[4-5]暴かれゆく真実


 驚きで、頭が真っ白になってゆく。直後りあがってきたのは、恐怖心だ。身体の芯を握りつぶされるように萎縮いしゅくしていく心を反映したのか、レーチェルの張った結界がポロポロとほどけてゆく。

 自分が混乱しているくらいだから、シャルはそれ以上だろう。

 ぽかんと口を開いて天龍像を見つめていた彼だが、背後の物音に反応してか振り向いた。つられて視線を向ければ、聖所の露台バルコニーに到着したクラウディスが光翼を畳んでいるところだった。二人の神官戦士を引き連れている。


「レイ、……わかっただろう。天龍様は、もう、この天空にはられない。君が出会った神々を偽物とは思わないけれど、魔王側と結託し君をだましたというのが、私の見解だ」


 厳しく硬い声音ながらも、口調は穏やかだ。けれど、シャルがレーチェルの肩に腕を回して睨み返せば、クラウディスの眉間にまたしわが刻まれていく。何と言うべきか決めきれなくてレーチェルは焦り、視線を泳がせた。

 聖所をざっと見た限り、中央に天龍の御神体ほんたいが置かれていて、真上は天窓になっている。不思議なことに、透明な隔たりの向こうは夜空でも青空でもなく、明るい自然光だった。魔法的な仕掛けがなされているのだろうか。

 床面積は狭く、四隅の柱が高い天井を支えている。壁はなく、露台バルコニーが四方向へ張り出していた。聖所内は明るいけれど、露台バルコニーの向こうには夜の景色が広がっている。


「あんた、はじめから『いない』ってわかってたのか」

「……ああ。この事実は天空人の中でも高位神職者にしか伝えられないことだから、地上人である君には知ってほしくなかったけどね。どうするかは今後話し合うとして、ひとまず大人しく投降しなさい」

「騙すも何も、最初に『時の竜』を騙し討ちして権能ちから奪い取ったのは天龍サマだったって聞いたけど」


 思いがけない言葉をシャルの口から聞き、レーチェルは一気に目が覚めた。クラウディスも、目を見開いて固まっている。


「シャル、あなた……クォーム様の話をちゃんと理解できてましたのね」

「理解っていうか覚えてただけだけど。でも、ここ来たら何となく意味がわかったっていうか……こんな立派な国一つ天空に浮かせるなんて、やっぱり普通じゃない」


 言ったあとで辛辣しんらつだったかと心配になったが、シャルは気にしていないようだ。いつもは子犬みたいなハシバミ色の目を、今は狼みたいにつりあげていて勇ましい。押さえた胸の奥で高鳴る鼓動は緊張かもしれないし、婚約者への罪悪感かもしれなかった。

 雑念がよぎるくらいには思考回路も回復してきただろうか。


「ラウ様、教えてくださいませ。天龍様はいつからご不在で、どこへ行かれたのでしょうか」


 欲しいのは情報だ。冥海神のケースを思えば、天空神も誰かの内側にいる可能性は高い。

 考えられるとしたら、御声みこえを伝える立場にあった祭司長の父や、代行をしているクラウディスではないか。――とレーチェルは予想したのだが、返ってきた答えは意外なものだった。


「レイ。天龍様は魔王討伐ののち、切り落とした翼を携えて地上にくだられたんだ。魔王に蹂躙じゅうりんされた地上を平定するため尽力され、かなめとなる国家をおこし、人間として生き……亡くなられた。遺されているのは、天龍様が天空人のために書き残した預言書と、まもりの権能ちからが込められた御神体おからだの結晶――聖輝石だけだよ。身体は天空に、両翼は輝帝国へ、……これが事実なのは、君が今見ている通りだ」


 え、と、声になり損ねた息が落ちてほどけてゆく。

 

「天龍様は魔王を討った英雄ルウォンと同一で、輝帝国の建国王その人で……つまり、とうの昔に亡くなられていた――ということですの?」

「そう。それでも天龍様は魔王の復活を予見して、取るべき手立てを預言書に記してくださったんだ。レイ、輝帝国の英雄が魔王を討てば、聖輝石は力を取り戻し、天空の地から呪いがはらわれる。そうなるように、天龍様は魔法を仕掛けているんだよ」


 違う、と否定して欲しいのに、クラウディスの言葉は容赦ない。けれど、シャルと睨み合いながらも憐憫れんびんにじませた声音は、レーチェルを気遣ってのものだろう。

 胸が苦しくなる。やはり天龍は、おのれの民を守るため上位竜族ルウォーツを陥れて権能ちからを奪ったのだ。守護が永久に続かないのも見越していながら、またも奪うよう預言書まで遺して。

 御声みこえの通りにすれば天空人たちは再び不老を得るだろう。地上で何が起きようと、誰が悲しもうと、天空の地までは届かない。

 閉ざされた都市で一切の災いを知らず、自分たちだけの安寧あんねい享受きょうじゅする。これが、本当に幸せといえるのだろうか?


