[2-3]飛竜騎士との対決


 詠唱も、予備動作すらもなかった。蒼天に、無数の虹色がきらめき広がる。次の瞬間、まるで豪雨のように光が降り注いだ。


「マリユス!」

「ファッ!?」


 魔防障壁が銀光ひかりをまとい、襲いくる不可視の投槍ジャベリンをすべて弾き飛ばす。同時に蒼飛竜マリユスは風の壁を作って浮力を保ったようだ。初撃でぐらついたものの、すぐに体勢を立て直す。

 停止飛行ホバリングした翠飛竜の上から睨んでくるナーダムの目には、ぎらつく怒りがたぎっていた。


 バリィィン、と派手な音が響き、銀の膜があっけなく砕ける。銀竜が貼りつけてくれた、どんな魔法も防ぐはずの障壁が、ものの見事に破壊されたのだ。

 次の瞬間、ラファエルが勢いよく振り返る。


「しまった! 僕、やり過ぎちゃったね!」

「なんで楽しそうなんですか! これヤバいですよッ」

「魔法なんてかわせば問題なし! さあ逃げよう!」


 一度の魔法で壊れるなんて聞いてない。傷は塞がったはずの胃がギリギリ痛むが、嘆いている場合ではない。蒼飛竜マリユスは空中でぐるんと身をひるがえし、来た方向へと戻りはじめた。当然ながら、その後ろに翠飛竜が追いすがる。

 グラディスの捕縛をほのめかし、ナーダムを動揺させて後を追わせる。この流れは計画通りだ。ラファエルがリュナを処刑するつもりなどないことは、セスも十分わかっているので不安はない。しかし予定では、ここまでナーダムを怒らせるつもりはなかったのに。


「ラフさん、魔法ってかわせるんですか!?」

「戦火神の加護を祈ろう! セス伏せて」

「え、わぁっ!?」


 頭をぐいと押さえられ、遠心力で全身が振られる。かすめるように散った虹色はナーダムの魔法だろうか。マリユスにしがみつきながら何とか後方を確かめようとするも、前後左右に回転も加えた激しい揺れが視認の邪魔をする。

 話すも聞くも、この状態では舌を噛みかねない。治ったばかりの右腕を――さすがに添木は外してきた――かばう余裕もない。なのに背後のラファエルは、揺れをものともせず短い詠唱で爆破魔法を放っていた。

 飛んでくる精霊魔法の槍ヴァルキリージャベリンを神聖魔法で撃墜するとか白毛玉フィーサスより戦神らしいのでは、と余計なことが頭をよぎる。


 魔法による攻防戦は時間にすればわずかだ。すぐに、破壊された騎士団駐屯所跡が見えてくる。蒼飛竜マリユスがぐっと高度を下げ、翼をすぼめて触れるすれすれまで簡易テントに近づき、接触直前で急上昇した。風圧で天幕布が吹っ飛び、中の様子があらわになる。

 黒い髪とロングドレスを広げ横たわったグラディスが、後ろ手に縛られてテントの柱につながれていた。驚いたように顔を上げた彼女が、空を見て目を見開く。視線の先は、すぐ後ろを追いかけてきた翠飛竜とナーダムがいる。


「ナーダム! きては駄目!」


 たった一言、しかしどんな言葉より真に迫った一声が、エルフの騎士から理性を吹き飛ばしたのがわかった。

 彼女の中身がクォームだと知っていてさえ胸を揺さぶられるのだ。ナーダムの内側を駆けめぐった激情が我が身のごとく想像できてしまい、罪悪感がちくりと胸を刺す。


 妹を連れ去り、人間への憎悪を公然と言い放ち、激しく罵倒ばとうもされた。好感など抱けるはずがない。

 魔王の部屋で対峙たいじしたときには、憎しみに近い嫌悪すら感じた。

 それでも、それでも。

 今のセスがナーダムに抱く感情は決して憎しみではなく、仕返しからこの作戦を決行したのでもないと言いきれる。

 話し合う余地があるのか、本当のところはわからない。うまく話せる自信はないし、以前のように罵倒されたらかっとなって言い返してしまうかもしれない。セスだって、あの時から引きずっている感情をまだ処理しきれていないのだし。


