〈epilogue.〉それぞれの物語・後編


 いずれ家族と話さねばと思ってはいるが、セスとリュナの心は今エルデ・ラオ国にある。

 リュナは、彼女の中にいるグラディスやずっと寄り添ってくれていたアロカシスの意見を踏まえて、ナーダムのためエルデが最良だと判断したらしい。


 豊穣神は妖魔の森にある本神殿へ帰るが、守護騎士パラディンであるナーダムを連れて行くつもりはないという。神と守護騎士パラディンのあり方は一様でないのだと知り、冥海神を連想して込みあげてきた涙を飲み込んだ。

 セスとしては、夜の街でラファエルに誓った言葉を履行りこうしたいと思う。帝国に良い思い出のないアルテーシアのためにも、実家へ戻るつもりはなかった。家族を嫌いになったのではなく、彼女やラファエルのために生きたいという気持ちが大きい。





 王子に正式な話をする前に、セスは思いきって離宮中庭の池へアルテーシアを誘った。

 本当はラファエルの勧めどおり薔薇ばらの花束を用意したかったのだが、薔薇は値段が高くて手が届かず、かといって自分で買わねば意味がない。

 迷った末に店主と相談してセスが選んだのは、アイリスだ。白、青、紫、の色を組み合わせ、淡いピンク色の霞草かすみそうで引き立てた花束は、清楚で神秘的な彼女にぴったりに思える。

 プロポーズのときは絶対に薔薇を贈ろうと決意を固めつつも、良いものを選べた自覚があって気分は高揚していた。


 指を絡めて手をつなぐのに照れなくなった。アルテーシアも「セス」という呼び方に慣れつつあり、彼女の想いが自分に向いている自信はある。だから、もう一歩先へ。

 決意を固めても身体は素直だ。手のひらが汗ばんでいるように思えたので、シルクのハンカチを花束の持ち手に巻きつける。

 池のほとりにしゃがんで水鳥を観察している少女は、まだこちらに気づいていないようだ。シッポの姿は見えないが、今日は留守番だろうか。


 最初の出会いを思いだす。

 神秘的で、月光のようにはかない少女だと思った。悪漢に乱暴されても怯えた様子を見せない強さに驚き、彼女の語る伝承に興味を引かれた。

 運河の岸で彼女に生き方を問われ、月下の屋上で彼女の傷を知った。

 守りたいと願う心は変わっていないが、今はもっとたくさんのことを知っている。見た目ほど強くも儚くもなく、好奇心が強くて失言癖があり、意外に大胆な一面も。伝承を知識だけにとどめず、深い洞察をもって心を読みとく聡明さも。


 守りたい、だけではない。

 各地を巡り、いろいろなものを見て、彼女の歌と語りを楽しむため、――彼女と一緒に生きるため。

 強さだけでは不十分だと思った。


「ルシア、待たせた?」


 驚かせて池に落としたりしないよう、少し離れた場所からそっと声を掛ける。アルテーシアがぱっと顔をあげ、表情をほころばせた。


「大丈夫です。鴨の親子が泳ぐのを、眺めてました」


 立ちあがり、スカートを軽く払ってから、アルテーシアがセスのほうへ駆けてくる。タイミングに迷いつつ、彼女が側まできて自分を見あげたところで背中に隠していた花束を出し手渡した。驚いたように受け取って頬を染めた彼女が再び自分を見あげるのを待ち、セスは意を決して口を開く。

 互いの気持ちは確信している。

 でもそれを言葉で伝えることが誠実だと思うから。


「ルシア、これは俺の気持ち。いつも、俺を助けてくれてありがとう。聡明で、どんな相手にでも分けへだてなく、信念にひたむきなルシアを、俺は尊敬し、愛しています。俺は強くなって、ルシアを連れてどこへでも行けるよう、世界を渡る翼を手に入れるから。俺の恋人になってください」


 心臓が破れそうだ。少女のブルーグレイの両目は潤んだような輝きをたたえていた。神秘的な瞳に映る今日の自分は、滑稽こっけいなほど真剣な表情かおをしている。

 やわらかなひだのあるアイリスの、白、青、紫の花弁に顔を隠し、ピンクにけぶる霞草の隙間からこちらを透かし見て、アルテーシアは小さくこくりと頷いた。遅れて、震える鈴の声が「はい」と答える。

 朱に染まった彼女の顔をもっと見たくて、セスは彼女の手にそっと指をかけ花束を下ろさせた。


 心臓は、とっくに破れたのかもしれない。

 全身が熱くて、身体のどこが高鳴っているのかもわからない。


 震える指を伸ばし、指先を滑らすように彼女のあごへ触れる。左手はそのままに、ぎゅっと彼女の手を握る。見様見真似どころか観察すらしたことがない。でも、アルテーシアが目を閉じたので、あとにはひけない。

