[5-5]死霊の門


 調査の成果は大きかった。離宮へ帰る道すがら、セスとアルテーシアは報告書の内容を確認し合う。

 報告書には、反神殿組織「迷い家マヨヒガ」が闇取引所を襲撃し、神殿経由で集められた子供たちを救出したことが書かれていた。

 秘密保持のためか本名は記していないが、ネプスジードと妹の母親は極東国きょくとうごくのギンケイ家――向こうで高名な鍛治師かじしの家系――だったらしい。母親は妹を出産してから体調を崩し亡くなっており、父親のほうは妻の死を境にふさぎ込み、神殿での活動にますます傾倒していったとの話だった。

 ネプスジードが執行者――神威の下に任務を遂行する実働部隊――になったのは、父親の意向だったのだろうか。エルデ・ラオ国中央神殿の高位神官だったなら、偽神の神託にも関わっていたはずだ。と、いうことは。


「もしかして、殺害事件の被害者って」

「ネプスジードさんのお父様が含まれているかもしれませんね」


 妹は生きていたが、父親は殺されたかもしれない。この事実を告げていいものか、判断が難しい。アルテーシアも同じ気持ちなのだろう、報告書を丁寧に仕舞って封筒の口を閉じ、上目遣いの視線を送ってくる。


「事件のほうはすぐにラファエル王子の耳に届くでしょうし、鍛冶屋の件だけ、セスさんから王子に伝えていただけませんか? わたしも一緒だったことは、秘密で」

「うん、わかったけど……ごまかし切る自信はないな」

「王子にはばれてもいいのですが、兄にばれると……怒られちゃうので」

「そんなに?」


 封筒をセスに手渡し、アルテーシアは視線を前に向けて、先をゆくシッポを眺める。

 鬱々うつうつした自分たちと違い、仔狼こおおかみは久しぶりの長い散歩にはしゃいでいた。道端に駆け寄って草むらに頭を突っ込んだり、横切る鳥の影を追いかけてみたり。楽しそうに跳ね回る姿は可愛らしく、重たい気分がいやされてゆく。

 こんな、護衛にもならない、むしろ足を引っ張りかねない動物だけを道連れにして、アルテーシアが旅立ちを決意したのは兄を捜すためだったと聞いている。ようやく見つけ、会えて、話ができた彼女の中には、別の不安が芽生えているのだろうか。

 少女はしばらく遠い目で無言のまま歩いていたが、やがてセスを見あげて言った。


「双子というのは、不思議なもので。わたしには、兄が違う領域を見ていることがわかるんです。それでも、兄がいちばん気にかけてくれているのは、現在でもわたしのことで。……危険から遠ざけるためわたしを強制的に家へ帰すことも、魔王いまの兄にはできてしまう。わたしは、見届けたいのに」

「……そうだね」


 確かに、魔王や魔将軍たち、クォームやデュークやセス自身と違って、アルテーシアは精霊魔法が使えるとはいえ普通の女の子だ。兄として、力尽くでも安全な場所にいて欲しい、という気持ちはセスにもわかる。同時に、遠ざけられる悔しさとかやるせなさもわかってしまうのだ。

 アルテーシアも、魔王となった兄との向き合い方を悩んでいるのだろう。

 今は先送りにしているが、遠からずセスも、リュナのこれからや帝国の家族との関係性を見つめなおさなくてはいけないのだ。




 二人が離宮に帰りついたのは夕方頃で、ラファエル王子は昼前に帰ってきたらしい。クォームとルフィリアも一緒だったが、クォームはすぐ砂漠都市へ戻ったということで、もう離宮にはいなかった。

 あわよくば彼の権能ちからでハスティー国の鍛冶屋まで行けないか、とあてにしていたセスはがっかりしたが、今はまだ時ではない、と思うことにする。


 結局この日は、夕食時にも、その後も、ラファエルと話すタイミングはなかった。彼もルフィリアとゆっくり過ごしたかったのだろう。




  ☆ ★ ☆




 神々の造る固有結界の中と外界では、時間の流れが異なるという。

 戦狼いくさおおかみから分離した創世竜ファイアの破壊衝動を呑み込み、フィオは外見が大きく成長した。砂漠ここにきてから内面が目まぐるしく変化していたことには、薄々気づいていたが。

 外見年齢が十歳前後だった少女は、今やルーナやツェイと変わらない年頃になっていた。


 すっかり大人しくなった戦狼と、炎魔力をデュークに白毛玉姿に戻ったフィーサスを連れ、フィオの能力で砂漠都市サグエラへと戻る。

 神殿の入り口が砂に埋もれていたのには背筋が凍ったが、先に逃れた三人はどこにも見当たらなかった。来た時から何日経過したかわからないし、付近に砂竜サンドラもいなかったので、無事に逃げ延びたと今は考えておく。

