[5-6]人、神、竜、魔、つどいて


 険しい顔のデュークは、打ち合わせのため黒豹騎士に連れ去られてしまった。

 ツェイとルーナによれば、神殿で別れたあとアルラウネの助けを得て脱出し、三人は砂漠都市へと無事帰ってきたのだという。ツェイが頭に切り傷を負ったものの命に別状はなく、でも念のため騎士団駐屯所で休養していたらしい。

 ヴィルは別件で、戻って即キィと一緒にまた出掛けている。ルフィリアはついさっき迎えが来て、故国へ帰ったとか。

 フィオが、外見の成長は目的を達成できたからだと伝えれば、二人は素直に受け入れ喜んでくれた。成長がともなうアルラウネの進化をじかに見た、というのも大きいだろう。


「フィオちゃんも疲れたでしょ。中で休もうよ、おやつもあるし」

「うん、そうしようぜ。さ、行くぞアルラ」

「おう、しゅっぱつしんこーだ」


 相変わらずわちゃわちゃと騒いでいると、ふいに陽炎のように目の前が揺らいだ。思わずというふうに手を取り合い悲鳴を上げたルーナとツェイの前で、空間が断裂し、銀色の影がふらりと現れる。銀竜クォームだ。

 彼の定まらない視線が周囲を見回してから、フィオに留まる。きらめく惑星ほしいろが大きく見開かれた。


「フィオ! 大丈夫か!?」

「くぉむっ……」


 彼の猫みたいな碧眼へきがんを見た途端、フィオの中でいろいろなものが決壊した。

 昔の記憶、一緒にいろいろな異界を巡ったこと、大切なひとたちとの別れ、炎に包まれた最期の――……。

 気づけば視界は涙で歪み、しゃっくりに似た嗚咽おえつが込みあげてきて、「ごめんなさい」の一言すらも出てこない。

 文字通りひとっ飛びで――この世界に来てから控えていたようだが、もともと彼は宙に浮くのが平常デフォルトなのだった――眼前に来たクォームは、腕を伸ばしてためらいなくフィオを抱きしめた。


「……フィオ、……ファイア、……ぜんぶ、思いだしたんだな」

「うん……、ごめんっクォームぅぅっ! 僕がすごくひどいこと、頼んだから!」

「オレ様は、べっつにぃ? ほら、影の司竜っつったらさ、全異界ワールドに悪名馳せた悪いヤツだし?」


 何でもないふうにクォームは言うけれど、ぜんぶ思いだしたのだからもうだまされない。彼がそんな過去にひどく苦しんで、「もう誰も殺したりしない」と誓いを立てたことを知っていたのに。

 裁いて欲しかったファイアは、よりによって、助けようと異界から駆けつけたクォームにその役割を押しつけたのだ。

 暴走した炎禍じぶん世界ほしらい尽くす前に殺して欲しいと願い、彼はそれを聞き入れた。誓いを破らせ、友であった自分ファイアを手に掛けさせた。ひどいことをさせ、苦しませ、悲しませたのに――。


「――うぅぅっ、ありがと、……っ、クォームぅ、僕を、嫌いにならないでくれてっ! 僕の世界ほしを、助けにきてくれて……っ」


 細い指が、わしゃわしゃと髪をかき混ぜる。本当は悪戯好きでひねくれ者で、人間のことは苦手だった彼が、としてくれたこと、その必死さを今なら理解できる。

 この世界の人間たちを怖がらせないように、脅かさないように、嫌われないように。過去、人間と決別した記憶トラウマを押し隠し、クォームはこの世界を救うため予言を読み解こうとしてくれていたのだ。


「そりゃ、何たってオレ様は『約束の竜ヴォイスドラゴン』だからな」

「……うん。クォームは、僕を目覚めさせる『声』だったんだね」


 真っ暗闇の世界で聞こえた、呼びかけ。あのとき、クォームが呼んだ名は『ファイア』だったのだろう。

 彼の声に呼び戻され、世界に連れだされ、いろいろな出会いを経験し、本当の意味でこの世界を感じて。今度こそ、この世界を正しく愛したいと願えるようになった。救いたい、とだけでなく、まもりたい、とも思えるようになったのだ。

 けれど、今はもう上位竜族ではない自分が、何をどうすれば世界を救うことができるのだろう。まもる、などと言うのは烏滸おこがましいことではないのか。


 ルーナとツェイは気を利かせてくれたようで、いつの間にかいなくなっていた。気づけば涙も止まり、少し気恥ずかしくなったフィオはクォームの身体から離れると、はるかに背の高い彼をうかがうように見あげる。