「……レーチェルはさ、何であのとき馬車に乗ってたわけ?」


 ふいの質問はシャルからだった。いつのことかすぐには思いだせず、レーチェルはシャルを見返す。目を瞬かせたはずみで、気づかぬうちに浮かんでいた涙がこぼれ落ちた。


「あのとき、とは?」

「ハスティー郊外で盗賊に襲われてたときさ。レーチェル、なんか荷馬車の中にいたじゃん。輝帝国でぜんぶ片付くはずだったなら、旅なんて想定してなかっただろ?」

「ああ、あれは……わたくし最初に輝帝国の魔導士協会へいったのですが、主宰しゅさいの方が冥海神様から神託を受けたのです。ウィルダウ様の魂を継承する者を連れ戻し、急ぎ覚醒の儀式をりおこなうように、と。かつてウィルダウ様が所持していた『極光石オーロラダイヤのサークレット』を印として身につけているから、すぐにわかるだろう……と。ですからわたくし、極光石オーロラダイヤの位置を頼りにセス様を捜していたのです」


 口にしてから、クラウディスの顔が青ざめたのを見たが、発言は取り消せない。

 シャルが彼らから距離を取るようにじりじりと退がるので、レーチェルも一緒に後ずさる。エルドラがふわっと飛んできて、レーチェルの頭に乗っかった。


「レイ、なぜそんな危険なことをしたんだ。地上に行ったらすぐ、輝帝国の宰相家に保護してもらうように言ったじゃないか」

「クリスタル家の御爺様おじいさまに魔導士協会を紹介されたのです。折しもご本人セス様はご不在でしたし、精度の高い捜索魔法を使える方もおりませんしでしたし、わたくしつい張り切って……」


 魔導を人間へ与えたのは冥海神だとされているので、魔導士協会が信仰するのも冥海神だ。セスの中に潜んでいたウィルダウこそが冥海神だったわけで、神託が本物ならば、彼がレーチェルを輝帝国から出そうと仕向けたようにも思える。

 結局は魔導士協会の思惑通りに運ばず、魔王軍との接触を切っ掛けとしてウィルダウが覚醒し、それが呼び水となって上位竜族のクォームと出会った。伝承の偽りは暴かれ、神々の複雑な関係性と、天空神が地上から奪ったものを知った。

 これらは、ここに至るまでレーチェル自身が経験したからこそ、現実として受け止められることだ。地上を知らないまま魔導士協会内にとどまっていたなら、今のようには考えられなかっただろう。


「……イ、レイ! 聞いてるのかな。とにかく、もう君が危険を冒す必要はない。あとのことは輝帝国に任せて――」

「いやです! ラウ様は知っているのですか? わたくしはクォーム様に、魔王を討てば今度こそ世界が滅びると聞きました。そうなったとき、天空の地はどうなるのでしょうか。一緒に滅びることを、天龍様が想定していたとは思えません。地上を犠牲にして、天空の地だけが護られるなど許されるのでしょうか?」


 恐ろしい予想だったが、不思議と確信があった。クラウディスは、答えない。

 両隣で動揺する神官戦士たちをこれ以上混乱させないため、知っていても口に出せないのかもしれない。


「そんなの、間違ってるだろ」

「はい、間違ってると思いますわ」


 シャルがうなり、レーチェルはこたえる。あのとき月虹神は「叩き起こして」と言ったのだ。その意味を、今なら理解できるように思えた。

 冥海神殿でまみえたとき、月虹神はこうも言ってなかっただろうか。


「――神様のくせに傷心で引きこもるなど笑止千万、でしたっけ」

「目をつぶったままじゃ夜だけど、天空神が希望ひかりをあきらめるなんてふざけるな、だったよな。いいからさっさと起きて働け、って」


 同じ決意をシャルの目に見つけて、覚悟を決める。シャルがポーチからナイフを取りだし、レーチェルは背に光翼を展開して、自分の内側に魔力を高めてゆく。クラウディスが焦った声で両脇の神官に捕縛を命じたが、彼らが到達するより先に、シャルがナイフをうえに向けて投げた。それにレーチェルが魔力を乗せ、威力と速度を加速させる。

 涼しげな音を響かせて、天窓の透明板が砕けた。神官たちが悲鳴を上げ、恐慌きょうこうをきたしてシャルにつかみかかる。

 止めようと手を伸ばしたレーチェルは、クラウディスに後ろから抱きすくめられた。


「ラウ様! 離してください!」

「なんてことを! レイ、これでは正真正銘反逆者だ。君は、地上のために天空の地を犠牲にするつもりか!」

「違いますっ。天龍様の望みは身勝手だわ! しか選べない未来なんて、わたくしは嫌です。天空の地も、地上も、ぜんぶ同じ世界なの! 神様であれば、天空の地だけでなく世界ぜんぶを守るべきではなくって!?」


 必死に訴えるも、クラウディスは答えない。神官二人がシャルを捕まえて、抗議の鳴き声をあげる風翼竜エルヴァードを追い払いながら露台バルコニーへと引きずってゆく。シャルも抵抗しているが、小柄な彼に大人二人を振りほどくのは無理だろう。


「ラウ様、ちょっと……何なさるつもりですの! やめて、彼は地上人ですのよ!?」

「……他に、どうしろと?」


 ぞっとするほど悲しげで、あきらめに満ちた声が耳元をくすぐった。降り注ぐ光は窓が割れたことでいっそう輝きを増し、まるで舞台でも眺めているようだ。

 怒りで表情を歪めた大人たちが露台バルコニーの端からシャルを突き落とし、その後ろを風翼竜エルヴァードが追っていったのが、ひどくゆっくりに見えた。

 



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