第五節 願いを掲げ心を束ねて

[5-1]きみと、世界を救う約束を


 神々が展開する固有領域は時空を歪ませる性質のものらしく、外界と時間の流れが異なるという。冥海めいかい神殿から戻った時も、体感で数時間程度だったのに、現実では二日ほど経過していた。

 ここに引きこもれば神殿が破壊される恐れはなくなるが、地上へ向かったルーナたち三人の安否も知る手段はなくなった。今は、三人の機転と幸運を信じるよりほかない。

 なにせ相手は原初の炎竜クリエイタードラゴンの破壊衝動そのもの。火炎や熱のみならず、という概念がいねんを権能として持っているのだ。不死者である自分や炎神であるフィーサスだって、まともに食られば無事でいられる保証はない。


「あっはは、わざわざ結界領域つくって逃げ道ふさぐなんて、僕を馬鹿にしてるわけ!?」

「おまえこそ! すぐに笑ってなんかいられなくなるぜ!」


 あおるな、と言いかけたが、デュークはそれを声にせず飲みこんだ。

 魔法の威力は意志の強さに左右される。神ごとに気質が違い、戦火神フィーサスの原動力は『楽しい』という感情だ。デュークとしては戦いを楽しむのもどうかと思うが、フィーサスは人間ではなく戦狼いくさおおかみなのだし。

 それにしても――、


(あいつ、ラディオルに似ているな)


 夜の街で炎の魔将軍を名乗る少年と対峙たいじしたのが、遠い昔のように思える。セスの身体を乗っ取りかけた宿敵ウィルダウにリヴァイアサンをけしかけられ、万事休すと思った矢先に助けてくれたのがクォーム。フィオとの出会いもその時だった。

 あれから多くの月日は経っていない。それでも、かたわらで踏ん張る小さな仲間を何としても守らねばという思いは、心に深く根づいている。誰かを想う気持ちが育つのに、長い年月は必要ないのかもしれない。


『ファイア、僕の半身! 僕は、あなたには負けない! いくよっ』

「はッ、火種チビのぶんざいで生意気なんだよ!」


 勇ましく声を上げるフィオと、鼻で笑う破壊竜ファイア。少年の姿で大きく手を振り火炎の渦を発生させる。デュークもよく使う〈炎龍〉の魔法に似ているが、炎の形は龍ではなく狼だ。

 なるほど、それが本質というわけか。


「フィーサス! あいつの核になっているのはやはり、」

「だな、神殿にいた眷属けんぞくだ! クソ、今回も本質が近すぎて決定打がないってか!?」

「まったくだ」


 炎の魔将軍ラディオルと対決した時もそうだった。相手の炎はこちらの脅威にならないが、こちらが仕掛ける炎魔法も無効化されてしまう。ラディオルは生身だったから物理で押し切るつもりだったが、破壊竜はそうもいかない。

 とはいえ悪いことばかりではなかった。戦狼は戦火神の眷属であり、今のフィーサスはさっきまでの白毛玉姿と違って本来の形態かたちを取り戻している。創世竜の破壊衝動さえ切り離せば、フィーサスの命令が及ぶはずだ。


 デュークが一人脳内会議をしている間に、破壊竜の姿は炎狼の群れを引き連れた状態になっていた。古代の魔獣に、上半身は美しい女性で下半身が複数匹の狼というのがいたのを思いだす。あれは水棲すいせいの魔獣で、こんなふうに宙に浮いたりはしなかったが。

 大きく手を動かした少年の掛け声に合わせ、炎狼の群れが一気に突っ込んできた。同時に戦火神フィーサスが地を蹴り、すぐ近くに突き立っていた両手持ちの大剣を引き抜いて、ぎ払う。一瞬、形状が崩れたものの、生き物のようにうごめく炎がすぐに狼の頭を再生した。


「ちぃッ、やっぱりかよ」

「あははっ、ただの剣で僕の炎が斬れるわけないだろォッ!」

うるせぇ笑うな!」


 フィーサスの大剣も、デューク愛用の大刀も、ただの武器ではなく戦火神の祝福を宿す魔法剣なのだが、炎と炎では混ざり合うだけで威力にならない。苛立たしげに炎狼をあしらう戦火神の後ろでフィオをかばうデュークに、フィオが話しかけてくる。


