[5-3]セスとルシアの秘密調査


 ラファエル王子、魔将軍ネプスジードと外食したあと。離宮に戻ったセスは疲労と眠気に抗えず、使用人たち用の浴室で身体を洗い着替えを借りて、案内された客室のベッドに倒れ込んだ。

 謎の美女に連れ去られたアルテーシアも気がかりだが、もう一歩も動ける気がしない。


 ここは陥落前にラファエルが暮らしていた離宮なので、使用人や常駐騎士たちのためにも設備が整えてあり、貸与用の制服や着替えも取りそろえてあった。魔王との会談前に借りた騎士服は返さなくていいとラファエルが言ってくれたので、甘えようと思う。

 ナーダムとの対決前に少し眠ったとき、顔や髪に付着した血液をアルテーシアが丁寧に拭き取ってくれたらしい。彼女にゆっくりお礼を言えてないし、明日は話せる機会があるといいのだけれど。

 黒い牙に引き裂かれた服はもう着れそうにないから、処分してしまおう。鎧や剣も手入れしなくては……。

 すべきことを数えあげながら、セスは微睡まどろみのふちへと沈んでいった。





 そして、朝。ふ、と意識が覚醒して身体を起こそうとした途端、猛烈な痛みが全身をさいなんで、言葉にならない声が漏れる。

 昨日の怪我も傷もぜんぶ治ったはずなのに、何だろう。不安に思いつつベッドの上でジタバタしていたら、扉がノックされた。


「起きてます、……っつぅ、すみません、動けなくて」

「あらあら、やっぱりねぇ?」


 外から見知らぬつやめいた声が答え、扉がゆっくり開かれる。カチャカチャとびんの音を鳴らしながら入ってきたのは、昨日アルテーシアを連れ去った謎の美女だった。警戒しようと思わず身を起こしかけて、またも痛みに挫折ざせつする。

 たゆたう波のように不思議な光沢の、長いウェーヴヘア。目元と唇に差したべには鮮やかながらも上品な薔薇ばら色で、目の色も深い青だ。コバルトブルーのドレスを着こなした、目を奪われるほど美しい、しかし下半身がぬめる尻尾の美女。名前は確か――アロカシス。


「あの、何か、ご用でしょうか……?」

「うふふ、綺麗なコが怯える姿はいいわねぇ、そそられるわ! でもアタシ、お子様には興味がないのだけど」


 ぞく、と全身に走った悪寒は、本能的な危険感知だろうか。何とか上体は起こしたものの全身が痛くて思うように動けず、ベッドは普通サイズで、にじりよる彼女から逃げるスペースはない。

 どうしよう……と脳内でパニックしながら美女を凝視していたセスの視界に、ひょこりと見慣れた姿が映り込んだ。


「アロカシスさん、セスさんを怖がらせないでくださいっ」

「なによーぅ、ルシアちゃん。こんなの、挨拶みたいなモノじゃないの」

「セスさんは繊細な方なんですよ!」


 薄紫色のシンプルなワンピースを着たアルテーシアが、高級そうな陶器ポットとティーカップ、料理皿をいくつかトレイに乗せて彼女の後ろに立っていた。

 アロカシスが少し位置をずらせば、アルテーシアは軽やかにベッドの横まで歩み寄り、サイドテーブルにトレイを置く。


「おはようございます、セスさん。身体、痛みますか?」

「おはよう、ルシア。俺は繊細じゃないけど、ルシアその色よく似合ってるね」


 つい、頭に浮かんだことをそのまま口にしたら、アルテーシアが大きなブルーグレイの両目を見開いてから、一気に赤くなった。


「もうっ、質問の答えになってません! でも、よかった、元気そうで」

「あっ、ごめん! 身体は痛いよ、ものすごく! でも、ルシアの治癒魔法はちゃんと効いてたと思うんだ」

「むふふふふ」


 押し殺したような笑い声に割り込まれて第三者の存在を思い出した途端、セスの顔も一気に熱くなる。

 アロカシスは抱えていた手籠バスケットをカシャンとテーブルに置き、ずりずり後ずさった。


「あとは二人・っきり・で、ゆーうっくりぃ、いちゃつくといいわ! 大丈夫っ、愛の力があればくらいどうってことないわよ。ね、セスちゃん、むふふふ」

「アロカシスさんっ、からかわないでください!」


 不気味な笑いを忍ばせながら、疾風の勢いでアロカシスは部屋を退出していった。呆然、と見送りながら、セスは思わずつぶやく。


「筋肉痛……?」

「セスさん、ご自身がどれだけ無茶なことをしたかわかってないですよね」


 普段より低められた少女の声に、とぽとぽという音が混じる。扉から視線を戻してアルテーシアを見れば、彼女は口角を下げねた表情で、ティーカップにポットの中身を注いでいた。白い液体からほのかに湯気が立ち上っているが、ホットミルクだろうか。

