[6-6]深淵に睡る夢


 空を覆い尽くす黒雲、激しく降り注ぐ豪雨、空が割れるような雷鳴。進むごとに激しさを増す天変は、目指すべき方向を不明瞭にさせる。

 飛竜はおのれの周囲に風の結界を展開できるので、雨粒が直接身体を打つことはない。しかしそもそも翼持つ生き物は嵐の中を飛ぶのが苦手だ。相棒の蒼飛竜マリユスが瞳に闘志をたぎらせ速度を落とさず飛び続けているのは、すぐ後に付く金飛竜を意識しているのだろう。


 あちらは帝国の精鋭を束ねる五聖騎士ファイブパラディンが一人、ケスティス・クリスタル。セスが憧れていた飛竜騎士だ。エルデ・ラオ国の飛竜騎士団長にして、国王になる予定のラファエルとしては、絶対に負けられない――認めてもらわねばならない相手だった。

 今やセステュ・クリスタルは輝帝国の見習い騎士ではない。ラファエルにとっては誰より信頼できる騎士であり、将来を嘱望しょくぼうされる新人竜騎士でもある。この期に及んでケスティスの騎士団へ帰す選択肢など、絶対にありえない。


 腕に収まる愛しい少女を思う。旅人で出自不明な彼女を妻として迎え入れるという将来は、少し前まで非常に難しいものだった。

 血筋と信仰神を重んじる父がルフィリアとの結婚を認めるはずはなく、暗殺を阻止したことから兄に敵視され命を狙われる危険もあった。そばに留めおきたいと願う反面、彼女の安全を思うと手放すべきではとも、思い悩んでいたのだ。

 しかし、一夜のうちに起きた変化は、これまで思い描いていたのとまったく違う未来をラファエルの前に示した。

 物心がついたときから望み続けて得られず、半ばあきらめていた、あたたかな家族や信頼できる部下たち。心許せる者たちと手を携えあって、より良い国を目指す自由――そのすべてが叶うかもしれないという希望を。


 絶対に負けられない、と思う。

 ずっと、セスやリュナの逆境は彼らの父や兄によって仕組まれたものだと考えていた。セスも少しはそう考えていたに違いない。しかしケスティスに腹黒い企みなどなく、竜騎士としても武人としても輝帝国を率いるに相応ふさわしい人物だと知ってしまった。

 今、セスはどう考えているのだろうか。

 家族を懐かしみ帰りたがっていたら――そんな想像を巡らせてしまい、胸がちくりとうずく。無意識に、手綱をつかむ手に力がこもる。


「ラフさま、……大丈夫ですか?」


 気遣わしげな声が優しく心を揺らす。彼女が一緒にいてくれてよかった、そうでなければ今頃、正体のわからない不安に飲み込まれていたかもしれない。


「うん、大丈夫。ごめんねルーファ、怖い思いをさせて」

「……いいえ」


 少女の指が、そっとラファエルの手をなぞった。肌が白すぎる彼女はいつも日除けのため薄い手袋をしているのだが、今はそれを外しているらしい。遠慮がちな接触が、ラファエルの心にじわりと余熱を残して離れてゆく。

 ただそれだけで気持ちがずいぶん楽になる。やっぱり彼女は自分にとっての天使だと、胸元に収まるやわらかさを愛おしく想う。


 目的の場所はもうそれほど遠くない。

 渦を巻く雷雲の向こうに何か大きなものを見て、ラファエルは目をらす。閃きわたり視界をく雷光が、雲間に浮かぶ白い巨体を浮かびあがらせた。


「あれが――災いをもたらす魔獣、と、炎の狼……?」

「大きな白鯨が魔獣だと思います。炎狼は、戦火神様の御神体おすがたと言われてますから」

「そう、だよねっ! あの、白いふわふわしたお姿が仮で……! ああ、なんて荘厳、じゃなく尊……いや格好いい!」


 さっきまで胸と思考をむしばんでいた感傷が一瞬で吹き飛んだ。後ろを来る金飛竜とその騎手も、今のラファエルには些細ささいなことだ。なんといっても、幼少時より憧れていた勇猛な炎戦狼の勇姿を、間近で、同じ空間で、見ることができるのだから。

