約束のおわりに

〈epilogue.〉それぞれの物語・前編


 のちの歴史書に『天崩てんほう水禍すいか』と記されることとなった日は、人と神々の関係における転換点となった。


 神殿で、あるいは各人の家で、信じる神へ祈りを捧げていた人々は、みな一様に白昼夢のごとき天啓てんけいを見たという。

 雷と嵐を引き連れ黒雲をまとった魔獣に立ち向かうは、神々しい輝きをまとったあかき神竜。なぜか誰もが疑いなく、創世に携わった原初の炎竜クリエイタードラゴンであると理解していた。

 竜はきらめくほのおを吐いて黒雲を散らし、歌うような咆哮ほうこうをあげて魔獣をめっしたそうだ。


 すべてが終わり、神竜の姿が明るい光とともに変化したとき。人々は息を呑んでその姿に目をらした。

 燃える真紅の髪と瞳の美しい女性が、炎をまとった美しい宝剣を携え人々を睥睨へいげいしていた。紅をいた唇が開かれ、人々は言葉を聞き漏らすまいと無意識に耳を澄ます。



 いにしえよりの約束ちかいは満ちた。

 我こそが原初の炎竜クリエイタードラゴンであり、汝らの祈りを受け世界ほし希望ひかりをもたらさん。

 愛しき人の子らよ。

 我は創世の竜にして、新世界の女神である。

 我は汝らを導き、まもり、約束の未来せかいへと携え入れよう。



 白昼夢からめたとき、神殿にいた人々は祭壇に光り輝く翼を広げた貴人を見た。彼、あるいは彼女らは、みずからを天使――女神からのつかいと称して、各神殿への神託を伝えたのだった。





「以上。勝手ながら、多少の改変はさせてもらったよ。魔獣も明確なかたちを見わけられないよう、適当に修正してみた」

「だからおまえまで断髪してんのかよ。無茶しやがって」

「無茶はしていないけど。天空神や、人々の祈りの助けもあったから、僕自身への負担はそれほどでもないよ」


 エルデ・ラオ国離宮に戻ったセスは待ち構えていた魔王に呼ばれて、クォーム、アルテーシア、シッポと一緒に客間にいる。といっても、アルテーシアはかなり消耗していたのか、魔王が借りてきた毛布をかぶって仔狼シッポと一緒にソファでうたた寝をしていた。


 腰より長い、膝裏に届きそうだった魔王の髪も、今はうなじの辺りで綺麗に切り揃えられている。長さが不揃いなセスや斜めになっているクォームとは違い、彼ははじめからそのつもりだったようだ。

 彼の説明によれば、人々の祈りが集まる神殿という機構システムを利用し映像を送り込んだだけなので、魔力消費はそれほどでもないらしい。器用な奴、とクォームは呆れ返っていたが、セスから言わせてもられば良く似た兄妹である。

 同時に、魔王にとって仇のような存在である冥海神や使役魔獣だった白冥王ハーデスが、伝承の中で魔の象徴にならないよう画策してくれたことに胸が熱くなる。一度は自分を犠牲として差しだした過去の記憶があるからこそ、魔王はウィルダウの意図を察したのだろう。


「ありがとうございます、魔王」


 上位竜族は人間と違い、精神の成熟によって外見が変化するらしい。アルテーシアの双子ならセスにとっても同い年のはずだが、今の彼は隣に立つクォームよりも歳上に見えた。

 人と違い、寿命のない存在である上位竜族。

 つい敬語になってしまうのは、種族的な敬意というより、彼の持つ大人びた雰囲気に呑まれるからだ。


「どういたしまして。……ああ、それと。女神に滅ぼされた魔獣、あれ、魔王の成れの果てでいいんじゃないかな?」


 怪訝けげんそうに眉をひそめるクォームに魔王は笑顔を向けて提案するが、セスには理解が追いつかない。やはり魔王とアルテーシア、種族の差異があっても二人はよく似ている。


「魔王は女神に滅ぼされた、ということにするんですか」

「元々は魔王軍侵攻から始まった世界の危機だから、ちょうどいい幕引きだと思ってね」


 ちらと眠る妹を目で確認してから、魔王――ルウォーツはこれからについて語る。

 先日セスがアルテーシアと一緒に調査したとき話題に上った『迷い家マヨヒガ』という組織に、彼と養父のウィルレーン氏も協力しているのだという。

 世界のことわりが書き換えられ滅びが回避できたといっても、神殿や国家にはまだ不正が多く巣食っている。特に人手不足が深刻なエルデ・ラオ国の建て直しを手助けするため、彼はディヴァス・ウィルレーンという伝承者バルドとして、『迷い家マヨヒガ』と連携し働くつもりだと言った。


