[6-4]月読うさぎと白冥王


 いにしえの時代、原初の炎竜クリエイタードラゴンは『争いのない世界』を夢みて世界ほしを造ったのだという。

 どのような原理、方法を用いたのか、天空神はじめ神々にもわからない。世界の創世を見たという銀竜も詳しく語ることはしなかった。ただ一言「世界を造る魔法っていうのは、願いを形にする祈りのようなもの」と言い添えてくれた。


 人が食物によって育つように、生まれたての惑星ほしも、成長するために竜族の魔力ちからを必要とする。それに加えて、国家に指導者が必要なように世界にも管理者が必要だった。

 それを満たすための機構システムが、『時の竜』と『六柱の神』である。

 まだ幼かったとはいえ、の権能を持つ上位竜族の魔力であれば小さな惑星程度は支えられる。創世竜自身も特別に魔力量の多い上位竜族だったので、かれらはつかさを任じて幾つかの権能を分割した。光と守護の天龍、炎と勇気の朱龍、土と繁栄の翠龍、闇と運命の星龍、水と調和の玄龍、風と治癒の白龍。

 人の言語ことばに寄せてと呼び、中心となるを支えて世界を導いてゆくはずだった。

 あの、炎禍えんかの日までは。


 なぜ、人は争うのだろう――。創世竜はそういって嘆き悲しみ、みずから造りだした惑星ほしを破壊しようとしたのだという。真摯しんし高潔こうけつな願いを受け誕生したはずの惑星は、しかし創生者の願いを実現することができなかった。

 造り手にてられれば、世界の存続は不可能だ。しかし、数多くの生命をようし歴史を刻みはじめていた惑星は滅びを拒絶した。

 神々はいわば眷属けんぞくであり、創世竜を殺すことはできない。惑星が焼き尽くされたあと一握りでも生命が残ることを信じ、あらがい、炎禍の終わりまでひたすら耐え続けたという。


 終わらせたのは、異界から渡ってきた上位竜族――銀竜だった。かれは創世竜を絶命させ破滅の炎を食い止めたのだ。

 焼尽という結末は回避できたが、惑星は同時に存在の基盤を失うことになる。その上、竜族によってもたらされたわざわいは、人族にへの恐怖心と嫌悪の情を植えつけた。

 竜族の権能ちからによって存在する惑星が源である炎竜を失い、惑星に住む者たちが竜族を否定してしまえば、その先に待つのは終焉しゅうえんしかない。

 回避するため銀竜を頼ったのが、白龍と星龍。独自の方法を考えたのが、天龍と玄龍。翠龍は終焉まで流れに身を任せることを選び、朱龍は人とともに道を探ることを選んだ。


 しかし、神々の想定よりずっと早く、地上の争いは加速してゆく。

 人は竜族をいとい、魔法の素養があるかないかを判断基準にして、世界から淘汰とうたせんとした。狩られる側も当然ながら抗い、反撃し、ついには星龍が討たれ、時の竜が地上へ干渉するほどまでに激化する。

 竜への信仰心は失われ、憎しみと怨嗟えんさが文字通り惑星をむしばみ、やがては世界の内部から崩壊するだろうと思われた矢先。

 提案をしたのは、玄龍――冥海神だったという。


『歴史を作り替えればいい。地上の混乱をここまで助長した時の竜ルウォーツには、人族に敵する者を演じて討たれてもらおう。かれの命……魔力で世界の機構を作り替えれば、少なくとも向こう数百年は命脈をつなげる』


 互いの意見が完全一致したわけではない。しかし最終的に天龍はこの提案に同意し、人族の中で暮らしていた時の竜ルウォーツに話を持ちかけた。自分の命を差しだせという要求を彼は素直に受け入れたという。

 魔王戦役という偽の史実は、こうして作りあげられた。時の竜ルウォーツ魔力いのちをもって世界の記憶が改竄かいざんされ、争いが沈静化したのは、銀竜が見せてくれた過去風景の中で、セスがグラディスから聞いたこととも一致する。

