〈幕間七〉いつか君が許せたら
全身をさいなむ鈍痛で目が覚めた。最初に気づいたのは、
柔らかく優しげな声質の男声は覚えがあった、イルマだ。もう一人は、老人だろうか。
「迷惑をかけてしまってすみません。両親には、その……心配をかけたくなくて」
「ふぉふぉ、構わんよ。旅の
(いきてた……?)
信じられない思いで確かめようとしたが、手足も
訳もわからぬまま、黒い何かに全身を貫かれたことは覚えている。しかし、その一瞬で弾け飛んだ意識が後の
(あいつ、お人好しめ)
外に出ない言葉を胸の内に巡らせたら、目の奥が熱をもって苦しくなる。自分はまた助けられたのだ。今度こそ死んだっていいと思っていたのに。
記憶にはなくても間違いない。あんな状況でイルマはどうやってか自分を
父の
六歳は幼少時とはいえ、何もわからぬ幼児ではない。前帝皇は残虐な人物だったので、死に定められた囚人への慈悲などいっさいなかった。牢の不衛生さと空腹から熱を出し、意識が
大好きな家族が、世間の記憶と歴史の記録に罪人として刻まれ、恥ずべき
身体に四分の一も流れるエルフの血筋のお陰で、魔法の才能には恵まれている。祖母から母へつながり、自分に宿った魔法の才で、いつか父を追い落とした『金の目の鷹』ケスティス・クリスタルに思い知らせてやるのだ、と。
ただそれだけを心に刻み、生きてゆく糧として、この十年ずっとあがき続けてきた。けれどその全部をセスに阻まれてしまい、今さら何を
泥沼のような思考に浸かり、絶望的な気分に陥っていたところへ、足音と物音がして誰かが入ってきた。
気まずさ、罪悪感、いろいろな感情が渦を巻いて、痛みと一緒に胸を圧迫する。
「ティーク、意識が戻ったの?」
思った通り。つい先日まで自身を人間だと思い込んでいた竜の青年は、あんな仕打ちをしたティークを
イルマは意味のわからない声を上げて駆け寄ってきた、らしい。
「大丈夫!? 傷はほとんど塞がってるけど回復しきったわけじゃないんだから、興奮しないでよ。ゆっくり、息を吸って、ゆっくり吐きだして」
「ふむ、元気はあるようじゃの」
「だ、……れ」
ゆっくりと抱え起こされ、優しく背中を撫でられる。不本意ながらもゆっくり息を吸って吐き、ため息の感覚で声を出せば、今度はきちんと発声できた。重たい瞼をゆっくり持ちあげると、視界に馴染み深い光景が映り込む。
木造りの家と木製の家具、全体的に
「僕はイルマだよ。覚えてる?」
「うる……い、キミ、……なく、そっち」
「彼はこの
白髪と白い髭の、不思議な雰囲気を持つ老人だった。背も腰もしゃんとしているところを見ると、わりに高齢ではないのかもしれない。耳は丸いが肌は白く、もしかしたら自分と同じようにエルフの血筋なのだろうか、と
我ながら
「何とか治療が間に合ったようじゃ。しかし、切断こそ免れたがその両脚はしばらく動かせん。大人しく養生するのじゃよ」
「えっ、……あし、って」
「エリファスさんてば、脅かさないでくださいよ。ティーク、君の脚はまだ動かないけど、リハビリをしていけば動かせるようになるから。今は回復のため安静にしようね」
慌てたように言い直したイルマだけれど、話している内容はほとんど違わない。薬師の老人がエリファスという名なのはわかったが。伝えられれば気になって、こっそり両脚に力をこめてみたけれど、二人が言うようにぴくりとも動きはしなかった。
ティークにはもう家族と呼べる存在がない。この歳まで育ててくれた祖母も、昨年の暮れに肺を患い逝ってしまった。エルフに人間が作る都会の空気は合わないらしいから、きっと無理をさせてしまったのだ。
安静にして、傷が癒えたらリハビリをして、――……。
道がぷつりと途切れたように、その先をもう何も思い描けずにいる。脳裏に
泣き虫なくせして妙に頑固で、繊細なくせに驚くほどの無謀をやらかす、子供の頃に好きだと思えた気質はぜんぜん変わっていなくって。自分がこの十年抱え続けてきた憎悪と絶望と悲しみを、彼にも与えるのは違う。