 まっすぐ顔を近づけてから、何か変だと思い、少しだけ首を傾けた。噛みつく勢いにならないためどうすればいいだろう。はやる気持ちを抑えてゆっくり唇を重ねる。ふっくらした感触と淡い熱を唇に感じた途端、心臓が飛びあがって呼吸の仕方がわからなくなった。さっきまで、どうやって息を吸って吐いていたのかが思いだせない。


「ん……」

「……っふぁ」


 鼻にかかったような甘え声に鼻腔をくすぐられ、思わず変な声が出た。同時に呼吸が戻ってくる。どちらからともなく顔を離し、互いの瞳に照れを認めてつい目をそらした。

 心臓が身体に一つだなんて嘘だ。胸はバクバクしているし、頭がぐらぐらするし、胃までもドキドキと痛んでいて、わけがわからない。アルテーシアは全身あますところなく真っ赤だが、自分だって同じようなものだろう。

 じわじわと胸から身体中に広がってゆく多幸感が、この赤色の正体なのか。


「……ふふ、はじめて、です」


 花束に隠れてアルテーシアが囁き、セスの胸にこてんと頭を預けてきた。まだはち切れていないらしく心臓が跳ねるも、平常心を念じて右腕を彼女の背中に回す。

 温かくて、やわらかくて、どうしようもなく愛くるしい。


「俺も、だよ」

「そっか、嬉しい……。わたし、セスのことが、大好きです」

「俺も、ルシアが大好きだ」


 言葉を交わし、確かめる。出会った時より季節は進んで、エルデ・ラオの夏はこれからが真っ盛りだ。彼女と過ごす未来も、訪れるかもしれない見知らぬ地も、今は何もかもが愛おしく思えた。

 心が促すままにもう一度、右手を彼女の頬に滑らす。上目遣いに見あげる少女は、もう顔を隠しはしなかった。

 触れるだけでも十分に伝わる想いに心をゆだね、ついさっき覚えたばかりの感覚を頼りに、二度目の口づけを交わす。

 



 セスがラファエルより正式な叙任を受けて竜騎士となり、全身が真っ黒で性格が猫っぽい飛竜と出会い、絆を結ぶのは、それからしばらく後のことだ。




  ☆ ★ ☆



 

 ルマーレ共和国の南方、遠浅とおあさの海に沈む冥海神殿は、長い間あるじが不在だと言われていた。しかし、水禍すいかの際に国民が一丸となって熱心な祈祷きとうを行った結果だろうか。災害が過ぎ去ったのちの満月から、海底の神殿にあかりが灯るようになったという。

 神殿の聖所は海にくだってゆく階段の下にあり、人間では確かめられない。それでもルマーレの人々は冥海神の帰還を信じ、噂が流れはじめた夜から欠かさず海岸に篝火かがりびくことにした。

 漁に出る者たちや彼らの無事を願う家族は、海中に没した神殿へ祈りを捧げる。土地に水禍が及ばぬよう冥海神がまもりを与えたこと、神殿へ帰還したことへの感謝を添えて。



 


 以前来たときはあおい光で覆われていた神殿内部、最奥の聖所は今、白く弾力ある真綿を敷き詰めた状態になっていた。フィオを連れて訪れたクォームを迎えたのは、白龍だ。

 クォームの純銀の髪だけでなく、長く伸びていたフィオの髪も今は肩ほどになっている。


「オレ様たち、もう行くから挨拶しとこうと思ってさ」

は、ここに残らなくていいの?」


 首を傾げ問う白龍に、少年の姿をしたフィオ――ファイアは、はにかみ笑んで答えた。


「僕には、迎えに行かなきゃいけないひとがいて。それが、今の僕がすべきことだと思うんだ。無事に取り戻したら、この世界に彼を連れてきて一緒に住みたいって思ってる」

「そう。それがすべきことなら、がんばって」


 この世界が記憶した新世界の導き手は、女神フィオだ。

 性別の曖昧あいまいな精霊竜にとって、フィオもファイアも違いはない。しかし、世界の記憶ことわりに女神として刻まれたため、創世竜ファイアの姿であれば異界へ渡ることが可能になったのだ。

