第四節 虚構の理想都市

[4-1]歪められた真実


 帝国の帝都ノルディックは年中温かな気候だが雨が多い。しかし、北方には『嘆きの雪原』と『天空連山』、東方に望む『滅びの山脈』の向こうには『双月の砂漠』が、今も少しずつ広がりつづけているという。

 雪原と砂漠は、魔法力が混乱しているゆえの異常気候だと学者たちは見解を出している。


 魔導学的に危険性の高い両地域に挟まれていても、帝都が穏やかな気候を保てるのには理由があった。輝帝国という名称は、建国のいしずえとなった聖なる宝石に由来すると伝承される。

 三百年前、魔王を討った偉大なる英雄の血を継ぐ者が護りの聖輝石をこの地に奉じ、国家を興した。ゆえに輝帝国は英雄の系譜だと、王たちの歴史書に記されている。伝説的な存在だった建国おうに関する逸話いつわは、実に数多くあるのだが。


「英雄ルウォンの遺した予言書、か。眉唾まゆつば物だと思っていたが、まさか本当に魔王が復活するとは」


 短く整えられた金の髪、威圧を与える琥珀金こはくきん双眸そうぼう。身にまとった白銀の鎧には意匠が施されており、彼が五聖騎士ファイブパラディンの一角であることを示している。

 描かれているのは『金目の鷹』、輝帝国の精鋭騎士団インペリアルナイツを率いる竜騎士、ケスティス・クリスタルがその名だ。


「最近ことに黒豹ギリディシアが怪しい動きをしていると思えば――エルデ・ラオの末王子も、思いきったものだ。魔王軍と手を組む以外に親兄弟を討つ手段が得られなかったことは、同情もするが。しかし、」


 双眸が鋭く怒りを映した。手にしていた書を無意識に握り込み、ケスティスは苛立ちを抑えようとしつつも揺らぐ声で、怒りを吐き落とす。


「俺の弟たちをたぶらかしたことは、許せるものではない。待ってろ、セス、リュナ。俺が、必ず奴の企みを暴いてやる」


 金鱗美しい彼の飛竜が「クルルルゥ」と喉を鳴らしてこたえる。ケスティスは愛竜の首を撫で、竜舎の扉を開け放った。





 早朝、クリスタル家への密書として届いた書簡には、白のろうに金砂をまぶす珍しい封蝋が施されていた。押印されたしるしを見た途端、顔色を変えた父レーダルが長兄ケスティス次兄オアスを呼び、封書を開いて読みあげたのだ。

 書簡の送り主は、今や伝説の存在である種族「天空人てんくうびと」、内容はまさかの、弟と妹に関する情報。


 エルデ・ラオ国の末王子は暴政をく父と兄をしいし王権を得るため、古代の禁忌魔法に手を出し、魔王の魂を復活させた。末王子と魔王は共謀し、適した器を持つ人物をかどわかしては、魔将軍と呼ばれる配下の者らの魂を憑依ひょういさせ、軍事力を強めている。

 セステュ・クリスタルと、リュナ・クリスタルも、同様に狙われ、たぶらかされ、魔王軍に引き込まれた。魔将軍らの魂が元の魂を完全に取り込む前に救出し、魔導士協会にて適切な処置を施すようにと提言する、――と。


 ケスティスとて、初めから手紙を鵜呑うのみにしたわけではない。読みあげながら顔色をなくしていく父の様子をいぶかり、弟オアスと視線を交わしつつ半分疑って聞いていたのだ。そもそも天空人てんくうびと――天使族エンジェルズの存在について魔導士協会では、空想上の種族という見解を出している。実在を証明されない人物からの手紙にどれほど信憑しんぴょう性があるというのか。

 しかしその後、父レーダルが告げた真実は、ケスティスの固定観念を完全に吹き飛ばす衝撃をもたらした。


 シワが目立つようになった顔にいたいろをのせ、レーダルは上の息子二人にセステュとリュナにまつわる過去を告げた。隠されていたその事実は、万が一にも二人に知れれば輝帝国を見限ってもおかしくないほど、残酷で理不尽なものだった。

 加えて二人には憑依に対する適性がある。エルデの末王子はそこを巧みにつき、二人をたぶらかしたのだろう。賢い王子だと感心もしたが、許せないという思いのほうが強かった。