 あと少しでたどり着く――直前、白き魔獣が巨大な口蓋を持ちあげた。奈落のごとき口腔は、いつかセスが召喚した蒼斑の大魚を思いださせる。

 呑み込まれたらひとたまりもないな、と思った矢先、銀鱗きらめく巨大な竜が白鯨の口内へ勢いよく飛び込むのを見た。




  ☆ ★ ☆




 飛び込んだ瞬間、思わず目を瞑る。白冥王ハーデスの大きく開いた口はまさに闇の深淵といった様相で、自分から言いだしたといえ、アルテーシアや銀竜が一緒だとはいえ、直視する勇気が持てなかったのだ。

 大きな衝撃があるでもなく、突然に音が止む。ひっきりなしに鳴り響いていた雷も、風や雨が荒れ狂う音も、一瞬の境界線を越えた途端にぱたりと止んだのだ。恐る恐る目を開き、息を呑む――より正確には息を止めた。


 視界一面に蒼い光が満ちている。水中で目を開けたときのように揺らぎぼやける視界。

 息を止めたまま隣を見れば、仔狼シッポを抱きしめたアルテーシアが瞳を輝かせ上方を見あげていた。口を開けたままだが苦しげな様子はなく、むしろセスの息が続かなくなってきた。

 ゆったりと翼を動かしていた銀竜が、銅鑼どらの声で笑う。


『ここは魔法世界だからなー! もっと感覚的に生きて大丈夫だぜ!』

「感覚的、って言われても」


 反射的に突っ込んで、喋れたことに気づく。慎重に息を吸ってみると、空中と変わらず呼吸ができた。安心し、改めて上を見あげ、言葉を失う。

 広がるは、銀砂が散りきらめくかのごとき満天の星。薄水色のグラスを透かしたように揺らめき瞬いている。

 ぽこりと湧きたち昇っていくのは、光を閉じ込めたような泡沫だ。目をらすと何かが映っているのがわかる。魔獣図鑑で見た生き物、森や山、海原といった風景も。いくつもの泡沫が光をいだいて立ちのぼり、ほどけるように消えてゆく。

 泡沫の一つに、黒い竜を見た。背中が丸く前脚と後脚はヒレのようで、長い首と尾を持っていた。物憂げなすみれ色の目に、黒曜石と化していたウィルダウの抜け殻を思いだす。クォームが翼を止め、ゆっくりと地面に降りたった。


『ここから先は、二人でゆけ。オレ様はここで待つけど、間違いなく現世に戻れるよう迎えに行くから。大丈夫、おまえたちならやれるさ』

「わかった。ルシア、いこう」

「セスさん、頼りにしてます」


 足元は地面というより、光の欠片が沈殿しているようだ。ぽこりとまた一つ、泡沫が生まれ、育ち、ほどけて消えてゆく。

 翼を下げた銀竜の背からセスが先に滑り降り、アルテーシアが降りるのを受け止めた。鱗の隙間に足を突っ張ってぷるぷるしているシッポも下へ降ろしてやる。

 手をつなぎ直した二人の前で、銀竜がゆらりと輝き人の姿に戻った。見慣れた狩人スタイルのクォームは、セスとアルテーシア二人を交互に見て、にっと笑う。


「応援してるぜ。セス、ルシア、……我が名は〈過去、未来へと遥かにつなぐ、銀の夢Lem-Luma-Lim Wouny Kuw-olu-pioum〉。我こそが、予言を導く銀の風Oluwith約束の竜VoiceDragonだ。そんなありがたいオレ様が、効果抜群の御守りをくれてやる」


 剣など持ったこともないような細指が、腰ベルトからナイフを引き抜く。左手で自身の長い銀髪をつかみ、右手でナイフの柄を握り込んで、クォームは髪を結び目より下でざっくり切った。ついでとばかりに括り紐を解く。