 偶然なのか、誰かの采配さいはいによるものなのかは知らないが。いや、――予測はついているが。


「砂漠の戦火神殿にファイアの魔力を織り込んだ転移門ゲートを置いたから、いつだって来れるさ。……で、結局アイツはどうなったわけ?」


 確信犯的なクォームの問いに白狐の女神は微笑むと、視線を奥へと向かわせた。身体をまるめてうずくまっていた大きな生き物が、応じるように頭をあげる。

 大きく黒いけれど、どこか毛羽だった質感の首長竜。目を凝らしてみれば、つなぎ目にぬいぐるみらしい縫い目ステッチが見えた。

 紫水晶アメジストをはめ込んだような目でクォームを見、白龍を見て、彼はいかにも人っぽくため息をつく仕草をしてみせる。


「なんだよー、あからさまじゃん。ずっとあんたの掌中で踊らされてたんだ、あれくらいの意趣返しは可愛いもんだろ!」

「でもでも、僕は感謝もしてますから!」


 にいと笑うクォーム、大真面目に言うファイアに、大きな首長竜のぬいぐるみはやれやれとでもいうように首を振り、それからヒレを動かしてこちらへやってきた。

 あまりにも無言なため、白毛玉フィーサスのように喋れないのかと思い始めたところで。


『君だろう。セスに、あんな儀式めいた行為を教えたのは』

「おぅあ、喋った!」

『セスの身体は私の器として調ととのえられていたのだし、毛髪は間違いなく肉体の一部だからな。……この通り大きさも変えられて、人型になることもできる』


 着物の袖で口元の笑みを隠している女神が、玄龍の想いびとらしい。色恋には絶対関わらないと決めているので突っ込みは控えたが、小型化して抱きあげられるのが嫌、人型になって白龍より年下に見えてしまうのが嫌、といったところか。

 それでも、本心では満更でもないんだろうに……と口に出さず思う。

 喋れるくらいなら、元の姿を取り戻すのも早そうだ。ここは祈りが集まる場所で、ルマーレの人々は日夜問わず熱心な祈りを冥海神に対し捧げているのだから。


「元の姿を取り戻したら、セスに会ってやれよ」

『それは……な。格好つけて消えてみせたのに、今さらのこのこ姿を見せられるわけがないだろう』

「アイツがそんな体裁テーサイ気にするかって」


 長い首で項垂うなだれるぬいぐるみ玄龍の背を、白龍が撫でて楽しげに言った。


「未来が見えたわ。今より五年後、セステュは黒飛竜を駆ってこの地を訪れ、玄龍クロに会いにくる。……だから、銀竜もファイアも、会ってあげて」

『それを聞いて私が素直に会うとでも?』

玄龍クロは会うわ。だって彼を選ぶのは……彼が選ぶ飛竜は黒なのよ。あの子があなたを忘れられないのと同じく、あなただって会いたいのでしょう?」

『……君は本当に、容赦がない』


 不満はあるようだが、言葉以上に玄龍は幸せそうだ。この調子なら、白龍の予見した未来もそのとおりに叶うだろう。


「オッケー、じゃそのくらいの頃合いにファイアと会いにくるぜ。玄龍はそれまでに、せめて大人の外見になれるといいな!」

「僕もみんなに会えるの楽しみ! 何なら記念パーティーみたいなのを開こうよ」


 返ってきたのはため息のような仕草だったが、二十歳を超えたセスがどれだけ自分に似るかが気になる心も伝わってきて、ついつい口元がゆるんだ。並んで双子みたいだったら面白いのに、と思う。

 ふたりの様子はずっと見ていても飽きないが、自分たちにはすべきことがある。名残惜しさはあるけれど、これが永久の別れでもない。

 ファイアを促し場を後にしようとした背中に、不意に、問いを掛けられた。


『銀竜。君は異界の竜で、この世界ほしの過去にも未来にも責任などなかっただろうに……なぜこれほどまで力を尽くしてくれたんだ?』


 隣のファイアが泣きそうな顔で見あげてきたので、頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜ悲鳴を上げさせてから、クォームは得意げに笑った。

 答えなら、とっくの昔に見つけている。


 助けて、と請われた。

 救って、と頼られた。

 親友ファイアの願うに、ぜんぶ引き受けてやる、と答えたのだ。


 本当は、この世界に降り立った最初の日から難易度の高さを思い知って気分が凹み、途方に暮れたなんて言えやしない。セスに出会い、不本意ながら玄龍の思惑に乗せられ、やっとの思いでを果たしたなんて――今さら言わなくても問題はないはず。

 だからこれ以上ボロが出る前に、旅立つのだ。

 憎まれ口を叩きつつも名残惜しげに見てくる首長竜に片手を振り、クォームは涙目になっているファイアの肩をもう片方の手でつかむ。


「決まってるだろ。それが、ファイアとのだったから――だよ!」


 この世界の未来はつながり、約束は果たされた。約束の竜ヴォイスドラゴンの役割は終わったのだ。

 だから、次の物語どこかへ。


 世界を巡る冒険に、終わりなどない。

 そうして新たに紡がれゆく物語は、いずれ違う時と場所にて語られることだろう。






[竜世界クロニクル - 約束の竜と世界を救う五つの鍵 - 〈完〉]

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