[6-3]神域にて


 改めて、この場に集った者たちを見る。


 魔王と王子を質問攻めにして納得したのか、今はすっかり落ち着いて席に座る兄、ケスティス・クリスタル。不満げな様子を漂わせつつも、黙ってケスティスを観察しているラファエル王子。相変わらず泰然としている魔王ルウォーツ。

 ここにいるのは帝皇ていおうではないが、ケスティスは現在の帝国軍事面においての最高権力者だ。想定と形は違えど、デュークが当初に思い描いていた会談が叶ったともいえる。


 レーチェルが天空神殿祭司長の娘、人間の国家でいう王女みたいな立場だったことには驚いたが、納得もした。

 天空神の目覚めにより『天空の地』は浮力を失って降下しつつあり、彼女の婚約者――具合の悪い彼女の父に代わり内政を取り仕切っている人物――が都市側の指揮を任されているのだという。

 シャルの立場はよくわからない。セスの目には、レーチェルとすっかり恋仲に見えるのだが、今ここで聞ける話でもない。


 セスは今、ケスティスの向かい側に座っていて、両隣にアルテーシアとリュナがいる。足元には仔狼シッポがお座りしているが、この場に動物を連れ込んで良かったのかと心配だ。

 吟遊詩人の少女は彼女らしく、目の前で交わされたやりとりを丁寧に書き取っていたらしい。卓の上にノートを広げ、補足を書き込んだり下線を引いたりとすっかり自分の世界に入っている。

 断じて、先を越されて悔しいというわけではないが、気の置けないやりとりができるようになったシャルとレーチェルが羨ましかった。自分はいまだにアルテーシアに、セスさん、と呼ばれる距離感だというのに。

 しかし、世界の危機に比べれば自分の恋心なんて二の次だ。世界の危機に乗じてセス、と親しく呼ばれたいとか、騎士らしく彼女を庇っていい所を見せたいとか、あわよくば――、


「何だよ何だよ、邪神と決着だぜって局面なのに、辛気臭いな!」

「うわっ!?」


 頭上から降ってきた声は完全な不意打ちで、思わず悲鳴が出た。振り向き見た視界に、ひっくり返ったクォームの顔がある。たゆたう純銀の長髪を生き物みたいに揺らめかせ、胡座あぐらで両腕は頭の後ろに組んだ姿勢の銀竜少年が、逆さになってふわふわ浮いていた。


「貴様、どこから現れた」


 思いにふけっていた上に自分の悲鳴で気づかなかったが、ケスティス兄が警戒もあらわに立ちあがっている。ラファエルがさっと隣に移動し、牽制けんせいするような硬い声で言った。


「彼が上位竜族のクォームだよ。幻術と空間移動を得意とし、セスを何度も助けてくれた人物。魔王もそうだけど、上位竜族は人と同じ姿になれるらしい」

「……なるほど。ならばそちらの女性が『フィオ』なのか」

「そーそ、オレ様こそが転移門ゲート映像共有ヴィジョンのエキスパート、便利屋ドラゴンのクォーム様だぜ」


 雑な自己紹介とともに、くるりと身体を回転させて頭を上に。空を飛べるのは知っていたが、ここまで自由自在に浮遊できたのかと驚く。

 隣に駆け寄ってきたフィオは、セスの記憶にある幼い少女ではなく、背丈も手足もすらりとした美少女に成長していた。燃える炎を思わせる深紅の髪も、腰に届くほどまで長くなっている。


