[6-5]冥王との対決
滝のような雨が天から地へと駆け
一見すれば雨季の雷雨。しかし、落ちる
降り注ぐ雨水を弾く、あるいは地に染み込む前に真水へと変える。精霊魔法、魔導、奇跡……方法はあるが、個人ではとても追いつかない。よって、天空神と豊穣神が中心となり災害の対処に当たっている。
魔法を扱える者らを総動員して対処しきれるものなのか。セスに判断はできなかったが、対症療法でしかないのは明らかだ。しかも、この勢いで降雨が続けば川の
一刻も早く、魔獣を止めねばならない。
『あいつ、天龍が土地の守護に回らざるを得ないようにしてんだぜ。
銀色の竜に姿を変えたクォームの上にセスとアルテーシア、そして
苦手だった高所も、ラファエルや
「でも、意外でした」
アルテーシアが膝に乗るシッポを撫でながら呟く。戦闘にも何にも役立ちそうにない仔狼が一緒なのは、離宮が混乱の極みにあったからだ。ラファエルとルフィリアが氷海に向かうことになり、シャルはレーチェルと一緒に災害の対処へと
クォームが良しと言ってくれたので、いっそ一緒に連れて行こうと決めたのだ。
神妙な表情のアルテーシアが言いたいことはわかるので、聞き返す。
「意外って、天空神様の反応?」
「はい。もっと強引にことを進めるかと……思ってました」
「ずいぶんあっさりと、災害対処に回ってくれたよね」
足元から、
『そりゃ、こっちには新世界の女神がいるからさ!』
「新世界の……フィオのこと?」
肯定の頷きを返し、クォームは長い首を傾けて背上の二人を見た。青い瞳がわずか、細められる。
『さ、いくぜ。飛竜より早く、オレ様たちが一番乗りだ。セス、覚悟はいいな?』
「もちろん」
ゆるりと羽ばたきながら空中に停止する銀竜の上で、セスは慎重に立ちあがり結界の外へと目を
黒雲と電光を引き連れて、とてつもなく大きな影が濃さを増す。曇天を押し曲げ、白く美しい威容がゆっくりと姿を現した。
「
セスがこれまでに召喚したどの魔獣よりも大きいだろう。全体としては流線型の長い身体に、平たい三角形の尾ひれがついている。体色は薄いねずみ色だが、暗い空を背景に黒雲をまとう姿は名称にふさわしく真っ白に見えた。巨体のわりに小さな胸びれをゆっくり動かし、全身の三分の一はあろうかという大きな口をうっすら開いている。
動きは、全体的に
きろり、と、深く切れ込んだ口の上にある小さな目が、こちらを見た気がした。
「まるで霧笛の音みたいです。セスさん、
豪雨と雷鳴にかき消されぬよう、アルテーシアが声を張りあげる。彼女はこんな時でも冷静で、混乱しかけていた思考が少し冷静になった。
しかし、すでに召喚された魔獣と意思疎通するやり方をセスは知らない。
「わからないけど、やってみる! クォーム、もう少し近づける?」
『近づいてもいいけど呑まれちまうかもな。それに、ほら、……お出ましだぜ?』
銀竜が首を動かし示した先に、
彼も自分を見ているだろうことを確信しながら、セスは叫んだ。
「ウィルダウ!
「ほう、面白い。ぜひ見せてもらおうか、……もし君が災いを止められたなら、な!」
彼の声は嵐の中にあっても明瞭に聞こえた。遠景の魔導士が片手をあげる。
傍らのアルテーシアが身震いし、シッポを抱きしめて
「あれは、何でしょうか。ひどく
『あー、あれな……
「うん」
頭を
『
創世竜の願いは高潔で美しいものだった、とセスも思う。けれど、争いのない世界と個々の自由な心が
正しさと間違い、善と悪――その境目は
「つまり、創世竜に否定されて行き場を失った
『半分当たり。でも、満点じゃないな。……セス、ルシア、人が想いを寄せるのは
セスは黙ってアルテーシアを見る。クォームの言いたいことが、わかりそうで確信が持てない。アルテーシアも同じらしく、細い眉をきゅっと寄せて懸命に考えている様子だ。二人の戸惑いを、
『オレ様からのヒントはここまでだ! セス、どうする!?』
「うぅっ、……あと少しで届きそうなのに! クォーム、今の状況がどうなってるかわかる?」
ラファエルとルフィリア、ケスティスとティークとイルマの竜騎士組は、エルデ・ラオ国から
デュークとフィーサスはフィオが空間転移で連れてくると言っていたので、もう付近に来ているだろうか。魔王は気になることがあるようで、個別に動くと言っていた。
クォームが青い目を瞬かせ、長い首を傾げる。
『飛竜組はそろそろ到着しそうだな。フィオたちは――あっ』
不意に上げた声の意味をクォームに問い返す必要はなかった。
後を追うように現れたのは成竜サイズに姿を変えた火炎竜――フィオと、その上に立ち金髪を風に吹き
