。

 今、自分の周りでは膨大な死の力が渦巻いていて、それがフィーサスを弾き飛ばしデュークを阻んでいるのだろう。低い声がディスクの名を呼ぶのを、遠くに聞く。


 奥の手として準備はしていた。確実だが危険度リスクが高く、実行すればもはや帰還は不可能だった。――当初のまま、ディスク一人で立ち向かっていたとしたなら。

 しかし、道中で得た望外の幸運。

 後のことは彼らに託せばいい。いだ心でそれを思い、懐にしまっていた『転移リープの指輪』を空いた左手に握り込む。必ずや、愛する妻の元へ帰るために。


「この身体、おまえが奪うか、俺様が守り切るか、勝負だザクロスフィーラ!!」


 大きく叫んでから歯を食い縛り、ディスクは短刀を自身に突き刺した。




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