 ウィルダウは同じことをしようと――魔王を人族の敵として示し、人間の英雄に討たせ、彼の命を燃料リソースとして、世界の延命をはかろうとしているのだろうか。しかし魔王自身は天空神に「過去の過ちは繰り返さない」と宣言していた。そもそも天空神は、邪神を阻止すると口にしたのだ。魔王、ではない。


「――というわけだ。対立する者らを一致団結させるには、共通の敵をぶつけるのが早い。玄龍め、おそらくそのつもりで魔獣を強化したんだろう。氷海と雪原は都市部ではないが、放っておくわけにはいかないからな。今より我々は氷海に向かい、と呼ばれる魔獣を撃破する」

「え、もう少しでまとまりそうなのに」


 ものすごくいい所まで思考が進んでいたのに、天空神の宣言が会議を締めた。思わず心の声が口から出てしまい、またも皆の注目を浴びてセスは今度こそ青ざめる。神様相手にとんでもなく不遜ふそんなことを口走ってしまった。

 隣のアルテーシアが、ノートを握りしめて身を寄せてきた。ふわっと鼻先をかすめた彼女の髪から、やわらかくて甘い香りが嗅覚をくすぐる。


「セスさん、冥海神様の使役する魔獣なら、当たりをつけられそうですか?」

「ルシア今日は花の香りが……じゃなくって、え、魔獣?」

「え? お花?」

「わーっ、何でもないよ! 魔獣は、んーっと、ほら、あれとか」


 頬杖をつき目を細めてこちらを見ている魔王と目が合い、心が読める云々うんぬんをこの局面で思いだす。慌てて脳内に昨日読んだ魔獣図鑑を巡らせるが、もう手遅れだろうし思い当たるものも見つけられない。なので適当なことを言って誤魔化した。

 首を傾げて真剣に考え込むアルテーシアを促し、呆れ気味の妹も連れ急いで会議室を出る。廊下へ踏みだした途端、景色が一転して、強烈な日差しと青臭い風にくらりとした。

 見あげて陽の位置を確認すれば、確かに体感ほどの時間は経っておらず、まだまだ早い朝のようだ。


「ねぇ、セス。あたしも……うまく言えないけど、たどり着きたい」


 妹の黒い髪、すみれ色の目は、災厄の魔女と呼ばれたグラディスと共通している。天空神の話を聞きながら胸にわだかまっていったモヤモヤを、リュナも、……リュナの中で話を聞いていたグラディスも、感じていたのだろうか。

 改めて聞けば、過去の歴史は悲しく理不尽だ。

 天空神が主導して話したので口を挟む者はいなかったが、皆が納得して聞いていたとは思えない。思いたくない。


「わたしも、クォームさんの言う通りだと思います。すごく強力で、放置できない魔獣だというのはわかりましたけど、セスさんは……その魔獣をのでしょう?」


 胸をつく一言だった。今朝の夢が、脳内で再びかたちを結ぶ。

 過去の時代に『時の竜』を『魔王』に仕立てあげ、世界を冥海神ウィルダウは、その役割を今度は自分の使役下にある魔獣に負わせようとしているのだろうか。いや、あるいは彼自身が――?


「ルシア、リュナ、ありがとう。わだかまっていた迷いの正体がわかった気がするよ。俺も、氷海へ行こうと思う」

「セス……危ないよ」

「うん。でも、俺はウィルダウに答えを伝えたいから」


 不安そうに見あげてくるリュナの頭を撫でて、アルテーシアを見る。大きなブルーグレイの両目を好奇心でキラキラ輝かせ、ノートを抱きしめて頬を染めている彼女が思っていることを、心など読めなくとも察せるようになってきた。


「ルシアも、来る?」

「もちろんです! 人間には物語が必要ですし、見届け役なら吟遊詩人ほどの適任はいませんもん」

「え……二人とも大丈夫?」


 リュナの心配には頭を撫でてこたえ、セスは頷く。まだ確かめてはいないけれど、どうにかなるという自信があった。


「天空神様のいう『我々』に、俺やルシアは入っていないと思うけど、大丈夫。いざとなったら俺も魔獣を召喚して、ルシアを守るから」

「でも、その権能って冥海神様のものなんでしょ? 敵だって、冥海神様が操ってる……んだよね?」

「そうだけど。ウィルダウは今さら権能を俺から剥奪はくだつしたりは、しないと思うんだ」


 少なくとも、決着がつくまでは。根拠はと聞かれても答えられないが、思えばはじめから――それぞこの旅に出るずっと前から、ウィルダウはいつでもセスの意志を尊重してくれたように思う。

