[4-6]目覚めし守護龍


 実際には、わずか数秒だっただろう。クラウディスを力任せに振り払おうとして、かなわず、レーチェルは大声で叫んだ。


「天龍様! 聞こえていらっしゃるのでしょう!? 早く、今すぐ起きて、シャルを助けてください! もしくはラウ様を気絶させてっ」

「やめなさい、レイ」

「うるさいです!」


 唐突に、全部が面倒くさくなった。全部というのは語弊ごへいあるが、とにかく、この無意味な問答に究極的な嫌気がさしたのだ。

 体に回された腕に思い切り噛みつく。悲鳴をあげる婚約者を振り払い、たたずむ天龍像にすがりついた。飛び降りたところで落下速度には追いつけない。両手を握り龍の首を叩きながら、祈りより悲鳴に近く訴えかける。


「天龍様! 起きて!」


 時間がない。焦る気持ちが、培ってきた作法を吹き飛ばしてしまったようだ。天空神相手に失礼千万な、とどこかで理性が苦言をていしているが、言葉を取り繕うことができない。

 視界がぎらぎらと眩しくて、よく見えなかった。

 無意識にあふれていた涙のせいだろうか。


 ここでシャルを失ったら、もうどうしていいかわからない。過保護に慣れすぎて、魔王だれかを奪うことが誰かに痛みを与えるのだと想像できずにいた自分に、地上の人たちは大切なことを教えてくれたのだ。

 輝きはますます強くなり、目を開けているのがつらい。永遠にも思える沈黙のあとに、ぽつり、と声が返った。


 ――我が娘、よ。なぜ、泣く?


「天龍様! シャルを助けてくださいませ! ずっと聞いていらしたのでしょう?」


 一瞬、父が答えたのかと思ったが、違うと考え直す。御声みこえなど聞いたことがないと思っていたのに、響いた声を感じて懐かしさが込みあげた。

 亡くなってなどいなかった。過保護な神はずっと昔からここにいて、時に風にまぎれ、時に生き物の姿を借りながら、天空人じぶんたちを見守り続けていたのだ。

 その優しさは、本物だったとわかる。

 この幸せが、誰かの犠牲の上に構築されたのでなかったなら。


 ――娘よ、天空の地はおまえにとって、安らげる場所ではなかったか?


 優しさに悲しみを閉じ込めて、問われた言葉に胸が震える。

 物心ついたときから今までずっと、ここは愛する故郷だった。民を愛し、守護神を信じ、ここで生きていこうと思っていた。間違いなく幸せだったし、理想郷だと信じていた。


 でも、でも。

 天龍様、わたくしは。


「誰からも奪わず、幸せになりたいです」


 涙と一緒にこぼれた願いをすくいあげるように、白と金の光があふれて弾け――、


「ああ、仕方ない。そうまで言われては仕方ない! 泣くな、我が娘よ。おまえの願いは、間違いなく俺が叶えてやろう!」


 誰かの力強い腕に抱えあげられる。え、と声をこぼす一瞬で、風景が変化した。

 闇をぶちまけた夜空、傾いて見える神殿塔、聖所の様子は光にかすみよく見えない。耳元で、低い声が「見ろ」と囁く。


「え、え、あの、わたくし、今……」

では間に合わないからな、。大丈夫、シャルなら無事だぜ」


 彫刻細工のように端正な横顔、金が混じる白銀の髪、蒼穹そうきゅうを思わせる深青サファイアの目。自分を抱えているのは、地上でなら絶世と評されるだろう美貌の男性だった。一見すれば人間っぽいが、視界に時々映る白い翼は人間が持つものではない。

 促されて視線を巡らせば、白く光る輪の中にシャルが座りこんでいるのが見えて、レーチェルは途端安堵あんどで泣きそうになる。

 白い輪の正体は風翼竜エルヴァードの群れだろうか。小さな生き物なのに、集まれば人を浮かせるほどの魔法を行使できるのだと、レーチェルははじめて知った。


「天龍様は、世界の終わりまで眠っておられるつもり……だったのですね」


 なりふり構わずわめいて叩いたのが、今となれば恥ずかしい。まさか本当に叩き起こすことになろうとは、思っていなかった。

 横顔の口角がゆっくり引きあげられる。天龍の人形態というより、これは過去人間だった時の姿かもしれない。


「俺は、竜族を信じられなかった。世界ほしを造った創世主のくせに、世界ひとを滅ぼそうとする。力の使い方もわからぬ子供に、星神の権能ちからを預けてしまう。……そうして人ならざるものと人族の対立を、助長する。そんな不確かな基盤に依存する世界から、我が子らを切り離したかったんだ」


 ずっと信じていた守護神は、ずっと信じていた通りの気質だった。力強い腕に抱えられ、レーチェルははらはらと涙をこぼす。過去に何があったかまではわからないが、月虹神が語ったように、天龍は確かに傷ついたのだろう。わかりあうことをあきらめ、異物を排除して、愛する民のためだけに理想郷を造りあげたのだ。

 その身を捧げていしずえに、その生を費やして未来への布石を、その魂を組み替えて、天空島を覆う守護結界に。


「天龍様、それは……過保護がすぎます」


 涙はとめどなく流れてくるが、どうしても言わずにはおれなかった。天龍が声をあげて笑う。非の打ち所がない美丈夫がわずかに崩れ、野趣のある人懐っこさがあらわれる。

 話しながらゆっくり下降していくうちに、シャルは一足先に地面へ到着したようだ。群れ集まっていた風翼竜エルヴァードたちが散ってゆき、彼がエルドラと名づけたひなだけが残っている。シャル自身は腰が抜けたのか、地面にべったり座ってぼうっとしていた。

