一.ディスクとロザリナ


 部屋の扉が静かに開き、深く沈んでいた集中が途切れた。ディスク・ギリディシアは読みふけっていた魔導書から目をあげ、視線を向ける。

 入ってきたのは、黒基調の上品な部屋着をまとい、かばうように腹へ手を添えた女性。ゆっくりとした仕草で扉を閉じ、あざやかな金の髪を揺らして彼女はこちらを見た。薔薇ばら色の目に色濃いかげりが映っている。

 

「まだ続けていたの」

「んー、まあな。っつかロザリナおまえ、歩き回って腹に響かねえのかよ?」


 愛する妻ロザリナは臨月に差し掛かっている。初産の不安もあるだろう彼女には過度の心配をけたくなかったが、ここまで事態が切迫してしまえばそう言ってもいられない。

 ディスクにとって主君でもあり親友でもある皇太子ハスレイシスが依頼してきた案件は、深刻だった。できるだけ安全に確実に解決するすべを探して文献や魔導書を片っ端から当たっているが、収穫は思わしくない。

 不安の種になりそうな現状を口に出すわけにもいかず、妻への気遣いにすり替え尋ねたディスクに、ロザリナは愛らしい笑顔を向ける。


「大丈夫よ。ぜんぜん動かないと運動不足になってしまうし……、それに聞いたわよ。また傭兵部隊がやられたって」

「また、っておまえ、それをどこから」

「騎士団広報誌に報告があがっていたわ」


 あちゃー、とつい口に出して頭を抱えるも後の祭りだ。独身時代に宮廷で政務の補佐をしていただけあり、ロザリナは目敏い。

 宮廷内での情報収集力に関してはディスク以上であり、ディスク自身も専門は魔導関連なので、諜報の分野では彼女の力を借りることも多い。とはいえ身重の彼女に精心的な負荷ストレスを掛けたくもなく、この件を話すつもりはなかったのに。


(敵わねえな)


 ため息をついて立ちあがり、差しだされた広報誌をロザリナから受け取った。ざっと目を通して彼女が言及した報告を確認する。

 挙げられた殉職者の名前を見れば、胸に暗澹あんたんとしたものが広がった。


「ロザリナ、俺様は出掛けるから、おまえは居間でゆっくりしてな」

「出掛けるって、どこへ?」

皇太子ハスのところさ。ちょっと、話をしにね」


 ソファの上から薄いブランケットを取り、妻の細く頼りない肩へ掛けてやる。背に手を添えて促せば、彼女はもの言いたげな瞳で上目遣いにディスクを見た。


「夕飯の時間には、帰ってくるわよね?」

「もちろん、帰ってこれたらな」


 巧妙な言い回しで真意を隠して、ディスクは妻の頬に指先を添え慈しむように口づけを落とす。二人でしばしやわらかな幸福感に浸る。

 潤んだ薔薇色の瞳に憂いをたたえつつも、彼女は何も聞き返さなかった。




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