 神々を、国々を手玉に取り、世界の敵を顕現けんげんさせようとしている叡智えいちの神、冥海神。彼ならば、自分ごときを意のままに操ることは簡単だったはず。だが、セスが望みの通りに振る舞うことを彼はいつだって許してきた。その本質が調和であるということも、セスは今の話ではじめて知ったのだ。

 狭間で彼が言った「五百年前に選んだやり方」が魔王戦役であるなら、と言った意志を尊重し、彼はセスが答えを出すのを待っているのではないか、と思うのだ。


 ――真実を探り、真相をつかむがいい。そうして、君が選ぶ世界の未来を見せてみろ。


 投げかけられた問いの答えを、今なら答えられる。

 そのためには、止めなくてはいけない。魔獣がもたらす災いも、それを滅ぼそうとする神々も、満足げに笑っているだろうウィルダウの企みも、全部。セスが選びたい未来は、その先にあると気づいてしまった。


 答えを見つけ高揚こうようする心は、しかしまだ冥海神の本質を見極めていなかった、のだろう。

 ふと違和感を覚えて空を見あげた。青臭いと思った空気がさらに重い湿り気をはらみ、セスの長い髪を乱暴に巻きあげる。まるで生き物の群れみたいに勢いよく空を流れていくのは、ねずみ色の雨雲だった。


「さっきまで晴れてたのに……。セス、ルシア、早く入ろう」


 ぶるっと身を震わせたリュナにセスが答えるより早く、ルシアの瞳が真剣な色を帯びてセスを見た。彼女も答えにたどり着いた、と言わんばかりに。

 鈴のようなソプラノが、歌うように物語のどれかを口ずさむ。そして言った。


「わかりました、セスさん。海から上る魔獣、死霊の門……。連想のようにつなげれば、それは伝承における冥王の姿です。地上の生を終えた魂を海淵ふかみへ迎え入れ、記憶をあずかり、生前の傷をいやす冥界の王。――冥海神と同一視されることもある、深淵の魔獣は、」

白冥王ハーデス、だ」


 ざざあっと激しい風が吹き、みるみるうちに空が暗くなってゆく。バラバラと雨粒が落ちてきて、リュナが悲鳴をあげて建物のほうへと駆けだした。

 離宮がにわかに騒がしくなる。

 激しく降りだした雨に打たれながら、セスとアルテーシアは黒雲が渦巻く空を見あげた。少女は伝承の物語を、少年は眺めみた魔獣図鑑の説明を、思いに描きながら。どちらからともなくすぶぬれの手をつなぎ合わせ、厚い雷雲の向こうに目を凝らす。


「――むかしむかし、大陸のはしっこに、月の神さまに愛された白いうさぎたちが住んでおりました。精霊のこえをきき、声なき歌で心をかよわせ、やわらかな綿毛で傷をいやす、やさしき神の眷属けんぞくたちでした」

「彼らとちぎりを結んだ民は、星読みと予知夢で幾度も災害を予言し、国と民を救ったという。……けれど、その能力に目をつけた大国が、彼らを支配下に置こうとした。はじめは金銭で、のちには迫害によって」


 輝帝国が抱える黒歴史だったのだろうか。子供向けに平易化された文面では、具体的な国名や地名を知ることができなかった。

 アルテーシアが紡ぐ歌物語は、記述の足りない部分を補足してくれる。


「うさぎたちをかかえて、かれらが逃げこんだのは、つめたい風がふきすさぶさいはての海でした。たいせつな友を差しだすくらいならと、かれらは海へ祈りをささげたのです。かなしき民のねがいにこたえてくれたのは、白くうつくしい冥界めいかいの王でした」

