二.氷海の門影


 帝国領土は広い。現帝皇ていおうは国土拡張政策にやたらと意欲的で、彼の代になってから北方の砂漠都市が傘下に加えられた。

 次なる狙いは、厚い根雪の下に数多くの資源が眠っていると言われていた北の果ての雪原。特定の獣人くらいしか住まない未開拓地を手中に収めるのは、容易たやすいことに思われた。実際、交渉や戦争が必要となる局面もなかったのだから。


 もしかして『嘆きの雪原』には、踏み込む者にまとわりつくよう定められた呪いが秘められていたのかもしれない。

 輝帝国が雪原の調査を開始したと時期を同じくして、帝皇が難病を発症した。派遣された特務隊が何者かに襲われ、壊滅状態となった。シミひとつなかった真白な雪原に墨を垂らしたような黒点が生じ、日ごとに面積を広げてゆく。

 ついには、雪原の先にある凍った海――氷海ひょうかいの海面に、巨大で不気味な門影が立ち上がったというのだから決定的だ。


 武力のみで解決できない事態に直面すると、帝国騎士団は弱い。帝皇は魔導士協会から主宰役員のリートル・クリスタル導師を招聘しょうへいし、彼の指導のもとに魔導騎士マージナイトと各地から募った傭兵の混成部隊を組んで、調査のため派遣した。

 最初のうち、調査は順調に思われた。雪原の黒点は魔導による瘴気しょうき汚染だと分析がなされ、氷海の門影は強大な魔導によるものだと判明した。しかし、さらに踏み込んだ調査を進めようとした頃から、特務隊の帰還がまばらになってゆく。


 生き延び、逃げ帰ってきた者の証言を総合すれば、こうだ。

 氷海の門影は『死霊の門』と呼ばれる秘法で、冥界から『死の力』を取り出すための装置である。顕現けんげんさせたのは一人の魔導士で、自らザクロスフィーラと名乗った。

 死者の魂を門に捧げることによって彼は『死の力』を蓄えてゆくが、その目的は輝帝国への復讐である――と。


 報告を耳にした時の帝皇の反応は、異常なほどだったという。彼は対抗策を求めて竜騎士団を『妖魔の森』へ派遣し、伝承を手掛かりに遺跡の調査発掘を命じたが、目ぼしい成果は得られなかった。

 同時期に遺跡からほど近い村が滅ぼされるという惨事も起き、竜騎士団長はその調査と後処理に追われて多忙を極めたという。

 輝帝国の魔導士部隊、神殿から派遣された神官部隊――、数を頼みにした討伐隊はいずれも、ザクロスフィーラに太刀打ちできなかった。帝皇は方針を転換して報酬をつりあげ、腕の立つ傭兵を募って送り込むことにしたが、いまだに対抗策は見つからない。


 あれから五年、帝皇の病状は悪化し、雪原の瘴気はますます濃く深くなっている。

 自らが手練れの死霊魔術師ネクロマンサーであるディスク・ギリディシアは、ザクロスフィーラを討つ手段が皆無でないことを知っていた。しかしその方法を実行する者がまず、現れないだろうということも。

 帝皇の命はもう長くはない。もうじき皇太子が帝位を継承するだろう。親友である彼の命が魔導士に奪われるようなことは何としても阻止せねばならない。

 人より優秀だとはいえディスクは一介の魔導士に過ぎず、今や神にも迫る力を蓄えたザクロスフィーラに勝つ手段はない。だとしてもこれ以上手をこまねいてはいられなかった。今のまま挑んだのでは、極めて勝算が低いとしても、だ。

 

 黙っていれば犠牲はますます増えてゆき、ザクロスフィーラは更に力をつけるだろう。そうなってしまえば、もはや人の手で対抗できなくなる。

 親友の命を守るため、また妻と産まれてくるこの未来を守るため、この身を使い尽くすことを躊躇ためらう理由などあろうか。




 皇太子ハスレイシスは現在、病床にした帝皇の代わりに執務のほとんどを行なっている。

 保護国ハスティーの第三王子でありながら帝皇の養子に迎えられ、競争相手もなく皇太子の立場についた彼を良く思わない者も過去にはいた。しかし、苛烈な帝皇とまるで違う穏和な気質のハスレイスは、いつの間にか宮廷で癒し皇子キャラの地位を確立したようだ。