『僕が破壊竜ファイア意識こころを呑み込みます! その後のことは、頼みます!』

「フィオ、……大丈夫、なのか!?」


 彼女が何をしようとしているかわからず、つい声をあげたデュークを、小さな火炎竜はまっすぐに見あげた。


『大丈夫、です』

「最高の返事だな、フィオ! よし、道を開け、デューク!」

「む、わかった」


 散らされては再生する狼の群れの中で、身の丈ほどの大剣を振り回す戦火神。ピンと立った両の狼耳と勢いよく揺れる尻尾が、彼女の気分を表している。戦女神に導かれて愛剣を振るうのは、一体いつぶりだろう。

 状況も先の見通しもまったく不透明なのに、動いてもいない心臓が高鳴り、あるはずもない血液がたぎってくる、気がした。


「フィオ、今からあの狼どもを。そうしたら、飛び込め」

『はい!』


 迷いのない返事を聞き届け、デュークは大刀の切っ先を群れの中心にいる少年へと差し向けた。口に乗せた詠唱で、原初の風魔力をぶ。燃える炎が揺らめき、渦を巻き、青い輝きに変わってゆく。

 原初の風魔力には、という概念が宿っているという。

 月虹げっこう神がフィーサスに白毛玉の身体を与えたとき、貸与された風魔法。白き神に由来するものなだけに純度が高く、得意の炎魔法とも相性がよくて、極限まで威力を高めれば蒼炎の形状かたちを成す。地上で使うには危険すぎる代物だった。


 今ここに使う機会を得て、血が騒ぐ錯覚を感じる。

 こういうところ、やはり自分は戦火神の守護騎士パラディンなのだと自覚し、可笑おかしく思う。


「いくぞ、フィーサス! 避けろ!」

「うぁっ!? 無茶振りすんなデューク!」


 もちろん線上にフィーサスがいないのは確認済みだが、巻き込み事故を防ぐための注意喚起だ。大刀を頭上に振りかぶり、まっすぐ振り下ろす。輝きほとばしる蒼炎が狼の群れを弾き飛ばし、戦火神の真横を抜けて、驚愕きょうがくに目を見開いた少年にらいついた。


「うっ!? わあぁぁぁあぁッ!!」

「今だ、フィオ!」

『はいっ!』


 真っ二つに分かれた炎狼の群れを飛び抜け、小さな火炎竜がもだえる少年に体当たりしたのを見る。同時に全身から力が抜けて膝が崩れた。身体が動かず焦げ臭い地面に倒れ込む。


「デューク、馬鹿かっ! やり過ぎだってぇの!」

「……うん?」


 フィーサスがなぜ怒っているのかわからないが、胸を満たす充足感は心地よかった。前方では青い輝きが消え、代わりに火柱があがる。何が起こっているのか、さほど遠いわけでもないのによく見えない。でもきっと大丈夫だろう。

 全部が終わったら、よくやったと頭を撫でて褒めてあげよう、そう思った。




  ☆ ★ ☆




 ――はじまりにあったのは、火種ほのお

 希望と願いに銀河のことわりを織り込んで、この世界は創られた。祈りのように、歌のように、まるで機織りをするかのように。


(だれも争わず、だれも奪われず、だれも悲しまなくていい……世界を、つくれると思っていた)


 渦巻く炎の中を突き進む。奔流ほんりゅうのように流れゆく心象風景は、彼のものであり彼女のものでもある。

 炎神のかけらを取り込んだ破壊衝動と、銀竜が大切に抱えていた記憶ねがいを核として成された火種。今の望みは違えども、はじまりは一つだったのだ。


(本当は、わかっていたのに)


 人の心は同一ではない、と。同じ魂は一つとしてなく、それぞれがそれぞれの願いを抱き、未来を望み、生きようとあがく。

 わかり合えない想いがぶつかれば争いは避けられず、悲しみは繰り返され、傷つけあいながら進むしかないのだと。


「……だから、はじめから、間違っていたんだ」


 がむしゃらに前へ前へと進んでいたら、ふいに目の前に少年が現れた。足を止め、まっすぐ向き合う。

 いつのまにかフィオの姿は少女のものになっていた。同じ顔、同じ色、同じ声。……性別だけが違っている。


「ファイアは、この世界を造ったのが間違いだって、思うの?」

「そうだよ。こんな世界、造らなきゃよかった。こんなことに魔力を使うくらいなら、りゅうを悲しませる人間たちを焼き尽くしておけば良かったんだ! そうすれば……りゅうは、死ななかったのに!」