 それでも生きてさえいれば――道はつながると信じたかった。時間がいやすもの、変えてゆくものを信じてみたいと願う。

 ただの騎士見習いだった自分が、失われていた過去を知り、神々と対峙たいじし、世界の命運までも背負わせられた。もう力及ばないなんて言い訳はできない、したくないから。


「ラフさん、……びます!」

「よし、いけ!」


 返答と同時にラファエルは指示を出し、蒼飛竜マリユスをさらに上昇させた。翠飛竜のほうは二度ほど大きく旋回して速度を殺し、テント跡に囚われているグラディスを目指して降下してゆく。翠飛竜との距離が開いてゆき、ナーダムの声や表情はもうわからない。

 あからさますぎて罠だとわかりそうなものなのに、やはり彼は迷わなかった。罪悪感を押し込めて意を決し、意識を深淵へと沈める。たゆたうあおいきらめきの中でゆらり揺らめくのは、深く濃い紺青こんじょうだ。


「――大海を支配する紺碧の大魚ラハヴよ! 冥海めいかい神の権能ちからをもっておまえをにんずる。く、きたりて、呑みこめ!」


 おう、と、のんびりとしたが返る。ここまで何種類かの魔獣に触れてきたが、おのおの能力だけでなく気質も違うようだ。かれらは普段どこにいて、何をしているのだろう。

 知りたいという気持ちが自分の中に芽生えていることに、自分でも驚く。今はそんな余裕がないとしても、いつかは……かれらを『便利で強力な魔法的存在』としてではなく、もっと、何か違うイメージで見ることができるだろうか。


 ざっざぁん、と激しい水音が響き渡り、テント跡を中心としてみるみる地上にが広がってゆく。

 傾き始めた陽光を反射してきらめき渡る、ありとあらゆる青系統の宝石をぶちまけたような蒼波そうはのつらなり。船に乗った経験がなく海を知らないセスにとって、はじめての、しかも上空から見渡す大海は、圧巻すぎて畏怖いふすらおぼえる光景だった。

 どこまでが本物でどこからが幻影だろう。境界を区別できないほど広やかな海面が激しく泡だちはじめ、渦を巻き、黒く巨大な魚影を浮かびあがらせる。


 遠すぎてナーダムの指示は聞こえなかったが、翠飛竜は間違いなく逃げようとした。上昇する翡翠色に心が焦り、セスはつい「はやく」と念じる。上空まで逃げられては、せっかく作ったチャンスがふいになってしまう。

 が――次の瞬間、激しく弾け散った水柱の大きさを見て、セスはその心配が杞憂きゆうだと悟った。

 水飛沫をまとわりつかせた魚影が、海面から躍りでる。紺青こんじょう色と真珠色、二色まだらの鱗に覆われた巨体は不恰好に頭が大きく、開けっ放しの口も同じだけの幅があった。魚というには奇妙なバランスだが、竜とは違うように思う。


 呑め、と命じたのは自分だけれど。

 あの口に呑まれたら、深淵あるいは冥界へといざなわれるのではないか。恐怖混じりの雑感を抱いてしまったセスは、大魚の口内へ吸い込まれるように姿を消した翠飛竜とその騎手に対し、ひどく申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 言葉を失って見つめていたら、後ろのラファエルに背中をバシバシと叩かれた。


「セス、おめでとう! 作戦成功だ!」


 勝利を我がことのように喜ぶラファエルは、興奮冷めやらぬ様子でマリユスの名を呼びながら、楽しげな笑い声を立てていた。あまりに嬉しそうなので、セスの胸にこごっていた罪悪感までもがほろほろと崩れてゆき、喜びの熱がじわりと胸を満たしてゆく。

 やり方がえげつないのは認めるが、『殺さず捕縛』は完遂かんすいできた。ナーダムと翠飛竜を呑んだ蒼斑魚ラハヴは眼下の海をゆったり泳いでいる。ひたすら長いだけだった大蟒蛇ヨルムンガンドと比べると、幅広な姿のせいか迫力が凄まじい。


「ラフさんのお陰です。ありがとうございます」

「礼には及ばないよ。僕としても、優秀な竜騎士を手に入れる絶好のチャンスだからさ」

「え? あれって、一部本気だったんですか!?」


 ラファエルは答えず、ふふっと笑った。意味深な笑みだが、肯定こうていを意味しているのは明らかだ。あれだけの挑発を受けてナーダムがラファエルにくだるとは思えないが、それはまた後の話。ひとまず、蒼斑魚ラハヴにナーダムを引き渡してもらってから、元ありし場所へと帰らせねばならない。