「はい、僕がフィオです。……えぇっと、その、これでも一応『新世界の女神』ということになってまして、その」

「要するに、覚醒かくせいは成しげられたということだ」

「ぷっきゅー」


 懐かしい穏やかな声と、可愛らしい鳴き声。もじもじと照れていたフィオの隣に、白毛玉を肩に乗せたデュークが立つ。

 記憶にあるより顔色が良く元気そうな、金髪碧眼の魔剣士青年の姿を見て、セスは思わず立ちあがった。といっても、勢いに任せて抱きつくまでではない。


「デューク!」

「クォームから情報提供してもらったが、おまえも大変だったな……セス。リュナも、あの時は、守ってやれなくて済まなかった」

「あ、……うぅ、あっ……」


 言われて気づく。セスの隣に座っていたリュナのほうが、感極まったようだ。言葉にならない声に、涙が混じっている。

 妹は立ちあがり、ふらふらと歩きだし、勢いよくデュークに抱きつき、ついに大声で泣き始めた。驚いたように視線をさまよわせたデュークだったが、彼の腕はリュナをしっかり抱きしめて、あやすように優しく背中をさすっている。

 リュナはデュークが殺されたと、ずっと思っていたのだ。誤解をといたとはいえ、自分の目で見るまで半信半疑だったであろうことは理解できる。ケスティスが怒るのではないかと心配になったが、兄は細めた金目でじっと様子を観察しているだけだった。

 それともう一人。

 ラファエルが熱のこもった視線をデュークに向けている。理由もなんとなくわかった。


「……セス、彼が戦火神の守護騎士パラディンってことだよね? それじゃ、あの、白い……愛らし、神々しい、のが」

「フィーサス、サマ、が……あの、戦火神様で」

「うっわぁ」


 たどたどしいセスの返答を聞いた途端、謎の歓声をあげてラファエルがフィーサスに熱視線を向けた。

 いつも冷静沈着、神話や伝承への理解が深く、戦場では恐れ知らずな活躍を見せる竜騎士の王子様が見せた挙動不審に、セスは何と声を掛けていいかわからず固まる。あまりに挙動が不自然だったからだろう、フィーサスがこちらにつぶらな瞳を向け、ふよふよと飛んでくるではないか。


 敬虔な信徒にとって、敬愛すべき神様がこんな得体の知れない謎生物の姿で「プキュキュ?」とか鳴き声をあげている事態はどういうものなのか。

 信仰心と無縁のセスには想像もできず、何をすべきかも思いつかない。その間にも白毛玉は距離を詰め、ラファエルの鼻先すぐにふわりと空中停止した。

 白皙はくせきの美青年と、謎の白毛玉が見つめあう。

 先に動いたのはフィーサスだった。


「プッキキュ、ぴぎゅー」


 すすっと空中移動し、ラファエルの鎧に覆われた肩を尻尾でてしてしと叩く。おそらく意味がわからず固まった王子に何と声を掛けたものかと内心で焦っていれば、リュナを慰めていたデュークがぽつりと言った。


「……戦火神を戦狼の姿に戻せず、申し訳ない。フィーサスは、一緒に世界を救おうと言いたいようだ」

「本当に? 戦火神様が僕に、一緒に……って! わかりました戦火神様。このラファエル、身命をして聖戦に臨みます!」

「いや、そこまでは……」

「ふしゅー、キュー」

「え、触っていいの、ですか? うわっ、可愛、愛らし、……美しい!」


 デュークに通訳されながら嬉々として白毛玉とたわむれるラファエルが、今だけは年相応の若者に見えた。意外すぎる反応に驚きつつ、ネプスジードもこうなるのだろうかと想像してみたが、あの強面が崩れる姿はセスにはイメージできなかった。

 偽の神託によって命を狙われ続けたラファエルだったから、姿がどうであろうと『本物に認められた』事実そのものが救いになったのかもしれない。





 最終的に神域へ集まったのは、以下の面子だ。


 セス、リュナ、アルテーシア、なぜかシッポも。帝国の聖騎士ケスティスと、エルデ・ラオ国の王子ラファエル。上位竜族のクォームとルウォーツ、女神として覚醒したフィオ、天空人てんくうびとの代表としてレーチェルと、シャル。