 ゆるく波うつ純銀の髪束がクォームの手のひらで溶けるように形を変え、小ぶりの短刀になった。鞘に収めたその刃を手渡され、ひとこと添えられる。


「これは願いを叶える魔法だ。おまえの思うまま、これだってタイミングで使うといい」

「ありがとう、クォーム」

「わたしたち、絶対にうまくやってみせます」


 約束の竜がくれた、願いを叶える魔法。強く握って感触を確かめてから、ベルトに挟む。

 少年と少女は指を絡めて手をつなぎ、道の先に一歩を踏みだした。足元にまとわりつく仔狼も一緒に。


 


  ☆ ★ ☆




「セスー――!? おのれ、魔獣め俺の弟をッ!!」


 え、と思う間もなく金飛竜が真横を追い抜いて、ティークの悲鳴があがる。後方をついてきていたイルマ竜がかねに似た甲高い声でえ、金飛竜の速度が鈍った。なおも急ごうとするケスティスをティークがいさめるのが聞こえる。


「今のは呑まれたんじゃなく、飛び込んだんだよ! 上位竜族も一緒なら大丈夫だろ……だと思います! よ!」

「クッ、だが!」

「きっと何か考えがあるんだ……です! つぅか落ち着けよ、前方に戦火神いるじゃん」

「……戦火神?」


 セスは魔獣を使役する権能を持っており、銀竜は空間に関わる権能を持った上位竜だ。ケスティスの慌てぶりに少しの優越感を感じ、ついに被っていた猫がずれたティークは記憶喪失じゃないと確信して、ラファエルは気分が良くなった。

 クリスタル家は無信仰だと聞いたことも思いだす。魔獣と対峙たいじする神々しい炎狼が戦火神であることにも、彼は気づいていないのだろう。自分が彼に教えてやれることがある、というのが、なぜだか無性に楽しい。


「ケスティス! あの巨大な炎狼こそ戦火神様だよ。すぐそばに守護騎士パラディンのデューク殿がおられるだろう。僕らは、かれらの指示を仰ぐべきだ!」

「……く、やむを得んな」


 話している間にもぐんぐんと距離が縮み、かれらの戦っている相手がはっきりと見えてきた。白く細長い流線形、おそらく外観は巨大な白鯨。

 戦火神フィーサス守護騎士デュークが炎をび魔獣の身体に叩きつけ、削れて散った黒い瘴気しょうき火炎竜フィオが焼き尽くしてゆく。ひらめく落雷をかわしつつ行われる連携攻撃は、遠目に炎をまとった舞いのように見えた。

 わずか見惚れていた間に飛竜は戦火神らの元へたどり着く。炎狼がこちらに目を留め、雷撃をかわし旋回を始めた飛竜たちのほうへ飛んできた。そこに一羽の大烏が飛来して、姿を変化させる。

 その姿――外見は魔将軍セルフィードだ――にラファエルは一瞬身構えたが、戦火神のほうは隣に浮く魔導士を一瞥いちべつしただけで、燃える瞳をこちらへ向けた。


『おう、待ってたぜ! セスとルシアは魔獣の本体たましいと決着をつけに行ったから、俺たちは外殻を叩いて災いを止める。いいな?』

「畏まりました。守護騎士殿にならい、〈爆破〉の奇跡で参戦いたします!」

「貴方が、戦火神……なのか?」


 ラファエルが素直に頷く一方で、ケスティスは懐疑的だ。炎狼はセルフィードに「説明は任せた」と言い残し、守護騎士のほうへと戻っていく。

 星龍の権能をかすめ取った大烏は、どうにも信用の置けない使い魔という印象だが、今は信用しても大丈夫なのだろう。


「あの方が戦火神様だよ。僕はもちろん戦列に加わるけど、ひとつだけ確認してもいいかなセルフィード。魔獣を滅ぼしたとして、中のセスやルシアに危険が及ぶ可能性は?」


 大烏の魔導士と顔を合わせるのは二度目だ。常の彼は知らないが、今日のセルフィードは風に吹き散らされる黒い長髪を押さえようともせず、空中で腕を組み脚を組んで表情は不機嫌そうだった。