 昨日は、畳み掛けるような衝撃的出来事ハプニングのせいでずっと興奮状態だった。

 泣きながら叫ぶ友の顔、地面を覆い尽くす黒い牙、召喚に応じてくれた二体の魔獣と、銀竜に導かれて知った世界の真実。飛竜騎士ナーダムと対決し、魔王と交渉し、ネプスジードから偽神をかたる企みについて知らされた。


 ゆっくり思い返せば、身体が震えてくる。

 筋肉痛で済んでいるのはもう、奇跡としか言いようがない。


「どうぞ」

「ありがとう」


 アルテーシアからホットミルクを受け取り、慎重に熱さを確かめながら口をつける。まろやかなとろみと甘味があるのは、蜂蜜はちみつと卵を溶いてあるからだろうか。

 しばらく無言でミルクをついばんでいると、アルテーシアが椅子を持ってきてベッドの脇に座った。


「セスさん。アロカシスさんはお医者様なんですけど、セスさんの身体は極度の疲労と魔力切れで絶対安静の状態だそうです。ラファエル王子と兄は、国家返還に関係した調整で関係各所と話し合うそうですので、セスさん今日はしっかり休んでくださいね」

「そんな……。俺、ラフさんに手伝うって言ったのに」

「駄目です。筋肉痛、甘く見ていると怪我につながりますよ?」


 ぴしゃり、と言われて思わず口をつぐめば、アルテーシアはわずかに視線を落とし、言いにくそうに何かを口ごもった。


「なに? ルシア」

「セスさん、あの……。セスさんは、ネプスジードさんに昔の、こと、何か聞きましたか?」


 うかがうような口振りに、セスは彼女が言いたいことを察した。空になったティーカップを返し、ゆっくり慎重に姿勢を正して、抑えた声で聞き返す。


「妹さんのこと? ルシアも、あの人から聞いたの?」

「あっ……そうです。わたしはご本人ではなく、兄に聞いたんですが。実は、それで、気になっていたことがあって。セスさん、以前に寄った鍛冶屋かじやを覚えてらっしゃいますか?」


 唐突すぎる話題に一瞬、面食らう。すぐには思いだせず、固まるセスに、アルテーシアは小皿を手渡した。

 柔らかめにった卵とコーンが乗っていて、小さなスプーンが添えられている。


「腕が動かせないようでしたら……そのっ、わたしが口元に、運びますがっ」

「え、う、いや、大、丈夫」


 過去の記憶検索と、現在の甘い誘いで、思考がまとまらない。

 昨日の接触を思いだし顔どころか耳まで熱くなるのを感じつつ、セスは震える手にスプーンを握って食事を口に運んだ。バターが入っているのか、口にした卵は舌の上で甘くとろけてゆく。

 少しの間をおいて、アルテーシアが続きを話しはじめた。


「……今朝、ラファエル王子とネプスジードさんが騎士団の区画に出かけていったのを見たんですけど、ネプスジードさんの武器、あれ、極東国きょくとうごくのものです。あちらの神官戦士、僧兵と言うらしいんですが、彼らが使う『錫杖しゃくじょう』という儀礼武器で」

「極東国? それって前に、……あ、あの竹製甲冑かっちゅうの!」


 記憶が一気につながり、セスは照れも忘れてアルテーシアを見返した。神秘的なブルーグレイの目には、少しの不安と、強い確信が宿っている。あのとき彼女は鍛治師のご老人と話し込んでいたが、自分は店番の女性と話したのだ。黒髪が印象的な、まだ若い、若干なまりを感じさせる口調の――。

 もしかして、という気持ちと、いやまさかそんな偶然、と否定する気持ちが、セスの中でせめぎ合う。

 アルテーシアが空になった小皿とスプーンを受け取り、蒸した野菜の盛り合わせとフォークを手渡してくる。酸味のあるクリームと砕いたナッツがかけられていて、一口大に切られた野菜の甘みを引き立てていた。

