[5-4]暗躍する謎


 近づいていくともう少し詳細に見えてくる。礼拝堂の入り口で来訪者たちに説明をしている神職者は、高位神官が一名、神官戦士が四名のようだ。めている様子はなく、断られた信者たちは入り口で祈りの礼をとり、帰ってゆく。

 セスとアルテーシアは人が減るのを辛抱強く待ってから、神官たちに近づいた。

 一度、お互いに顔を見合わせて、アルテーシアが頷くと一歩進みでる。


「すみません。今日はもう、ここで礼拝はできない感じですか?」


 高位神官がこちらを振り向き、表情をなごませた。少年少女たちが熱心にも礼拝にやってきた、と思ったのかもしれない。


「ごめんよ、お嬢さん。ちょうど事件トラブルが舞い込んできていてね……今日は礼拝堂に入れないんだ」

「あの。聞こえてしまったんですが、さっき『殺害事件』って仰ってましたよね。ここで事件があったんでしょうか」


 応対する高位神官は、すらりと背が高く姿勢の良い、物腰は柔らかな、まだ若そうな印象の男性だ。どことなくデュークを思わせる雰囲気、つまり見た目のわりに落ち着いた印象なのは、高位神官ゆえだろうか。

 セスがアルテーシアの横からそっと口添えすれば、彼は苦笑しつつ、答えてくれた。


「あぁ……物騒なことを聞かせてしまって、申し訳ない。ここで起きた事件ではないのだが、被害者が所属していた神殿は今、再建中でね。理由は省くけれど、こちらで対応が必要になってしまったため、建物内が閉鎖されているんだ」

「再建中、ということは、殺害されたのは中央神殿所属の神職者の方でしょうか。申し遅れました、わたしはアルテーシア・ウィルレーンといいます」


 そういえばネプスジードが、主城に隣接した中央神殿も天墜メテオの魔法で破損したと言っていた。彼によれば、大神官や神職者たちが偽の神託をかたっていたらしいが――。

 彼らは今どこにいるのだろう、と思考を脱線させていると、アルテーシアの名乗りに礼拝堂の神官が驚いたような声を上げた。


「では、お嬢さんがウィル先生の! お父君から話はうかがっているよ。私はクレーべといって、ここの神官長を務めているんだ。今はこの通りで大したもてなしもできないが、話くらいなら大丈夫だよ」

「ありがとうございます」


 トントンと話を進める二人を然と見ていれば、アルテーシアが振り向く。安心したのか、彼女の表情は明るい。


「セスさん、大丈夫そうです。いきましょう」

「でもルシア、ここの方たち、事件の調査とかで今忙しいんじゃ?」

「はい。何か手伝えることがあるかもしれませんし!」


 ええぇ、と心で思いつつ言葉は飲み込んだ。クレーベと名乗った神官長は、神官戦士たちに何事か話してこちらを手招きしている。どうやら裏手から礼拝堂内に入れるらしい。

 アルテーシアの父親は、例の組織とやらに所属しているのだろうか。

 疑問は尽きないが、表で話すことではないのもわかっていたので、セスは招かれるままに二人の後を追った。





 礼拝堂は神殿と違い、簡素な造りの会堂だ。裏口から神職者たちの休憩所へ通された二人に、クレーベ氏はお茶を出してくれた。ふわりと漂うさわやかな香りと綺麗な緑色には覚えがある。それぞ、鍛冶屋かじやで店番の女性が出してくれたものだ。

 防音の造りにはなっていないようで、内容までは聞き取れないが、早口で何かを言いあう声が壁の向こうから聞こえてくる。


「すみません、お取り込みのところでしょうに」

「ううん、大丈夫だよ。現状、私たちにできることはないからね……。しかし驚いた、君たちは若いのに動じないんだな」


 二十歳そこそこにしか見えないのに、発言が親父くさい人物だ。そういうところもデュークに似ていて、初対面の相手ながら懐かしさを覚える。というか、動じていないのはアルテーシアだけで、セスの心臓は今でもバクバクと早鐘を打っているのだが。

 ちらりと視線を傾ければ、アルテーシアは膝に乗せていたシッポを床に下ろして、ショルダーバッグからメモ帳を取りだした。開いたページに視線を落としてから、顔を上げる。


「神官長様、今日うかがいましたのは、『迷い家マヨヒガ』が救出して保護した人物の中に、極東国きょうとうごくから来た鍛冶師かじしの血縁者がいないか知りたかったからです。お名前は、存じあげないのですけど」

「ディヴァス君とだね。ギンケイ銀桂家の筋から中央神殿の大神官家に嫁いだ女性の、二人の子のうち妹のほうだったかな。より正確には、保護されたあと鍛治師の祖父殿が引き取りに来てね……。記録を辿たどってみたけど、現在の居住地までは調べられていないんだよ」


