the Promised New World

[000]愛するきみと、未来へ


 腕が、身体が、存在そのものが、ほどけてゆく。

 星の権能を持つ星龍は光の欠片となって散った。時の権能を持つ魔王は砂となって崩れ去った。海をべる玄龍げんりゅうであれば、最期は泡となって消えてゆくのかもしれない。


(楽しかったな)


 本来なら、器が育てば魂ごと同化するはずだった。

 神の血筋に由来する魔力は強すぎて、幼子を幾度も悪夢でさいなんだらしい。ついには高熱で倒れた孫を失いたくない一心から、魔導士は取り引きを持ちかけてきた。若き日に野心に燃えていたリートル導師も孫は可愛いものなのかと、興味深く思ったものだ。

 聖遺物、いや、結晶化した本体からだの一片を左目に埋め込み、魔導術式を書き込んだ極光石オーロラダイヤ憑依ひょういした魂を押しこめる。髪を伸ばし魔力を逃すことで、内臓への負担を最小限に。

 不自由な憑依だったが、少年の成長を見守るのは楽しい日々でもあった。


 セスから渡された首長竜のぬいぐるみが、泡だつ光に翻弄ほんろうされつつゆっくり沈んでゆく。

 彼が自分へ向ける想いの具現かたち原初はじまりの姿だったことは嬉しいが、もう、抱えるための腕もない。


 心はいでいた。目を閉じ――たつもりになってみる。

 この世界に思い残すことはないが、ただひとつ、創世より隠しつづけてきた想いが泡となり消えてしまうのは、少し寂しいかもしれないと思った。


「……白龍」

玄竜クロの、大馬鹿っ」


 期待などしていなかった返答が返り、驚いて目を開け――たつもりになる。泡だつ蒼い光をかき混ぜて、雪のように白くほっそりした手が、ぬいぐるみを受けとめた。

 崩れる世界の中、白い光に包まれて、白い髪、白い狐耳と揺れる尻尾、あざやかなの巫女服をまとった少女が立っている。最愛のひとに最期一目会えたら……という願望が引き寄せたにしては、本物感がありすぎた。


 彼女は自力ではを出られないはずなのだが。

 いつも眠たげに伏せられていた空色の目が、今は大きく見開かれている。砕ける泡と満ちる蒼光にまぎれてわかりにくいが、彼女は泣いているようだった。

 右の手で首長竜のぬいぐるみを抱き、左の手のひらをこちらに差しだしている。


「白龍、いったい、なにを」


 何かをつかみ取るように手を握り、彼女は言い放った。


「白龍様の権能ちからを、なめるな」


 月虹神の権能といえば、未来視、治癒、浄化。この場においてはどれも意味があるとは思えない。

 それよりも、彼女が自分の固有結界に――いや、結界は破れたから現世に、となるだろうか――干渉している不思議のほうが大きくて。


「君は、権能の行使を許されていないはずだ」


 創世竜は、時と運命に関わる権能が人に影響を与えることを許さなかった。真性の上位竜族であった時の竜ルウォーツ星宣せいせん神はまだ自由も利いたが、月虹神は時の狭間から出ることすらも不可能だったのだ。

 神というり方を選んだ以上、持てる魔力ちからは民や眷属けんぞくの祈りと信仰心に依存する。元より目立たぬ神ゆえ魔力も弱かった彼女は、百年前の事件で民と眷属を失い、平原を雪原に変えた反動で、いちじるしく消耗しょうもうすることとなった。

 彼女が今、幼い少女の姿なのは、その消耗が回復していないから。


 雪原に月読うさぎが戻り、白冥王ハーデスはこれからもかれらを庇護ひごする。期待していたことではなかったが、伝承を知ったセスやアルテーシアもかれらの庇護に動いてくれるに違いなく、今は散り散りになっている月の民も未来は明るいだろう。

 白龍が神としての魔力を回復できるのは、これからなのだ。

 それなのに彼女は、何のために、何をしようとして、こんな場所に来ているのか。


 言葉にしたわけではなかったが、疑問と懸念はある程度伝わったのだろう。白龍がこちらを見た、気がした。さっきまで泣いていたはずなのに、いま口元に浮かんでいるのは、猛獣が獲物を前にしたときみたいな獰猛どうもうな笑みで。

 その姿を美しいと思い、こんな時にそんな事を考える自分をおかしく思う。しかし、彼女の口からこぼれたのは、彼を驚愕きょうがくさせる台詞だった。


創世はじまりからあったことわりを無効にしたのは、玄龍クロじゃない」


 確かに、全魔力いのちと引き換えて世界の記憶ことわりを書き換えたのは、自分だ。

 今度は異界から救い手を呼び寄せなくてもいいように。誰かを犠牲にしなくてもいいように。争いが避けられず、悪が芽吹くことがあるとしても。だから、だから、ではなく、個々の心がそれぞれの生き方と未来を決することができるように、と。