 脳内で議論を戦わせつつ黙々と食べるセスに、アルテーシアが話しかける。


「もちろん、極東国ってつながりだけで判断することはできないですけど、わたし、気になってしまって。どうにかして確かめたいんです。それで、」


 視線を傾け見れば、握り合わせた手を口元に添えたアルテーシアの、やや上目遣いな視線が、セスの心臓ハートを撃ち抜いた。


「ラファエル王子と兄と、ネプスジードさんには秘密で、あの鍛冶屋について探りたいんです。もしお嫌でなければ……セスさん、わたしに、協力してくださいませんか?」

「も、ちろっん、……俺にできることなら!」


 勢いのままに言ってしまったあとで、あの三人に秘密を通せるか心配になったが、嬉しそうに破顔一笑するアルテーシアを見れば、その心配も一瞬のうちに吹き飛んでいた。




  ☆ ★ ☆




 半信半疑だったが、本当に筋肉痛だったらしい。丸一日の休養と、アロカシスが調合したカラフルな回復薬――効果はともかく見た目は絵具のようで飲むのに勇気がいった――のお陰で、翌日にはびっくりするほど身体が軽くなっていた。

 ラファエル王子は朝早くからクォームと一緒に砂漠都市サグエラへ向かい、ルフィリアを連れてくるのだという。

 会わねばならない相手や決めるべき物事はまだ山積みだが、元々ラファエルはセスを送り届けるだけの予定だったのだ。いつまでも戻らない彼を心配して待っているだろうルフィリアとキィを、一刻も早く安心させてやらないといけない。

 ラファエル自身も、ルフィリアと離れ離れでいるのはもう限界だと言うし。


 飛竜なら、伝書鳩より早く目的の場所へ行ける。ラファエル自身が蒼飛竜マリユスに乗って迎えに行くつもりが、砂漠都市なら自分も用があるとクォームが言ったので、転移の魔法で一緒に行くことになった。今度こそお出かけを期待していたマリユスがついにねてしまったのは言うまでもない。

 ネプスジードは主城再建のために今日は建設現場へ向かうらしい。魔王は引き続き各所との調整で忙しいようだし、リュナは健康診断も兼ねてアロカシスと一緒に過ごすという。


 秘密裏に調査を進めるには、またとないチャンスだった。

 互いに身支度を整えてから一緒に朝食をとり、ラファエルとネプスジードが出掛けるのを待って、出発する。目的地は離宮に隣接した簡易礼拝堂だ。


「ここに来てから時間もあったので、父とも手紙で連絡をとっていたんです」


 アルテーシアの父によれば、一部の神殿が魔導士協会や国家の権力者と癒着し、不正行為を行なっていた事実は、昔からあったのだという。父は、彼らの非道から主に子供たちを救いだす組織が地下活動を行なっていることを、手紙で教えてくれたらしい。


「父が手助けしてもらった十七年前は、組織といっても個人の活動に依存する部分が大きく受け皿が整っていなかったのですが、だんだんと協力者も増えて森の民エルフたちとも連携ができるようになり、今は隠れ里を作れるほどになったそうです」

「今から行く礼拝堂は、彼らと手を組んでる神殿……ってこと?」

「はい。父の、手紙によれば」


 緊張のためか腕にかかえたシッポをぎゅっと抱きしめるアルテーシアの肩に、セスはそっと手を添えた。

 彼女がラファエルやネプスジードに秘密で探ろうとするのは、予想が外れてあの鍛冶屋が無関係だったときに、二人を傷つけないためだろう。兄に対しても秘密なのは心配をかけたくないからだろうけど、あの魔王なら既にばれている気もする。

 ともかくも、自分が一緒に行くことで彼女の気負いが少しでも軽減されるなら。


 離宮の敷地は広く礼拝堂までは少し遠いが、徒歩で行けない距離ではない。朝早く出られたのもあり、昼になる前には特徴的な建物が見えてきた。しかし、様子がおかしい。

 綺麗に舗装された表門前の広場に、神官戦士たちが数名詰めかけていた。騒然としているが殺気立っているわけではなく、しかし礼拝者が入るのを断っているのが遠目に見受けられる。思わずアルテーシアを見れば、彼女もセスを見あげていた。

 目が合い、互いに同じ意思を確認する。


「事件かもしれません。セスさん、いってみましょう」

「うん、いこう」


 神官たちは真剣な表情、丁寧な物腰で、訪れた礼拝者に説明を行なっている。

 近づくにつれてはっきりしてきた会話の中に「殺害事件」と聞き取り、セスの心臓がひやりと戦慄わなないた。

 もうこれ以上誰も、死んで欲しくないと思った。




 ----------

 鍛冶屋かじやでのやり取りは「第一ノ鍵 二十七.終末をうたう歌」に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る