最終節 終焉を満たす祈りの歌は

[6-1]天龍の召集


 薄雲が広がりはじめた蒼天を背景に、金の軌跡と蒼の軌跡がぶつかり合ってはもみ合い、距離をおいてまたぶつかり合う。から眺める飛竜騎士同士の戦いは、命のやり取りというよりも華麗な舞いのようだ。

 大きな軌道で旋回する飛竜たちに巻き込まれない程度の距離をおいて、グリフォンに乗ったネプスジードもいた。今のところ静観しているようだが、ラファエルが不利になったら加勢するつもりだろう。彼はそういう人物だ。


 魔王の誘いに導かれ、セスは今、あり得ない場所で二人の勝負を眺めている。固い足元、現実との境を隔てる不可視の壁。魔王が【聖域】と呼んだ特殊な結界空間だ。

 竜化した魔王の背に乗せられるのではと怯えていたセスだったが、これはこれで足元がおぼつかなくて怖い。


「限りなく透明度を上げているだけで、実際は小さな部屋にいるようなものだから。大丈夫だよ」

「は、はいっ、わかって……ますけど!」


 人間の親から産まれ人間として育った彼は、竜化が得意ではないらしい。

 覚醒したての頃は権能ちからも持て余していたが、クォーム――真性の上位竜族――に会ってからは、権能を制御できるようになってきた。教えてくれる者の存在は大きかった、と話していた。

 アルテーシアやセス自身も感じた『違う領域』という感覚。それが、権能に馴染んできたゆえの内面的変化だとしたら。彼女が慕う『兄』としてのディヴァス・ウィルレーンは、いつかいなくなってしまうのだろうか。


「余計な心配は考えなくていいよ、セス。それより、ここから彼らに呼びかけて、仲裁して欲しい。もはや君の言葉も聞かないとなれば、その時は僕が強引に止めよう」

「…………」


 思わず、返答を忘れて魔王を見返す。間近で見ればアルテーシアに似た面影を持つ竜族の青年は、目を細めて上品に笑んだ。


「この先どれだけの上位竜族と親交があるかはわからないけれど、覚えておくといいかもね。僕らには、意識の表層に浮かんだ思いや考えがきこえてしまうんだ」

「えっ、それじゃ」

「うん。ルシアの心配も、君の恋心も、先日の秘密調査も」

「あぁえぇ!? 待ってくださいっ、こんな逃げ場のないところで暴露されても!」


 顔から火を吹きそうだ。連想効果かいらぬことまで思いだしそうになるのを必死で抑え込む。具体的には、見えない床にへたり込んで眼下の飛竜バトルに意識を集中する。

 ここから叫んで聞こえるのだろうか、聞いてくれるだろうか、帝皇ていおうの命に背いたことを兄は怒っているのではないか――。

 目に見えるものに意識を集中し、可憐な少女の面影を心の奥に隠し込んで、セスは思いきり息を吸った。


「ケスティス兄さんーっ! ラフさぁんーっ! や・め・て・く・だ・さ・いっ!!」


 自棄やけっぱちに叫んだ声は広い空に散らされることなく良く響き――もしかしたら魔王が何か仕掛けたのかもしれないが――、眼下を舞っていた飛竜たちの動きがわかりやすく乱れた。先に抜けだし舞いあがったのは、金色の飛竜だ。

 視界の端でチラチラと光が揺れる。不可視ながら、通り抜ける陽射しの反射率が変化したようにも思える。つられて目をやったのはほんの一瞬だったのに、視線を戻した途端、目の前に金飛竜の巨体が躍り出た。


「わぁ!?」

「貴様! 俺の弟を人質に取るつもりか!?」


 全身に白銀の鎧を身につけ騎竜槍ドラゴンランスを構えた竜騎士は、セスがよく知る兄ケスティス・クリスタル。相変わらず文句なしに格好いいが、なぜか滅茶苦茶怒っているので、セスは戸惑ってしまう。


「勝負はまだついてないだろ!」


 魔王やセスが何か返答する間もなく、追ってきた蒼飛竜が金飛竜に体当たりを食らわせた。鈍い音とともに二体がもつれて蹴り合いながら落下し、再び距離をとって浮上する。

 ようやく表情を見分けられる近さになったラファエル王子の顔を見て、セスは頭を抱えたくなった。二人とも、どんな誤解が高じたらここまで本気になって怒れるのだろう。


「俺の目的はエルデ・ラオの攻略ではない、駆け出しの王子との決着などどうでもいいことだ! セス、今そのから助け出してやるからな!」

「ちょっと、待って! これはおりじゃ……うわぁあ!?」


 金飛竜の体当たりに結界がみしみしと振動した。足元がぶれるような揺れではないが、とんでもなく怖い。隣の魔王が平然としているところ、壊される心配はないだろうけれど。

 一方ラファエルも、ケスティスの強引な手段にますます逆上したようだ。再度体当たりをしようと距離をとった金飛竜の前に割り込み、磨かれた竜騎士用のランスを掲げる。

 砂漠ではずっと軽装のままだった彼も、全身に見事な鎧を装備していた。銀地に赤の流線模様が描かれた装備一式はよく似合っていて格好良かったが、しかしなぜそんなにやる気に満ちているのか。