 

「シャル! 大丈夫ですの!?」

「うはは、はは、大丈夫! 落ちた瞬間『これ死んだ』って思ったから、目を瞑って意識飛ばした!」

「あきらめ早すぎですわ! もっと手足ばたつかせるとか何かをつかむとか、天龍様に祈るとかしてくださいませ!」

「こんな初体験で頭回るわけないだろっ」


 意外と返しが元気で安心した。言い合っていると天龍が腕を解いてくれたので、へたり込んでいるシャルに駆け寄る。目立つ傷や怪我はなく、元気そうな姿を至近で見た途端、また涙がボロボロとこぼれてきた。ぬぐうのも面倒くさくて、勢いのままシャルに抱きつき顔を押しつける。「わぁ」とか言いつつ受け止めた彼は、慰めるように頭を撫でてくれた。

 翼をたたむ音、地面を踏む足音。

 シャルが身じろぐ。きっと、天龍がすぐ側に降りてきたのだろう。


「あんたが、天龍サマ?」

「ああ、そうだ。地上人、シャル・レヴィン。おまえのしたことは敬虔な信徒からすれば万死に値する行為であるから、俺は我が子らをとがめるつもりはない。しかし、おまえの勇気は敬意をあらわすにも値する。……だから、聞かせてくれ」


 婚約者クラウディスを相手にしていた時と違い、シャルは言い返さなかった。レーチェルを優しく離れさせ、肩に手を添える。自然と二人で寄り添う形になり、一緒に地面にへたり込んだまま天龍を見あげた。


「はい」


 時刻はまだ夜のはずだが、天龍自身が淡く発光しているのか、暗すぎることはない。改めて見あげる天空神は背に鳥の白翼を持つ人間の男性で、背は高く身体もがっしりとしていた。まとう衣服は地上人の王侯貴族と同じ宮廷服、腰に一振り美しい宝剣を帯びている。長さが不揃いな白銀の髪を、やんわりオールバックにしていた。天空人というより鳥族、もしくは風翼竜エルヴァードが人の姿になったような印象だ。

 姿が人間に近いからなのか、威圧感はあまり感じない。

 それでもシャルだって緊張しているのだろう、真面目な面持ちで天龍を見あげている。


「なに、詰問きつもんするわけではない。気楽に構えてくれていいぜ。……ここに来てすぐおまえは、携えてきた『神託』が天空人にとって望ましくないものだと、思い知ったはずだ。クラウディスはおまえを地上に帰すつもりだったのだし、レーチェルに任せ離脱することもできただろうに、危険を冒してまで俺を起こそうとしたのは、なぜだ?」


 穏やかながらも強い問いにレーチェルは萎縮いしゅくしそうになるが、シャルは淡々と答える。


「それが正しいと思ったから。たった一人で地上に来て一生懸命がんばってたレーチェルだから、俺は味方になるって決めたんだ。力になりたかったんだよ」

「結果的に殺されかけたわけだが? もしも俺の目覚めによって島が崩壊することになったら、どうするつもりだったんだ」


 シャルの答えが自分の努力を肯定してくれたようで、嬉しい。レーチェルは耳が熱くなるのを感じつつ、そっと顔をうつむける。続く天龍の問いは意地悪な質問だ、と思うけれど、同じ問いをレーチェルは何度も考えて悩んだ。彼がどう考えていたかは、自分としても気になるところだ。

 シャルは「うーん」と唸って考え込んでから、顔を上げて答える。


「白いカミサマが、あんたは『希望ひかりをあきらめてる』って言ったからさ。つまり、起こせば希望が開くってことじゃん? カミサマなら、誰も悲しませないやり方を知ってると思ったんだ」

「……そうか、白龍がなぁ」

「俺からも聞いていい? あのクラウって人、天龍サマは亡くなったって言ったんだけど。あんた今どういう状態なんだよ」


 ぞんざいな口調をとがめたい気持ちはあるが、正直もうレーチェルには気力がなかった。天龍も怒っている様子はないので、大丈夫だろう。

 安堵のせいか疲労のせいか、眠気が迫ってきてとてもつらい。


「ああ、地上の話だな。俺は人間として寿命を終えたが、魂だけは天空ここに帰るようあらかじめ魔法を仕掛けておいたんだよ。守護結界の燃料にするつもりが、神の魂だからなのか燃え尽きもせず。いつの間にか身体を構築できるようになっていたのは、自分でもびっくりしてるんだぜ」

「そっか、じゃ、誰かに憑依ひょういとかはしなくていいんだな。よかった。で、あんた起こしちゃったわけだけど、島はどうなるんだ?」

「民の衰弱すいじゃくについても合わせて答えるなら、今は何とも言えない。今の魔王……時の竜ルウォーツを俺は知らないし、協力できるかもわからないしな。だが、これだけは約束する」


 かくり、と頭が落ちるのを感じる。これは疲労ではなく魔力切れかもしれない……と、今さらながら思い当たった。

 抱き寄せられるままに、シャルの胸に頭を預けてみる。温かくて、安定感があって、身体から力が抜けてゆく。


「おまえたちがこれほどの勇気を示し、希望ひかりの可能性を見せてくれたからには、俺もこの力をどう使うべきか、考え直そう。地上を犠牲にせず、魔王と争わず、我が子たちを守れる道があるとすれば、俺は今一度そのためにこの身を尽くすと誓うよ」


 遠のく意識の端っこで、低い声が宣言するのを聞きながら、レーチェルは微睡まどろみへと意識をゆだねたのだった。




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