〈幕間九〉英雄の系譜


 静まり返った執務室に鈍いかかとの音が響く。念入りに人払いをしたので、待つのは親友ただ一人。実に二ヶ月ぶりの顔合わせだった。


「まったく、人遣いが荒いにも程があるだろうよ。ハス、労働条件の見直しと待遇改善を求めるぜ」

「ははは、悪い悪い。だが、おまえ一人が動かざるを得ないのは、おまえの秘密主義が原因でもあるだろう?」

「仕方ねぇだろ。俺様以外の五聖騎士ファイブパラディンにはクリスタル家の息が掛かってんだから」

「うん――。そのことなんだが」


 帝皇ていおうハスレイシスは立ちあがり、奥まで行って陶器のポットを持ってきた。グラスに中身を注ぎ、ディスクのほうへと差しだす。

 大帝国の帝皇が自ら給仕とかどうよとディスクは常々思っているが、元は保護国の第三王子という王権と程遠い身分だったためか、自分で動く習慣が抜けないらしい。


「ありがとよ。……で、俺様が砂漠で蒸し焼きになってる間に進展があったのか?」

「蒸し焼きが嫌ならせめて服を替えろよ。おまえがクリスタル家に何もかも秘密で動くから、ついにケスティスが暴走してしまったじゃないか」

「は? あいつ、今度は何やらかしたんだよ」


 グラスの中身は甘さ控えめのレモネード。熱砂の都市で干からびているとでも思ったのだろうか。どこまでも庶民的なこの主君だからこそ自由にやれているディスクだが、彼がこんなだから自分もつい身分や立場を忘れてしまうのだ。

 甘い酸味に眉を寄せながら、ディスクは左目を細めてハスレイシスを見る。暴走、とは言うが、晴れやかな表情に懸念けねんの陰は見受けられない。


「今度は、って。彼が暴走したのは十年前の処刑場乱入くらいだろう。今回も似たようなものではあるが、おまえの報告が正しければ大きな問題には発展しないさ」

「へぇ、そうかよ。……いや、ちゃんと説明しろ。状況がつかめねぇ」


 兄馬鹿のがあるケスティスは、主命より家族を優先する傾向がある。セスとリュナが魔王軍復活の件に巻き込まれて行方不明になったと聞いた時から、国を飛び出しかねない様子ではあったのだ。

 ディスクとしては、クリスタル家が魔王軍復活に関わっていると読んでいたので、二人の安否を知らせるつもりになれなかった。

 ついに痺れを切らしたか。とはいえ、人外の移動手段で動いている二人の居場所をケスティスの持つ情報網で割り出すことはできないだろう。と、たかを括っていたのだが。

 グラスに残っていたレモネードを飲みきり、視線を向ければ、ハスレイスは苦笑を浮かべて言った。


「今朝早く、天使族エンジェルズから親書が届いたそうだ。エルデ・ラオの末王子が魔王軍と手を組み、セステュとリュナを利用しようとしている――とか何とか。二人の兄として個人的にエルデの王子と話をつけてくる、と、あの勢いを私ごときで止められるわけが」

「ブフォっ」


 グラスが空でよかった。口に含んでいたら、噴き出していたことだろう。

 裏事情をある程度は知っているディスクでも、納得してしまいそうな説明だった。つまり幻の天使族エンジェルズとやらは地上の動きを正確に観察しているばかりか、クリスタル家への影響力も持っているということだ。


「状況証拠だけ見れば、そうだよな」

「事実は違うのだろう? 誤解がとければ外交の足掛かりになるだろうし、私は心配していないさ。それよりディスク、誰かが『死霊の門』を開こうとしている話は聞いたか」

「ああ、それは、サグエラで聞いた」


 ラファエル王子が兄という存在に対して傷を持っているのは心配だが、ディスクは明日にでも砂漠都市サグエラへ戻らねばならない。セステュもリュナも恐らく王子の元にいるのだろうから、うまく取りなしてくれることを願うのみだ。

 憂鬱ゆううつな気分を払おうと頭を振りながら、ディスクはもう一つの懸念けねん事項を記憶の奥から引っ張りだす。


 死霊の門、とは文字通り冥界の入り口だというのが、ディスクとデュークの下した結論だ。六年前にそれを開こうとしたのは、死者の魂と冥界に渦巻く怨念などを取り込んで力を持ち、自ら神をかたるようになった高位不死者ノーブルアンデッド魔導士リッチだった。