 狭間はざまというおりにもう囚われないよう、白龍を縛っていたことわりを無効にしたのは確か、だが。


「見ていたのか」


 迂闊うかつだった。今さらながら、月の民である少女も固有結界を飛び越えて白冥王ハーデスと会話できたのだ。見えざるものをる女神の視野を阻めるはずがなかった。

 いつもは下がり気味な白狐耳をぴんとたて、両腕で首長竜のぬいぐるみを抱きしめて、白龍が微笑む。


「もう誰も、何も、わたしを阻むものはないわ。忘れてるかもしれないけど、玄龍クロ。白龍様は、ぬいぐるみづくりの天才であるぞ」

「そういうこと――か、参った。完敗だ」


 首長竜のぬいぐるみとは子供らしい発想だ、と微笑ましく思っていた少し前の自分は、大変な考え違いをしていたようだ。これは消えゆく者への手向たむけでも餞別せんべつでもない。本人に自覚があったかはともかく、まさに儀式的な触媒しょくばいそのもの。

 十数年とはいえ記憶を共有した器である、セステュ。概念がいねん的ではあるが、彼の肉体のうちもっとも相性の良い部位は本体の欠片である左眼、次いで魔力を溜めこんだ毛髪ということになる。

 まさか銀竜はこのため、みずから手本を見せたというのだろうか。


 銀竜自身も権能を有しており、長い純銀の髪はその象徴だ。記憶の集積が魂であり、触媒へ魂をなじませ存在ひとを再生させる奇跡は白龍が得意とするところである。

 そんな思考を察したのか、女神は得意げに尻尾を揺らし、小首を傾げた。


「これからが忙しいってのに、ひとり安らかにくなんて許さない。玄龍クロのお仕事だって山積みでしょ。働け」

「君は相変わらず、手厳しい」


 期せずして、戦火神と同じ道を辿ることになりそうだと思い、苦笑する。

 魔力は使い尽くしてしまい、もはや神とはいえないが、しかし――これも悪くはない。


(私は、そんな君を愛したのだから)




  ☆ ★ ☆




 雪原を、雪の混じった風が吹き抜けてゆく。所々についた足跡は小さく、獣か鳥かだろう。騎士服を着込んだセスはまだましだが、髪をざっくり切ったせいで首の後ろが寒かった。寂しさの体感と似ているかもしれない。

 アルテーシアは半袖のワンピースなので寒そうだ。

 シッポは寒さが苦にならないらしく、最初のうちは恐る恐る雪に足跡をつけたりしていたが、楽しくなってきたのか離れた場所で雪を蹴立てて跳ね回っている。


『足元はどうにもなんねーけど、寒さ避けの結界張ってやるよ』


 そう言ってクォームが歌うように詠唱すれば、風の冷たさが一気に和らいだ。アルテーシアがほっとしたように表情をゆるめて、セスを見る。


「今度あらためて、防寒服を着て来たいですね。雪なんて……わたしはじめて見ました」

「俺も。足跡があるってことは、生き物も住んでるんだろうけど」

「見渡す限り雪ばかりですし、何を食べているのか不思議です」


 二人が来たのは雪原調査のためではない。大きな銀竜の背には月読うさぎたちがひしめいていて、近くに白冥王ハーデスが浮かんでいる。

 かれらを雪原に帰すのが、ウィルダウから任された最後の使命なのだ。


「亡くなった人たちが生き返ってくるわけじゃないんだよね」

「正しい終わりを迎えた魂や、歪みを浄化された魂は、望む行き先へ導かれる……冥海神様はそう仰ってました」

「本人が望んだかたちに……なら、いいのかな。人の魂はそうだとして、神様の魂はどうなるんだろう」


 銀竜の背からすくいあげた月読うさぎを、そっと雪の上に降ろしてやる。中には自分でぴょんと降りるものもいたので、ふかもこの白い塊は見る間に減っていった。

 ぴょんぴょんと跳ねて雪原に紛れてしまえば、もうどこに行ったかわからない。


この世界では、竜族も人とたいして変わらないぜ。ただ、神は違うな。あいつらは、ことで存在を定義され、ことで魔力を蓄えるのさ』


 何匹かのうさぎがクォームの尻尾を滑って雪原に着地する。そうして全部を降ろし身軽になったクォームが、ゆるりと光って人型に戻った。ひたすら長かった彼の髪も、今は肩につく程度だ。その姿を見れば、あの幻想空間で起きたことが現実であると実感する。