「魔王軍といっても、実態はご覧の通りだから。ネプスジードは王子に仕えるようだし、アロカシスもエルデに留まるつもりらしいね。ナーダムとラディオルにはまだ聞いていないけど、二人とも僕の部下というわけではないから、好きにしてもらおうと思う」

「皆がそれで納得するなら、いいんじゃないかと思います。もう、憎み合う理由はないと信じたい」


 微笑みを浮かべて炎の向こうに消えていったウィルダウを思いだし、喉の奥がぎゅっと詰まった。魔王軍にとっては裏切り者、仇、憎むべき存在だったかもしれないが……彼が本当に望んでいたのは、人と竜、神と魔、手を取り合って未来を織っていくことだろうから。

 心が痛んでうつむいてしまったが、魔王ルウォーツは微笑んだようだった。


「僕もそう思う。彼らに決定を強要する立場にはないけれど、僕なりに尽力するから任せてくれて大丈夫。だから君には、僕の大切な妹……ルシアを任せてもいいかな」


 顔を上げれば、優しげな翡翠ひすい双眸そうぼうに寂しげな光が揺れていた。覚悟を試されたような気がして、思わず姿勢を正し、彼を見返す。雪原で固めた決意を言葉に乗せて、答える。


「俺にもう冥海神の権能はないですが、強くなります。ルシアを守れるように、彼女がつらいときに支え、彼女の好きなものを一緒に楽しみ、どんなときも寄り添えるように。だから、任せてください」

「ありがとう。君になら、安心して任せられるよ」


 安堵あんどしたように応じる姿から、彼が過酷な道を選ぶ決意をしたと察する。人よりも強い存在ならばラファエルほど危険にさらされることはないだろうが、国家を正すのは簡単ではないと今なら理解できた。

 月下の屋上でアルテーシアから聞いた過去、夜の食堂でネプスジードから聞いた過去が、ゆっくり脳裏を巡ってゆく。

 自分には、何ができるだろう。




  ☆ ★ ☆




 世界のことわりが書きえられ、時の狭間は神々や上位竜族なら行き来可能となった。呪いが解け、狭間に飛ばされた身体を取り戻したフィーサスの姿に、セスはもちろん、ラファエルやネプスジードも驚愕きょうがくすることになる。

 勇ましい言動と粗野そやに寄った言葉遣い、炎と戦争の神というイメージから、勝手に男神だと想像していたのだ。デュークが連れてきた狼獣人の美女がまさかそうだなんて、誰が予想できただろう。

 すらりとしなやかな肢体、燃えるつり目、あざやかな真紅のストレートロング。肌の色は濃く、身にまとう衣装は砂漠の舞姫を思わせる露出度だ。デュークと並べば大人の色香が漂ってくるようで、セスをはじめ皆が目のやり場に困ったのはいうまでもない。


「砂漠の本神殿じゃ今のデュークは生活できねぇからな……。王子がエルデここに立派な神殿建ててくれるっていうし、当面はこの国の守護神やってやるよ」

「当面と言わず、いついてやれ」

「デュークが神官長やるならそれもいいな!」


 という、かなり雑な流れで、戦火神フィーサスはしばらくエルデ・ラオ国に居座ることとなった。

 守護騎士パラディンの任が継続してるものの、デュークは不死の呪いがもう解けており、今まで通りの関係ではいられないだろう。二人がこれから先のことを考えるためにも、腰を落ち着ける拠点が欲しかったのかもしれない。

 砂漠の戦火神殿から連れ帰ってきた戦狼いくさおおかみも一緒に留まるという。いずれ二人が旅立つことになっても、分霊である戦狼がいればいつでも御声を聞くことができる。

 長らく不在だった戦火神が帰還した状況は、ラファエルの今後を支えることだろう。



 巻き添えを食らう形で翻弄ほんろうされたセルフィードも、しばらくして離宮に舞い戻ってきた。

 ラディオルが大泣きして抗議して治まるまで大変だったが、彼らも当面はルウォーツと活動することに決めたらしい。戦火神とは玄龍への怒りで意気投合したらしいので、仲良くやっていけるのではないだろうか。