『くっそう、不意打ちならいけると思ったのに!』
「今のどこが不意打ちなんだ。セス、……援護に来た!」
「デューク! に、フィオと……フィーサス?」
叩きつける豪雨にすらかき消されぬ炎をまとい、宙に浮いて
燃えるアーモンド型の目がこちらを見、楽しげにきらめく。
『おうよ! ウィルダウっコノヤロウ、俺がてめぇとの対決で毛玉に甘んじているとでも思ったのかよ。その喉笛、噛みちぎっ――』
「駄目だフィーサス」
『何でだよっ』
「お前の役目はサポートだと言っているだろう。……セス、私たちは、何をすればいい」
我を忘れるレベルで
なかなか危ないところだったろうに、ウィルダウは慌てる様子もなく
「デューク、俺はウィルダウも魔獣も滅ぼしたくない! 何とかならないか?」
「何っ……それは難しい
『マジか。あれが魔獣の腹に溜まってる今が浄化する絶好のチャンスだってのに』
真面目に考え込むデューク、勢いを
「つまり、殴って吐きださせてから
『無茶振りかよ! いや、アリかも? フィオもいるし行けるじゃねーか!』
『え、僕が? よくわからないけど、全力で燃やします!』
ふたりのやり取りは息ぴったりだ。フィオはおそらく、わからないまま張り切っている。セスにも
「そんな相談を目の前でされて、私が見逃すとでも?」
『おまえの可愛い
「ふふ、可愛い子に試練を与えるのが、私の教育
『可愛いから虐める系かよ、性格の悪いやつだぜ……』
本人を目に前にして可愛いを繰り返さないでほしい。さっきまで
大丈夫だ、覚えているはずだ。
かれとはここに来る前すでに接触したのだから。
ぬるく泡立つような海水、ゆったりと流れをかき混ぜる巨大な
(
泡立つ
――我は
(……え、どういうこと)
思いもかけぬ答えに、セスの思考が一瞬止まる。途端、耳をつんざく雷鳴とともに意識が現実へ引き戻された。思わず顔を上げれば、いつの間にか右腕に大烏を乗せた玄神の魔導士が、セスのほうを見ていた。
「驚いた。まさか――君の真意を、私は読み違えていたようだ。しかし、救いなど不要なのだよ、
嵐の中でもはっきり聞こえてきた声が、唐突に不明瞭になる。幻想域から現実へ一気に連れ戻されたせいか、こめかみの辺りがじくじく痛んだが、セスは気力を総動員して立った。
声にしない問いを銀竜から感じる。炎狼フィーサスが臨戦体勢になって吠えた。
『デューク、あいつ魔獣と融合するつもりだぜ!』
「なに! 待て、魔獣が神の魂を取り込んだら、俺たちでは止められなくなるぞ」
飛び込もうとした炎狼が雨水に阻まれ空中で
「クォーム!
「セスおまえまた無茶を!?」
『待て待て、おまえまで
戦火コンビが仲良く声を揃えて異議を唱えたが、セスの決意は揺るがなかった。クォームが楽しげに笑い声をあげ、翼を大きく羽ばたかせる。
『わはは、いいぜ! 行ってこいセス! おまえが取りこぼしたくない
「ああ、そうしてやる」
「セスさん、わたしも行きます!」
「えっ」
魔導士の身体が力を失い崩れ落ち、黒い羽根の塊に変わって、次の瞬間には霧散した。
わからないけれど、教えてもらえないけれど。ましろき祈り、と聞いて思いだすのは、アルテーシアの歌った物語だ。
あの伝承がまだ結末を迎えておらず、誰かが救いを求めているなら。ウィルダウの意図がそれと無縁であるとは、どうしても思えなくて。
ふいにぬくもりを感じて振り向き見れば、怯えるシッポを左腕にしっかりと抱きしめ、アルテーシアの右手がセスの左腕をつかんでいた。彼女の瞳にも迷いはない。彼女の瞳に映ったセス自身は、自分でも驚くほどやる気に満ちた顔をしていた。
「ルシア、危険かもしれない」
「わかってます。でも、わたしは、見届けたいです」
銀竜はぐんぐんと高度を増し、もはや渦巻く黒雲に吸い込まれそうだ。近づくほどに巨大な
少女の指が震えているのに気づき、セスは彼女の手に指を絡めてつなぎ直した。
「一緒に行こう、ルシア。クォーム、それでもいい?」
「はいっ。いいですか、クォームさん」
『おーぅ、最終決戦なんだし思いきりやろうぜ! さて、オレ様からありがたい助言をくれてやる。魔獣は物理世界の生き物と違う、魔法的な存在だ。魔法で構成された空間では、距離、時間、物理法則、どれも大きな意味を持たない。だからこそ、願いを忘れるな』
少年と少女は手を取り合ったまま、銀竜のありがたいお言葉に頷いた。
素直すぎる反応が楽しかったのか。
銀竜はもう一度あの
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