 ネプスジードが連れてきたのはルフィリアとアロカシスだった。ナーダムとラディオルにはやはり秘密にするらしい。彼が戦火神を見たときの反応はラファエルに比べれば淡白だったが、その後しばらく白毛玉を凝視していたので、やはり衝撃は大きかったのだろう。

 天空神が連れてきたのは、豊穣神。共和国で邪神じみていた翠玉の女神は今も不機嫌そうにしていたが、天空神が説得したのだろう、不満を口にすることはなかった。

 そして思いがけない人物が、二人。


「僕もこのたびは、同席させてもらいますね」


 小柄な体躯たいくを魔導士の長衣ローブに包んだ、きっちり切り揃えた銀髪と紫水晶アメジストの目を持つ青年イルマが、人と竜と神の集う神域に姿を現したのだ。傍らに、車椅子をこぐ少年をともなって。

 肩ぐらいの長さでざくりと切られた金髪、うつむく真紅の両目。死んだものと半ばあきらめていた友の姿に本日最大の驚愕きょうがくを覚え、セスの身体が震えだす。――しかし、セス以上の反応を見せたのはケスティスだった。

 重い椅子を蹴倒す勢いで立ちあがった兄は、しかし、声を発することはしなかった。ケスティスを見たティークの瞳におびえの色が浮かんだと同時、イルマが一歩動いて視線をさえぎる。


「大怪我を負った後遺症で、彼は今、に陥っています。無理はできない状態なんですが、本人が力になりたい、というので」

「……。そうか、驚かせて済まなかったな」


 何かを飲み込んだケスティスが、低く応じて座り直した。セスはそっとティークのほうをうかがい見、向こうも同じく自分を見ていたことに気づく。その視線は即座に、外されてしまったけれど――。

 くいくい、と袖を引かれた。視線を傾け見れば、泣きそうな妹が自分を見つめていた。

 ぽんぽんと肩を叩かれ、反対側に目を動かせば、アルテーシアが天使の微笑みで自分を見つめていた。

 言葉などなくとも、二人が何を言いたいのかわかる。この場にはクォームや魔王といった上位竜族もいるのだから、ことの真偽を彼らに暴いてもらうことだってできる。けれど、本当に大切なのは真実かどうかではない。


 彼が過去をのであれば、もう一度、新たな友情を築きなおすこともできるだろうか。

 今すぐに、でなくともいい。

 ティークがこの場に姿を見せたことが、彼自身の答えなのだろうから。





「さて、ルウォーツにこれ以上の負担をかけぬよう、話を進めようか」


 切りだしたのは天空神だった。この神域そのものは天空神による固有結界だが、外界との時間のズレが最小限で済むように魔王が調整をはかっているらしい。今朝から竜騎士仲裁のためにもあれこれ魔法を使ったルウォーツは、そうとは見えないがだいぶ疲弊ひへいしているらしかった。

 まず前提として、と話を引き受けたのは、デューク。彼の口から神官殺害事件と『死霊の門』についての結びつきが話されたとき、セスは内側で何かがうごめくのを感じた。いつか見た深淵の夢が脳裏に広がるような錯覚。これは、共鳴……だろうか。


「――現状、『死霊の門』と呼ばれる巨大召喚陣が『月の民』によって構築されたこと、召喚できる魔獣が何かは特定できないものの、世界レベルの災害を起こせるものであること、を覚えておいて欲しい。各地で起きている殺害事件は、門を通して魔獣に捧げる魂を集めるための所業だろう」

「ふぅむ。何とも非効率な話だ。単純に死者の魂を数多く集めるなら、戦争でも起こしたほうが早いだろうに」

「確かに、その通りだな。魂狩りに限らず……ウィルダウのやり方は効率の面から見れば、意味不明だ。この局面で、私の呪いを解いたことも」


 耳から脳へと通り抜けていたデュークと兄の会話が、セスの意識を引き戻す。思わず「えぇっ」と声をあげてしまい、皆の注目を浴びて顔が熱くなった。デュークもうっかり口走ったことに気がついたらしい、なぜかほんのり頬を染めて、首を振る。