白冥王ハーデスは彼らを呑み込み、冥界へと連れ去ったらしい。ウィルダウの企みとこの伝承がどうつながるのかは、まだわからないけど――」


 柱廊の向こうでリュナが心配そうにこちらを見ている。雨はますます激しさを増し、厚く重なる雲の向こうを見通すなどできそうになかった。アルテーシアと手をつないだまま建物の中へ入ると、怒ったふうのリュナが大きなタオルを差しだしてくれた。


「もうっ、二人とも……風邪ひいたって知らないんだから!」

「ごめんなさい、リュナちゃん。でも、わかりましたよっ」

「リュナ、これは普通の雨じゃないんだ! 塩辛くってベタベタするんだよ」

「全然わからないよ! え、……グラディスさんが、海水っていってる」


 顔と頭と髪をざっと拭いて、タオルを困惑顔の妹に押しつける。ウィルダウの計画が始まった以上、もう一刻の猶予ゆうよもない。


「リュナ、正解だ! このことを急いで……えぇと、ナーダムとアロカシスに伝えて。俺はラフさんとクォームをさがすから。ルシアは、魔王に!」

「う、うん。わかった……けど」

「セスさん、わたし、兄に話したら着替えてエントランスへ行きます!」


 リュナはまだ混乱しているが、中のグラディスが状況を把握はあくしてくれたようだから、任せて大丈夫だろう。

 精霊魔法の使い手であるナーダムの協力はリュナでなければ取り付けられない。セスが気づくくらいだから、ネプスジードや神々だって気づいているだろうとは思うが――……。

 さほど探し回ることもなく、ラファエルの姿はすぐに見つけられた。鎧を着込んだ彼が向かおうとしていた先は、竜舎だろうか。セスを見て驚き、方向転換して早足で来てくれた。


「ラフさん、俺も氷海へ向かいます!」

「探したよセス、というかなぜこんなずぶ濡れに!? まあいい、急いで着替えて来なよ。マリユスを準備させて待ってるから」

「え!? いえ、俺は」


 確かに戦力という意味では心強いが、ラファエルは国を離れて大丈夫なのだろうか。それ以前に、蒼飛竜マリユスに三人乗りはできないので、今回は甘えられないのだが。

 が、セスが説明する暇などなく、雷のような声が割り込んだ。


「待て! この一大事に次期国王が軍を指揮せずにいてどうする。セスは俺の弟だ、俺が乗せてゆく」

「は、何を今さらだよ! セスとはここまで生死を共にしてきたんだ、勝手を知ってるマリユスに乗るほうが安心に決まってる」

「ちょっと待って、兄さんも、ラフさんもこんな時に喧嘩しないでくださいっ!」


 結論としてはどちらとも一緒できないのだが、当てにしている相手にはまだ了解をとっていない。かといって放置できず、セスが二人の間に割って入ろうとした時。りんと響いた声が男たちの動きを止めさせた。


「ラフさま、マリユスにはわたしを乗せてください。一緒に、連れていってください」

「そーそ。で、アニキさんのほうにはコイツ乗せてやって?」


 続いて発せられた声はクォームのものだ。胸元に手を組み、まっすぐラファエルを見つめるルフィリア。隣に立つクォームが指し示すのは、車椅子の上でうつむくティークだ。兄の顔が今まで見たことないほど戸惑いの色に染まってゆく。

 付き添うように立つイルマが、ふんわり微笑んで口添えた。


「僕では安定せず、乗せられなくて。近くには付き添いますが、彼は僕の大切な友人ですので、どうかよろしくお願いします」

「セスとルシアはオレ様が運んでやるぜ。……セス、ざっと水浴びて着替えて、ちゃんと準備して来いよ。大丈夫、オレ様が道を開けば一瞬だからさ!」


 心が読めることに気づいたのもばれているようで、何も言わないうちから望みどおりの采配さいはいを言い渡し、クォームはにぃと笑んだ。自分の想いと決意を後押しされたように感じて、胸の奥が熱くなってゆく。


 真実を知り、真相に手を伸ばした今ならば、選びたい未来を言葉にできるはずだから。

 あとは、彼に答えを伝えにいくだけだ。




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