 オアシス都市サグエラと周辺地域は、独立国時代から豊穣ほうじょう神をはいしている。よって、都市の中に大きな戦火神殿はなかった。戦狼をどこかに預けるか、あるいは連れ歩くか。今後のことを考えるなら、大きな神殿に預けたいところだが。

 何にしても赤くて大きな狼を連れて歩くのは目立つので、今は仔狼の姿になってもらいフィオが抱いている。


 時刻は、おそらく昼前。通りを歩く人の姿はまだ多く、デュークはフィオがはぐれないよう手を引いて、砂漠の調査隊キャラバンが拠点にしていた建物に向かう。三人が無事ならここに戻っているだろうと踏んでのことだ。

 しかし、以前にあった遮光布カーテンは取り外されており、軽く覗いてみても中に人の気配はなかった。


ぷっキュッキもぬけの殻になってんなー」

「……どういうことだ」


 もしかして、想定を超えた日数が経過しているのだろうか。不安そうに見あげてくるフィオと目が合うも、困惑の色をお互いの顔に見つけただけだった。

 こうなったら、気は進まないが、騎士団駐屯所にいる黒豹ディスクを訪ねるほかはなさそうだ。

 目ざとい彼には確実にを見抜かれてしまうだろうし、経緯についても根掘り葉掘り聞かれるに違いない。それを思い、憂鬱ゆううつな気分になるが、ここで知らぬふりを決め込むのも性分に合わない。


きゅぴそういやデュークふきゅうぃ暑さは平気か?」

「……ああ、これくらいなら、問題ないな」


 良かった、と言わんばかりに、白毛玉の尻尾がテシテシと肩を叩いた。温かいようなくすぐったいような感覚が不思議で、懐かしい。悪くないな、と思ったからか、無自覚に口元がゆるむ。

 炎の加護を受けているお陰で、呪われる前から暑さは苦ではなかった。サグエラは日差しと気温が高いが湿度は低く、建物の影や木陰にいれば過ごしやすい。ただ、今まで「暑いんだな」と思っていたのが「暑いな」という体感に変化したのは、嬉しいような懐かしいような妙な気分だった。


 歩いているうちに、身体が思いだしたかのように汗を吹きはじめ、しかし熱気にさらわれて乾いていく。ついでに、猛烈な喉の渇きと空腹が襲ってきた。つい「腹が減ったな」と呟けば、フィオは目を丸くして自分を凝視し、フィーサスは楽しげに尻尾で肩を叩いてくる。

 手近な屋台でココナッツ水を買い、フィオと一緒に喉を潤せば、ほのかな甘味と酸味が水分不足の身体全体に染み渡っていった。味覚がもたらす五百年ぶりの多幸感に、デュークはしばらくの間ぼんやりと浸っていた。

 浸りすぎて、気づけば半分ほどフィーサスに飲まれていた。


 そうやって寄り道をしつつ、できるだけ日陰を通って騎士団駐屯所に到着したのは、昼過ぎのこと。歩哨ほしょうの立つ外門の前でどう声を掛けたものかと思案していると、隣のフィオにくいとマントを引かれた。


「デュークさん、呪い、解けたんですね」

「……ん、ああ。……解けた」

「旅の目的を果たせましたね! おめでとうございます!」


 経緯を聞かれたらどうはぐらかそうかと考えていたのを、気づかれただろうか。フィオは詳細を尋ねることはせず、嬉しそうな笑顔を咲かせている。

 脳内に戦火神フィーサスの「だから心配しすぎだっての」という言葉こえが聞こえた。


「……そうだな。おまえのお陰だ、フィオ。ありがとう」

「そんな! 僕は自分のことでいっぱいいっぱいでしたし!」


 言いながらも、少女の笑顔は明るい。先のことや、何か企んでいるだろうウィルダウとの対決のことも、全部が解決したというわけではないが。自分とフィオの目的が達成されたことは素直に嬉しかった。

 あとは一番の懸念けねん事項……黒豹ディスクの追求をどうやってかわしきるかだ。




 歩哨の兵士たちに声を掛け、名を告げれば、すぐに中へ通してもらえた。どうも自分らが訪ねることは想定されていたらしい。ついでに日付を確認すると、経過したのは丸一日と少しだというのがわかった。思ったほどタイムラグが生じていなくて安心する。

 兵士の一人が知らせに行ってくれたので、外門の内側で待っていると、建物の入り口から二人分の影が飛びだしてきた。ルーナとツェイだ。


「デュークさんっ! フィオちゃんもフィーサスさんもっ、ご無事でよかったですぅー!」


 大きな両目を涙で潤ませ、ルーナが脱兎の勢いで飛び込んでくる。思わず、腕を広げて抱き留めれば、砂漠の少女はデュークの胸にすがってわんわんと泣きだしてしまった。

 まだ発展途上の細い肢体したいが、薄地を重ね合わせた伝統的衣装の内側で震えている。胸元に広がる濡れた感触は彼女の涙だろう。触れ合っている部分の肌が、少女の体温を感じて湿った熱を帯びてゆく。