「失言だった、話がそれるから今は忘れてくれ。……とにかく、クォームと黒豹ディスクが確かめたところ、すでに召喚陣は起動している。今この瞬間に魔獣が門を抜けて現れたとしても、おかしくはない」

「そそ、難しく考えることはねーよ。アイツが、黒の神が待っているのは『演出』のためだ。魂も神も、竜さえらう魔獣をびだす、最高のタイミングを狙ってるってわけさ」


 あっけらかんと言い放たれた銀竜の言葉に、天空神がため息をつく。腕を組み、眉を下げる仕草が人間っぽさを感じさせる神だ。

 さかのぼれば輝帝国の祖であり魔王を討ったという大昔の英雄が、今こうして目の前にいるというのも、不思議なことだと思う。


「まあ、そうだろうな。つまり、魔獣の召喚前に門を破壊するのは不可能だと考えるしかない。冥海神は間違いなく、災いをもたらす魔獣と我々を戦わせるつもりだろう」


 天空神の確信的な言葉を聞きながら、それでもセスは考えていた。

 深淵に潜む、魂をらう魔獣。あの夢は、ウィルダウが育てていた魔獣――だったのだろうか。

 白き狭間で、過去の幻を見たあとで、対峙たいじしたときの彼を思いだす。選ぶ世界の未来を見せてみろと言われた。世界が歪むのを容認できないと言っていた。そんな彼が、はたして本当に世界の滅びを……災いの顕現けんげんを望んだりするのだろうか。


「ふっふっふ」

「うわぁびっくりした! クォーム、何だよ!?」


 耳元をくすぐる不気味な笑いに驚いて大声をあげてしまったので、またも皆の視線が集中する。恥ずかしいを通り越してたまれず、セスは熱くなる顔を隠すように背後ににじり寄っていたクォームを振り返った。

 猫に似たブルーのつり目が、面白がるふうに細められている。


「黒の神がおまえを気に入ってる理由、オレ様もなんかわかるなー」

「突然なに言いだすんだよっ。今は大事な会議の真っ最中だろ」


 これ以上注目を浴びたくないので声を潜めて言い返すも、静かすぎる神域でひそひそ話など無理なことだ。

 銀竜の少年は楽しげにふわふわ浮遊しながら、口角をあげて言い返してくる。


「いいんだよ、オレたち竜族や、こいつら神々が導くのは、あくまで『方法』だけだ。そこに理由を探し意味を付すのは、人間オマエたちにしかできないんだからさ」

「え、どういうこと……?」


 もしかして、ひどく重要な話だろうか。上位竜族は心が読める――そう言っていたのは、魔王だった。クォームはセスが心の中でもやもやと思い悩んでいたのに気づいて、話しかけてきたのだろうか。

 場の緊迫感が壊れたのもあるだろう、皆もそれぞれが、近しいものたちと小声で会話しているようだった。

 相変わらず口調の軽いクォームだが、ふざけて笑っているというふうでもなく。


「黒の神が仕組んだのは、災いをもたらす邪神の降臨だ。世界の破滅を阻止するのが神々の役割だから、彼らが戦うのは当然で。でも、さ――おまえたちはそうじゃないだろ。戦いに意味を、理由を、物語を必要とするのが、人間だからさ」


 蒼斑魚ラハヴとともに召喚された、輝くばかりの蒼海を思いだす。クォームの目は海の輝きに似ている。

 冥海神が統べ、多くの魔獣をようする、蒼淵の深み。あざやかな青に慈愛の色を映し、子供とも大人ともつかない、男とも女ともいいきれない美貌が、やわらかく微笑んだ。


「知りたいと思うなら、考えろ。あいつが――黒の神が望むもの。おまえならきっと、たどりつけると思うんだ」

 

 


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