 驚くべき事実はそれだけでない。輝帝国の建国おうは魔王を討った英雄ルウォンと同一であり、人間ではなく天使族であったというのだ。

 魔王を討った英雄は二百年をかけて地上の平定と各地の復興に努め、そののち自らの翼を捨てて人間となり、国家を打ち建てたのだという。はるかに遡ればクリスタル家はその傍系というのだから、ケスティスはもうどこまでを真実とみなすべきか判断できなかった。

 ただ一つ確かなのは、弟と妹を魔王軍に奪われたままでたまるか、という思い。


「俺がセスとリュナを連れ戻してくる」

「待て、ケスティス。向こうは魔王軍だ、五聖騎士ファイブパラディンとはいえおまえ一人を行かせるのは」

「父さんも経験あるだろうが、部下を引き連れて全員の安全に気を配るより、俺と飛竜の単騎で向かうほうがずっと危険は少ないよ。それに、一部隊で国境を越えるのは戦争を仕掛けにいくようなものだ」


 宰相としての立場と父としての心配の間でレーダルは揺れたようだが、結局は息子の説得に頷いた。ケスティスが急いで準備を整え、旧エルデ・ラオ国、今は魔王軍領と呼ばれる地へ金飛竜とともに飛び立ったのは、その日の午後のことだ。

 書簡の送り主である『天空の地』で何が起きたのかをケスティスは知らなかったし、当然ながらセスやリュナも知るはずがない。


 そもそもの切っ掛け、事の起こりは、これより数日前へと遡る。




  ☆ ★ ☆




 透明度の高いガラス窓の向こうに広がる青空は、雲ひとつない。少し視線を下げれば新緑色の樹々、青い屋根と白い壁の建物群、石畳を敷いて綺麗に舗装された道、ひたすらのどかな風景だ。

 自然と融和ゆうわした美しい街並みは、自然を愛するシャルにも好感度が高い。はずだった。

 この街に降雨がなく、すべてが魔法によって管理された造り物の自然風景だったと聞かされても、その技術に驚くことはあれ不快に思うことはなかっただろう。

 しかし現状では、この街――天空島の中心都市・ライアスを好きになれそうもない。


 とはいえ、今さらといえば今さらなのだ。

 レーチェルと出会ったときに彼女が口にした台詞、その後の言動、セスに向けられた熱視線。あれほどの心酔は、レーチェルがこの地で培った信仰心だ。最近ずいぶんと丸くなっていたからといって、忘れていたのはシャルの迂闊うかつである。

 事前準備と対応策をしておけばよかった、と考えたところで後の祭りだ。

 こうなった以上、綺麗事など言っていられない。どうにかここを脱出し、レーチェルを捜して助けだし、天空神が眠る神殿まで辿りつかなくてはならない。


 ルマーレ共和国で神様たちと面会したあとの流れは、びっくりするほど順調だった。議会堂は解放され、人々の石化も解け、魔王自ら、大神官と一部の評議員(シャルの義兄も含まれていた)に占有からの解放を伝えてくれた。

 一緒に聞いていたものの、シャルには難しくてさっぱり理解できない内容だったが、人間側は納得したらしいのできっと大丈夫。心残りはあったが、シャルにはレーチェルと一緒に託された使命がある。

 姉と義兄を説得し、転移門ゲートを経由して(なぜか豊穣神が協力してくれたので、こちらもスムーズだった)、天空島の外界出入口ポータルに到着したのが、一昨日のことだ。


 白大理石を組みあげ魔法光を灯した、神殿のエントランスみたいなポータルを一歩出た途端、目に飛び込んできた風景にシャルは感動した。今は、あの感動を返せの気分だが。

 天空島の建物は外壁が白、屋根が濃い青で統一されており、道ゆく人たちもレーチェルと同じような銀髪と青い目をしていて、色白で綺麗な容姿だった。方向感覚に自信があるシャルも、一巡り程度で統一感が洗練されすぎた天空都市を覚えるのは難しいと思い、いつもの散策を控えてまっすぐ中央神殿へと向かったのだが、今は後悔している。


「やっぱり、はじめての場所なんだから一回りしておけば良かったよなぁ。そうすれば、作戦も立てやすかった……、っと、きたきた!」


 たらればを言っても仕方ない。レーチェルだってまさか、婚約者が本物の神託をなど、思いもしなかっただろう。あの言い草にはシャルも少しムッとしたが、レーチェルはそれ以上に傷ついただろうに。可哀想だ。