 似たような存在であるデュークが不死者の魔導を押さえ込んでくれたからこそ勝機を見いだせたが、もしも封印に失敗していたなら、氷海のみならず大陸の大半が生者の住めない呪われた地になっていただろう。

 当時の苦労を思いだしていると、ハスレイシスが小さくため息をついた。


「ディスク。エルデ・ラオ国の末王子は本当に信用できる人物なんだな? 彼や魔王軍がリュナとセステュを『死霊の門』に捧げたりはしないと、間違いなく言えるんだな?」


 しわの刻まれた目元が、年相応の苦労と苦悩を感じさせた。だからディスクは、にいと笑って親友である主君を見返す。


「ああ、それは間違いない。俺様の慧眼けいがんを信じろよ、ハス」





 帝国の現帝皇ていおうハスレイシスは質実剛健な人物だと思う。華美を好まず、無駄を許さず、合理的で能力主義的な施政を志す。

 彼が地道に推し進めてきた改革に反発する者が少なかったのは、前帝皇時代から続く軍事主義に寄った体制が、彼の気質と相性良かったからだろう。

 ハスティー国の王族であった彼が、子に恵まれなかった前帝皇に能力を買われ、養子として迎え入れられて十年以上経った。六年前に崩御した前帝皇に代わり帝位を継承し、たゆまぬ努力を続けた甲斐あって、前時代の重臣たちとも信頼関係を築けている。


 ディスク・ギリディシアにとってハスレイシスは、主君である以前に親友だった。

 結婚する前は流浪の天才魔導士を自称しながら各地を遊び歩いていたディスクが、輝帝国に召されたハスレイシスの腹心に収まったのは、裏にある複雑な事情を嗅ぎつけたから。

 有り体に言えば、陰謀渦巻く輝帝国暗部に連れ去られた友が心配だったのだ。


 そもそも、子がいないので他国から養子を迎える、というのが理解しがたい。それは現帝皇の血筋を絶やすということなのだから。

 人質としての養子、なら感情はともかく理解はできたかもしれない。正統の帝位継承者がすでに定まっていたという状況であれば。

 輝帝国の皇家は建国王の血筋を受け継ぐ直系の系譜だ。

 ディスクには、帝皇が建国王の血筋を絶やそうとしているとしか思えなかったのだ。


 自他ともに認める天才魔導士だったディスクが、宮廷魔導士として認められるのは簡単だった。ハスレイシスが帝皇になってからは人事が再編され、五聖騎士ファイブパラディンの筆頭だったレーダル・クリスタルは宰相に、彼の息子ケスティスとオアスは五聖騎士ファイブパラディンに任じられた。ディスクにまで聖騎士の一角が回って来たのには驚いたが、親友が日々身の危険を感じていたことも知っていたので、素直に受け入れた。

 同じ頃、帝国に本部がある魔導士協会の主宰も、リートル・クリスタル――レーダルの妻の父親――から後任へと引き継がれた。親友がどうやらクリスタル家を警戒しているらしいと、ディスクもその頃までには気づいていた。


 慎重に人払いをし二人きりになって、ハスレイシスが打ち明けてくれた事実がある。

 クリスタル家の父方家系は建国王の傍系であり、奥方つまりリートル導師の家系は魔導士協会創立者の直系なのだという。輝帝国のみならず大陸に大きな影響力を持つ二つの血筋を、クリスタル家は継承している。

 この巡り合わせは偶然ではないと、前帝皇はハスレイシスに語ったという。先祖か何かの意志に基づき、リートル導師は二つの系譜が混じり合うよう画策したのだ。彼らに権力を奪われてはならず、しかし敵に回してもいけないと、繰り返し言い含められたという。

 そして、もう一つ。

 本当は、娘がいたかもしれない――と。




 

(前帝皇の娘……か。まさかな)


 遊び人だった若い頃といっても、ディスクの場合はせいぜい十五年ほど前のことだ。輝帝国にも訪れたことはあったが、帝皇の周りの女性関係など知るはずがない。

 五百年の長きを傭兵として生きてきたデュークなら、何か知っているのかもしれないが。


(リュナが輝帝国によって回収された、か)


 彼が以前に言っていたことを、思いだす。ディスクも、デュークの過去についてはほとんど知らない。機会あれば口を割らせようとあの手この手で仕掛けているが、それでも知れたことなどほんのひと握りだ。