間違いだと一瞬でも思ってしまったら、もう突き進むなんてできないじゃないか。
「……んぅ、……ふぐ、っく……、なん、で……助けた……ッ」
ばたばたと落ちる涙が、手元を濡らし、上掛けの布に染みてゆく。戦いに敗れ、心が折れたあのときに、死ねていれば。冥界がどんな場所かは知らないけれど、もし両親に会えたなら「
何も成せず、誰に対しても中途半端な親愛を抱えて、この先どう生きていけばいいのか。
「ふむふむ。記憶は消えんからのぅ……つらかろう。今は、先のことなど考えることはできんじゃろうな。だが、ぬしが負う星の
「エリファスさん、星読みの話ですか?」
老人の声が静かに響き、身体の内側を満たしてゆく。上掛けでぐいぐいと顔を拭い――それでも涙は次から次へと湧いてくるのだが――ティークは不思議な薬師を見返した。
星読み、ということはこの人物、占者でもあるのだろうか。
「世界が、……僕を?」
「そうじゃの。ついでに、昔話をひとつしようか。……今より十六年前に、竜騎士に憧れていた若い貴族が子を授かった。彼は我が子が強い竜騎士となることを望んだが、エルフの血を引く
驚きに、言葉が出てこない。
衝撃が大きすぎて涙も止まったティークは、何度か口をぱくぱくさせたあと、辛うじて「なんでそれを」と呟いた。老人はふぉっふぉと笑って、続きを語る。
「結果、召喚の試みは成功し、彼らは幼子と子竜を使役という鎖でつないだ。しかしながら、豊穣神の敬虔な信徒であったエルフの祖母は、その行為を看過することができず、子竜を奪ってエルフの郷へと戻り、子竜に拾われた人間の孤児であるとの暗示魔法をかけて、村の若夫婦へと預けたのじゃ。それが……」
「そうだよ。僕、と……イルマ、だ」
ティークが幼い頃から、何度も父に聞かされた話だった。もっとも父と祖父は、子竜のその後については知らなかったけれど。祖父はティークの就学前に病気で亡くなったが、祖母……妻との縁がそういう形で断たれてしまったことを、ずっと後悔しているふうだった。
祖母も、村のエルフたちも、使役の
しかし今こうしてイルマを前にすれば、祖母の
エリファス老人は自分を責めるだろうか、と気まずい思いでうかがい見たものの、ほぼ初対面のティークでは髭に埋もれた表情を判別できなかった。
「儂は旅人じゃが、イルマの養父母とは旧知の仲でな。ぬしの祖母と会ったことはないが、ずっと後悔を抱えとったと聞いたよ。自分が子竜を奪わなければ、将軍は
老人の言葉に、イルマがふわっと笑う。
能天気なようなのに、何もかも受け入れて包み込む笑顔だった。
言葉にならない感情があふれてきて、頭の中が混乱している。どんな夢があろうと、どんな理由づけをしようと、悪いことは悪いことだ。父は処刑に値することをしたし、イルマは被害者で仕返しされても当然なくらいで。ティークだって本当はわかっている。
だから、死んでもいいと思っていた。なのに、存命を望まれた。イルマだけでなく、在りし日の祖父が、父が、家族が――生き延びてほしいと願い続けたゆえに、つながった命だと気づかせられた。気づいてしまった。
「イルマ、……キミ、……馬鹿が……っく、ほど、……ひとよし、で」
ぐずぐずと
「僕は獣ではないから、君の騎竜にはなれないけど。いつか君が、自分の過去を、自分自身の存在をゆるして、認められるようになったら……そのときには改めて、友達になりたいと思うよ」
「……っく、うぅぅぅうぅ」
返事の声の代わりに、
今は答えなんて出せない。どうすればいいかなんてわからない。だから、もう少し身体の痛みが治ったらちゃんと考えよう、と心に決める。
煩いくらいに響く自分の泣き声にまぎれて、老人がそっと
「イルマはしばらく、ついててやるといい。後のことは儂の弟子に頼んでゆくでな」
「
薬師の老人はふぉふぉと笑い、「星の導く先へ、じゃの」と、占者らしい謎掛けを返したのだった。
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