 思いだせば怒りもよみがえるが、悔しがっていても時間と精神の無駄だと自分に言い聞かせた。内鍵を開け、ゆっくり窓を開ける。ふわりと爽やかな風が踊り込み、風と一緒に翼をはためかせた生き物が飛び込んできた。


「キュキュ、クァ、キューッ」

「よしよーし! よし! 今日はリンゴやるからな」

「キュウゥン、クァー!」


 鳥のようにふわふわの翼、羽毛と獣毛の中間みたいな感触の毛に覆われた身体と、長くしなやかな尾。しかし全身のシルエットは竜騎士の乗る飛竜をかなり小型にしたような、紛れもないドラゴン体型。出会ってまだ何日も経たないのに、犬も驚く懐きっぷり。

 レーチェルによれば、この生き物は『風翼竜エルヴァード』と呼ばれる天空神の眷属けんぞくなのだという。人語は喋らないが知能は高く、ポータルから出た二人を真っ先に歓迎してくれたのがこの子だった。

 シャルのポケットに入っていたクルミの匂いを嗅ぎつけ猛烈なおねだりをしてきたので、深く考えずクルミをあげたらすっかり懐いてしまい、あまりに警戒心なさすぎて心配になるほどだった。

 しかしまさかシャルもレーチェルも、この地で二人を歓迎してくれた者がこの竜だけになるなんて、思いもしなかったわけだが。


「ふんふん、……自宅軟禁かぁ。わからずや連中相手だっていっても、あんまり手荒なことはしたくないよなー」

「クキュゥ? フンフン……」

「あっ、これはダメ! 紙なんて食べたらお腹壊すだろ!?」

「キュン」


 つい考えにふけって竜を撫でる手が止まっていたらしい。この子が運んできたのはレーチェルからの手紙で、風翼竜エルヴァードを使った手紙のやり取りを思いついたのはシャルだ。幸いにして、言葉も通じないこの生き物は今の所とても素直に、シャルとレーチェルの間をつないでくれている。

 とはいえ、身を隠して飛ぶことまでは教えられないから、誰かにばれてしまうのは時間の問題だった。

 何度かのやり取りでシャルが手にした物は、天空都市の大まかな地図、変身薬一回分、狩猟用の大型ナイフ。ぜんぶ、レーチェルが自分の持ち物から役に立ちそうな品を風翼竜エルヴァードに預けて届けてくれたものだ。


 引き離され、閉じ込められているとはいえ、長い年月を外界からの脅威を受けず平和に過ごしてきた天空人たちの警備体制は、穴だらけ隙だらけである。

 野獣や魔獣を相手とした狩りを生業にする猟師にとって、見張りの目をかいくぐって抜けだし、同じく閉じ込められているレーチェルを連れだすのは、初見の地というハンデを差し引いても難しくない。

 ただ相手は獣ではなく人だ。騒ぎを起こしたら最後、傷つけず殺さずに逃れきるのは不可能だろう。

 失敗できないミッションではあるが、このまま泣き寝入りするつもりはなかった。レーチェルが受けたのは、月虹げっこう神による本物の神託なのだ。天空人たちが信じようと信じまいと、関係ない。シャルはあの場に一緒にいて、見届け、聞き届けたのだから。


「やっぱり、動くなら今夜か。できれば眠り薬も欲しかったけど……何とかなるだろ」


 信仰心と無縁のシャルが信仰に生きるレーチェルに寄り添うにはどうすればいいのかと、彼なりに一生懸命考えて、決めたことだった。天空神の目覚めを阻止したい理由が、天空人の側にはあるのだろう。シャルには考えも及ばない、切実な事情なのかもしれない。

 河川敷かせんじきでアルテーシアがセスに語った言葉を、今このタイミングでシャルは噛みしめている。どちらを選ぶか、何を信じるか。シャルにとって大切なのは、数ではない、正しさでもない。自己を犠牲にしてまで使命を果たそうとするレーチェルだからこそ、助けになりたいと思うのだ。

 この地に住む彼女の同胞が、こぞってレーチェルの使命を妨害するのなら。


「俺が、絶対にその使命、果たさせてやるからな」


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る