 長身だけれど細身で、猫みたいな印象を与えるつり目美人のクォームは、腰に両手を当てて悪戯っ子のように笑んでいた。


「創世のがよみがえったなら、しらしめるべきは星の威光だろ?」

「め、めっ……女神とか僕そういうキャラじゃないよっ」

「いーんだよ、世界をだますってそういうことだろ」

「え?」


 意味がわからない。間の抜けた声で聞き返せば、クォームは悪いキャラの笑顔で言い加えた。


チョー今さら感でチョー悔しんだけどさ、オレ様あの黒幕クロヤローが仕組んでることを理解できた気がするんだぜ。まぁ、乗っかるか阻止するか選ぶのは、人間たちに任せるとして」

「どういうこと? 黒幕ってだれ?」

「そりゃ、黒の夢……ウィルダウに決まってんじゃん」


 得意げにそう言い切られても、フィオにはどういうことなのかさっぱりわからなかった。




  ☆ ★ ☆




 デュークとフィオが砂漠都市サグエラに帰還し、『死霊の門』事件を耳にした日。エルデ・ラオ国もまた、神職者殺害事件の対応で騒然としていた。

 クレーべ神官長から正式な報告を受けたラファエルは、朝早くからネプスジードと竜騎士団員数名を連れて礼拝堂におもむいてしまい、またもセスは話す機会をいっしたのだった。

 凄惨せいさんな事件だっただけに、漠然ばくぜんとした心配で気が重い。戦火神はフィーサスなのだから、神託など下せるはずないのに。ネプスジードの父親について聞ける雰囲気でもなく、できることが何もないのはもどかしかった。


 手持ち無沙汰ぶさただからこそ、今後についてリュナやアルテーシアと話そうかとも思ったが、重い気分で重い話をするのは良くない気がして切りだせなかった。アルテーシアも同じ気持ちなのだろう。朝食のあと彼女に誘われ、その日は書庫で過ごすことになった。

 最近になって気になりだした古代の魔獣について、若年者向けの図鑑を発見しアルテーシアと一緒に読みふけっていると、リュナもやってきて加わった。どうやらアロカシスも出掛けたらしい。

 三人で本に囲まれながら過ごす時間は、実家での楽しかった記憶を想起させた。時々ひょっこり様子を見にくる魔王に長兄の姿を重ね、幼少期の日々を懐かしく思う。


 この時はまさか、『金目の鷹』ケスティスが単身でエルデ・ラオ国へ向かっているなど、想像もしていなかった。




  ☆ ★ ☆




 暗く深い場所にいるのだろうか。

 試しに手を動かしてみれば、泡だつような潮の流れを感じる。


 見渡しても何も見えず、ぬるい液体にとっぷり浸かっているのだと気づいた。だれかが、どこからか、呼びかけているような。

 ぼわりと淡く発光する黒いかたまりが眼前にただよってくる。思わず、ばくりと食いついた。


 ――え、食いついた?


 意識が一気に離脱する。視界の闇が明るさに塗り替えられてゆき、聴覚が小鳥のさえずりを聞き取った。がばりと起きあがり、辺りを見回す。

 殺風景ながらも必要な調度品がしつらえられた、趣味の良い部屋。ここはエルデ・ラオ国の離宮、セスに貸し与えられた客間だ。


「今、のは……」


 暗闇に沈む夜色の目、視覚に収まりきれぬ威容の、巨大な魔獣。昨日見た図鑑を思いだそうとするも、寝起きのせいかまだ夢に囚われているのか、思考が働かなかった。

 頭が――というか、左の目が刺すように痛い。手のひらで覆っていると少しずつおさまってきたが、ここには確か冥海神ウィルダウ触媒しょくばいが埋め込まれていたはずだ。

 気になって鏡を探し覗き込めば、案の定、左目がすみれ色に変化していた。


 コンコン、と部屋の扉が叩かれる。

 現実に引き戻され、急いで髪を撫でつけてから、声を返す。


「はい、起きてます」

「どうしようセス、お兄ちゃんが!」


 切羽詰まった声は、リュナだった。すぐには意味がわからず、え、という返事を飲み込む。リュナが「お兄ちゃん」と呼ぶのはセスや次兄オアスではなく、長兄ケスティスのみだ。夢のせいで胸に巣食った不安が一気に膨張し、セスは寝巻きのままだったが急いで扉を開けた。

 外にいたのはリュナと、彼女の後ろで騎士のように控えるエルフ青年・ナーダム。物言いたげなジト目に見据えられ、セスは思わず息を詰める。


「リュナ、ケスティス兄さんが……どうしたの?」


 なぜ妹と一緒にナーダムがいるのか、とか、兄心としては問い詰めたくて仕方ないのだが、召喚獣なしで勝てる気がしない。なるべく震えて聞こえないよう抑えた声で返したことに、リュナは気づかなかったようだ。困ったように眉を寄せて、セスに詰め寄る。