 冥海神という存在かみ魔力いのちを使い尽くし、消滅したのだろう。意識を深く沈め探っても、魔獣召喚の権能を感じ取れない。

 内側にぽっかり空洞があるようで、寂しいのか寒いのかよくわからない感覚だけが首の後ろを撫でてゆくのだ。


「俺がおぼえていて、祈りつづけたら、戻ってくるのかな」

「戻ってきて欲しいのかよ?」


 クォームに問い返され、考える。浮かぶ答えは、ウィルダウ本人に伝えたのと同じだ。

 より良い未来を夢みて、約束の新世界を実現させるために、孤独の道を選んだ神。独りで逝かせたくなかったし、叶うなら一緒に生きたかった。

 連れ戻せるならそうしたいが、消えてしまった彼をどう連れ戻せるのかがわからない。


「方法があるなら、頑張ってみるけど」

「わたしもセスさんにお付き合いします!」


 アルテーシアとは別の意味でお付き合いしたいのだけど。心の距離はずいぶん近づいたのに……と考えたところで、クォームがけらけらと笑って言った。


「セスも、ルシアも、思うままに生きればいいのさ。あいつの仕掛けた最期の魔法は確かに間違いなく、世界の記憶ことわりを書き換えた。でもそれがどういう作用をもたらすか、あいつ自身よくわかってなかっただろうよ」


 なんとなく後押しされた気がして、セスはじっとアルテーシアを見つめる。期待に満ちたブルーグレイの瞳に、思い詰めた顔の自分が映っていた。

 ちゃんとした告白は日をあらためて、場を整えてするとしても――今日こそは。

 

「ルシア。今さら……なんだけど、俺はルシアにとって誰より頼りになる存在でいたいと、思ってて。だから、俺のことを『セスさん』ではなく、『セス』って親しく呼んでくれないかな?」


 もともと大きめな印象の両目が、さらに大きく見開かれる。寒さのせいばかりでない赤みが少女の頬を染めてゆく。

 よくよく考えれば脈絡のない不意討ちだった。自覚した途端に恥ずかしくなって、こんなに寒いのに――いや結界効果で寒くはないのだが――顔も耳もどんどん熱くなっていく。

 交際の申し込みでも求婚でもないのに、これほど恥ずかしいだなんて聞いてない。ラファエルやシャルはどう距離を縮めていったのだろうか。


「あ、あの……っ」

「ごめん、ルシア! いきなりそんなこと、言われても困るよな!? もう、何でも、ルシアが呼びやすいようでいいから!」

「いえ、その……、せ、セス、……ん」


 耳まで綺麗に色づいて、視線を泳がせながら、アルテーシアがあえぐようにささやく。甘え声のソプラノが胸を震わせた途端、セスは衝動を我慢できずアルテーシアを抱きしめていた。

 小さく悲鳴を上げた少女は、しかし逃げるわけでもなく、胸元に頭を寄せてくる。


「ルシア、俺、……痛あッ!?」


 不意に脚に痛みが走り、思わず悲鳴が出た。原因は確認するまでもない、仔狼シッポだ。


「グゥ」

「ご、ごめん、別にシッポを忘れてたわけじゃ」

「シッポ、もう! めっ!」


 勢いで言ってしまいそうだったが、仔狼のせいで頭も冷えた。告白は、やっぱり場を整えて花束を用意してからにしよう、と思い直す。

 人気ひとけがないとはいえここは野外だし、一瞬忘れかけていたけれどクォームが見ているし、シッポだってないがしろにされて怒っているし。


「さーて、いい雰囲気だけどここは寒いぜ。エルデへ帰ろうなー?」


 気づけば、しんみりした気分もすっかり吹き飛んでいた。ウィルダウの手をつかめなかったことは悔しく寂しい気持ちも消えていないが、自分もアルテーシアも彼のことを忘れてなどいない。だから彼も消え損ねて、どこかにひっそり隠れているのかもしれない。

 クォームは待てと言ったのだ。

 それはつまり、未来に可能性があるということで。


「うん、帰ろう。ルシア、クォーム」

「はい。……せ、セス……」


 真っ赤になってうつむくアルテーシアにまたも心を撃ち抜かれた。自分で求めておきながら、刺激が強すぎたかもしれない。クォームが腹を抱えて笑うので余計に恥ずかしく思いつつも、セスは指を絡めアルテーシアと手をつなぐ。

 新たなことわりといっても、今までとどう違うのかはわからない。誰も犠牲にならない世界を望むといったところで、実現していくのは自分たちなのだ。――だから。


 彼女の手を、この先どんなことがあっても絶対に取りこぼさない。

 邪神の振りをした神が描いた英雄の物語に相応ふさわしく、召喚の権能などなくとも愛するひとを護れる騎士として、強くなることを誓う。


 約束により開かれた新世界は、まだ始まったばかりなのだ。





 [第三ノ鍵・黒の夢の章〈完〉→ epilogue.]

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