 よどみなく告げられた言葉は、アルテーシアの勘を裏づけていた。魔王も同じことを調べていたのなら、あの女性がネプスジードの妹である可能性は高そうだ。

 思わぬ事実に胸を高鳴らせつつ、セスはアルテーシアに目を向ける。彼女はブルーグレイの目をまん丸くして固まっていたが、真剣な表情で眉を寄せ、身を乗りだして言った。


「あの、現居住地についてはわたしたち心当たりがありまして。兄にはわたしから伝えますので、調査をまとめた資料などあれば受け取ります!」

「うん? それなら、ディヴァス君に報告書を届けてもらおうかな」


 そんなに兄に知られたくないんだ、と思ったが、余計なことは言わないでおこうとも思う。藪蛇やぶへびになっても困る。

 神官長はいったん離席し、大きめの封筒を持ってきてアルテーシアに手渡した。知りたい情報が手に入って安心したのか、彼女はさらに食い下がる。


「先ほど、被害者は中央神殿の神職者だと仰ってましたよね。事件に『迷い家マヨヒガ』が関わっている可能性はあるでしょうか。こちらのセスさんはラファエル王子の付き人ですので、王子への報告などありましたら一緒に承りますが」

「えっ、はい! 王子の騎士を務めております、セスです!」


 いきなり振られたので、反射的に姿勢を正した。神官長はまじまじとセスを見てから、ゆったりと微笑む。


「嘘ではないようだが、彼は帝国の……だね? なるほど、うちの息子たちは、砂漠で大変な拾いものをしたようだ」

「……え、砂漠って。息子たち、って?」

「セスさん、この方の息子さんと知り合いだったのですか?」


 どこからか情報が漏れている。調査隊キャラバンには他にもメンバーがいると聞いてはいたが、幼児のはずもないので、クレーベはやはり見た目通りの年齢ではないということか。

 混乱するセスと、好奇心で目を輝かせるアルテーシアに、神官長は「順を追って話そうか」と続けた。


「まず、事件について。私も最初に聞いた時は『迷い家マヨヒガ』を疑ったのだけどね、どうやらは大神官らしい。中央神殿で不正を行なっていた神職者たちは、取調べのために騎士団の常駐区画に拘禁されていたんだけど、昨晩から今朝にかけて突然に、大神官が一緒に拘束されていた神職者数名を殺害して回ったそうだ。騎士たちが駆けつけて取り押さえたが、彼は『これも神託なのだ』とか何とか口走って、自害してしまったらしい」


 想像以上に凄惨せいさんな事件に、セスは全身から血が引くような気がして一気に具合が悪くなった。さすがのアルテーシアも、固まっている。

 二人の反応にクレーベは苦笑し、お茶のおかわりを淹れてくれた。柔らかい声が続きを話しだす。


「彼が聞いたが本物の御声みこえだったのか、誰かの企みだったのか……現在まだ調査中だ。こちらは報告書を作成して、騎士団を通し王子の元へ届くよう手配するから、任せておいてくれるかい?」

「……はい、興味本位で聞いてしまいまして、すみません」


 自分以上にショックを受けた様子で謝るアルテーシアを見て、やっぱり年相応の女の子だなと思い、少し気持ちが和む。神官長も同じ気持ちになったのか、ふふっと笑いを漏らしてから、視線をセスへと転じた。


「私の息子……と言っても養子なんだけどね。ヴィルという名前で、今は砂漠地方のオアシス都市サグエラで仕事をしているんだ。大丈夫、詳しい事情までは聞いていないし、干渉したり他言するつもりもないから」

「キィたちの調査隊キャラバン、ですね。そっか、世界、狭い」


 養子関係なのなら、やっぱりクレーベは見た目通りに若いのだろうか。セスはヴィルに会わず砂漠を出立したので、それ以上は推測するしかなかった。

 むしろ、余計なことは考えないでおこうと決める。森の民エルフの血を引いて若づくりな人物もいるわけだし、詮索せんさくは良くない。

 砂漠都市サグエラに向かったラファエルとクォームは今頃、キィとルフィリアに再会しているだろうか。灼熱しゃくねつの風と色鮮やかな街並み、スパイシーな味わいが癖になる料理の数々。セスはしばし、短いながらも濃く懐かしい砂漠都市の日々に想いをせた。




  ☆ ★ ☆




 砂漠都市サグエラの朝は早い。地元民が忙しく動きはじめるこの時間、ルフィリアは一人、調査隊キャラバンの拠点でぼんやりしていた。昨晩からヴィルとツェイは護衛の仕事で出かけており、キィは朝市へ買い出しで、ルフィリアは留守番担当だ。

 懐かしい記憶を白昼夢で見たのは昨日だったが、結局夜になってもラファエルは帰還せず。眠りの浅い夜を過ごし、そろそろ心身ともに辛くなってきた。

 寂しい気持ちも行き過ぎると、空虚感に取って代わるらしい。カナリアのリルルが心配そうに耳元の髪をつくろっているが、相手をしてあげる気分になれなかった。本日何度目かのため息が滑り落ちてゆく。