「どこまでも邪魔をする気か。ならば、まずは貴様を叩き落とす!」

「戦火神の名にかけて、そのめた発言を後悔させてやるよ! エルデ・ラオ竜騎士団ドラゴンナイツの実力を思い知らせてやる!」


 聞く耳持たないを宙に描いて飛び去った二人に、目眩のようなものを感じ、セスは不可視の床に腕をついて項垂うなだれた。頭上で魔王の深いため息が聞こえる。弟として兄の苛烈かれつさはまあまあ知っているほうだが、ここまで猛った姿は見たことがないので、どうしていいかわからない。

 だが落ち込んでいる暇もないのだ。自分の心を叱咤しった激励げきれいし、セスは透明床の恐怖心を抑えて立ちあがった。

 魔獣召喚を考えたものの、作戦が思い浮かばない。翼持ちに騎乗するスキルがあるなら天馬ペガサスを召喚すればいいのだが、あいにくセスが乗りこなせるのは地上の騎馬だけである。


「僕が捕らえようか?」

「いえ、もう一度……説得してみます!」

「わかった。頑張って」


 魔王を信用していないわけではなく、ナーダムとの対決で得た教訓が頭をよぎるのだ。

 上位竜族の力も万能ではない。魔王がセスを連れてきたのは、できるだけ穏便に事を運びたいからだろう。ケスティスの弟としても、彼の妹に恋心を抱く一人の男子としても、期待外れと思われるのは絶対に嫌だ。


 ――が、その決意に水を差すかのように、眼前で突然に宙空そらが断裂した。びりりと震えた結界の壁に警戒を強めたのか、魔王の細い指がセスの二の腕をつかむ。

 銀竜クォームが使う移動の魔法によく似た裂け目から、するりと抜けだし翼を広げたのは巨大な鳥だ。すぐ隣で魔王が息を飲む。

 広がった白い両翼が一瞬、蒼天を呑みこみ強く輝いた。次の瞬間そこには、背に鳥の両翼を持つ美貌の男性が浮かんでいた。


 強烈な光は場にいる者へ注意を喚起かんきする。完全に戦闘モードでもつれ合っていた飛竜たちが不意に勢いを失い、ふらつくように飛んで距離をあけた。ケスティスもラファエルも驚愕きょうがくの表情で、不意に現れた謎の人物を見つめる。

 セスの腕をつかむ魔王の指に、ぐ、と力が込められた。ちらと視線を向け彼の表情を確認してから、二人に向かってセスは叫ぶ。


「ケスティス兄さん! ラフさん! 天空神様の御前です、武器を引いてください!」


 白磁の彫刻細工がそのまま動きだしたような、均整のとれた美丈夫だった。金が混じる白銀の髪は長さが不揃いで、全部を後ろに流している。腰に帯びた宝剣と見慣れた印象の宮廷服は、帝国帝皇ていおうがまとう正装と似ていた。