 伏せがちな黒い目が旋回する飛竜たちを追い、低いけれどよく通る声が答える。


「銀竜の彼が同伴したなら、いかなる事態であろうと二人は無事に帰還できるね。……戦火神の言うように災害の呼び水となるのは魂ではなく、を引き寄せる術で織られた外殻だ。炎あるいは雷に属する魔法や奇跡ならば、効率よく外殻を削れるだろうよ」

「わかった。行こうケスティス」

「あっ、待ってくださいラフさま!」


 二人に危険がないなら問題ない、と判断したが、ルフィリアは違ったらしい。蒼飛竜マリユスに一声かけて旋回に戻せば、少女はラファエルの腕に手を置き身を乗りだした。


「セスさんたちが何をしに行ったのか、ご存知ですか? 外側にいるわたしたちは、ただ撃破に集中するだけでいいのでしょうか」


 よく知っているはずの婚約者は、見たこともない必死の表情をしていた。何かあるのだと直感的し、ラファエルは近くを飛んでいたイルマ竜に視線を送る。

 イルマ竜は紫水晶アメジストの目をくるりと動かし見て、動きあぐねていたケスティスとティークに言った。


『僕らは先に白冥王ハーデスの元へ行こう』

「いいのか?」

『どのみち、外殻を壊さなければ災いは止められないからね』

水棲すいせい系の魔獣に雷魔法は効果が高いんだ。雷系なら、得意だから」

『ラファエル王子、彼女には白冥王ハーデスの声がきこえるのかもしれません』


 言い残し、金飛竜と黒銀の竜が飛び去ってゆく。遠目で見れば、イルマ竜は金飛竜と背上の二人を魔法でサポートしつつそばについているのがわかった。

 彼らのことはよく知らないが、セスが自身を顧みず救おうとしたことを思うと、事情など聞かなくても胸に熱いものが込みあげてくる。

 視線を引き戻し腕に収めた愛しい人を見れば、彼女はラファエルを見あげ頷いた。そして、大烏の魔導士に再び向きあう。


「わたしがここへ来たのは、偶然ではありません。夢を、みました。きっと、月虹神様のお導きだと思うのです。わたしにも、すべきことがあるのではないですか?」


 優しげで穏やかなルフィリアの声は、しかし嵐の中でも不思議とよく響いた。黙って聞いていたセルフィードが、不意に組んでいた手足を解き姿を変える。そうして飛来してきた大烏は、飛竜用の首輪に付いたハンドルを止まり木代わりにして頭をぶんと振った。


『なるほど、おまえは月の民の末裔まつえいか。さすがの私もこのたびは腹が立っていてね。……ちょうどいいね。良いだ。身勝手な悪友へ、仕返ししてやりたかった所だよ。しばしの間、同伴させておくれ』

「……今度は邪魔をしたりしないと、誓うだろうね」


 問うようなルフィリアの視線に否とは言えず、しかし彼を信用しきることもできず、ラファエルは尋ねる。大烏はぶるりと全身を震わせ水気を飛ばしてから、うんざりしたように言った。


『そもそも、邪魔したのは私ではないのだが……、うむ。外殻を破壊しあふれたの炎で浄化すれば、災害は止められるよ。間違いない。同時にそれは、白冥王ハーデス冥海神ウィルダウにとって存在の消失、おまえたちの言語でたとえるなら死を意味する』

「もしかして、セスさんたちはそれを、止めるために?」

『そのようだね。彼らの魂を外殻から引き離せば、救出は可能なのだが。魔物の権能を用いれば難しくもない。問題は、ウィルダウ自身が救済それを望まず、セステュを邪魔しようとすることだろうよ』


 淡々とそこまで語り、セルフィードはラファエルを見た。漆黒の目からは表情を読み取れず、つい身構えるが、彼は向きを変えて翼をたたみ直し、前方へ頭をもたげる。


『いずれにしても私の魔力で外殻を削ることはできないからね。王子もく参戦するがいいよ。私は語部かたりべとなり、悪友ウィルダウの企みと真意を暴露してやる』


 


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