 想いがダイレクトに流れ込んでくる錯覚に、頭の芯がぐらぐらした。


ふきゅおいデュークふぐぃぃいぃデレデレしてる場合じゃないぜ

「……はっ。すまない、心配をかけてしまったな」


 可愛らしくも冷静な鳴き声ツッコミを受けて、正気に返る。

 五百年間も文字通り枯れきった生活を送っていたデュークにとって、戻ってきたは少々刺激が強すぎる。ルーナの頭を撫でながら慎重に身体を離れさせ、心を落ち着けてフィオのほうへ目を向け……今度は別の衝撃にデュークは固まった。

 金髪頭に包帯を巻いてフィオと話しながらヘラヘラ笑うツェイも、元気そうだ。彼の足元に、翠と赤が混在する不思議な髪色の幼子おさなごがぴたりと寄り添っている。赤みがかった肌の色と真紅の両目は人間離れした様子をかもしていて、何かを連想するような――。


「こっちも大変だったんだぜ! でも、アルラが助けてくれて」

「だれだ、おまえ。つぇいのおともだち?」

「あっ……ああもう、アルラちゃん! そこは、『どちらさまですか』でしょー!?」


 安直な名前に、どうやらマンドラゴラがアルラウネへと進化したらしいと理解した。ツェイの怪我を見るに、神殿脱出は命懸けだったのだろう。

 申し訳なさと、安堵あんどが、同時に胸へ押し寄せる。とにかく無事でよかった。


「……そうか。おまえたちにも迷惑をかけてしまったな。アルラウネ、私はデュークという名でツェイやルーナの『お友達』だ。おまえが助けてくれたのか、ありがとう」

「すごい! 何も話してないのにわかっちゃうなんて、さすがデュークさんです!」

「すげー! マンドラがアルラに進化するとかヴィルでも知らなかったのに! 師匠って呼んでもいい!?」

「ちょ、デュークさんはルーナの師匠なんだからねっ」

「いいじゃん、弟子なんて何人いても!」


 デュークの自省など気にもせず、少年少女は楽しげに言い合いを加速させてゆく。

 首を傾げ「ししょお」と口に出すアルラウネをフィオが撫でていると、ようやく建物から大柄な男が姿を現した。砂漠気候に喧嘩を売るような黒尽くめの衣装、黒豹聖騎士のディスク・ギリディシアだ。

 隻眼の彼は一見すると怖そうな印象だが、根の性格は人当たり良く陽気な中年親父である。こちらを見てニヤニヤしているところ、追及は逃れられそうにない。

 つい、警戒あらわに構えるデュークだったが、彼の発言は意外なものだった。


「ちょうど良かった、デューク。おまえがこもっていた間にこっちは大変でな、俺様さすがに過剰労働よ……。うう、愛しの我が妻と我が娘に、もう二月も会ってないんだぜ!」

「……そうか。……何があったんだ」


 ふざけた口調だが、黒豹の左眼には剣呑な光が揺れている。深刻な事態を察して、ルーナが身を引きツェイの隣に戻っていった。

 口をつぐむルーナとツェイ、首を傾げるフィオとアルラウネの視線を受けて、ディスク・ギリディシアは眉間に皺を刻み重々しい声で囁く。


「六年前、氷海ひょうかいでおまえとふさいだ『死霊の門』、覚えているか? アレの封印がな、何者かによって破られた」

「――なに。いったい誰が……、あ、ああ」


 彼の示唆しさを理解し、デュークは固唾かたずを飲みこむ。味などないはずの唾液だえきを、ひどく苦く感じた。

 六年前の事件を起こしたのは、などという妄執もうしゅうに取りかれた人間だった。それでも、損失が黒豹ディスクの右眼だけで済んだのはデュークが不死者であったから。只人の手に負える事件ではなかったのだ。

 同じことをディスクも思いだしているのだろう。潰れて見えない右眼に触れながら、重いため息と一緒に続きを吐きだす。


「ご明察だろうよ、デューク。そんなことができるのは、以外にないんだ。現にもう各地で死霊集めが始まっている、ってさ。主導しているのが誰かはまだ絞りきれてないが、早く対処しないと――」


 世界の果て、海の深淵ふかみには、冥界があると伝えられている。

 真偽はともかく、海は死へとつながる道だ。世界をらう災禍わざわいは天から来るとは限らない。


 人の悪い笑みを浮かべ世界を睥睨へいげいする海の神を想起し、デュークの口からも苦いため息が落ちた。期せずして、ディスクと言葉が重なる。


「世界を呑み込むわざわいは海から上ってくる――、か」




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