 


 王子の帰還と王位継承の確約により、それまでとどこおりがちだった主城再建にも弾みがついた。城より中央神殿のほうが先に完成するだろうから、それを待って、ラファエルとルフィリアの神前婚約、ラファエルの戴冠を、戦火神の御前で行なうらしい。

 儀式にはくをつけるため、守護騎士パラディンのデュークが進行役を務めるのだとか。本人は青ざめたあとで頭を抱えてしまったが、嬉しそうなラファエルを前にして断ることはできなかったようだ。

 神殿の落成式までまだまだ時間はある。真面目な彼のことだ、それまで一生懸命に練習をするのかと思えば、自然と笑みがこぼれて仕方なかった。




  ☆ ★ ☆




 水禍すいかがもたらした被害の対処で、大人たちの仕事は山積みだ。軍事を預かるケスティスも当然ながら帰還せざるを得ず、セスとリュナは結局ゆっくり話せなかった。それでも、自分の目で正しい現状を見たのだから、兄はもう心配していないだろう。

 帝皇ていおうの意向を確かめてからの後日になるが、帝国とエルデ・ラオの会談を行うため正式な訪問をする予定はあるらしい。長きに渡り牽制けんせいし合った大国二つだが、ハスレイシスとラファエルなら互いにしがらみも少なく、穏やかな会談ができるに違いない。



 シャルはレーチェルとルマーレ共和国に留まり、しばらく復興の手伝いをするらしい。降下した天空の地は天空連山の中腹に留まり、天龍と天空人てんくうびとたちはその地を拠点として地上と共存する道を探っていくのだという。

 呪い、もとい急激な老化に関しては、ルウォーツと天龍の間で取り決めが交わされたとか。現在いちじるしく衰弱すいじゃくした者を回復させつつ、寿という概念がいねんを浸透させてゆく。どうしても受け入れられぬ者には、天龍の眷属けんぞくとなり神殿で語部かたりべを担うことで不老の生を与える、などだ。

 天空人たちにとって大きな変化であり、快く受け入れる者ばかりではないだろう。天龍が取り組まねばならない課題は多いが、当の神が民の前で楽しげに指揮をとっていることは、天空人たちへ良い影響を与えると願いたいところだ。



 ティークは養生のため、戦いが終わってすぐにイルマと帰ってしまった。二人がどこに住んでいるのかは聞けなかったし、そもそもゆっくり話す機会もなかった。でも、セスはもう心配していない。

 彼が記憶喪失と偽ってまで姿を見せ、最後の対決に加わってくれたのは、セスのためだとわかっているから。

 待ち続ければ、……もしくはこちらから訪ねてゆくのでもいい。彼が生きていて、自分や兄をもう憎んでいないなら、必ず機会はあるだろう。



 二人と入れ替わるように、離宮を旅の薬師が訪れた。しらせを聞いたラファエルが迎えに飛びだしてゆき、人目をはばからず訪問者へ抱きついたのには驚いたが、彼がルフィリアの祖父だと聞いて納得もした。

 王子にとっては命の恩人であり、詳しく聞けばティークの命を救ってくれたのも彼だという。涙目で滞在を願うラファエルの様子に彼が特別な存在であると知り、そういう人物がいてくれたことに安堵あんどする。

 彼はおそらく月の民の末裔なのだろう。自身が高齢であり、エルデ・ラオ国が人手不足なのもあって、エリファスという名の彼は滞在を受諾したようだ。普段は立ち居振る舞いに隙のない王子が少年のようにはしゃいでいたのは、印象的だった。



 水禍のあと数日ほど離宮に留まっていたクォームとフィオも、旅立っていった。砂漠の戦火神殿に立ち寄り永続的な転移門ゲートを設置したあと、挨拶回りに行くらしい。

 どこへ、と聞くのはやめた。

 クォームは以前、人族には世界の外側という概念がいねんが不要だと話していた。異界を渡る権能を持つ彼と違い、人は世界の外側にいく能力などない。本来なら交わることのないはずだった彼らと出会い、縁をつなぎ、友人になれた、それだけでも奇跡的なのだから。


 人間の側に手段がなくとも、クォームはフィオを連れてまた来てくれるだろう。

 復興の進捗しんちょくや、みんなのその後について、報告できる日を楽しみに待つ。今は、それも悪くないなと思えるのだ。





(後編へ続く)

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