 それでも、彼が無責任な憶測を口に出すような人物でないのは十分にわかっていた。

 リートル導師とその家系ケルトス家が、建国王と魔導始祖の系譜を注意深くり合わせ、セステュという『英雄の器』を造りだしたのは、ほぼ確定だとディスクは見ている。同じように、建国王の直系である前帝皇が意図的に誰かと出会わせられたのだとしたら。

 帝皇がそれを知って、そこに何らかの意図を見いだし、自分の血筋を嫌悪するようになったのだとしたら。


(もしかして、リュナは)


 彼女こそが前帝皇を通し『英雄の器』として造られた、帝皇の娘ではないだろうか。

 死人の想いなど知るすべはない。もしもそうだとして、野心にまみれ、他人を信じようとしなかった前帝皇が、実の娘に父親らしい愛情を抱いたかはわからない。

 ディスクが知る事実は、幼少時にリュナの住んでいた村が何者かに焼き払われ、ただ一人生き延びてクリスタル家の養子として迎えられたことだ。父レーダルも兄ケスティスも、実子とリュナを差別するようなことはなかった。


 どこまでがシロで、どこまでがクロなのか。諜報を得意とするディスクにもいまだ読み解けない深みがあの家には存在する。

 考えれば考えるほど、その深淵に囚われてしまいそうで。

 ひとつ頭を振って、ディスクは答えの見えない思考の闇を払い除けた。





 ハスレイシスと別れ、ディスクは宮廷の離れにある自宅へ向かう。

 五つ歳下の愛する妻と、六歳になったばかりの愛娘、どちらとも実に二ヶ月ぶりの再会だ。会えば離れるのも辛くなるが、職業柄、明日の我が身もおぼつかないのだから、一緒の時間を大切にしようと。妻と二人で決めたことだった。

 以前は妻に心配をかけまいと、こっそり出掛けることも多かった。しかし、大抵見抜かれて待ち伏せされ、無駄だと悟らせられた。


 彼女は仕事の内容も期間もディスクから話さない限り聞きだそうとはしない。妻にベタ惚れな自覚のあるディスクだが、新婚当時は彼女の我慢強さにずいぶんと甘えて、寂しく辛い思いをさせてしまったと後悔することも多かった。

 ハスレイシスにとって唯一の腹を割って話せる相手なだけに、ディスクがすべきことはいつでも山積みだ。

 だからこそ、短い時間でも家族と一緒に過ごせるひと時を大切にしようと、決めている。


 離れの敷地に足を踏み入れると、植木の陰からむくりと何かが起きあがった。

 真っ暗な影のかたまりが大きくつぶらな目でディスクを見つめ、それからズルズルと元の木陰に帰っていく。少々不気味だが、あれはディスクの死霊魔術による警備システムだ。六歳の娘が最近『まっくろちゃん』と名づけたらしい。

 いくらも間をおかず、家の扉がバァンと開く。


「パパ! おかえりなさい!」

「カルミア! ただいま」


 まっくろちゃんから送られた映像情報でも見たのだろう、勢いよく駆け寄って来た愛娘をディスクは受け止め、抱きあげ、高く掲げてくるくる回る。

 きゃっきゃと喜んで歓声をあげる幼い娘は、ディスクにとって天使そのものだ。


「おかえりなさい、あなた。今日は夜までゆっくり過ごせるのかしら?」


 カルミアが天使なら、こちらは女神。鮮やかなブロンドの髪を上品に結い、黒基調のカジュアルドレスに身を包んだ妻ロザリナが、ディスクを見あげて柔らかく微笑む。

 ディスクは娘を降ろすと、ロザリナとカルミアにまとめて腕を回しそっと抱きしめた。


「ただいま、ロザリナ。そうだな、今夜は久しぶりに三人で過ごして、一緒に眠ろうぜ」

「わかったわ。それじゃ、夕飯はあなたの好きなものを揃えてあげる」

「ママ! るみーのすきなものもいれてね?」

「ええ、もちろんよ」


 楽しみだなと笑顔で答え、ディスクはカルミアを抱えあげた。

 今はほとんど居つくことができない自宅でも、ここには愛する妻がいて、可愛い娘がいて、王城では国を守るため奮闘している親友がいる。

 ディスク・ギリディシアが我が身のすべてをついやすことに、それ以上の理由が必要だろうか。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る