 大海を退かせてから、傷を負わせないよう慎重に吐きだせ、――そう念ずれば、おう、と返る。きらめき揺れる蒼が少しずつ色を薄めてゆき、あれほどあふれていた海水もすっかり引いて、元の地面が姿を見せた。テント跡に立つのは元の姿に戻ったクォーム。消えゆく蒼色から取り残されたように、翡翠ひすいの飛竜とエルフの青年が地に倒れ伏している。

 ラファエルの指示に従い、蒼飛竜マリユスが降下してゆっくり着陸した。急いで命綱を外し、飛竜の上から滑り降りる。硬い地面を踏みしめているのに、まだ視界がぐらんぐらんと揺れていた。よろめきつつ踏みだそうとして、肩を支えられる。


「一緒に行こうか」

「ラフさん……」


 グラディスとの対決ではずっと傍観していたラファエルだが、この交渉は彼が故国を取り戻す第一歩でもある。王子としての強い決意を心強く思う反面、失ってはならない唯一無二の人物を守り抜かねばという責任に胸が震えた。

 倒れた翠飛竜は意識がないようだが、ナーダムは起きていたらしい。身を引きずるように上体を起こすと、翠飛竜に寄りかかってクォームを睨みつけている。

 交渉に入る前からすでに敵意がきだしで、わかっていたとはいえ緊張に心臓が潰れそうだ。


「ナーダム」


 ふいに、セスの後ろから声がした。エルフ青年の視線がこちらに向き、大きく見開かれる。振り返らなくても声でわかった。リュナが結界から出て姿を現したのだ。

 静かな足音が背後から近づき、追いついて、隣に並ぶ。いまだグラディスの格好ながら、一目でリュナとわかる表情で、緊張に身を奮わせた妹が立っていた。少し遅れてイルマとアルテーシアもいる。


「グラディス様……じゃない?」

「うん。あたしはリュナ、グラディスさんの器に選ばれた人間の、本来の人格……だよ」

「――遅かった、のか」


 傷ついた瞳に、みるみるうちに涙が宿る。見られまいとしてか顔をうつむけたナーダムを、潤んだ目で見つめていたリュナだったが、やがて目を閉じ、胸に両手を当ててゆっくりと話しはじめた。


「……小さなころ、あなたはとても臆病で泣き虫だったわ。エルフの村で起きた悲しみがあなたの胸に悪夢をませて、夜の眠りを奪っていたこと、気づいていたけど、わたしたちはどうしていいかわからなかった」


 エルフ青年が顔をあげる。美しい顔立ちは涙に濡れてもなお作り物めいていたが、双眸そうぼうには驚きの感情がはっきり見てとれた。

 リュナは息継ぐようにしばし沈黙し、ナーダムが聞いているのを確認してから、再び語りだす。


「そんなあなたが、ウィルダウの拾ってきた飛竜の卵に興味を持ったこと、わたし実は、ちょっと心配していたの。飛竜は賢いけれど、竜族と違って人の言葉を話さないから……。でも、わたしの心配は、思い過ごしだったわね。あなたはギディルの良いお兄ちゃんになったもの。そのうちすっかり元気になって、夜の悪夢にも怯えなくなって」


 ナーダムはもう、顔を背けたりはしなかった。見開いたきりの両目から涙をあふれさせ、一心にリュナを見つめている。一言も聞き漏らすまいとするかのように。

 リュナが、……もしかしたらグラディスだろうか。瞳をあげ、ふんわりと微笑み、迎え入れるように両手を広げた。


「わたしは、まだここにいるわ。本当なら消えゆくさだめのわたしに、リュナは消えないでと言ってくれた。彼らだって、認めて受け入れてくれたわ。だから絶望しないで。心をまっさらにして、彼らの話を聞いてほしいの」

「……本当に、グラディス様、なのですか?」

「あなたになら、わかるでしょう?」


 微笑みとともに向けられた一言が、決定打となった。頷き、顔を上げたナーダムはもう、泣き濡れる子供の表情かおではなくなっていた。敵意が完全に消えたのではないが、睨む瞳に憎悪はなく、苛烈かれつな闘志も消えることなく。

 猫に似た碧眼へきがんが挑むようにセスを見据え、わずかに細められる。


「わかったよ。そういうことならあんたたちの話、聞いてやってもいい」



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