 血を吐くように、ファイアが叫ぶ。悲痛な慟哭どうこくは、自責と後悔は、フィオ自身のものでもあった。

 彼が繰り返し呼ぶりゅうとは、リュライオという名の異界の上位竜族だ。彼は、竜族を嫌う人間たちがファイアの母親を殺害しファイア自身をも手に掛けようとしたときに、ファイアを庇ってくれた風竜の青年だった、と心象風景を確かめる。


 ファイアにとって親のような、兄のような、誰よりも大切な存在だった。今は亡き星宣せいせん神を思わせる、優しく感じやすくて考え深い気質。争いを好まず、人間たちが戦争を起こしては大地ほしを傷つける姿を悲しんでいた。

 科学の発展によって兵器は威力を増しゆき、より広範囲に、より多くの犠牲が生み出されるようになってゆく。やがて、人間の戦争によって再生も望めぬほどに世界が焼かれたとき――、りゅう惑星ほしを再生させるため、自身の全魔力いのちを差しだしてしまったのだ。


 リュライオを喪失そうしつした悲しみはファイアの暴走の引き金であり、フィオ自身の記憶でもあるはず。

 けれど、今のフィオにとってその実感は少し遠い。

 だからこそ、気づくこともできて。


 ――ファイアが許せなかったのは、滅ぼしてしまいたかったのは、本当は。


「ずっと、じぶんが許せなかったの?」


 言葉にしたら、すんなりとに落ちた。遠い過去だけれど、あのときの自分ファイアが何より望んでいたのは、自分自身と、自分の願いを受けて誕生したこの世界を消し去ることだったように思う。

 誰よりも大切なはずの存在ひとに悲しみを与えて追い詰め、死へと追いやったのは、自分ファイアが炎の上位竜族だったから。父に疎まれ、母を奪われ、竜を悲嘆させて死なせたのは、自分ファイア炎の権能こんなちからを持っていたせいだから、と。


「……ぜんぶ焼き尽くして、竜世界このほしも僕自身も消えてしまえれば、良かったんだ。なのに、どうして……帰ってきたんだよ」


 涙まじりの声が問う。自分と同じ原初はじまりをもつ彼の言葉は、フィオ自身の疑問でもあるはずだ。少し逡巡しゅんじゅんし、思いだす。あの白い空間――時の狭間はざまで目覚めたとき、満面の笑みとともに告げられた誘いかけを。


「クォームと一緒に世界を巡る、冒険の旅をするために、かな」


 燃えるような真紅の双眸そうぼうが見開かれる。一瞬ののち、少年の目に透明な涙があふれだした。


「なんだよそれ、ずるい。僕はずっと、ここから出られなかったのに」

「自分から、閉じこもったんじゃないの?」

「そうだけど。……だって、僕は、許されない罪を犯したから」


 この世界を道連れにと、炎の魔力を暴走させ、たくさんの命を奪い、世界の基盤をガタガタにした。それが許されるものなのかフィオには判断できないし、裁く立場にもない。

 でも、ファイアの罪は、同じ原初はじまりを持つ自分の罪でもある、と思うのだ。

 今できることは――すべきことは、わかっている。だから。


「一緒に行こう、僕の半身。難しいことはわからないけど、僕はこの世界を終わらせたくない。原初むかしの僕だってきっと、そうだったんじゃないかな。クォームは、僕が世界を救いたいと願った、って言ってたもん」


 涙に濡れた顔で相対する自分ファイアに、フィオは手を差しだした。彼の瞳を見つめ、フィーサス絨毯じゅうたんの上からデュークと見た景色を思いにえがく。この世界には、創世はじまり創世竜ファイアが願った勇気と優しさが間違いなく息づいているのだと、伝えたかった。

 長い長い沈黙が、流れる。

 待つ間がもどかしかっただけで、本当はわずかな時間だったかもしれない。


「……ほんとう、に?」


 少年がゆらりと手をもたげ、差しだそうとして、引っ込めた。

 フィオはぐっと踏み込んで彼の手をつかむ。白い狭間でためらっていた自分にクォームがしてくれたように。触れあった途端、記憶が流れこんで混ざりあうような、心がひとつになるような、不思議な感覚がした。

 迷う瞳にもう一押し。

 誘い文句は、心に自然と浮かんだままに。


「一緒にいこう。今度は、今度こそ――世界みんなを、救いにいこう」


 


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