 滑らかな肌と快活そうな美貌が若さを感じさせ、同時に年齢不詳の貫禄かんろくをも漂わせる。

 飛竜騎士二人が戦いをやめたのを確認し、白翼の男性がこちらを振り向いた。レーチェルを思わせる深青サファイア双眸そうぼうが魔王を見、セスを見る。


「魔王、そしておまえがセステュ・クリスタル、だな? いかにも、俺は天空神であり、神であった頃の名をクファルハルトという。話は、レーチェルとシャルから聞いた」

「はいっ、お、わ、私っ……が、セステュ・クリスタルです! あちらの金飛竜騎士が兄のケスティスで、蒼飛竜騎士はエルデ・ラオのラファエル王子です」

「はっはは、慣れない口調ことばで話すと舌を噛むぞ。そしておまえが魔王だな。……名は?」


 ――遠い過去、天空神は魔王を討って権能を奪ったという。当時の記憶を自分のものとして有する彼にとって、この人物は恐ろしさを感じる相手ではないのか。

 脳裏に浮かんだ心配が振り向いた顔ににじんだだろうか、魔王はセスに対して微笑みかけてから、天空神を見返して答えた。


「僕は今もルウォーツを名乗ろう。天龍よ、魔王は過去の過ちを繰り返すことはしない。の役割を、もう二度と手放しはしないよ」

「……そうか。ならば」


 ふたりの間では、それだけで意図が伝わったのだろう。穏やかな目が慈しむように、セスを見る。笑みの形に開かれた唇から、高らかな宣言が発せられた。


「そこの竜騎士たちよ、争っている場合ではないぞ。我らとともに、世界を呑み込まんとするを阻止しようではないか」





 対立する陣営を和合させるには共通の敵を作るとよい、とはよく言ったものだ。

 すっかり戦意喪失した二人と大人しくなった飛竜たちが、エルデ・ラオ国離宮の外庭へ舞い降りる。


 ここに至るまで竜族や神々と共闘あるいは対峙たいじしてきたセスには、竜騎士二人よりも超常事象への耐性があるらしい。

 一足先に魔王の空間転移で地上へ戻ったセスは、リュナを連れて急ぎ外庭へと向かう。建物の外へ出た途端、見慣れた姿を見て足が止まった。

 崩れゆく城の中で離れ離れになった二人、シャルとレーチェルが、庭木の近くで立ち尽くしていた。クォームからの連絡で無事を知ってはいたものの、元気そうな姿を見れば安堵あんどと嬉しさで込みあげてきた涙が視界を潤ませる。


「シャル! レーチェル!」

「あっ、セェス! 会いたかったーっ!」

「セス様、……と、そちらはっ」


 思わず声を掛ければ、途端に笑顔を咲かせたシャルと、逆に引きつった表情になるレーチェル。ぐっと服を引かれ振り向いて、目に入ったリュナの表情から、セスはその理由を思いだす。


「レーチェル、この子はリュナ。グラディスさんとは、いろいろあったけど……とにかく今は大丈夫になったんだ」

「その子がリュナかー! 良かったなセス、無事に妹ちゃん取り戻せたんだなっ」


 テンション高く両手をぶんぶん振るシャルの大声に、レーチェルがさっと青ざめた。


「ちょっとシャル、声が大きいですわよ! 天龍様は目立たぬよう控えていなさいと仰ってましてよ!?」

「あ、そうだった!」

「だから声が大きいっ、ですっ!」


 注意しているレーチェルの声もだいぶ大きいが、言い合う二人の間に入ってはいけない気がして、セスは所在ない気分で視線をさまよわす。

 天空神はどこへ降りたのだろう。ここへ来てくれたのは、二人が無事に使命を果たしたからなのだろうけど、それにしても少しの間でずいぶん仲良くなったような。

 離れていた時間の長さを思い感傷的になっていれば、外庭のほうからネプスジードがやってきた。


「セステュ、リュナ様。王子が、ケスティス・クリスタルと会談するそうだ。天空神様が付き添うと言っておられるが、貴公らも立ち会うなら、外庭の東屋あずまやに行くといい」

「東屋? なぜそんな不用心な場所で?」


 思わず聞き返せば、ネプスジードはにやりと口角を上げた。が、彼が答えを言う前にレーチェルの声が飛ぶ。


「天龍様は守護と結界にけた護り主でいらっしゃいますもの。地上のどこだろうと問題にはなりません。とはいえ、わざわざ目立たぬ東屋を指定なさったのは、騒ぎを起こさないためでしょう」

「そういうことだ。一般人には刺激が強すぎるだろうし、ナーダムやラディオルが知ると煩いからな。まあ、立ち合いが戦火神様であればと俺は、おそらく王子も思っているが」

「……戦火神様、ハイ、そうですよね」


 ネプスジードの発言に、セスだけでなくレーチェルとシャルも神妙な顔つきになる。二人もフィーサスを想像しているんだな、と思ったが、口に出す思い切りはつかなかった。

 その沈黙を彼は別なふうに解釈したらしい。


「天空神様で不満だ、ということではない。無駄話で足を止めさせて悪かった。また掴み合いが始まる前に早く行ったほうがいいぞ、セステュ」

「えぇ……まさか天空神様の前で喧嘩しないですよね!?」

「俺たちは? 俺たち、天龍様と一緒に来たんだけど」


 リュナはネプスジードが苦手のようだ。背中に隠れ身をすくめている妹と、おそらく初対面であろうシャルとレーチェル、うろたえていたセスを一通り見てから、猛禽もうきん双眸そうぼうを細めて面白がるようにネプスジードは言った。


「仲裁役は多いほうがいいだろう。俺はもう何人か呼び集めるよう仰せつかっていて、あの二人を止める役目は果たせそうにないからな」

 



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