 召されたとき既に妻子がいたのだが、今年で十五になる息子も謙虚で朗らかな性格ゆえに騎士たちから愛されているらしい。


 いずれは彼の血統が帝皇の血筋に取って代わるだろうことを、当事者たちも家臣たちも受け入れている。

 情緒が乱れやすい帝皇の下で疲弊ひへいしていた輝帝国の内務も、有能な皇太子の下でようやく穏やかに回るようになってきたのだ。この大事な時期に、呪いなどという得体の知れない横槍を看過かんかするわけにはいかない。


「だから、俺様が退治してきてやる」

「退治!? あの魔導士は個人で対処できる相手ではないと、おまえが言ったんじゃないか!」


 ディスクの話に最後まで口を挟まず聞いていた皇太子ハスレイシスは、彼の結論を聞いた途端に椅子から腰を浮かせて叫んだ。広い執務室は人払いをしたため、ディスクとハスレイシスの他には誰もいない。

 主君の反応は想定内だったので、ディスクは淡々と話を続ける。

 

「まぁね。だから、傭兵募集を一時ストップして欲しいんだよ」

「おまえ……ロザリナはどうするんだ!?」

「そりゃ、俺様が帰ってくるまで大人しくお留守番してもらうさ」

「帰ってくるまでって」


 さっき同じ口で『極めて勝算の低い賭け』みたいなものだと伝えたからだろう、穏和な碧眼が怒りを映してディスクを睨む。


「すごい自信だな、ディスク」

「いやー、それほどでも?」

「褒めてない!!」


 場を和ませようとした軽口に一喝を食らい、ディスクは苦笑した。蒼白になった顔面を右の手で覆い、ハスレイシスは執務机に肘をついて項垂れる。ディスクとて身重の妻を残したまま命を落とすつもりはないが、確約できるだけの勝算も見えなかった。


「ハス、このままではキリがないぜ。どれだけ傭兵を募っても同じことが繰り返されるだけだ。それをわかっていながら討伐に向かわせるだなんて、間違ってる」

「それはそうだが。……おまえ一人で何とかできるわけが」

「少なくとも、成功の『可能性ゼロ』を『極めて低い』まで押し上げられるな」


 ディスクにもわかっている。ハスレイシスにとって自分は、数少ない『故郷から続いている親友』だ。ディスクが彼の立場なら、親友を死地へ向かわせる許可など下せるはずがない。動けるものなら同行したいと思うだろう。


「具体的に、作戦があるのか」

「証言を総合するに、ザクロスフィーラは恐らく不死者アンデッドだ。俺様は死霊魔術師ネクロマンサーだからな、そこら辺の金目当ての傭兵よりも上手く立ち回れるはずだ。それに俺はハスの私兵だから破格な報酬を出さずに済むだろ? 金の節約だよ」

「金にうるさいおまえらしい論法だな。まったく、人の気も知らないで」


 あきらめの色を滲ませてため息を吐き出し、ハスレイスは席を立つ。若い頃は共に各地を駆け回った仲だ、止めても無駄だと彼も理解しているだろう。


「心配するんじゃねえよ。俺様を誰だと思ってるんだ」

「信じていいんだな?」

「当然。だから、ロザリナには黙っておいてくれ」


 ハスレイシスは返答の代わりにもう一度深いため息をつき、話している間に書きあげたらしい書状を突きつけてきた。受け取ってざっと読んだディスクは瞠目どうもくする。

 紙面には、ディスク・ギリディシアを五聖騎士ファイブパラディン『黒き影のひょう』として任命し、ザクロスフィーラの討伐と氷海の調査に関する全権をディスクに預ける旨が書かれていた。


「おいっ、俺様は聖騎士って柄じゃねえだろうが! それに、帝皇の許可を得ず五聖騎士ファイブパラディンの空席を埋めちまって大丈夫かよ」

「問題ない。おまえが帰るまでには、必要な手続きを全部済ませておく。……だから、使えるものは何でも利用して、必ず戻ってこい」


 ディスクは黙って任命状を読み返し、低く「わかった」と応じた。

 極めて低いとディスクが言った可能性を幾らかでも上げるため、ハスレイシスは皇太子という立場を笠に着て無茶を押し通そうとしている。その信頼に応えたいと思った。


 出すべき結果はただ一つ。

 ザクロスフィーラを討ち、死霊の門を封印して、ここへ帰るのだ。




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