「わかんない! あたしも、起きたらもうはじまってて……早く止めないとっ。セスお願い、二人をなんとかして!」

「始まってて、って何が? 止めるって、誰と誰を?」


 興奮と混乱のせいか妹の説明は支離滅裂だ。どうしようもなくて恐る恐るナーダムを見れば、エルフの騎士は端正な顔に珍しくも困惑をにじませ、呆れ声で言い添えた。


帝国の飛竜騎士団長、ケスティス・クリスタルだっけ。今朝、彼、単身で離宮に乗り込んできたんだよ。見張りと警備を蹴散らして、あんたとグラディス様――」

「グラディスさんじゃなくって、リュナ」

「う。リュナ……を、出せ、って言い始めたから、王子が話をつけるって出ていって。あとはお察し」


 思いもかけない事態に、頭が真っ白になった。ナーダムはリュナにひどいことをした怖い相手だというのに、何があってこんなに仲良くなったのだろう。もしかして何とか症候群というやつだろうか。

 兄としては、断じて二人の仲を認めるわけに……ってそうじゃない。


「お察しって、肝心のとこがわかんないだろ」

「さっさと着替えてくれば? 階上のバルコニーなら、観戦できるだろ」

「観戦!? 兄さんとラフさんで戦ってるのか!?」

「だからっ、さっきからそう言ってるのっ!」


 滅茶苦茶だ。リュナとナーダムの説明も雑だし、話し合いを飛び越えてなぜそんなことになったのか理解ができない。

 片や輝帝国の国軍総司令官、片やエルデ・ラオ国の王子。どちらも国を背負う身分だというのに、止める者はいなかったのか。


「ナーダム、おまえも王子の騎士なら止めろよ!」

「誰がっ。僕はアイツの騎士じゃないし、ネプスジードが止めないんだったら知らないよ。人間の軍人なんて殴り合いで仲を深める野蛮な奴らじゃないか」

「お兄ちゃんも王子様も野蛮じゃないもん! とにかくセス、早く来て、何とかしてね!」


 最後にもう一度念を押し、妹はナーダムを引き連れ早足で去ってしまった。セスは扉を閉め急いで着替えると、ナーダムの言っていた三階端のバルコニーへと向かう。今の時刻は朝食前くらいだろうか。ここ数日でだいぶ戻ってきた使用人たちが仕事も手につかぬといった様子で、心配そうに窓の外を見ていた。

 広い離宮内とはいえ走ると危ないので、できる限りの早足で駆けつける。魔王と一緒に空を眺めていたアルテーシアがセスの姿を見るなり飛んできて、ひどく焦った様子でセスの腕を取った。


「セスさん、輝帝国は兄を……魔王を討つつもりなんでしょうか」

「ルシア、落ち着いて。単騎で来たということは、少なくとも侵攻ではないよ。セス、部外者の僕が知ったふうに言うのも気が引けるけれど、君の兄とエルデの王子はどちらも、勘違いをしているね。まずは落ち着かせて、話をしたいんだけど」


 不安そうに見あげるアルテーシアへ微笑みを向けてから、魔王はすっと近づき、潜めた声でセスの耳元にささやいた。


「僕が協力するよ。セス、あの二人を止めよう」


 皆の注意は空に向いており、ひそひそ話を聞く者はアルテーシアだけだ。視線の先にあるのは言わずもがな、金飛竜に乗ったケスティス兄貴と、蒼飛竜を駆るラファエル王子。遠すぎてはっきり見ることは難しいけれど、ナーダムとの初戦と同じくんずほぐれつの格闘戦をしているようだ。

 尊敬するラファエルと、憧れだった兄、どちらも失いたくないし、怪我だってして欲しくない。


「俺は、何をすればいいですか?」

「あの場へ連れていってあげるから、説得してほしい」

「はい。でも、どうやって」


 視認も難しい上空で二人と二体は取っ組み合っているのだ。それも、巨体の飛竜が飛び回るほどの広範囲。飛べる魔獣を召喚したところで、セスでは乗りこなせない。

 アルテーシアにとって双子の兄、実年齢ならセスと同じはずの魔王は、翡翠ひすいの両眼を細めた。形のいい唇につかみどころない笑みをいて、息だけで囁く。


 こう見えて僕も竜族なんだよ、――と。


 年齢不詳ともいうべき彼の表情に、改めてセスはアルテーシアが言った「違う領域を見ている」感覚を、実感したのだった。




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