 建物内ならまだましだとはいえ、砂漠地域は暑い。北方民族の血を引くらしいルフィリアにとって、強い陽射しも熱のこもった空気も慣れないものだった。旅で培われた順応性のおかげで何とか過ごせているものの、辛いことには変わらない。

 空になったグラスにレモン水を注ぎ足してこようと椅子から立ちあがったとき、入り口で物音がして、ルフィリアは思わず太腿の辺りに手をやる。

 今はラファエルがいないので、蒼飛竜マリユスもいない。自分の身は自分で守る、は旅人生活の基本だった。もしもの時にすぐ対応できるよう、スカートの下にいつも短刀を忍ばせてあるのだ。――が。


「ルーファ、ただいま!」


 遮光布カーテンが揺れて、懐かしい声と一緒に、一番会いたかった人が姿を現す。

 逆光を受けて輝く金の髪、影が落ちても曇ることない優しい微笑み。楽しそうな表情かおで、元気そうな様子で、ラファエルが入り口に立っていた。


「ラフ様!」


 呼びかけた途端、ここ数日の心配や不安や寂しさが込みあげて、涙が一気にあふれた。

 あっという間にぼやけていく視界で、ラファエルが目を見開き慌てたように駆け寄ってくるのを見る。


「待たせてごめん、ルーファ! 早く迎えにきたかったんだけど、どうしても抜けだせなくて……」

「うぅ、あぅっ……ラフ様、ご無事でよかったですぅ! 送り届けるだけっておっしゃったのにっ、手紙も、連絡もなく、どんなに心配したか……」

「ごめんよ、泣かないでルーファ! 僕も君に会いたくて、気が変になりそうで。でも魔王軍との交渉を済ませないと、君を危険にさらしてしまうから。わかってほしいな……?」

「ふえっ」


 びっくりし過ぎて蒼飛竜マリユスみたいな声が出た。言い訳にしてもひどい。セスが一緒だったかは知らないが、単身で魔王軍と交渉しようとか、このひとは自分の身を何だと思っているのだろう。

 なんだか、ふつふつと怒りがわいてきた。涙は止まりそうにないけれど、ルフィリアはラファエルを見あげて言い返す。


「なんなんですか、ひどいです! どうして、そんな危険なことをするんですか! ラフ様の身に何かあったら、どうするつもりだったんですか!」


 広く青い空を切りだしてはめ込んだような、ラファエルの双眸そうぼう。大好きなそのいろが、一度大きく開かれてからゆるゆる細められていく。彼の瞳に映る自分の泣き顔が、近くなる。長い手が伸ばされて、そっと撫でるように頬を拭われた。ぎゅっと抱きしめられる。

 暑苦しく熱された砂漠の空気を浴びて、彼の身体も汗ばんでいるようだ。布越しでもわかる体温と体臭を感じ、ラファエルの命を実感して、さっき以上に涙があふれてくる。


「ごめん、ルーファ。詳しい経緯はあとできっちり話すけど……本当にもう大丈夫だよ。すべきことはまだ沢山あって、これからすごく忙しくなるだろうから、君には僕の隣でずっと、僕を支えてほしい。僕は君を、何よりも、誰よりも愛しているから」


 固く抱きしめた腕の力がゆるんでいく。少しだけ身体を離し見あげれば、慈しむように見つめているラファエルの顔がすぐ近くにあった。彼の瞳に泣き腫らした自分の姿を見つけ、ルフィリアは恥ずかしくなってうつむく。

 何だろう、これは。ずっと隣で……なんて、王子様のくせにプロポーズみたいな台詞を言っちゃって。

 怒りの続きか羞恥心しゅうちしんなのか、もっと違う心の高鳴りなのか。内側の熱が暴れている胸を両手でそっと押さえ、ルフィリアは小さく頷いた。


「……はい、もちろんです」

「ありがとう! 嬉しいよ!」


 子供みたいに弾んだ声をあげてラファエルは、左手ですくうようにルフィリアの左手を取り、指を絡めてくる。互いの手のひらが汗ばんでいるのがわかり、ますます恥ずかしい。

 うかがうように上目遣いで見れば、彼は微笑んでいるのに、どこか泣きそうだった。長い指が頬を滑って、優しくあごに触れる。潤んだ碧眼に見つめられ、ルフィリアは彼の望みを理解した。


 応じるつもりで目を閉じる。顎がそっと持ちあげられ、鼻腔をぬるい息が満たしてゆく。柔らかな熱が唇をなぞり、優しくついばまれる。目の奥が甘くしびれてゆき、自然にひらいた口から息と一緒に甘える声が漏れた。空いている右手を彼の首の後ろへ伸ばし、ぎこちなくだが撫で返してみる。

 口腔をねぶるような、大人のキス。こんな親密な体験ははじめてだけど、怖くはなかった。ラファエルはどんなときでも優しく、まっすぐな愛情を向けてくれるから、彼にはすべてをゆだねてもいいと思えるのだ。


 とろりとした幸せに浸りながら甘い愛情を感じていたルフィリアは、まだそのとき、彼の言葉を本当には理解できていなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る